翻訳屋に(28)―話したい日本人はいない

エリックは、たまに本音を口にすることはあっても、相手の気持ちを思う性格なのか口調がやさしい。あまりに穏やかな口調が言っている内容を柔らかなものにしすぎる。聞いたほうが、エリックが言わんとしていることに気がつかない。ほめられているとまではいかないにしても、注意されていると感じることはない。

若い三人娘が入ってきたとき、すぐにエリックの優しさというのか人当たりのよさとセアーの取り付く島もない無愛想さに、同じアメリカ人でもこれほどまでに違うのかと驚いていた。三人ともエリックには話しかけるが、セアーとは仕事で話をしなければならないときでも避けていた。エリックは、興味の「きょ」の字もない話題であっても、ニコニコしながら適当に話を合わせる。そこがエリックのよさなのだが、傍でみていて、そんなことを繰り返していたら、疲れちゃうだろうと思うのだが、性格なのか意に介する様子はない。それを横で見ているセアーは、なんでそこまで人に合わせた、演技に近いことをするんだと、自分の疎外感もあって、エリックに半分腹をたてて半分見下していた。

三人で飲みにいくと、必ずといっていいほど、セアーがそのエリックの生き様というのか、相手に迎合した態度にごちゃごちゃ言い出した。そんなセアーの文句のような話でも、エリックはニコニコしながら聞き流していた。エリックは偏屈なセアーの馬鹿話を聞いてくれる数少ない、もしかしたらただ一人の知り合いだった。エリックにしても、セアーに対して自分をださないことで、多少なりともストレスを感じているがわかる。鈍感なセアーも、それに気がつかないわけじゃない。それでも事務所でちやほやされるエリックに対する、ひがみもあってか、文句ともつかないことが口からでてしまう。

セアーの言い分にまったく理がないわけではない。なんで何にも中身のない話題を振られて、それもほとんど定型化したといっていい日本人が訊いてくることに、いちいちまじめに答えなければならないのか。セアーに限らず誰でもそう思う。定型化した話題を持ち出した日本人に、持ち出すまでの何らかの知的作業があるとは思えない。深層心理から出てくる寝言よりも性質が悪い。極端に言ってしまえば、何も考えることなく、私はまともな話題もありませんという、知的レベルを疑われてもしょうがない話題を、決まったように、それもしばしば繰り返し訊かれれば、誰だって、いい加減にしてくれと言いたくなる。

「何年日本に住んでいる?」「日本でどこか旅行に行ったか」「日本語は難しいだろう?」「日本人の彼女はできたか」「なっとうは食べたか?」「すしや刺身は食べられるのか?」「焼き鳥は美味いだろう?」……。
なぜ日本人はこの決まりきった話題しか持ち出さないのか?それはガイジンということで、知的レベルや生活姿勢を馬鹿にして言ってきているのではないかというほど決まりきったことを言ってくる。三人娘にしても、けなげといえばけなげなのだろうが、言いたいことを日本語で考えて、それ英語に翻訳して言ってくる。訳すのにちょっと時間がかかって、話が一呼吸遅れる。分かりきったことに限定しないと、よほど注意して言っても、セアーが言っていることを理解するのには苦労している。セアーにしてみれば、そんな苦労してまで理解してもらわなければならないような内容のある話をしているつもりはない。そこまで大変な思いをしてまで、わかってもらわなければならいこともないし、お互い興味のある共通の話題があるわけでもない。

ガイジンと話して英会話の練習とでも思っているのだろうが、どうでもいいことでも話しかけられれば、きちんと答えなければという最低限にしても道徳的な負担がある。どうでもいいことを、ろくに考えもせずにポンポン話してくる日本人に精神的な負担まで背負わされる感じで対応しなければならないケースに何度も遭遇してきて、セアーに言わせれば、話をしたいと思う日本人はいるのか?とい素朴な疑問が湧き出てくるのを抑えられない。
日本人の知的レベル――英語での会話においてという限定つきにしても――は小学校の低学年程度ではないかいいたくなる。偏屈で親しい友人といえる人がいたとは思えないセアーだが、それでもセアーにしてみれば、あえて日本人の友人をという気持ちにはなれない。

セアーといろいろ話しをしていて、煩いやつだと思う気持ちがないわけではないが、セアーのいっていることが現実に目の前でなんども起きると、「お前の日本人嫌い」の気持ち、俺も分かるとしか言えなかった。セアーが、「お前がニューヨークにいたとき、俺が訊かれるようなことを訊いてきたアメリカ人がいたか?なかにはそんな馬鹿もいるだろうが、数えるほどだったろう。なんで日本人は決まりきったことを訊いてくるのか?」と訊かれても、なんとも答えようがなかった。ずいぶん年月が経った今になっても、これだという答えが思い浮かばない。

誰とでも話をあわせて、人当たりのいいエリックと、どうみても偏屈にしか見えないセアー。エリックと話をしてもストレスを感じることはないが、セアーといればなんらかのストレスを感じる。人に好かれるエリックと人が避けたいと思うセアー。そんな二人と半年もつきあっていると、極端にいってしまえば、人がいいだけのエリックより、なんにしてもまじめに考えて自分の意見を口にするセアーのほうが、知り合ってよかったと思うようになった。一所懸命生きようとすると、人当たりはよくなくなる。
2017/4/23