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数年前とは比較にならないほどWebでかなりのことが調べられるようになった。一つには多くの企業や団体が、さらには個人が自前のホームページを作ったこと、もう一つはサーチエンジンの進化のおかげだと思っている。こっちの努力でホームページが作られ、あっちの努力でサーチエンジンが進化した。あっちの加速する進化の速度には目を見張らされるが、こっちの進化の少なさには目を覆うことが多い。 伝統的な営利企業のホームページ作成の目的は大きく二つだろうと考えている。一つは広い意味で自社の、自社が提供する製品、商品、サービスなどの社会一般や顧客への紹介。もう一つはこれも広い意味での対費用効果の高い情報発/受信のプラットフォーム。
そこに強力なサーチエンジンが登場してきた。本来、事業計画の一環として捉えなければならないはずのWebからサーチエンジンの側から見たWebに視点が行き、サーチエンジン対策が一人歩きしているような状況を引き起こすまでになっている。確かにサーチエンジンが強力になった分、サーチエンジンでひっかからないホームページは市場へのアクセスの面で大きなハンディを背負ったのと同じようなことになってしまった。そのため、サーチエンジンで何かを探している人をいかに上手く自社のホームページに引き込むかが企業の市場開拓の課題になっている。サーチエンジン対策の重要性を重々承知の上でワーニングを上げさせて頂く。サーチエンジン対策に視点が集まる分、本来企業の事業計画の一環として活用を考えなければならないWebをホームページ担当者の業務に矮小化しかねない弊害が今まで以上に大きくなっている気がしてならない。サーチエンジン対策については、まだ決して多くはないが参考に値する書籍もあるし、サーチエンジン対策のノウハウを売り物としたWeb制作会社もかなりある。手っ取り早く対策を打ってしまおうというのであれば、サーチエンジン対策は社内体制や合意にさほどの関係もないので、簡単にあっちの作業にできる。要は外注業者に任せられるし、Web制作業者としても商品化し易いのかサーチエンジン対策を提供しないところを探す方が難しいくらいになっている。
あっちの能力やサービスが加速的に向上しているにもかかわらず、Webやホームページを事業推進にどのように活用してゆくのか?また、そのための社内組織はどうあらざるを得ないのか?などこっち側の認識も努力も多くの伝統的な企業ではほとんど見えない状態のように感じられる。まさか、同業他社も含めてほとんどの会社がホームページを持っているのでうちも持ってないと変だからなんてことでホームページがあるなんて思っている経営陣はいないとは思うが、それでは自社のホームページをどれほどの頻度でご覧になられていらっしゃるのか?そもそもホームページを見に来る人達としてどのような人達を想定、あるいは希望してホームページを作られたのか?ホームページは事業推進とは関係なく市井の方々への広報を目的として作成されたわけじゃないだろうし、競合あるいはご同業に自社の製品やサービスの情報を提供するためでもないだろう。
その最大の目的は顧客や有望客に自社製品やサービスの優位性に関する情報をタイムリーに提供するためじゃないのか?もし、そうであれば、じゃあ、自社の営業部隊が日常の営業活動にどれほどホームページを活用しているのか、していないのかご存知か?寡聞にしてそれほど多くの企業の日常活動の実情を知っている訳ではないが、自社のホームページを見ている社員は営業部隊に限らずほとんどいないと思ってまず間違いない。なぜ?自社と市場が最もタイムリー関係し合うプラットフォームがあるにもかかわらずである。せっかくあっち側がとんでもない技術とエネルギを投入してくれた通信インフラと事業推進にも市場開拓にも破壊的な効果を持っているWebもホームページもろくに活用しない。自社の社内がほとんど見る事もない、誰も使わないホームページ。
なぜ?理由は簡単で、日常業務に使う必要がないか、使えるようなホームページになっていないからだ。そもそも経営陣からして使おうとはしていないんじゃないか?使おうとしているとおっしゃられるのであれば、最近自社のホームページを見たのは何時で、何をされたのか記憶の糸をたどってみればいい。サーチエンジン対策もいいが、もっと基本のローテクの部分に基本的な欠陥がある。二つの視点から改革を進めることをお勧めする。まず、日常営業活動で使用できる、しなければならないホームページにホームページを改善する。次に、日常営業活動の生産性を向上するために営業部隊にホームページの使用を義務付ける。日常営業活動で使ってホームページを改善してゆく。そもそも、何を目的としているのか、どうしたいのか明確な考えもなく、ただ業務を担当部署に放り投げる、あるいは外注に任せる悪習を経営陣が率先して直してゆかなければ、何もよくならない。よくなるのはあっち側の努力の賜物で転がってきたものだけになりかねない。