翻訳屋に(15)―雑多な人たち

たまに取扱説明書の英訳の依頼があるだけの、たいしたビジネスにはならないクライアントの一担当者。納品された翻訳をチェックもしていたから、担当営業マンとは何度か話をしたことがあった。接点はそこまでの、どこにでもいる三十をでたばかりの工作機械の技術屋崩れ。営業マンが社長になんと紹介したのかは分からないが、ただニューヨークに駐在にいっていたというのが、なんの能力のチェックもせずに雇われた。
たとえ英語に自信があったとしても、初めて会って自信を生み出している能力まで見抜けるわけがない。いくら能天気で自惚れ屋でも、買いかぶられているのではと期待するほど馬鹿じゃない。使い物にならないかもしれないのに雇ってくれた。出社してから、何で雇ってくれたんだろう、ろくな仕事もしていないのに、何で十日で月給を七万円も上げてくれたんだろうと気にしていた。

一ヶ月もしないうちに、そんなあって当たり前の戸惑いなどありえようの社会だというのを知った。どこでどう探してきたのか、見つけたのか分からないが、翻訳者志望の人たちが次々と入ってくる。二十代半ばの若い人もいれば、四十をとうに過ぎた人もいる。経歴もいきさつもさまざますぎて、もう雑多としかいいようがない。そんな雑多な人たちにも、共通点が二つあった。所属していた社会では生きられないとはいかないまでも、先が見えてしまったか、生きたくないかで、なんとかしたいという気持ちがある。そのなんとかしたいという気持ちから翻訳者になれないかと考え、翻訳会社に入れば、かなり単純に翻訳者になれると思っている。

セアーの日本人版のような旅行者もいれば、電気工事程度の知識の技術屋?や中学校の英語の先生が一念発起してというのもいた。総じて何をしてきた人たちなのか分からない雑多な人たちなのだが、そんななかに東大卒が三人もいた。何かのときに教えてもらえるかもという思いがあるから、ベテラン勢も入ってきた人がどんな経験をしてきてどんな知識があるのか気にする。ところが誰も東大出の人たちとは表面的な挨拶までしかしない。使いものになったためしがないという経験かららしいが、社長が東大出が好きだからと馬鹿にした口調だった。
そんな垢抜けないオヤジの地味な仕事場に、西海外に遊学して、お遊び程度の英語までしか分からない二十代半ばの女性が三人がまとめて入ってきた。翻訳室が華やかになったが、雑多な仕事のあれこれはあっても、これといった何を任せるのかというものない。ここまで雑多な人たちを受け入れるのはいいが、トレーニングがあるわけでもなし、組織だった活用体制があるようには見えなかった。

八十年代の初頭、飽和した国内市場の限界から、多くの装置メーカが海外市場に活路を見出そうとしていた。海外進出には技術資料が欠かせない。英語のマニュアル類なしではビジネスにならない。急増する技術翻訳の需要を背景に翻訳業界は順調に成長していた。そこに、翻訳志望者が流れ込んでくる。たとえ翻訳には使えなくても、事務仕事でもなんであるから、よほどのことでもなければ、来るものはひとまず受け入れる。志望者が翻訳をと思っても、翻訳の仕事を回してもらえなければ、翻訳者にはなれない。
ベテランがやりたがらない、ほとんど事務仕事のような調べごとや半端仕事はいくらでもあった。ベテランの誰もが嫌がって受けない仕事が、パチンコの一番下の穴のようなところに流れてゆく。穴の後ろには志望者が待っている。待っている人たちを十分に忙しくしておくだけの仕事量があった。
いってみればプロ野球の二軍、もしかすると三軍に相当する翻訳志望者といっていいのかもしれない。まずは半端仕事をこなして実績を積み上げて一軍に引き上げてもらえるかが最初の関門になる。そこでまた実績を積み上げて、数百ページの書類一冊を任せてもらえるようになれて、やっと翻訳者の社会の新参者としてのスタートラインに立てる。そこはスタートラインであって、プロとして禄を食んでいけるという確約などどこにもない。

二年目くらいだったから、八十三年だと思うが、それまでとは違う感じの人たち続々と入ってきた。翻訳者志望の人たちにも明るい感じはないのだが、見るからにかび臭いとでもいうのか、大学の研究室から出てきましたという風貌の人たちだった。油と埃のなかで大声あげて話をしている機械屋とはまったく違う世界の人たちに見えた。会社がもう一フロア借りたして、自動翻訳システムの構築に乗り出していた。まだまだコンピュータが電算室に鎮座していた時代で、成功すれば先見の明があったということなのだろうが、後になってみれば時代に先走りすぎていた。

言語学者やそれもどきの人たちにアシスタントというのか事務的な処理のまかせる女性社員を雇って、日本語と英語の構文解析と技術用語の編纂を始めた。日常業務では接点がないし、フロアも違うから交流という交流もない。それでも一人二人と話をするようになって、聞いてみれば、雲をつかむようなというのか、海のものとも山のものともつかない、データベースの構築を進めていた。当たり前なのか驚くことなのか分からないが、そこにも技術系の知識のある人はいなかった。
2017/1/22