翻訳屋に(36)―横田基地へ?

翻訳者になれないかもしれない不安をかかえていたのが、一年を過ぎたころには、多少の奢りもあって、ロボットなど、メカトロ関係の翻訳ならオレに任せろという気になっていた。技術的な基礎知識もなく、調べる習慣もない翻訳者といっしょにされたら迷惑だとすら思っていた。たかだか一年足らずの経験で、恐る恐る翻訳会社のドアをたたいたときとはまったく違う自分がいた。

さまざまな業界のいろいろな製造設備の説明書を翻訳しながら、知らない領域に遭遇するたびに本や資料を探して知識を補っていった。周到な準備をしてから事にあたる人もいるのだろうが、社会にでたとたん、準備ができているからということなどない。まして進歩し続ける技術が関係する書類の翻訳、準備のしようのない領域もあるし、いくら準備をしたところで必ず至らないところがでてくる。いつもバタバタ、仕事が勉強しなければならないことを教えてくれた。

そんなことを三年間もしていれば、紙の上の理解に過ぎないにしても、翻訳で碌を食むまでなら、このままいけばいいという知識が備わってくる。翻訳者にはなれる、それも仕事のできる翻訳者にという気持ちも上での余裕がでてきたとたん、翻訳という仕事の宿痾の、解決しようのない問題が大きな影のように広がってきた。

いくら翻訳に慣れても、日本語の原文が何を言っているのかを理解せずに字面で翻訳する器用さはない。ぐちゃぐちゃで何を言っているのか分からない日本語の原稿を読んで、原稿に敬意を払いながらも、書かれていなければならないことを編集して英語のマニュアルを書き上げるかたちでしか翻訳できなかった。日本語のマニュアルの原型をそのまま引きずっていたら、製品の一部である英文マニュアルとして用をなさない。

そこまでしなければ、英文マニュアルにならないが、それをそれなりに評価してくれるクライアントばかりではない。翻訳した英文マニュアルの単語と文章を日本語の原稿の一字一句と付き合わせたかたちでしか翻訳をチェックできないクライアントも多い。そんなクライアントから、「訳抜けがある」、「ここがおかしい」、「こうすべきだ」というクレームがきたことがある。「そんな変更をしたら、訳の分からないマニュアルになっちゃいますよ」と営業経由でクライアントに伝えてもらうが、翻訳者にできることはそこまででしかない。英文マニュアルの最終責任はクライアントにあって、翻訳者にはない。

ふつうの会社員として働いているかぎり、何を目指せばいいのかと考えて勉強したところで、会社の都合で出てくる辞令ひとつで何をするのかどころか、住むところまで決められてしまう。(日本においておくと煩いからとニューヨークにまで飛ばされた。 米国駐在のバタバタについては、拙著『はみ出し駐在記』をごらん頂ければと思う。)人生や生活の基本的なことですら会社の都合が優先して、私生活は二の次が当たり前の時代でもなし、実力だけで自立できる翻訳者になろうとした。

恐る恐るその世界にはいってみれば、技術翻訳とはどうしようもない日本語との格闘でしかなかった。翻訳者として碌を食むのであれば、一生訳の分からない日本語と付き合うことになる。どんな仕事をしても妥協はつきものだが、だらしのない日本語を翻訳するより、自分の知識と考えで自分の意見を自分の言葉で言うのが人としてのありようだろう。このまま翻訳者として一生をおくるのか?まだ三十半ば、いくらなんでも寂しすぎる。何とかしなければと考えだした。

なににおいても真正面から生真面目に対峙してしか生きられないアルゼンチン人のリディアさんが専属のプルーフリーダーのようになっていた。リディアさん、真面目すぎて適当な翻訳にちょっと手をいれて終わらせられない。他の翻訳者がリディアさんのプルーフリーディングを拒否するようになっていた。いい翻訳を客にと思うより、いい加減な翻訳をリディアさんに指摘されるのを嫌がった。
翻訳はどうしても日本語の原稿に引きずられる。リディアさんの目で意味の通らない英文があれば、意味の通る英文になるまで言い合いながらの作業になった。英文マニュアルとして通用するマニュアルにしか翻訳できない不器用な翻訳者に、徹底してネイティブの英語に書き直すプルーフリーダーのコンビだった。しばし、「ばか、このあいだ言っただろう」とまで言われて、英語の基礎を叩き込まれた。

仕事にしてもなんにしても厳しい人で、ことあるたびに「翻訳者なんてのはSocial dropoutだ」「こんな翻訳の仕事をしていても将来がないから、早々に切り上げてエンジニアリングの仕事に戻ったほうがいい」と言われた。そうは言われても、いまさら工作機械でもあるまいし、仕事探しも面倒だしとなにもしなかった。一向に転職しようとしないのを見かねてか、米軍向けの新聞の仕事で出入りしていた横田基地の翻訳・通訳の仕事を探してきてくれた。

「来年の九月に横田基地で翻訳・通訳のポジションが一つ空くけど、どうだ」と言われた。米軍の書類ならMIL規格に準拠しているはずだから、しっかりした英語を勉強できる。給料がどうであれ転職したほうがいい。リディアさんに、「その話、是非紹介して欲しい」と頼んだ。
「あなたなら間違いなく採用されるだろうから、九月まで待って」と言われて、次の転職先というのか勉強先のめどがついた。 横田基地に行っても翻訳と通訳の仕事でしかないが、求められる翻訳の質という点では天地の差だろうし、それを生み出す環境も整っているだろうと期待していた。八十五年の暮れ、三十四歳になっていた。
2017/6/18