翻訳屋に(39)―自動翻訳の試み

翻訳者は任された仕事を黙々と翻訳するだけで、会社がどうなっているのか大して気にしない。仕事のできる翻訳者は、会社がどうなったところで、どこかから仕事が回ってくると思っているし、できない翻訳者は一社に依存できないから、はなから翻訳会社を二股三股かけている。しがらみの少ない社会で、翻訳会社への帰属意識は低い。

翻訳者の多くは、特定の技術領域をもっていれば、領域から外れた仕事を請けようとしないし、もっていなければいないで、日本語と英語であればなんでも翻訳できると思い込んだ、身の程知らずの人たちだった。ああだのこうだの注文は多いくせに、クライアントからのクレームは自分の仕事の問題ではなく、自転車で転んだ事故ぐらいにしか思わない。字面で翻訳して碌を食むには、そのくらいの我の強さがなければ精神的に持たない。
経営陣にしてみれば、翻訳者なんてのは適当におだてながら使うしかない偏屈でわがままな人たちにしか見えない。翻訳は、所詮一字一句を気にしながらの内職仕事のようなもので、文化的な響きとは裏腹に一文字いくらとう手間賃稼ぎでしかない。翻訳需要がいくら伸びても、それ以上に価格競争は激しくなる一方で利益の確保が難しい。利益を求めて翻訳の生産性を上げようにも、内職仕事のままでは、なにをどうという手立てがない。

八十年代の中ごろ、英文への翻訳はタイプライターで、和文は手書きだった。まだまだパソコンが高くて、ちょっと小遣いでは買えなかった。そんな時代にコンピュータを使った自動翻訳、ニュース性があったのだろう、自動翻訳の時代がすぐそこまできているかのような記事が新聞紙面を賑わせていた。経済新聞には、もう明日にでも自動翻訳が実現されるのではないかと錯覚を起こすような話も多かった。
八十四年、オーナー社長が自動翻訳の開発に着手した。正直驚いた。まさか新聞記事にかかれていたことが目の前で起きようとは想像したこともなかった。機械工場ではエアコンなど夢のまた夢だった時代で、コンピュータは人より大事といわんばかりに空調の効いた部屋に鎮座していた。

時代に先駆けて自動翻訳システムの開発はいいが、ハードウェアもソフトウェアの環境も整っていなかった。言語学者をかき集めてデータベースつくりをしていたが、内職仕事のような翻訳から生まれてくる資金はしれている。次の時代への明るい話題ということもあって、都銀から融資を受けての開発だったが、いつまで経っても実用になるシステムはできなかった。

請け負った仕事の納期と質には細心の注意を払ったが、会社の経営がどうなっているなど気にもしなかった。仕事は翻訳室でだから、経理や営業の部屋に顔をだすことは少なかった。ある日、まるで第二営業部のようなかたちで別の会社が会社のなか(?)にできた。貸しビルの一階上のフロアに営業部隊だけの会社、仕事の分担がどのようになっているのかわからないが、新規の仕事はその別の会社の営業マンから回ってくるようになった。
請け負った仕事をきちんとするだけで、仕事がどこから回ってこようがかまわないのだが、どうも腑に落ちない。一階上の会社にいってみたら、IBMのPCの箱が山済みになっていた。箱から出したものが机の上に乗っていた。新品?と思おうものだった。何気なく触ったらするっと動いた。重さを感じない。周りの目を気にしながら、軽く押してみたら、簡単に動く。中身のないモックだった。何が起きているのか気にはなったが、モックのことを誰にも言えないし、どうなっているのかなどとは訊けない。

ある晩、いつものように実家に夕飯を食べによったら、親父が翻訳会社の社名を口にした。社名を伝えてはいたが、そんなもの覚えているわけがない。なんのことかと思ったら、「今朝の新聞におまえの会社の記事が載っていた」「なんでもコンピュータを使った自動翻訳システムの開発が進んでいて、人手(翻訳者)に頼らなくても翻訳ができるようになるって書いてある」という。
また何も知らない親父がわけのわからない記事をみてと思いながら、差しだされた新聞を取ってみたら、確かに親父が言ったようなことが書いてあった。ざっと読んで親父に「心配ない」「コンピュータで自動翻訳しようにも和文の原稿がだらしないから、自動翻訳なんかできっこない」「自動翻訳システム云々のまえに、まともな日本語を生成する自動編集システムを開発しなきゃならない」「とは言っても、何をどう書くかを決めるのは人間だから、まず書く人たちに日本語を勉強してもらわなければならない」「もし仮に自動翻訳システムができても、日本語の原稿が目からうろこの進歩でもしなければ、オレの仕事はなくならない」

自動翻訳システムの開発に乗り出したはいいが、使い物になるものができなくて、二年ほどで翻訳会社が倒産した。親父がみた新聞記事、たぶん融資を継続しなければならない金融機関の担当者(部署?)が書き屋に金を払って書かせたちょうちん記事だったのだろう。
まるで小説のような世界があること、そこに足を踏み入れていることを知った。踏み入れてしまったのだし、バタバタするより、見れるものは見ておこうと思った。なかなかできない経験もできる。何かあっても、ひと月もあれば次の仕事をしているだろうし、あわてることもない。
[書き屋]
二十年以上経ってからだが、広告宣伝・マスコミの裏社会を歩いて人から「書き屋」という家業の成り立ちを聞いた。すでに新聞記事を真に受けるようなことはなくなっていたが、「書き屋」の話を聞くまでは、真に受けない自分がおかしいのではないかという不安の欠片が残っていた。
2017/7/9