代理店のために働いているのか(改版1)

「そこはイタリア、門を壊して」
http://mycommonsense.ninja-web.net/business13/bus13.13.htmlの続きです。

ことの発端はアメリカ支社が画像処理最大手CGXの標準採用(専用価格)にこぎつけたことだった。CGXは、日本でもヨーロッパでも、セミエレ業界を中心に画像処理システムのトッププレーヤとして世界市場を席捲していた。その画像処理システムの多くにはLED照明が欠かせない。新規案件がでてくるたびに、最適なLED照明の選択から始まって、アプリケーションとして成り立つかどうかの検証が繰り返される。

イギリスのVB社は、数あるCGXのパートナー(SI=システム・インテグレータ)の中でもトップクラスの技術力を誇っていた。SIは画像処理メーカが提供するプラットフォーム(開発環境、MicrosoftのOfficeに相当すると考えればわかりやすい)上でアプリケーション・ソフトウェア(Officeで例えればWordの書類やExcelの表に相当する、ちょっと違うが分かり易さを優先する)を開発する。プラットフォームの技術的優位性をいかんなく発揮できるSIがいて、はじめて市場で優位にたてる画像処理システムが出来上がる。

ヨーロッパの画像処理市場の中心はドイツで、全ヨーロッパの五割以上を占めていた。VBはイギリス市場の限界をみてドイツに進出して気がついた。SIで量的に拡大していっても、自前のプラットフォームを持たなければ、画像処理システムのメインプレーヤにはなれない。そこで二〇〇〇年頃から、秘密裡に持てる技術をプラットフームの開発に投入し始めた。使い慣れたCGXのプラットフォームからリバース・エンジニアリングで性能では至らないものの、同等の機能をもつ自前のプラットフォームを開発した。受託開発屋でしかないSIから自社のプラットフォームをもった画像処理システムのサプライヤへという成長戦略、正攻法に見えるが、自社の姿を思い描くことに熱心なあまり市場環境の分析があまかった。

プラットフォームでは、アメリカの三社が機能の追加と性能の向上でしのぎをけずっていた。そこにまあ使えるかもしれないというレベルもモノがでてきても、誰も使おうとはしない。F1レースを思い浮かべれば分かりやすい。どのSIも長年使ってきたプラットフォームの癖、なかにはバグに近い御しきれない癖まで活用して市場でつばぜり合いをしている。プラットフォームを提供している画像処理メーカが、そんな使い方もあるのかと驚くような使い方をしても、機械メーカの要求を満足しきれないこともある。そんなところにぽっと出のプラットフォーム、業界誌の話題提供にしかならなかった。代理店などの販売チャンネルもなく、乗ってくるSIもいない。リリースはしたものの、開発を継続する金がない。せっかく開発したプラットフォームが重荷になってしまった。

ミュンヘンの代理店ST社は、レンズやカメラや照明などコンポ―ネット販売の商社だったが、九十年代後半にSI市場に参入した。さらにヨーロッパのあちこちの同業に資本参加してヨーロッパの主要市場を網羅するネットワークを構築してきた。後日知って驚いたが、アメリカにも日本にも資本で縛ったパートナーがいた。

売るに売れないVBのプラットフォームをSTが叩き値で買い取った。買い取ってはみたものの、自社のプロジェクトにしか使えなかった。それどころか、売れないプラットフォームが本業のコンポーネント販売の障害になっていった。プラットフォームを販売している会社がSTを避けはじめた。レンズや照明を求めてプロジェクトの話を持ち込めば、プラットフォームも売りたいSTにプロジェクト自体を横取りされかねない。
それはCGXのヨーロッパ支社もその代理店にしても同じことで、STとその息のかかった代理店にはLED照明の相談をしようにも、かつてのようにアプリケーションの詳細を開示してというわけにはいかなくなった。どうしてもCGXのプラットフォームを置き換えられかねないという不安がつきまとう。

CGXの米国本社とヨーロッパ支社からアメリカ支社に一日も早くヨーロッパ支社を開設しろと通達のような要求が突き付けられた。それは、代理店を経由することなく、アメリカと同じように支社からLED照明を直接購入できるようにしろという命令だった。 支社を開いたところで、ヨーロッパの市場規模と置かれた立場から考えると、年間数億円の売上しか期待できない。厚利少売の典型で、支社の運営にできれば三〇、最低でも二〇パーセントのマークアップが必要になる。

金計算を初めてとんでもないことに気がついた。代理店への仕切り価格が異常に低い。日本本社のマークアップは十五から二十パーセントしかなかった。製品によってばらつきはあるが、裸の製造コストの五倍ぐらいを定価としていた。価格だけしか話す内容のない前任者が、利益の出ようのない仕切り価格で売っていた。
具体的な数字をあげれば分かりやすい。定価一万円の製品の製造コストが二千円、そこに利益として二千円のせて(二十パーセントのマークアップ)、四千円で代理店に卸す。代理店は四千円上乗せして、定価から二〇パーセント引きの八〇パーセントで画像処理システムの代理店やSIに販売する。製造メーカとしては、上乗せした二千円から営業コストや輸送費や経営管理費などを差し引いたものが実利益になる。そんなマークアップでは、赤字にならないにしても利益という利益にはならない。一方代理店は取り分の四千円から経費を差し引いても十分な利益がでる。誰のためにLED照明を開発、製造しているのか?自分たちの為なのか、それとも代理店のためなのか。

累積赤字で債務超過に陥っていたアメリカ支社の立て直しに取り掛かったところ、おかしなことに気がついた。なんと本社からの仕切り価格が定価の八〇パーセントだった。競合とのやり合いもあるから代理店への仕切り価格をと思っても、定価の二割三割増しにしかできない。高いから売れない。売れないからマークアップをもうちょっととしなけりゃという悪循環から抜けきれない。

こんな仕切り価格で各国の代理店はどうやって飯を食ってるのかが気になって、帰国したときに国際営業課長に仕切り価格について訊いた。
「アメリカのコストやなんやら洗いだしたら、仕切り価格が八〇パーセントなんですよ。ちょっとびっくりして、八〇じゃ、売値が定価以上になっちゃうんですけど、よそにはどのくらいで出してんですか」
昼行燈の反応にびっくりした。尋常じゃない。なにかおかしい。口ごもりながら話をそらした。
「アメリカは販社の一つですら、海外の代理店と同じように独立した経営をしてくれればいいんですけど」
「えっ、販社って、百パーセントの子会社で、代理店じゃないですよ」
「そうですよ。販社の一つですから」
光電センサーのファブレス会社で総務関係の仕事をしてきた人だった。財務から営業まで(技術や生産以外)を担当している役員にくっついて入社してきた四〇をちょっと出たあたりの何も知らない人だった。ファブレスで生産は外注、販売は卸しまかせでの会社での限られた経験しかない。三年間ほどの付き合いだったが、まともな会話が成り立ったことは一度もなかった。
販社?何言ってんだコイツと思って言い返した。
「いえ、販社でも代理店でもない完全な百パーセント子会社ですよ」
「ええ、そうですよ、販社ですから」
こんなことを言い合っても時間の無駄でしかない。
「で、海外の販社への仕切り価格はいくらぐらいなんですか」
本題の仕切り価格に戻した。
「それは」、と口ごもってあとが続かない。おいおい何を隠してんだ、このやろーって、
「海外営業のトップとして、そのくらい資料なんか見なくたって分かってんでしょう」
ちょっとどもりながら、小さな声で、
「ア、アメリカと似たような、す、数字だったはずです」
どこまでごまかしを続けるんだ、この野郎と思ったが、こんなヤツとは付き合っちゃられない。

それにしてもおかしい。八〇パーセントの仕切り価格で、あの煩い代理店どもが納得するはずがない。
人目に付かないようにサーバのデータや資料を漁ったが、どこに仕切り価格があるのかわからないまま、ボストン(アメリカ支社)に帰った。

翌月いつものように子会社経営状況説明会というダラ会議のために戻ってきた。会議にもいろいろあるだろうが、ここまで内容のない会議ははじめてだった。市場だとか戦略だとか販売チャンネルなんて言っても、何の興味も理解する能力もない社長と取り巻きの茶坊主、分かるのは小学校の四五年生でもわかる上っ面の数字だけだった。

仕切り価格を調べていたら、アメリカ支店に長期出張していたことのある営業マンが机の向こうを何か意味ありげな感じで歩いていった。 目がちょっと来いといっていた。後をついて階段の踊り場に行ったら、周りに人がいないことを確かめてから、「これ」と一言いって、数ページの資料を手渡してくれた。机に戻って広げられる資料でもないだろうからと、そのまま屋上に上がっていった。各国の代理店への仕切り価格の一覧表だった。香港とシンガポールと中国には一律三五パーセント、ドイツにも主だった製品は三五で、四〇を超えるものもちらほらあった。ドイツ以外のヨーロッパの代理店には、ほとんどが四〇パーセントだった。どういうことだ、なぜアメリカ支社には八〇パーセントなのか、なぜ海外の代理店には利益という利益の上がりようのない仕切り価格なのか。

資料をくれた営業マンと足をのばして、同僚が来ることはまずないだろうという居酒屋にいって話を聞いた。聞けば聞くほど馬鹿げた話だった。
アメリカ支社は社長が展示会に行ったときに、ボストンの街並みが気に入って、何を考えるでもなく作ってしまった。まだまだ経営がなりたっていない時期だったので、支社と言っても何をするわけでもない。アメリカに支社までもっているという社長の見栄だった。
新興宗教の熱心な信者の社長が経営というあって当たりまえの考えもなく、思いつきで人を雇ってきて、あっというまに倒産寸前までいった。そこに銀行がらみで経営を立て直すという触れ込みでのりこんできた財務屋が人員整理をして子飼いの配下を主要部署に配置した。

製造を持たないファブレス、販売は卸しに渡せば終わりの建材のような光電センサー屋。アメリカの子会社を閉鎖して、海外はすべて、彼らの言葉でいえば、販社(卸し)の任せてしまおうという考えで、図面さえ描いて入ればハッピーな社長を外野において基盤を整備してきた。社長の思い入れのあるアメリカ支社の立て直しを、CGXの日本支社の社長の右腕といわれた人にまかせて、立て直せなかったという恰好で終わりにしようとした。それがアメリカ支社を立て直してしまったことから、漫画のようなシナリオが普通のシナリオに置き換わってしまった。

利益のあげようのない仕切り価格を決めた理由を知りたかった。何があるとも思えないが、決めた当時の状況が気になる。誰が決めたんだと役員に聞いたが、誰も知らないという。あきれたことに、役員が上申して社長が了承したはずの売値のはずなのに、誰がその価格に関する稟議書を書いたんだというおかしな話にすり替わった。社員番号三番の、この人以上に人のいい人はいない、神様が左の尻たぶに「善」、右には「人」というハンコで押しているのではないかという人の責任にされた。そんな稟議書、御前会議で決まったことを清書しろと言われて書いただけの議事録でしかない。(稟議書の意味を知らないで使っている人たちが驚くほど多い。一度広辞苑でも見てみた方がいい) 会社の意思決定プロセスの物的証拠を見たかった。役員になんども稟議書を見せろといったら、紛失したのか見つからないという。腐った政府のミニ版のような会社だった。

「アメリカ支社への仕切り価格を下げるということは、日本の会社からアメリカの会社への利益の付け替えになるからできない」
モノつくりにしか興味のない社長に代わって経営を任されていた役員に仕切り価格の変更を具申したら、にべもなく断られた。そりゃ、そうだろう、アメリカ支社の経営不振を理由に閉鎖してしまいたのだから。ただ立て直しに雇う相手を間違った。
「でも、営業コストや管理費まで入れたら、利益がでないどころか赤字で販社に卸して、その販社から飲み食いの接待にでも招待されて出かけて行ったら、土産物の一つでももらったら、最悪の場合、背任になるんじゃないですかねー」
製造業で一般的に使われている代理店とは言わずに、彼らの言葉「販社」と「背任」に力を入れて言い返した。もう話し合いをしている時じゃない。受け手なんかありゃしない。馘ってんならいつでも辞めてやる。脅迫に近い口調で詰めていった。おい、お前、ドイツやフランスやシンガポールや香港に出張という名目で遊びに行って、英語のえの字もしゃべれないのがいったい何やってきたんだ。画像処理の市場も技術も、そもそも画像処理が何なのかも知らないで、仕事という仕事なんかできっこない。遊びにいく費用も出先で受けた接待も背任になるの、分かってんのか?

CGXの日本支社で社長の右腕として走りまわっていたときに、毎月のように遊びに来て、なにかと思えばアメリカ支社の立て直しをお願いできないかって。断っても断っても来て、もうそこまで言うんだったら、やってやる。給料一円たりとも上げなくてもいい。ただやることもやり方も変えなければ結果は変わらないですよ。結果を変えたいのならやることもやり方も、そしてやるための組織も変えなきゃならないですよ。それでいいんなら、この仕事請けてもいいですよってことから始まった請負仕事。請け負ったアメリカ支社の立て直しの目途が早々にたってしまって、ヨーロッパもとなっただけで、ヨーロッパは請負外の仕事だった。

人は何故、これだけはしてはいけないということを、してはいけないように、それこそ針の穴に糸を通すようにやり続けるのか、どうにも説明がつかない。しちゃいけないということでは、稚拙な設計にずさんな施工の賃貸マンションに似ている。それでもメンテナンスをしっかりすればもつものはもつ。そのメンテナンスも手抜きに手抜きを重ねれば、いくらもしないうちに、あれもれこれもすべてがやり直しなる。
バカバカしくやってられないが、走り始めてから時間も経ってかなりの速度になっている車から飛び降りれば、こっちも無傷じゃすまない。降りたとたんに針の穴に糸を通そうとし始めるのが落ちだろう。そうでもしなけりゃ、そこにいられない。

役員連中もヨーロッパやアジアの販売網も真綿で首を絞めるように統制していった。「事業や会社の立て直し」を請け負う傭兵稼業、請け負ったからにはやってやる。そこらの茶坊主と一緒にされたら迷惑だ。

p.s.
傭兵の思い
企業は創業社長のものでもなければ、株主のものでもない、というと語弊があるが、従業員とその家族生活の経済的基盤であることを忘れてもらっちゃ困る。事業の立て直しといっても何か特別なことがあるわけではない。こうしなければ企業としての成り立たないという視点で、やることもやり方も、やる組織も変えなければならないといことをやって見せて、後継者に引き継いでいくのが傭兵の責務だと考えている。一時の改善ではなく、次の状況に応じた改善を自分たちの考えでやっていける人材を残さなければ、傭兵としての仕事は終わらない。
2020/5/31