銃後の戦い

第二次大戦の後半の話しだと思うが、前線と銃後の比率が日本軍は前線一に対して銃後はゼロに近かったのに、米軍は前線一に対して十だった。だから、米軍兵士はコーヒー飲んで、チューインガム噛み噛み戦さができたんだ。このようなことが何かの本に書いてあったと記憶している。
イラクやアフガニスタンにおける戦争では、米軍の前線と銃後の比率は1:10どころではないと想像している。戦争遂行のためのインフラの面では米国は世界を圧倒している。米軍の銃後として米国の巨大な軍事産業だけでなく、多くのその他産業がイラクに派兵されている米軍を支えている。イラクの地で、一人の米兵と一人のイラク兵の個人としての戦闘能力はイラク兵の方が圧倒的に勝っているだろう。イラク兵には地の利もあるし、人の利もある。米兵は言語の障壁もあり、生活に必要な意思疎通すらできないのだから。近代戦になればなるほど、前線の質、量以上に銃後が雌雄を決するという典型がみてとれる。
同じようなことが軍だけでなく、ビジネスの世界の一般的な組織にも言えると考えている。企業で営業前線にいる営業担当者個人の能力が営業成績を左右する。当然のことであるが、純粋に彼一人の能力で個人商店のような営業活動をしているわけではない。前線の営業担当者が責務をまっとうすることを可能とする銃後の支援組織、システムがあって始めて、効果的な手を打ち、効率よく営業活動を遂行することが可能となる。どのような組織であっても優秀な人材がありあまっているわけではない。一般に限られた人材、普通のレベルででしかない人材で営業前線を組まなければならない。その普通の人材で構成された営業前線を銃後の支援部隊、システムがどれだけ有効に生かしきれるか、生かせないかで企業全体の営業成果、ひいては企業の事業成果の趨勢が決まる。
営業成績は営業部隊に直接の責任があるとしても、銃後の支援部隊、そのシステムの重要性を、近代戦の常識を理解せず、営業部隊にのみにその責任を問うのは時代錯誤だ。銃後の支援部隊の必要性に気づかず、旧態依然とした業務分担のまま営業部隊に営業活動以外の業務に多くの時間をさくことを強要している組織が今だに多すぎるように感じる。営業部隊には営業のプロとして効率的に受注することに専念してもらえる環境を提供しなくてはならない。その環境を提供する部隊は環境を提供することを責務としたプロ集団でなければならない。
この環境を提供する部隊は一般的にマーケティング、あるいは営業企画というような名称の部隊になると思うが、この部隊が前線の営業部隊に戦える環境を提供するために、本来、企業活動全体の戦略立案、実行部隊の中核にならなければならない。
この部隊のパーフォーマンスが企業の明日を決めることになる。この部隊を間接業務のそのまた間接業務程度にしか考えず、他部署からのお払い箱のような人材をリーダとして、お手もり作業でただ仕事が流れているような状態をよしとしているようでは、前線部隊はたまったもんじゃないし、それ以上にその企業の将来にすら疑問符がつく。