翻訳屋に(32)―ビデオゲームにはまる

一年ほど経ったとき、三浦さんという同年輩の翻訳志望者が入ってきた。どういう経歴なのか訊きもしなかったが、なんでそこまでと思うほどビデオゲームには詳しかった。仕事を終えて、よく二人で御成門の事務所から新橋駅まで歩いていった。三十ちょっとの男二人が新橋で、ふつうだったら、ちょっと一杯という話しになるのだが、三浦さんも下戸で飲みに行こうという話しにはならない。飯も食わずにニュー新橋ビル二階のゲームセンターに直行した。

当時はまだスペースインベーダーの数世代後のゲームまでで、画面も簡素なつくりで単純なゲームだったが、それにしても三浦さんは主だったゲームの画面の流れを暗記していた。毎晩布団に入ってから、それぞれのゲームの流れを反芻して、同じ失敗をしないようにしていると話していた。名古屋打ちというテクニックの話を聞いたときには、そこまでやるのかとびっくりした。
三浦さんが師匠と仰ぐ人がスペースインベーダーのコンテストに出て、最後はトイレにつかえてゲームオーバーになってしまったと言っていた。トレイにつかえでもしなければ、体力の続く限りゲームを続けられる人たちとはいったいどういう人たちなのか、想像もできない。
二人でいくつかの定番のゲームを楽しむのだが、新米がミスをしないようにと、三浦さんが後ろに立って、注意をしてくれた。小一時間遊んで、どこに寄ることもなく、それじゃといいながら銀座線と京浜東北線で帰宅した。

毎晩実家に寄って夕飯を食べて、住まいのマンションに帰っていた。実家は田無駅から北に五分、マンションは北東に五分、実家からマンションまで五分ちょっとの距離にあった。実家からマンションまでの歩いて帰るのだが、途中に小さなゲームセンターがあって、素通りするが難しい。毎晩のように立ち寄っては、同じゲームをやって、最高点を出して、自分のイニシャルを残すのが日課になってしまった。
誰だか知らないが、上手な人が何人かいて、何度やっても最高点を更新できずに悔しい思いをすることもあった。集中してやっていると、汗が眼鏡のレンズにたれて、画面がみえなくなることがある。顔を斜めにしてたれた汗をレンズのふちに流すのだが、それでも見にくい。でも手を休めるわけには行かない。トイレに詰まってとは違うが、眼鏡にたれた汗には泣かされた。レバーを上下左右に動かすのだが、どうしてもレバーを操作する手に力がはいる。ゲームのテーブルが動かないように両足で抑えていないとテーブルが動いてしまう。毎晩同じゲームを三十分以上やっていたら、右手の親指に血豆ができて皮がむけてしまった。

毎晩のように立ち寄った田無のビデオゲーム屋に最初に入ったとき、店のオヤジさんと顔を合わせて、お互いにびっくりした。工作機械メーカを八月に辞めて、九月に翻訳屋に入社した。十年働いて、せめて一月ぐらいはぶらぶらしていたかった。知り合いが永福町に住んでいて、永福町の安いすし屋に何度かいったことがある。素人のような夫婦二人でやっているすし屋が店じまいしたのは知っていたが、まさか田無に引っ越してビデオゲーム屋とは思いもよらなかった。永福町で会って一年ちょっと、なんの縁か、出会いはわからない。

中学生のとき、月になんどかパチンコは遊びにいっていたが、高専に進学してからは忙しくてパチンコという気にはならなかった。工作機械メーカに就職してからも、夜は勉強の時間で、遊びにゆくことはほとんどなかった。それが三浦さんと会ってから、 ビデオゲームにはまってしまった。
何か特別なことでもなければ、事務所で翻訳者同士が話しをすることは少ない。和文原稿を前にして孤独な作業を一日中していると、なにかで気を抜く機会がほしくなる。それが居酒屋という人もいるだろうが、下戸にはビデオゲームがちょうどよかった。ビデオゲームを始めれば集中するから、仕事も含めたいろいろなことを、一時的にせよ忘れさせてくれる。

三十過ぎて、曲がりなりにも一部上場の会社で十年働いてたのが、ある日突然、身分保障もなにもない翻訳者を目指して会社を辞めてしまった。親にしてみれば不肖の息子が心配だったのだろう。実家に立ち寄って夕飯を食っていると、親父に「結婚する気はあるのか」と訊かれた。結婚すれば多少は落ち着くと思っていたのだと思おう。「あるのか」と訊かれて、「ない」ともいえない。訊かれるたびに「あるよ」と答えていた。親父のつてなのだろう、こんなどうしようもないものにも見合い話がころがってきた。週に一つ二つの話を聞かされて、飯を食いながら写真をみて、「よそうよ」といって断っていた。何度も断っていると、また「結婚する気はあるのか」と訊かれた。会ったところで断るつもりなのだから、相手に失礼なのだが、何度かに一度会わざるを得なくなった。

「親の心子知らず」の見本のような息子だった。あるとき、新宿のホテルで両親も同席した見合いに連れて行かれた。軽い昼飯まではいいが、「後は、若い人同士で」ということで両親と別れて二人きりにされた。彼女などいたことなかったし、デートなどしたこともない。二人きりにされても、若い女性をお連れするようなところは知らない。雨のなか傘さして、どこか適当な喫茶店でも思って歌舞伎町に入ったら、ゲームセンターが目に入った。雨の中を歩き続けるも嫌だしと言い訳のようなことをいって、ゲームセンターに入った。いつものゲームを見つけて、見合い相手を目の前にしてゲーム始めた。始めれば人のことをかまっている余裕などない。見合いで、かたちながらもデートのはずなのにゲームに夢中になっていた。女性に「ゲームお上手なんですね」といわれた。嫌味だったのだろうが、そんなこと気にしたらGame overになってしまう。当たり前だろう、毎日やってんだからともいえない。

翻訳の仕事を辞めるまで、仕事と勉強で一所懸命だった。ただひとつ、ゲームだけが息抜きだった。
電車のなかでゲームをやっている人をみると、ああ、この人も息抜きが必要な毎日をおくっているんだろうなと思う。人それぞれにしても、そうでもなければ、いい年してゲームに夢中になれるとは思わない。ただ混んだ電車のなかでちょっと多すぎる。もしかしたら、その人たち、疲れる日本を映しだしている鏡なのかもしれない。
2017/4/21