翻訳屋に(31)―まるでアマゾネス(失礼?)

「今度の土曜日に、うちで遅い昼飯というのか早い夕飯があるから、もし時間があったら来ないか」とエリックに誘われた。どんなに親しい人の家に招かれても気疲れするから、断ろうとした。断る言葉に力がなかったのだろう、なんの予定もないのに遠慮していると思って、「いろんな人がくるし、堅苦しい集まりじゃないから……」人を押すことのないエリックにしては珍しく、言葉が強い。

そうは言われても、どんな人たちなのかも知らない人の集まりにいけば、共通の話題もなく、人の輪のなかに入れずに疎外感を味わうことになる。なんども嫌な思いをして、知らない人たちの集まりには、できるだけ出かけないようにしていた。社交辞令の類は苦手で、一対一ならまだしも、コミュニティとでもいう集団のなかに混じって如才のない話で場をたもつ―そんな器用さは持ち合わせていないし、持ちたいとも思わない。

断ろうとするのだが、エリックが珍しく引かない。「気を使わなければならない人は一人もいないし、みんなで適当に料理を作って、勝手に食べて飲んでなんだから……、気にすることなんか何もない」来いか?ではなく、なんとしても来てもらいたいという口調だった。「食材は誰かが用意するし、女性連中が勝ってに好きなものを作るから、好きなものを好きなように食べて、適当に話をしてればいいだけだから……」「もしかしたら、いい彼女が見つかるかもしれないじゃないか」とエリックの言葉にしては力がありすぎる。行くといっていないのに、地図まで描き始めて、来るものとして話をし始めた。

そこまで言われて、断るに断れない。エリックがこれほどまでに細かな地図を描くとは想像もしてなかった。三鷹の駅で降りて、バスに乗って、こんなところもあったのかというところに着いて歩いて行ったら、古い一軒屋があった。玄関が開けっ放しで靴があふれていて、入れない。どうしたものかと思ってエリックを呼んだ。玄関の外で靴を脱いで、あふれた靴を踏みながら、エリックについていったら、みんなわいわいやっていた。もう料理のいくつかは出来ていた。皿をもらって、どれから食べようかと料理を見たが、食欲をそそるようなものがない。

どれにしてもと、ためらっていたら、三十半ば過ぎの化粧っけのない女性に「今日はベジタリアンだから、どれでも好きなものをとって」と言われた。そうは言われても、どれも食べたくないんだけどと思いながら、食べないわけにもゆかないだろうと、カレー風味の野菜の煮物を少し皿にとった。それを見て「なに遠慮してんの、ここは遠慮なんかするところじゃないんだから、もっととって」と別の女性。

ここはお付き合いするしかないと覚悟して、大きなスプーン?で絶対不味いに違いない野菜の煮物を皿に盛った。一口食べて、予想どおりの味に「やっぱし」と思いながら、旨そうな顔をしようとしたが、せいぜい不味くはなさそうな顔でしかなかったろう。そのあとも、できれば遠慮したい料理ばかりで、ちょっとつまんではを繰り返した。それをみていた女性連中がうるさい。「なに遠慮してるの、お昼食べてこなかったんでしょう。もっととって。まだまだでてくるから」

化粧っけもなければ、服装も男の視線も気にしない生き方に誇りをもっているのではないかという女性たちが、繊細さというには程遠い手つきで料理をしては食べていた。男はエリックと二人だけで、圧倒的な女性たちとのかかわりを避けるようにして隅のほうで小さくなっていた。エリックが来てくれという感じで言ってきた訳がわかった。
一人でも引いてしまう存在感のある女性が七、八人、とてもじゃないがそばにいるだけでも疲れる。エリックと同棲している彼女を紹介されたが、物腰にいいのようのない迫力を感じる。気のやさしいエリックだからもっているとしか思えない。同時通訳をしているらしいが、仕事の前で気が張っているときは、怖くて家に帰りたくないといっていたのがわかる。エリックだからなんとかなっているのだろうが、ふつうの男じゃもたない。

集まっている女性たちは、エリックの彼女の同僚とその知り合いの外資で働いている人たちで、全員が自分はキャリアウーマンと思っているようにみえる。才能も能力もあるのだろうし、競争社会で生きていくための努力もしてきた人たちなのだろう。話をしてみればいい人たちかもしれないが、前面に押し出されたエネルギーレベルに圧倒される。男だから女だからという気はないが、立場の弱い女性という意識からだろうが、必要以上に片意地張って、人を押しのけてでも前に進もうとする気持ちをそのままだされても、受けきれない。責任ある仕事をしようとすれば、いつもいつも引いてはいられないのは分かるが、押しの強さを全面にだされると、勘弁してくれという気になる。ましてや仕事でならいざしらず、私生活では遠慮させていただきたい。

個人の経験からでしかないし、偏見と言われかねないのだが、どういうわけか外国語をやってきた女性は、往々にしてエリックの家で会った人たちのような人が多い。なぜだろう。もうちょっと自然体でいてくれたらいいのにと思う。
2017/5/14