シュツットガルトのジレンマ(改版1)

前の会社で一緒に仕事をしていたアメリカ人からメールがきた。知り合いのドイツ人が翌々週東京ビッグサイトに行くから、相談にのってやってくれといってきた。
「先週フロリダのコンベンションで偶然あったら、日系企業で働いていたということから、日本市場についていろいろ相談された。そんなこと相談されたって、日本の会社のアメリカ支社にいたことがあるってだけで、何を知ってるわけじゃない」
「日本の製造業のことだったら、よく知っているのがいるから、東京に行くのならちょうどいい、お前に相談してみたらと紹介しておいた。一銭にもならない雑用で申し訳ないが、お前なら、そんな話からも何か拾うだろう」

そのドイツからの賓客は、シュツットガルトの国際展示会場の国際部のマネージャで、海外企業の出展プロモーションを担当していた。シュツットガルトは、ドイツのというより、ヨーロッパの自動車や印刷機械をはじめとする機械工業の心臓部と言っても過言ではない。ビジネス規模だけでなく先端技術でも世界をリードしてきた多くの企業(ダイムラーやボッシュなど)が本社や研究所を構え、基幹工場もある。ドイツを代表する著名な大学や研究機関も数多くある。
日本の工作機械など製造設備業界からみれば、なんとしてもビジネスにしたい大手有望顧客が軒を連ねている。ところが、その人たちから、シュツットガルトうんぬんは聞いたことがない。シュツットガルトの展示会など日本ではほとんど知られていない。古い街なので、探せば何か文化的なものもあるのだろうが、あまりに工業都市として性格が強すぎて、観光客にも馴染みが薄い。

ドイツの展示会場は世界的にも知られたところが多い。ハノーバーやデュッセルドルフやミュンヘンはよく耳にするし、日系企業も積極的に出展してきた。ところがシュツットガルトはといえば、マネージャが大使館の商務官やら友好団体のような機関を通して日本の会社に展示会出展のプロモーションを繰り返してきたが一向に成果があがらない。相談はこれからメインの展示会に育ててゆきたい三つの展示会(画像処理やレーザーにロボット)に日本の有力企業の出展を促進したいが、どうしたらいいだろうというものだった。
三つの展示会の業界のどれもが、かつて何年にも渡って仕事で関係してきたもので、少なからず因縁のようなものまであった。画像処理用LED照明メーカにいたときは、ヨーロッパに支社を設立するために候補地をめぐって支社長候補の面接もしてきた。シュツットガルトには画像処理の展示会ででかけて、いろいろな人から話も聞いていた。

マネージャから細かな話を聞かなくても、何が問題なのかわかっていた。日本の対象業界をどれほど詳細に理解しているか、その業界の主要各社にどのように声をかけていったらよいかなど、具体的な改善点があるにしても、あまりに本質的な問題が大きすぎて、他の諸々は瑣末に過ぎない。問題は、日本の製造設備メーカは、シュツットガルトやその周辺にある企業群にビジネスチャンスはない、少なくとも当面はないと考えていることにある。考えているのが誤解に基づくものなら誤解をどう解消するかでしかないが、残念ながら正鵠を射た理解と考えで、それを生んだ事実をなんとかしなければどうにもならない。

市場の特性を変えない限り、日本企業はシュツットガルトには出展しない。現地企業と特殊な関係にあるなど何か特別な理由がある企業以外には出展する意味がない。なかには現地のビジネス環境に疎く、授業料のような感じで一度は出展するかもしれないが、次はない。

なぜ日本の企業はビジネスチャンスがないと考えているのか想像はつくかと尋ねてみた? 答えは予想通りだった。事実として世界に誇る自動車や機械工業の集積地であり、その成長を支える先端科学技術の基盤もゆるぎない。これは誰もが認める。それを誇り思うのも当然、誇りに思わなきゃいけない。しかし、誇りに思うが故に、外国のそれも遠い日本のビジネスパートナー候補の目にそれがどう映っているのか想像できない。初対面でそこまで踏み込んで、相手の耳には決して快くないことを言い切っていいものなのかとも思ったが、はっきり例を上げて説明した。

そもそも、シュツットガルトや周辺に群雄割拠する世界に名だたる企業群は、長年に渡って製造に必要とする設備も技術もなにもかもをその地域かドイツ国内で自給自足してきた。その自給自足体制を誇りにして、外国からの技術や設備の導入はよほどのことでもなければというより、あったところで考えない。たとえ日本の機械メーカが自動車メーカに応札を試みても、ドイツの電機制御装置メーカが日本の機械メーカには製品を販売しない。そうして長年パートナーとしてやってきた自国の機械メーカとの関係を保ってきた。うっかり日本の機械メーカに制御機器を販売でもしようものなら、何が起きるか? 赤字覚悟で市場参入を図る日本の機械メーカが長年パートナーとしてやってきた機械メーカに価格戦争をしかける。制御機器メーカにしてみれば、長年パートナーとして一緒に仕事をしてきた機械メーカと仕事をした方が利益の面でも間違いない。客としての自動車とその関連メーカ、印刷機械メーカなどと、そのメーカの生産設備製造業界、その生産設備業界に制御機器を提供するメーカが長いときを経て作り上げてきた運命共同体のような社会がある。

日本メーカがよほど画期的でこれしかないという製品や技術を他の市場で実証して、その製品や技術にまさる製品や技術をその運命共同体が、市場が許す期間内に開発できない状況が周知の事実にでもならない限り、日本メーカにドアを開ける可能性はない。たとえ技術開発で遅れをとっても政治的解決を模索する可能性すらある。

そんなところの展示会場に日本メーカの出展を即すには、多少時間はかかっても次のような基本的なところの意識改革が必要になる。文化も産業も技術も常に異文化、異質のものとの交流、衝突、競争を通してしか将来にむけて生き延びる力を得られないことを州政府、政府、業界団体に理解させる。そうはいっても、ほとんどの企業もふくめて多くの関係団体は抜き差しならないところまで追い込まれない限り聞く耳をもたないだろう。このままやっていたら遠からず消えてなくなる、日本メーカとタイアップでもしない限り打開策はないという企業を見つけることからはじめるしかない。困っている人や企業なら聞く耳をもっているかもしれないが、困ってない人たちは、たとえ耳がついていたとしても聞く理由がない。

シュツットガルトが特殊なわけではない、似たようなことにはどこにでもある。自社(自分たち)を誇りに思うあまり、傲慢になってはいないにしても、相手にとって自社(自分たち)がどういう立場にいるのかが見えなくなってしまうことがある。耳に快い話しは放っておいても聞こえてくるが、快くない話はなかなか聞けない。誰しもいい話を聞けば嬉しいし、よくない話を聞けばいい気分はしない。それでもときには、よくない状況を整理して口にし、改善案まで提示してくれる奇特な人がいないこともない。問題は聞く耳をもっているかにある。

p.s.
シュツットガルトの城砦がベルリンの壁のように、たとえ一部分にしても崩れる可能性がでてきた。電気自動車のバッテリではトヨタの実績に追いつけるところが、早々でてくるとは、自信の塊のようなドイツ人でも思っていないだろう。ディーゼルエンジンの排ガス規制をごまかしてきたドイツの自動車産業は、血眼になって車載のバッテリ開発に奔走しているだろうが、時間との勝負の行方は見えている。あわててできあがっていないものをだしてリコール騒ぎになるかもしれない。日産も本田もなかなかうまくできないで困っている。ましてやドイツの?ここから市場のドアが開く。時間の問題でしかない。

「Germany Lags Behind Asia in E-Car Battery Race」
Der Spiegelの2月22日付けの記事がドイツのというよりヨーロッパの自動車産業の窮状を伝えている。興味深いことに、トヨタや本田のハイブリッドにも日産の電気自動車にも触れていない。このままでは(日本の自動車メーカどころか)中国の車載バッテリに市場を席巻されかねない。開発を急がなければならない。どう読むかだが、記事は車載バッテリの開発支援を行政に要請している、あるいは要請を社会として容認する地ならしをしているとしか思えない。
自動車はすでに走るコンピュータのようになっていて、ドイツのお家芸だった機械技術から制御技術(Control system)と充電池技術の世界になっている。ヨーロッパはこの視点からみると、トヨタに二十年近く遅れている。
記事のurlは下記のとおり。
http://www.spiegel.de/international/business/running-on-empty-germany-lags-behind-asia-in-e-car-battery-race-a-1254183.html#ref=nl-international

2019/3/17