翻訳屋に(24)―百聞は一見にしかず

多少日本語が荒れていても、原稿を読めば機械装置の構造から動作や操作など大まかな見当はつく。ところが中には、いくら読んでもわからないのがある。元は機械屋、制御もそこそこ勉強してきたし、知識の広さということでは、不安もあるがそれなりの自信もある。書かれていることから、装置の構造を大雑把にしても図に描けるし、制御システムの概略のブロック図ぐらい描ける。それでも、原文が何をいっているのか分からない。想像を働かせて、こういうことを言いたいんだろうなというところまではいっても、それが合っているのという自信はない。

そんな原稿でも力任せに翻訳しろというのなら、できないことはないが、英語のマニュアルとして通用するかは保障の限りではない。わけのわからない原稿が回ってくると、字面で英語に置き換えるだけの翻訳者に任せたほうがいいんじゃないか?と営業に相談する。もし、多少なりともまともな翻訳をというのなら、機械装置を見せてもらいたい。実物をみれば、わけの分からない原文を、何が書かれていなければならないかを示したヒントのようにして、使える英語のマニュアルを書き上げることもできる、と伝えて作業を中断する。字面で翻訳する器用さはないし、そんな器用さを目指すつもりはない。

そこまで言われても営業が他に回すことはほとんどない。そもそも、回していい仕事だったら、こっちに持ってこない。大事な客か、うるさい客で、原稿があやしそうだから、こっちに持ってきたいきさつがある。受注した段階で、ふつうの翻訳の料金に多少はのせている。

クライアント(大手通信機器メーカ)と話がついて、機械装置の見学に行った。都内にショールームをもっていて、そこに行けば機械装置を前に窓口担当をしていた営業係長が説明してくれるという。早速でかけて、機械装置を稼動して見せてもらった。動きを確認してから、機械のカバーをはずして、内部を見てゆく。配電盤も開けてざっとみて、制御回路図をかりて、大まかな制御構造を確認する。

よほど特殊な機械装置でもなければ、人に簡単な説明するくらいのことまでなら、すぐ分かる。半日もあれば、説明してくれた係長より要点をつかんだ説明すらできる。

「百聞は一見にしかず」で、これでやっと翻訳にかかると思う人が多いだろうが、ことはそんなに簡単じゃない。機械装置の機械的な構造も、大まか動作や機能も制御システムも分かった。ところが原稿の一行一行が何を言っているのか分からない。係長、技術的な知識がたりない翻訳者が、書類を読んでも分からないと、因縁でもつけてきたのではないかと思っていた。

取扱説明書と保守説明書を開いて、この箇所、この箇所、この箇所、何を言わんとしているんですかね?とたずねた。機械装置を操作して簡単な動きを見せてくれた係長、指摘したところ、この箇所、この箇所……と読んでいって、顔つきが変わった。翻訳者が分からないといっている箇所、ほとんど説明書の全編に渡ってなのだが、いくら読んでも分からない。機械装置を知っている、そして操作までした係長が、説明書に書いてあることがよく分からない。

うるさい翻訳者が難癖をつけていると思われちゃ困る。丁寧に説明した。この和文を字面で英語に翻訳することはできる。でも出来上がった英文マニュアルが使いものになる可能性はまずない。分かりにくいマニュアルを読んで機械装置を使って、事故にでもなったら、訴訟大国アメリカでどんなことになるか、想像できますよね。つとめて穏やかに殺し文句を言った。

どうします?係長としても立場あったとは思えない。立場がなくなった係長の態度が反転してこっちの側に回ってしまった。早速工場の担当者に電話して、その上司にも電話して、取扱説明書と保守説明書の日本語がだらしなくて、おれが読んでも何をいっているのか分からない。これをそのまま翻訳してアメリカに送ったら、分けのわからないマニュアルとしてクレームがつくだろう。そればかりか、もし事故にでもなったら、営業としては責任とれない。すべての責任は設計部と製造部にとってもらうことになる。

外注先の翻訳者をつれて水戸の工場に行って、係長がかなり強い口調で、「マニュアルのここの記載について説明してもらいたい……」
「百聞は一見にしかず」ですめばいいが、モノとしては分かった。分かったのはいいのだが、めちゃくちゃな説明書をどうにかしなければというのがはっきりするまでで、「しかず」でことはすまない。意味不明な文章は、一見どころか百見しても千見しても、わからない。
2017/3/26