転職―請われてするもの

人それぞれ、おかれた環境も志向も違えば能力も違う。同じように転職の理由や事情もきっかけも人さまざま、一つとして同じ転職があるとは思えない。みんな違うのに、進むべき方向を思案している若い人たちへのアドバイス(?)のようなものが、本や雑誌からWeb上にまで並んでいる。その定型化したアドバイス、誰にでも合うものがあるとは思えない。どこかのヘッドハンターやコンサルタントのアドバイスにある転職はこうあるべきだなど、よくてよくある事例、参考にはなるかもしれないという代物だろう。
ある人には人生を左右するほど貴重なアドバイスが別の人には害しかないということもある。もし害になったらと思いだしたら、まして相手が不特定多数だったが、そうそうアドバイスもできなくなる。

多くの人たちが自分のしたいこと、やりたいことをやれば、やれれば楽しいだろうと考えている。大げさな言い方をすれば、自己実現できるとでも考えているのではないかと思う。思うのはいいが、職業人としては、よほど条件にめぐまれないかぎりできない。
千差万別、良い悪いという類のことでもなし、また、人によって受け取り方もさまざまであることを承知で、あえてこれだけは、この点だけは注意しておいた方がいいと思うことがある。もし、人間的にも社会的にも、それなりの立場になりたと思うのであれば、巷で言う「好きな仕事をすべき」だとか、「趣味と実益を兼ねた」や「やりたいことを、したいことをすればいい」などとは考えない方がいい。

余程の天賦の才に恵まれていて、誰もが嫌がることでも好きでやってしまう特異な、これも天賦の才能かもしれないが、性格でもない限り、好きというだけでメシは食えない。プロの世界はそんなに甘いもんじゃない。料理が好きというだけで一人前の料理人にはなれないし、海外旅行が好きというのとそれを職業としてメシを食ってゆくのは違う。ビデオゲームが好きというのは遊ぶ側としての話で、ゲームを作る側としての話じゃない。どの世界に行っても、どの仕事についても、プロの世界で生きてゆこうとすれば、仕事は一般的な感覚で楽しいというものではない。部外者の目にはとんでもない努力に見えることをフツーに日常的にしなければならないのがプロの世界だ。

こんなことを言うと、「いやでいやでしょうがないことを一生仕事としてやっていって幸せなんですか?」という立派なご意見が飛び出してきそうな気がする。答えは簡単で、「そんな仕事はしない方がいいでしょう」「飯のためにせざるをえないとしても、転職を考えた方がいいと思います」になる。説教じみたことは言いたくないが、多くの場合、どんなに好きなことでも、それが仕事となると、好きとか嫌いとかという話とは違ってくる。

山登りが好きで、それで飯を食ってゆける人もいるだろうが、それでも山を登っている間は苦しいだろう。鼻歌うたいながらスキップでもするように登れるものじゃない。山登りが好き、でも山登りは苦しい。
一般論としていっていいと思うのだが、仕事となれば山登りのように苦しい。その苦しいなかから自分の能力を見極めて先に進んで、なんらかの達成感がある。仕事とは、大変なのを楽しむように努力して、楽しむ格好にしてゆくものだろう。

仕事は大変。趣味か暇つぶしかお遊びのようにはゆかない。これは避けようないことで、自分の好きなことをしようとして職を探すわけじゃない。こんな仕事をと思って仕事を探しても見つかることはまれだろうし、たとえ見つかったとしても、仕事となれば、苦しいことの方が多い。転職は、自分が希望してゆくのではなく、転職先から請われてゆくもので、請われるだけの実績と能力を培うのが本来のあり方だ。
ではこの実績と能力をどうやってつけるのか?どこにもマジックなどない。日々の切磋琢磨と、危険を冒してでも勉強になりそうな転職口があったら、給料下げてでも転職することをお勧めする。能力を高める転職をしていれば、否が応でも請われる立場になる。

ただ昨日があって今日がある、同じように明日は今日の延長線という安穏とした生活を望むのなら、いやな仕事でも慣れた仕事にとどまって、仕事以外の何らかの楽しみを見出すことを心がけたほうがいい。
2017/3/12