翻訳屋に(19)―外国人から日本文化を聞く

Classless teacherのなかに変わった人がいた。一般的ではないという意味で「変わってる」のであって、マイナスのイメージがつきまとう「おかしい」のとは違う。
唐突に「部落問題」を投げかけられたときも、受けきれなくて困ったが、この変わった先生の話は、どうにも受けようがなかった。話は面白いし、丁々発止のやりとりは小気味いい。ただ先生がもちだした話題に関する知識がまったくない。生徒からでてくるのは、しばし頓珍漢な、どうでもいい質問だけだった。それを受けて、そこまでまじめに説明されても、聞いたところで帰りの電車に乗るころには忘れちゃうのに、熱っぽく話してくれた。

涼しい顔をして、日本にはもう十何年以上いるから、で自己紹介がはじまった。いる目的は琵琶の演奏を習得することと、『平家物語』と琵琶の社会的、歴史的背景を勉強することだ、と穏やかな口調で言った。目的はいいが、その目的と英語の先生をしているのがつながらない。つながらなければと思う方が考えが足りないだけで、つながらなければならない理由などありはしない。ちょっと考えれば分かりそうなものなのだが、気がついたのは随分時間がたってからだった。

なんらかの理由で日本で生活しなければならない。ただそのためだけに、安直な英会話学校で先生をしている。それもClassless teacherとして。英語の先生としては、それ以上の責任を持ちたくないというところなのだろう。金払って勉強に来ている生徒からすれば、そりゃないだろうといいたくもなるが、フツーに考えて、東京の英会話の学校の先生を目指して勉強してきたという人がいたら、そっちの方がフツーじゃない。どの先生も何らかの理由(事情?)か目的があって東京にいたい、いなければなから、先生をしているだけだろう。
英会話を教える仕事とのつながりなどあろうはずもなく、ふつうはそれを生徒の前で口に出すのをためらう。さばけているというのか、その変わった先生、そんなためらいや後ろめたさなど、はなからあったとも思えない。目的からすればあまりに些事。気にかけることではない。

『平家物語』の一説を、よくもまあ、そこまでとあきれる滑らかな、みやびの抑揚までつけた日本語で聞かされた。クラスの誰もが、小柄のひげ面の、お世辞にも文化的な風貌とはかけ離れたアメリカ人から、発せられた音、それはもう詩と呼んでいいのか、調べとでいってもいいのが出てきたときには、びっくりして声がなかった。
それに続いて、平家物語の気に入っている箇所を取り出して、軽い解説をして、生徒に何をいわんとしているのか、と軽い質問をした。そんな解説などされても、何を言わんとしているなど分かるわけがない。生徒は受験勉強や何やらで日本の古典を知らないわけではないにしても、それは受験のためという限定されたところまでで、それ以上はなんの知識も興味もない。

よくヨーロッパの支配階級というのか上流階級や政治指導者がゲーテやなにやらの有名な文言を暗誦して、何かのときに教養の一環として披露するというのを聞いたことがあるが、日本で古典に通じているのは、それを専門として勉強しているか研究している人たち以外にはいない。
後になって考えてみれば、あの茶目っ気の先生、そこまで考えていて、『平家物語』を引っ張り出してきたような気がしてならない。君たち、英語を勉強しようとするのは国際人としての立場を求めているからだろう?でも、習った英語で意思の疎通ができるだけは、ネイティブには、よくて出来のいい植民地のこっぱ役人程度にしかみえない。日本人が日本を一歩でたときに求められるのは、日本人として教養と良識であって、形ながらに習得した英語使いとしての日本人じゃない。

ずいぶん経ってからだが、ベルギーにヨーロッパ支社を開設すべくワロン州政府の役人と話をしていた。日本企業の誘致活動の前線に立っていた人なのだが、あまりに達者な日本語に驚いた。日本の大学に十年以上在籍して中世の妖怪の研究をしてきた人だった。なぜ中世の妖怪を研究?と訊いた。返ってきた答えにゲーテの暗誦に近いものをどすんと落とされたような気がした。妖怪には歴史に培われた庶民から皇族まで含めた日本人の社会観や生死感が反映されている。歴史とは時の権力の趨勢を時系列でならべたものではない。ましてや今の社会を知ろうと思えば、今にいたった歴史を、そこに生きていた人々の日常の思いや考えから理解しなければならない。

明治以降、自分たちが生み出した欧米に対する憧れと畏敬の念のような感情から抜けきれないでいる。日本の日本のと言う気はさらさらないが、それでも自分たちの文化にあまりに無頓着すぎる。外から見た目で日本を教えられることがある。ありがたいことで、決して悪いことではないが、言われたことが何を言わんとしているのかも分からないとなると、なんとも情けないし、恥ずかしい。
2017/2/19