翻訳屋に(12)―同時通訳の学校へ

子供のころは親父に診断書を書いてもらって、学校を休んで釣りにいったりしていたのが、高専で詰め込み教育の型にはめられた。教育学校教育からはみ出しているつもりだったが、型にはまった後遺症が思っていたより重かった。意識することもなく。勉強とはカリキュラムに従って、先生についてするものだとばかり思わされていた。
とくに英語となると、独習できるものとは思えなかった。英会話学校に行かずに独習の可能性を考えても、何をどう独習すればいいのかの見当がつかない。そう思って英会話の学校に通ってはみたが、いっこうに力ついてゆくような感じがない。それでも型にはまった勉強はできるし、その型の周辺なら独習もできる。
ところが行く英会話の学校がなくなってしまった。英語の能力がそんな段階にまできてしまったとは思えない。勉強しなければという一心で、同時通訳の学校に行きだした。これが文学部あたりで英語なりなんなりを学んできた人なら、漠然と英語の勉強をにはならないだろし、違う選択肢も思いつくのだろうが、高専を出た機械屋には分からなかった。

工作機械メーカでは英語のできる人材でも、翻訳会社に入ったら英語に自信のない翻訳見習いでしかない。翻訳でもおぼつかないのに、まさか通訳なんて別世界が自分の視野に入ってくるとは考えたこともなかった。まさかのうえにもう一つ二つまさかがつく。いったところでどうなるかは分からない。特別な力みもく、できることならやっておこうという気持ちで、麹町にある同時通訳の学校に行きだした。
そこは学校というより、同時通訳派遣会社の養成機関で、先生は現役の同時通訳者だった。まず逐次通訳の入門クラスに入った。ここで飯を食うための勉強がどういうものなのか、その心構えを知った。
今まで何年も通った英会話学校は、仕事の場で使えないと困るという人たちが、使えるようになるための学校で、英語はいってみれば業務上で必要とされる、できた方がいい能力の一つでしかない。通ってくる人たちが学んだことをどう生かすのかは英会話学校の視野に入っていない。同時通訳派遣会社の養成機関としての学校は、生徒の将来以上に派遣会社の即のビジネスと将来がかかっている。

当時、よく知られた大手同時通訳派遣会社は四社あったが、どこもありあまる同時通訳者を抱えているわけではない。できる通訳者はいつ同業他社から引き抜かれるか分からない。外部からリクルートするだけでは市場の成長に追いつけない。ビジネスを拡大するために養成機関までもって有望な若手を育成するしかない。半玉にまで育成して、ベテランとペアにして一人前に仕上げることで人員強化を図っていた。

高専も大卒に劣らない専門教育をということで、八時間授業で詰め込み教育をしていて大変だったが、この同時通訳養成校ほど厳しい授業はなかった。一日三時間の授業が週三日。英会話の学校でも仕事をしながら週三日はきついが、養成校の授業を一回でも受ければ、そんなも昼寝でもしているのとなにも変わらないと思えるようになる。

二十五六人の生徒を前にして、先生が机に座ってなんの前置きもなく、通訳した仕事を録音してきたカセットテープを再生する。ディクテーションしてA4にタイプアウトしたら半ページから一ページ程度のところで停止して、「そこの、あなた」と生徒の誰かを指名する。指名された生徒は、即聞いた英語を日本語で言う。日本語でなら聞いて理解して覚えていられるが、英語でははじめて聞く話題、誰もほいほいと日本語で言えない。そんなことがスラスラできるのだったら、こんな学校にきやしない。英語を母国語としている数人以外は誰もがそう思っていた。
いきなり指された生徒がしばし「えっ」と声にだしてしまう。日常生活ではふつうの反応なのだが、「あなた、仕事の場で、えっなんていえないんだからね」、「右の人」と次の人が指される。指された人がまた泡を食って、すらっと日本語がでてこないで、口ごもる。口ごもって、失敗したと日本語を口からだそうとするのだが、先生はそんなもの待ってはくれない。「後ろの人」と何人かを指しても、誰からも日本語が出てこない。「あんたたち、なにやってんの」「もう一回」といいながら、カセットテープを巻き戻して、再生する。今度はさすがに短い。A4の三分の一程度で止めて。「はい、あなた」と別の生徒を当てる。
これが授業というものなのかと思うのだが、ただただ当てられないようにと祈りながら一時間が終わる。「あなたたち、しょうがないから、事務にいってこのテープをコピーして、もって帰って予習してきなさい」っていって、さっさと部屋を出てゆく。

コピーしたカセットテープを持ち帰って、ラジカセで再生して聞くのだが、聞き取れない箇所は何度巻き戻し・再生を繰り返しても聞き取れない。たとえば、「wherewithal」という単語を一度も聞いたことも、見たこともなければ、聞き取れたとしても「where」、「with」と「all」の三つの単語にしか聞こえない。その逆もありで「get rid off」が三語に分けては聞き取れない。文章の前後関係からこれかもしれないと、「l」なのか「r」なのか、それとも「ll」なのか「rr」なのか、可能性のある綴りをあれこれ想像して辞書を引いても、運よく見つかることはなかなかない。

地下鉄に乗っていて、次の駅名が聞こえてきたとして、「しぶや」なのか「ひびや」なのかは、分かっているから、「渋谷」聞けて、「日比谷」に聞けるのであって、純粋に聞こえた音からでは電車の雑音はあるし、社内のスピーカの音質もあって聞き取れない。
ラジカセの音質がよくなければ、音そのものが聞き取れる状態でないこともある。もっと音質のいいラジカセはないかと秋葉原にいって、何度も何度も聞き比べてこれしかないと買ってはきたが、所詮ラジカセの音でしかない。ラジカセの操作ボタンは頻繁に巻き戻し・再生をするようには作られていない。一語巻き戻したいのだが、巻き戻しボタンを押せば、ボタンがしずんで、数文字どころか数行戻ってしまう。頻繁な巻き戻しをすれば、たいした時間もかからずにラジカセが壊れる。
テープ起し専用のDictaphoneがソニーから販売さていることを知って、ちょっと高いが即買った。両手をタイプライターにつかって、足踏みのペダル操作で巻き戻し・再生ができる。頻繁な巻き戻し・再生を前提に設計されているので堅牢にできていて、ちょっとやそっとのことでは壊れない。
毎晩コピーしたカセットテープのテープお越しをした。三時間の授業にでるために、八時間から十時間の予習復習をしなければならなくなって、しばしバナナと餅だけの夕食ですませた。

ドイツ人の先生の授業も基本的には同じやり方なのだが、最初の十五分ほど通訳の基本能力を習得する作業に使われる。同時通訳を志す人たちは、日本語と英語のどちらもネイティブに近い言語能力を持っている人たちであることを前提としている。ただ二ヶ国語に堪能であっても、同時通訳ができるわけではない。同時通訳に必須の基本能力として二つの技能を身につけなければならない。1)頭に小さなレジスター(メモリ)機能を作る。2)耳と口を独立して使う能力をつける。
具体的どうするかといえば、テープから関係のない単語、たとえば、「Apple、Train、Doctor、Moon、Game、……」が聞こえてくる。「Apple」と聞いて「りんご」と覚えておいて、「Train」と聞こえたときに、「りんご」と言う。次に「Doctor」と聞こえたら、「列車」……。これが一語遅れで、二語遅れになると、「Doctor」と聞こえたときに、「りんご」と言う。こんなことを十五分もやると嫌になってしまうのだが、毎日欠かさずに十五分以上やることを習慣づけることが要求される。

毎晩英語の鍛錬、鍛錬、また鍛錬の日々が続いた。それはまるで、ジャッキー・チェンの映画で師匠の敵討ちのために鍛錬、鍛錬、鍛錬のようだった。
2017/1/1