翻訳屋に(26)―工場見学と展示会

何をいっているのかはっきりしない文章を一人で何度も読み返して、何を言わなければならないのかを考えていると、こうかもしれない、ああかもしれないと考えが堂々巡りすることがある。なかなか結論をだせないと、「百聞は一見にしかず」を思い出す。物を見てしまえば、何を言っているのか分かるのにと書類をなげだしたくなる。
不明瞭な原稿は何が書かれなければならないのかを示しているヒントに過ぎないと考えて、そこからできるだけ誤読の可能性の少ない英語でマニュアルを書き上げなければならない。それが翻訳と言われている仕事の現実だと分かってはいても、悪文が続くと気がめいる。目も疲れて、立ちくらみどころか座っていて、くらっとすることさえある。

あるとき、あまりの悪文にうんざりして、担当営業に話をしてクライアントに物を見せていただけないか聞いてもらった。工場の所在地が東京近辺なら工場見学をさせてもらえば、だらしのない日本語で書かれているマニュアルでも多少の見当がつくようになる。そうはいうものの、工場に出向けは半日ではすまない。移動時間も入れれば一日つぶれる。翻訳作業を一日しないで、交通費は自分もちだからだろうが、提供された原稿を翻訳すればいいだけで、原稿に書かれていないことを、自分の時間とコストで原稿以外の知識をという翻訳者はめったにいない。ただその仕事の仕方では原稿までの知識しか得られない。工場にいけば、翻訳原稿を補足する知識だけでなく、さまざまな知識を得られるのに、せっかくの機会がもったいないという気持ちがある。

見学させてもらえるのならとよろこんで行っても、期待していたようには物を見せてもらえないことも多い。できるだけ物も見せてもらって、説明もと思っても、工場は見学者のために動いているわけではない。組み立て途中のものが多くて、装置の全体像は分からない。すべて組みあがって、機能検査中であれば、装置として出来上がっているが、検査作業の邪魔はできない。工場見学から得られる知識は多いのだが限界がある。

実はそこにショールームの意味がある。多少機種は違っても似たような製品であれば、ショールームに設置されている機械装置を動かして、説明してもらえれば、説明書の読み方がわかる。後日細かなところで疑問がでてきても、ちょっと確認の問い合わせをすれば、まず間違いのない英文マニュアルを書き上げられる。
工場見学やショールームの見学には、ものを理解するのとは別の意味もある。見学してまでまじめに翻訳しようとしている翻訳者をクライアントは高く評価する。一度でも会って話をしたことのあるクライアントとはあとあと話がし易い。知識は吸収できるし、仕事もしやすくなる。かかるコストは一日分の仕事と交通費。安いもんだと思うのだが、製造メーカで技術屋として働いたことのない人文系出身の翻訳者には、考えられないことらしい。

完動品を人に見てもらえるようにセットアップして、説明する担当はまで用意しているのはショールームだけでなない。展示会に行けばショールームの規模をはるかに超えたものを見れる。クライアントが出展していれば、挨拶に顔をだすのは担当営業だけの礼儀でもないはずで、翻訳した機械装置が出展されていれば、仕事を中断してでも挨拶に行くべきだと思う。挨拶に行けば翻訳した機械装置の上流や下流に位置する関連製品の紹介もしてもらえるし、いいことばかりだと思うのだが、展示会場にまで足を伸ばす翻訳者はほとんどいない。

展示会は春と秋に多いので、多い月には五回も六回も展示会場に行くとこになる。毎年開かれる展示会でも見損なえば一年待たなければならない。中には二年に一回しか開催されないもののあって、展示会は「百聞は一見にしかず」を確認する場だった。
2017/4/9