俺たちゃフェニキア人(改版1)

ヨーロッパの画像処理市場は、中堅どころや小さな会社が健闘していて大手の影が薄い。そのせいで、大雑把にしても市場を理解するのも開拓するのも難しい。アメリカのように大きな市場で寡占状態なら、注力する相手を決めやすい。まず一社にくいこんで、そこから次の一社と二社もとればビジネスとして成り立つ。
ところがヨーロッパでは、ぱっと気が付くだけでも、三十社をこえる中小があちこちに散っている。こうなると注力するところを決めるのも難しいし、どれをいくらとっても、とるためのコストに見合った食いがいのあるのがいない。こう言っては失礼だが、アメリカならバッファロー一頭しとめればいいが、ヨーロッパでネズミやウサギを十匹やそこら捕ったところで食うに食えない。
日本ともアメリカとも市場の特性が違う。当たり前の話で歴史も文化も志向も違えば、プレーヤの思惑もしがらみも違う。その社会に入っていけば、外からでは見えないことでも、上っ面ぐらいは見えてくる。見えてきたとたんに、想像もつかない歴史の重みに気圧される。

日本のLED照明のメーカとして、ヨーロッパ市場は、北はスウェーデンから南はイタリアまで八ヶ国に、一国に一代理店を設け独占販売権を与えていた。そのなかで、ドイツの代理店(S社)は代理店の域を超えて、ヨーロッパの画像処理業界でも最大手の業者だった。二十年ほど前に設立された会社で、画像処理システム単体の販売から始まってカメラにレンズ、照明やその他の周辺機器を手広く扱っていた商社だった。
それが十年前にイギリスの画像処理システム会社(メーカ)の製品を買い取った。イギリスの画像処理システム会社は、もとは最大手メーカC社のシステムインテグレータだった。C社の製品を熟知して、コピーのような製品を開発した。開発したはいいが、自力では販売しきれずにS社に売り渡した。
S社はその後も順調にビジネスを伸ばし、数年前からイギリス、フランス、スペイン、イタリアの代理店にも出資して、ヨーロッパで最大勢力を誇る画像処理システムを提供する、まるでシンジケートのような会社になっていた。後日市場開拓作業を進めていって分かったことだが、S社の影響は株式保有というかたちで日本にもアメリカのコネチカットの代理店にまでおよんでいた。

[くんずほぐれつ]
画像処理はニッチな市場で、アメリカの大手数社とその影響下で禄を食んでいる会社と、大手を追いかけている日米欧の中堅どころ三、四十社がしのぎを削っている。狭い市場だからだろう、そこにいる人たちはお互い顔見知りも多い。同僚だったのが競合に転職したり、競合だったのが同僚になったりが特別なことではない。それは人だけでなく会社同士でも起きる。

画像処理(Machine vision)はアプリケーションに特化したアルゴリズムの優劣が雌雄を決する業界で、アメリカの大手数社が世界市場のキープレーヤーだった。そこでC社にLED照明を提供するパートナーシップ契約を結んだ。パートナーシップのおかげで、アメリカ支社の建て直しは思っていたより簡単に終わった。

日本本社(K社)に戻ってオーナー社長に任務は完了したと言った。二年ほど前に、アメリカ支社の立て直しに雇われたのだから、この時点で雇った側――オーナー社長の目的は達成していた。これで退職するもよし、延長戦を始めるもよし、どちらでも構わないが、社長の考えを質した。京都の文化なのだろう、はっきりしないまま延長戦に入ってしまった。延長戦の最大の課題は何の政策もなしで代理店にまかせっきりにしてきたヨーロッパ市場をどうするかだった。
アメリカ市場での協業が上手く行っているのを見て、C社のヨーロッパ支社からクレームが入った。ヨーロッパ支社も似たような協業体制を組みたい。

画像処理システムに照明装置は欠かせない。アメリカと同じようにヨーロッパでもK社のLED照明を使いたいが、そのためには、代理店であるS社かその息のかかった代理店にアプリケーション情報を提供して、LED照明の選択からテストまで協力してもらわなければならない。ところがS社は自社の画像処理システムを持っているから、相談すればLED照明だけでなく、C社の画像処理すら置き換え――客を盗むことすらしかねない。
C社のヨーロッパ支社としてはS社とは協業できない。アメリカ市場と同じようにヨーロッパにも販売子会社を設立して、S社とそのグループ会社を経由することなくK社から直接LED照明を購入できるようにして欲しい。して欲しいという言葉の上では要求だが、内実は世界市場を席巻してきた傲慢さをひけらかした命令に近い。ヨーロッパをなんとかしないとアメリカのビジネスにまで影響が出かねない。いざとなれば、付き合いの長いアメリカのメーカA社のLED照明に置き換えるのになんの躊躇もない。折角C社から追い出したアメリカのメーカにこっちが追い出されかねない。

ヨーロッパに支社を設ければ、支社のコストを捻り出さなければならない。画像処理用のLED照明は典型的な廉価多種少量ビジネスで、一台当たりのマージンをそこそこ取らないと支社のコストをまかなえない。今までは日本の本社から直接購入していた代理店が、今度はヨーロッパ支社から購入することになる。日本本社と代理店の間にヨーロッパ支社が入る。入れば、そこに費用が発生する。発生する費用を誰が負担するのか。可能性は二つしかない。日本の本社かヨーロッパの代理店か。
日本本社は数年前に営業マンをヨーロッパに派遣して、アメリカのLED照明メーカA社のヨーロッパの代理店(S社とその系列)を軒並みK社に鞍替えさせた。こういうと辣腕の経営陣に率いられた営業部隊に聞こえるが、言われるがままの仕切り価格を提供したに過ぎない。A社より遥かに安い価格でほとんど利益が出ない、製造コストに毛の生えたような仕切り価格だった。

ヨーロッパ支社を設立すれば、いくらがんばっても、支社が生きながらえるぎりぎりにちょっと余裕をみた価格でしか代理店には販売できない。それまでの代理店への仕切り価格にもよるが、ざっと二十パーセントの価格アップになる。初めてのヨーロッパ出張が代理店への値上げ通告だった。
代理店にしてみれば、降って湧いたようなヨーロッパ支社設立と価格アップ、はじめて会う新任の海外営業部長の話しに誰も「はい、そうですか」とは言わない。ドイツの代理店S社ではどこよりも交渉が難航するのは分かっていた。ヨーロッパ市場の雄としてパワープレイで押し返してくる。ただ、何をどう言われようが、ヨーロッパでの販売在庫とエンジニアリングサービスの提供を盾に、支社の設立と価格アップは譲れない。
S社で何があっても、翌日には関係各社に連絡が行く。S社さえ押さえれば後は何とでもなる。他の代理店との話には一日しか当てなかったが、S社では丸二日言い合った。何を言われても想定内のことで驚きゃしない。S社を押さえ込んでC社のヨーロッパ支社とその傘下のエンジニアリングパートナーを抱え込めば、ヨーロッパ市場では勝ったようなもの。言い合いには疲れたが、最後は予定通り押し込んで終わった。

当然だが、代理店にもそれぞれの事情もあれば文化もある。スウェーデンとデンマークは特殊用途の高価なシステム開発をしていたからLED照明のコストが二倍になったところで影響はない。オランダの代理店は一言で言えばしたたかな商人。
訪問する前の晩に一緒に夕食に出かけた。席につくなり、単刀直入に何しに来たと訊かれた。ヨーロッパ支社を設立したいと言ったら、何パーセント上げるつもりだと。そこは世界を股にかけた商人文化が息づいているのだろう。話が早い。誰も値上げの話しは切り出しにくい。こっちが言う前に、値上げを前提に値上げ幅を訊いてきた。二十パーセントなら問題ないと、一言で訪問の目的は終わった。
何でもありの目ざとい商人だった。いつもドイツの代理店S社のテリトリを侵食して問題を起こしていた。俺たちのテリトリは世界だといって憚らない。独占販売権を与えているにもかかわらず、平気で競合の製品も売っていた。
イタリアの代理店もオランダの代理店と全く同じパターンで完了した。イギリスとフランスは押し切るのにちょっと手間をくったがS社から情報が入っていて、苦言を聞かされて終わった。印象的だったのはスペインの代理店だった。

訪問する前の晩にバルセロナに入って一緒に夕食に出かけた。訪問の目的を話そうとしたら、分かっているからいいと言いながら、「俺たちはフェニキア人」だと言った。
スペイン人じゃないのかと訊き返したら、スペインは国籍に過ぎないといわれた。「only―過ぎない」という語調が、国なんかどうでもいい、まるで偶然今いるところがスペインという国だとうこと以上のなにものでもない、そして俺たちはフェニキア人だとう意識。そんな意識があることを思い浮かべることすら想像したこともない、ふつうの日本人には社会観の転倒のような話だった。
俺たちはユダヤ人ですらその商才には敵わないと言われてきたフェニキア人だという自負なのだろう。高々二十パーセントの値上げでドイツ人のようにバタバタするわけがないだろうという、自分たちの商人としての能力と才覚に裏打ちされた自信がにじみ出ていた。

仕入れ価格がどの程度ビジネスに影響するかはそれぞれの代理店の事情によって違うだろが、それ以上にビジネスが乗っている社会や文化、それを培ってきた歴史の重みというのか違いの方がはるかに大きい。画像処理用のLED照明というニッチなビジネス、そこに必要な経験や知識も目に見えるビジネスで必要なもので充分と思いかねないが、何をするにもしないにも相手の歴史と文化にまで踏み込まないと、うまくいって当たり前のことですら、おかしくなる。
それにしても「俺たちゃフェニキア人」、紀元前からの話で、日本でいえば「俺たちゃ縄文人」になる。東京だ、関西だ、xxx県出身だといっているのとはわけが違う。
2017/4/16