アメリカで香辛料の生産?

NPR(National Public Radio)のニュースサイトに、「Americans Love Spices. So Why Don’t We Grow Them」と題した記事があった。urlは下記の通り。
https://www.npr.org/sections/thesalt/2017/12/26/572100613/americans-love-spices-so-why-don-t-we-grow-them
特別これという何かがある記事ではない。だからだろうか、まったくの素人でもないのに、何を思うこともなくさっと読み流してしまった。数日後に、いまさら何を、分かりきったことだろうと気がついて読み直した。
タイトルをみれば、何をみて何を思ってのことか、そしてそこまでだろうという限界まで想像がついてしまう。その限界、環境汚染かとんでもない気候変動でもないかぎり自明の理でしかないのに、何故かそうは思わない人たちも結構いる。

記事によると、アメリカの香辛料の消費が一九六六年から二〇一五年の半世紀ほどのあいだに、一・二ポンド(五五〇グラム)から三・七ポンド(一七〇〇グラム)に増えている。
香辛料と一口にいってもいろいろあるし、いったいどの香辛料の消費をいっているのかと思う人も多いだろう。記事によれば、伝統的なものとしてバニラビーンズ、胡椒、チリ(唐辛子と考えればいいのか)、シナモン、マスタード、オレガノをリストアップしている。そこにインドや韓国にエチオピアなどのエスニックブームもあって、クミンやパプリカにターメリックが加わった。

グローバル化で人や文化の交流もさかんになってアメリカの香辛料の需要は今後も伸びると予想される。需要が伸びるのならアメリカで生産してもよさそうなものなのに、伝統的なアメリカの大規模農業はトウモロコシや大豆の生産に注力していて、香辛料はもっぱら輸入に頼っている。
ゴマはいい例で、アメリカ産のゴマはほとんど輸出に回されて、国内消費をまかなうために、アメリカは世界でもっとも多くのゴマを輸入している。
ゴマのようにアメリカで生産できる香辛料もあるが、香辛料の栽培には熱帯の気候が欠かせないと考えている人たちもいて、国内生産に目が向かない。
唐辛子は南西部で栽培できるし、たまねぎやにんにくはカルフォルニア州やオレゴン州で栽培されてきた。それが近年の旱魃で影響を受け厳しい状況にある。それでもコリアンダーやマスタード、生姜やガランガルやパプリカはビジネスとしても将来性がある。

[注]
何がSpiceなのかという定義を云々する知識は持ちあわせていない。ここでは記事にあるSpiceを香辛料と訳しているが、たまねぎもSpice(香辛料)といわれると、素人にはどうもすっきりしない。すっきりはしないが、よくある思いつきとその限界を再確認するには十分、ありがたく記事を使わせていただく。

バーモント大学の研究者が、アメリカの農家がこれなら栽培を考えてもいいかと思うのではないかという作物としてサフランを選んだ。サフランは高級香辛料で収穫時期は晩秋。主要作物の収穫の後に野菜を栽培している農家なら、今していることの自然延長線だからというのが第一の理由らしい。
オランダから球根二五〇〇個輸入して試験栽培したが、わずか雌しべ一五〇本しか収穫できなかった。サフランは大きな先行投資を必要としないし、栽培と収穫後の処理技術を習得すればビジネスとして成り立つのではないかと考えていた。ところが、問題は収穫とその後の処理にかかる人件費であることに気がついた。人件費の高いアメリカでは、いかに単価のいい作物とはいえ、ビジネスとしては成り立たない。これがアメリカで香辛料の生産が途につかない理由だろう。

新しい生産性のいい、一言で言えば、手間のかからない割のいい作物をと思っても、農業がビジネスとして成り立つためには、それぞれの作物に適した土地も含めた自然環境だけでなく、人件費という大きな制約がある。
この制約を解消するには、労働集約的な産業から一気に設備産業を立ち上げるしかない。生産だけでなく、サプライチェーンや流通ネットワークの確立も含めれば、それには巨大な先行投資が必要になる。その先行投資に見合うだけの市場があるのか。さらに他の投資先をさしおいて、香辛料生産のビジネス化にどれほどの経済合理性があるのかが問われる。小麦やトウモロコシ、大豆に綿花、農業だけをとってみても、すでに実績のある高生産性の作物がいくらでもあるなかで、あえて香辛料の生産にはなかなかならない。

グローバル化した市場経済のもとでは気地球規模での生産性の競争がある。生産性の競争を簡単にコストの競争と言い換えてもいい。農業は家庭菜園とは違う。行政や特定の顧客の支援が得られたところで、生産コストや流通コストも含めたトータルな競争に耐えられるコスト体系がなければ生き残れない。よくて地縁血縁の類の関係で生産と消費が成り立つ地産地消までだろう。社会全体から見れば、家庭菜園の延長線の先にあるささやかな、ビジネスとは無縁な世界のものでしかない。

日本の植物工場の惨状を知っているだけに、記事は農業という営利活動の損益に責任を持ったとこもなければ、従業員や関係者の生活に対する責任など考えたこともない学者の能書きにしか見えない。ボーイスカウトが大人になったようなNPRの記事、よくて世間話の種、笑い話にならなければといったところだろう。
2018/1/28