定型書式を止めよう

どのような組織、企業にも普通、定型書式がある。報告書も定型書式で記載する。なかには購入品候補の機能、性能を比較検討するための定型書式すらある。 定型書式を使用することで、検討、記述内容も標準化できるし、抜けも防げる。
報告書を受取る側も項目ごとに整理したかたちで情報を受取れるので、理解もし易い。また組織、あるいは人レベルで作り上げた情報管理システム?(個人の情報整理ファイリングシステムとでも呼ぶべきもの)への格納、引出しも容易に行える。このような利点があるため、全社共通の定型書式に始まって、事業部内、部内、課内の定型書式が使用される。また、必要に応じて担当部署内で新しい定型書式が作られる。しばし、定型書式には定型部にはあてはまり難い事項を記載する必要から、備考欄、特記事項欄が設けられている。こうしてみると、定型書式にはどこから見ても利点しかないように見える。
しかし、備考欄、特記事項欄を設ける程度で日々変化の激しい業界の市場の変化、技術の変化などを克明に報告できるのかという疑問符が発せられたとたんに怪しくなる。備考欄や特記事項欄ではカバーしきれないことの多くは添付資料のかたちで報告することになるのではないかと想像している。そうなると、最も重要な記載がある添付資料に対する報告書を受取る側の理解能力が問題になる。定型書式に記載された整理された画一的とも言える内容を処理、理解する能力を磨き上げてきた管理職が定型化されていない情報を定型化された情報と同じ効率で処理できるかという人の能力に対する疑問符もある。決まったことを決まったように、前例のあることを前例に従って処理する能力が問われていた時代から前例のない、今までのどのカテゴリにもはまりきらない、全く種類の違うことを処理する能力が必要とされる時代になった。
定型書式は官僚組織がそつなく事をこなす格好のツールだったろう。定型化された情報を管理するために緻密に構築してきた情報管理システムをどこまでフレキシブルにするかが問題になる。フレキシブルにすれば定型化処理の能力が売りだった管理職の存在が危険にさらされる。なぜなら、業務が定型化された情報の処理に最適化されていればいるほど、定型化されていない情報の処理には不向きになるから。
報告書を受取る側の効率を追い求めるあまり、報告書の定型化を進め、そのことによって定型化していない、し得えない情報を理解し、判断して行くの能力が退化してしまったのではないかと思う。時代は定型化を許容しない方向に加速的に進んでいるように見える。大量生産を経済の骨格とした時代からイノベーションを主体とした経済体系への進化を進めざるを得ない今、目的は定型化による処理の効率化ではないはなく、処理の質に、処理するインテリジェンスにかかっている。止められるところから定型書式をやめてみたらどうだろう。止めることで官僚や民僚超えた本来必要とされる能力も鍛えられかもしれない。