成功は失敗の母―日立精機

日刊工業新聞社発行の月刊誌『機械設計』(2017年7月号)に寄稿する機会を頂戴した。寄稿では紙面の制約(1,200字まで)もあって、会社の生い立ちの部分を割愛した。それを戻すとともに寄稿した拙稿に加筆、編集した。
日立精機は社会人としての第一歩を踏み出させてくれた会社。十年しかいなかったが、初めての会社だったからなのだろう、他の十年とは比べようのない思いがある。恩義のような気持ちを引きずったまま書けば愚にもつかないものになる。そんなものなら書かないほうがいい。気持ちの整理がつかないまま四十年ちかくの歳月が経った。時間の経過が絡み合った思いの枝葉を落としてくれた。
総じていえば愛憎合半ば、できるだけバイアスを排して、自分がみたことを事実としてストレートに書いた。還暦も過ぎて、そろそろ整理しなければと思っていたところに寄稿のお話を頂戴した。おかげで気持ちを整理できた。寄稿の機会をくださった関係者に感謝している。

七十二年に高専を卒業して工作機械の技術屋を目指して日立精機に入社した。工場を一目見て、学校の実習工場にならんでいた機械が工作機械的玩具に過ぎなかったことを知った。日立精機は「鉄をむしり取るよう削る」と評した切削能力が自慢で、工場のあちこちで轟音とともに乾燥芋の厚みほどもある切粉を飛ばしていた。重切削の轟音に慣れるまで怖かったが、それを可能にする頑強な機械を誇りに思った。

そこには「むくの素材」からの加工が多かった時代の評価基準が息づいていて、その象徴がタレット旋盤だった。普通旋盤と比べてタレット旋盤には大きな特徴が二つある。第一、旋盤は、軽業師のような熟練旋盤工がいて初めて用をなすが、タレット旋盤は切削工具のセットアップがすめば、専用機に変身する。非熟練工でもハンドルを回せば一般機械部品で要求される精度で加工できる。第二、旋盤は一本のバイトによる切削だが、タレット旋盤は多刃による重切削を基本にしている。
タレットヘッドに取り付けたツールホルダーに何本ものバイトを、ときにはドリルも付けて、何箇所もの加工を一度ですませる。そのため旋盤に比べて主軸モータも大きく、ギアや摺動面なども含めてすべてが頑強に設計されている。

単位時間当たりの切粉を出す能力でみれば、普通旋盤と比較することに意味がないほど圧倒的にタレット旋盤が優れている。これは普通旋盤をNC化しても、NC装置が進歩しても変わらない。ましてや、まだまだ限られた機能と技術的に不安のあるNC装置を採用して、切削能力の優れたタレット旋盤を放棄してNC旋盤に移行すべきなのか。合理的に考えれば考えるほど否という答えしかでてこない。
ただ、時代は精密鋳造や鍛造が進んで、できるだけ切粉を出さない素材へと進化していた。当たり前のことで、切粉を多く出すということは、加工時間をかけて素材を無駄(切粉)にしていることに他ならない。重切削が求められた時代から軽快で使いやすい機械が求められる時代へと変っていった。

その時代の流れにのった新興の旋盤メーカに市場を席巻されても、重切削がアイデンティティにまでなった名門意識もあって、これといった特徴のないNC旋盤を開発しようとはしなかった。日立精機でなければできない凝った機械の開発に走った。
当時、新機種の開発はもっぱら技術研究所の開発設計課が担当していたが、開発仕様は研究所の所長の思い入れで決められていた。いわく「営業に話すと、あれこれ言ってきて仕様が決まらない。試作機に関することは社内でも機密。営業を試作工場へ入れるな」
若手の技術陣のなかには、遅れてしまったNC旋盤への移行を加速しなければ、軽快に動き基本機能に忠実なNC旋盤をという声があったが、製品化されたのは七十年代の後半になってからだった。

経営陣にも研究所にも、どこにでもある旋盤やマシニングセンターで終わりたくない、自社の独自の機械への思いが強かったのだと思う。背景には日立精機の歴史がある。鮎川義介が乗用車の国産化を目指して国産自動車(日産自動車の前身)を創設した。乗用車の部品製造に工作機械は欠かせないが、輸入するにも限界がある。そこで輸入したワーナースェージのタレット旋盤と、シンシナチのひざ型フライス盤のコピーもどきを作った。これが国産精機、後の日立精機の始まりだった。タレット旋盤の大成功で世界の名門とまでいわれた会社だが、もとをただせば、ワーナースェージとシンシナチのコピー屋でしかなかった。
(アメリカの工作機械をコピーしたのはウィリアム・ゴーハムがいたからだろう。入社した七十二年には、まだゴーハムから薫陶を受けた人たちも残っていた。ゴーハムの人間性まで含めて昔を懐かしむ話をなんどか聞いた。)

タレット旋盤の重切削能力が評価された時代に大きな成功をおさめた。それが新しい市場要求への対応、新しい技術――コンピュータによる制御技術の導入を躊躇させた。よく「失敗は成功の母」というが、正しくは「失敗は成功の母のこともあるが、成功はしばし失敗の母」だろう。
2017/7/2