翻訳屋に(34)―タカリと背任

テレビや電子レンジのような民生品は大量生産されるものが多い。生産量が多ければ、マニュアル類の作成にコストもかけられる。使うのは巷のふつうの人たち、専門的な知識があることは期待できない。しっかりしたマニュアルにしないと、クレームの原因にもなる。ところが製造現場で使用する機械や装置は量産品であっても生産量が限られていて、マニュアル類にコストはかけにくい。「モノづくり」重視の文化もあって、モノとしての製品には全社をあげてきちんとしたものをという意識があるが、製品の一部である取扱説明書や保守説明書などのマニュアル類は、おざなりのものしか用意していないところも多い。

当然のこととして、マニュアルを作成する部署に貴重な人的資源は投入しない。マニュアル作成部署は典型的な閑職で、誇れるいい仕事をしようと熱意のある人はまずいない。閑職に配属される前から熱意のなかった人たちをさらに熱意のない仕事へという負の相乗効果さえある。

マニュアル作成部署は、自分たちでマニュアルを作成しない。図や表なども含めてマニュアルの原稿を関連部署に作成を依頼するだけで実務を持たない。そのためもあって社内では基幹部隊や周囲の人たちから軽んじられる。ただそんな部署の人たちにも、自分たちの存在を確認する機会がある。ドキュメント作成の外注業者との折衝の場がそのいい機会で、客として社内でたまった鬱憤をはらす輩までがでてくる。
社内に書類作成の実務を担当する部署があったとしても、翻訳は外注というところが多い。翻訳会社はいくらもあるが、品質で勝負できるような翻訳会社は数えるほどしかない。おざなりのマニュアルしか作れないところに出入りしている翻訳会社は客のわがままを聞き、低価格でしか仕事をとれないところが多い。そんな仕事の注文をとるには付け届けや接待が必須と考える翻訳会社もあれば営業マンもいる。

大手企業では、翻訳外注費だけでも年に一千万円台の金額になる。その外注先を仕切る立場にいる人が、社内ではただの手配師のような業務で、立場もなければ仕事に対する熱意もないとなると、何が起きるか。持ちつ持たれつの客と外注先の商習慣のようにまでなってしまっている付け届けが当たり前になる。盆暮れの贈答品までなら日本の商習慣といえないこともないが、なかには遊ぶ金ほしさのたかりのようなことまでするのがいる。たかった金で羽振りのいい上司を憧れる部下まででてきて、腐った組織ができあがる。

それでも現金は気が引けるのだろう、大手デパートの商品券を金額まで明示して要求する。要求されて、毅然として断る勇気のある外注企業もあるだろうが、仕事の品質で差別しきれない業界では暗黙の商習慣にすらなっているところもある。おざなりのマニュアルでよしとしている企業では、外注先の質を問うことはない。価格と付け届けが大げさに言えば受注の決め手になる。良心的な仕事をする翻訳会社は価格と付け届けでしか評価しないクライアントを相手にしないが、相手にしなければならない程度の営業主導の翻訳会社は、もちつもたれつのクライアントとのコストを営業経費と見ている。

付け届けを要求するクライアントには中小企業ではなく、日本を代表する優良企業が多い。会社としては輝いているが、その輝きが強いがゆえに閑職の影が濃いということなのだろう。中小企業で会社自体がうす曇りなら、輝きも影も薄いから閑職といっても、負の意識が先鋭化しない。付け届けやタカリということでは、大手優良企業の閑職や窓際族の方が性質が悪い。

受けた仕事をもくもくとしているうちに、クライアントの多くがそれなりの翻訳しか求めていない、おかげで字面でしか翻訳できない翻訳者でも生きていける業界構造が見えてくる。そこまでならまだしも、公共機関であれば汚職、民間企業では業務上背任にはみ出てしまう体質がぬけきれない。どこにでもあることなのだろうが関わりたくない。
2017/6/4