コンピュータがやってくれる(改版1)

ハローワークで見つけて雇ってもらった。早いものでもう五年になる。入ったころは月末になるたびに、給料が遅配にならないか心配でしょうがなかった。主にアメリカの制御機器やセンサーメーカの代理店として三十数年、それなりにやってきたのだろうけど、バタバタしているだけにしか見えなかった。社長や古手の営業マンの話では、日産がルノーの傘下になるまでは、手堅くもうけて接待交際費も、まあ自慢話なのか笑い話なのだろうけど、かなり自由に使っていたらしい。

職務経験といっても、アパレルの卸の仕事に営業事務の派遣しかないから、雇ってもらえるとは思っていなかった。一度派遣になってしまうと、なかなか正社員には戻れない。それが、応募したらあっけなく採用された。郵便受けに封書を見つけたときは、もうそれだけで、また正社員としての人生が始まるような気がしてうれしかった。でも部屋に入ったら、封書をあけるのが怖くなってしまった。前にも何度かもらったのと同じで、ダメに決まってるじゃないか、また嫌な思いをするだけじゃないかと、翌朝になってもあけられなかった。仕事が手につかない。一日中封書のことが頭から離れなかった。お風呂も入ってビールを飲んで、ダメでもともとじゃん、えぃって挟みをいれた。もう派遣じゃない。正社員だとうれしかったけど、不安のほうが大きかった。
出社して一週間でわかった。営業事務って聞こえはいいけど、経理や入出荷作業の手伝いもあるし、作業服着て現場工事の手伝いにもいった。なんもでもやらなきゃならない雑用係りだった。どこにもいきようのない私だから続いているけど、まだまだ希望というのか夢のある若い子じゃもたない。

社長の話では、コンピュータの性能が上がって価格が下がって、いくら売っても利益がでない産業構造になってしまったということらしい。パソコンの初期設定の手伝いを頼まれたとき、そんなん簡単じゃんと思ったけど、インストールしなければならないソフトウェアの量と種類に驚いた。まあ手間と時間さえかければということなんだけど、四十台以上もあると慣れないこともあって、一日どころかフルに三日もかかった。途中でへんなエラーはでるしで、ベテラン社員に教えてもらいながら、終わったときは、「やったね」、なんか自分がひとつ利口になったような気がした。

一緒に作業していたおじさんがぼやいていたけど、そんな時代なんだとちょっと信じられなかった。かつては二百万円もしたものが二十万円どころか十万ちょっとで出来るようになっちゃったし、性能も機能もありすぎて、客が使えきれないでクレームになる。二百万円のときは、マージン三十パーセントで、一台売れば六十万円。それが今じゃ十万円かそこらになっちゃって、利益率二十パーセントじゃ二万円にしかならない。六十万円も利益のでたときなら、ああだのこうだのあっても、無償サービスでやってこれた。でも二万円やそこらじゃ、何かのたびに客の工場に行ってというわけにもいかない。

服飾のデザイン学校でて、アメリカまで語学留学したけど、やっとみつけた仕事は馬喰町のどうでもいいアパレル卸だった。毎日雑用に追い回されて忙しいだけで、いくらやっても儲からない会社だった。不渡りくって失業して派遣無宿になっちゃったけど、そこでパソコンの使い方を勉強させてもらった。留学たって遊びにいったようなもんだから英語ができるたって知れてる。それでも、あれやこれやの実務経験とパソコンもそこそこ使えるし、なにより英語ができるということで、派遣ならいくらでも口があると思っていた。

でも、三十も半ばをすぎて、いつまでも派遣ってわけにもいかない。結婚には懲りたし、少しは先のことも考えなきゃって、職安で見つけたのが今の会社。絵に描いたような暗い会社だったけど、そこに想像だにしなかったことが起きた。代理店をしていたアメリカの微小圧力センサーメーカが精密センサーメーカに買収された。企業買収なんて日常茶飯事のアメリカでのこと、なにがおきたところでメーカの社名が変わる程度だろうと思っていた。何かが起きるような気配などなにもなかったある日、突然会社が精密センサーメーカの日本支社になってしまった。創業社長が、もう先細りでこのままやっててもしょうがないと思っていたところに、社長として身分保障までつけての申し出に二つ返事で会社を売ってしまった。

まだ三年ちょっと前の話なんだけど、いろいろなことがありすぎて、もう十年以上前のような気がする。微小圧力センサー以外のそれまで扱っていた製品の販売は即停止。精密センサーメーカの日本支社としての体制づくりが始まった。アメリカの本社からマーケティングマネージャがきて、職責はディレクターなんだけど、全権を握って、こんなやり方もあったのかというシステムを構築していった。

まず経理部長が外資の経理をしてきた人に代わった。そりゃ英語もわからない人じゃ使い物にならないってんで交代しただけだと思っていたら、この人が本社の指示に従って、あっという間に金の面からすべてににらみを利かすシステムを作り上げた。このシステムのおかげで、マネージャは安心してアメリカと日本と中国の間を行ったり来たりしている。日本の会社なら経理担当とかになるんだけど、アメリカの会社ではコントローラと呼んでいた。日本の社長が何を言おうが、ディレクターがどう思おうが、本社のファイナンスの出先のコントローラの判断がすべてに優先する。

営業体制も大きく変わった。営業は新規顧客の開拓に集中しろということで、それを可能にするマーケティングとロジスティックスが作られた。作られたといっても、アメリカのセンサー屋から引っこぬいてきた、三十後半の人に私がアシスタントにつけられただけの二人しかいない部署だった。営業マンが製品を紹介するためのホームページからカタログやリーフレット、アプリケーションノートの作成から、セミナーからなにからなにまでやらされた。マーケティングの作業でバタバタしていたら、派遣の女性を一人つけて、ロジスティックスのマネージャを兼任させられた。

ロジスティックスなんて聞いたことなかったから、知り合いに訊いたら、英語で格好よく聞こえるけど、要は受発注の煩雑な事務処理係りだと言われた。私ができることなんなんだから、とんでもないことであるはずがないと思っていた。確かにとんでもないことではないんだけど、ディレクターが本社のITエンジニアを連れてきて、外注を使ってあっという間に作り上げたシステムがすごかった。営業マンがかかわるところなんか何もない。

買収されるまでは自分たちが代理店だったのに、こんどはメーカの日本支社として代理店を使う立場になった。認定代理店経由でしか販売しない。直販はしない。認定代理店には製品紹介のトレーニングを毎月している。それというのも、半導体や電子やバイオや製薬など微量な検出には欠かせないいろいろなセンサーがあって、これはと思う製品から日本市場に投入していかなければならないからで、毎月日本では新発売という製品がある。

注文は代理店から直接コンピュータシステムに入れてもらう。数量割引があるから、代理店としては十個とか二十個とか数をまとめたい。コンピュータシステムで検索すれば、工場の生産スケジュールから納期がわかる。たとえば、今日二十個発注すると、五個在庫があって即納、残りに十五個は二週間後に出荷と表示される。
代理店の先のユーザの要望もいろいろあるだろうけど、すべては代理店でワンクッションおかれる。納期の問い合わせも出荷日程も価格も営業マンは関与しない。この類の仕事をオーダープロッセッシングと呼ぶことを知ったが、私がしているのは、代理店からの注文が入って、システムから納期の答えがでているのを画面で見ているだけで、納期遅れとか何かアクションを必要とすることでもないかぎり、何をするわけでもない。すべては本社のコンピュータシステムに代理店がアクセスして処理をしているのもモニターしているだけだ。

製品不良や客の使い方の問題でクレームがでれば、即技術課の担当者がでてくる。障害製品をアメリカに送り返すもの、その後のトラッキングも技術課がやる。当然営業マンと蜜に連絡を取り合うにしても、営業マンの関与は最小限にとどめられている。その分営業は市場開拓と受注に集中しろ、それ以外は時間を使うなという文化がある。日本の会社なら売掛金の回収は営業マンの責任だが、うちのシステムではロジスティックスが担当している。

コンピュータシステムがほとんど自動的に処理してくれる。なにかトラブルでもおきない限りロジスティックスとは名ばかりで、新規市場開拓のマーケティングの仕事をしている。センサー屋からリクルートしてきた人が一年ちょっとで辞めてからは、両方掛け持ちして、ディレクターの右腕のような立場になってしまった。忙しすぎるだろうからとマーケティングに三十をちょっと出たぐらいの技術者とアシスタントの女性を入れてくれた。

派遣から正社員になったにしても、給料なんて上がったところでしれたもんだと思っていた。それが新しい会社でマネージャ、といっても直接の部下は技術者にアシスタントの女性と派遣だけど、二年続けて昇給して入社したときの倍以上になった。
マーケティングとしてはホームページの更新もあれば展示会やセミナーもある。プレスリリースもあるしリーフレットもつくらなければならない。いつもバタバタ忙しいけど、昔のように客の工場にいって現場作業の手伝いなんてもなくなって、ガテン系の仕事からは距離があいてしまった。

事務所も御成門から神谷町にかわって、もうかつてのような現場がそこにあるとでもういのか、工場で使うものが事務所中にならんでいることもなくなった。そこは製造業の事務所というより外資の金融かコンサルのオフィスのようで人と人との触れ合いというのか温もりのようなものはない。待遇という点では個室ももらってるし、インセンティブもあるからお飾りになってしまった社長より私のほうが手取りが多いと思う。

二十歳のときから現場で汗まみれになって働いてきたからだろうけど、いくら事務所で忙しくしていても、足が地に着いた感じがない。人の関与を減らして、できる限りコンピュータシステムに任せるシステムだからだろう、コンピュータと仕事をしているような気になってしまう。かつてのように仕事をしているという実感がないというのか、実感のない忙しさしになってしまった。
人はご飯も食べなきゃならないし、トイレに行かなきゃならない。いくら頑張っても肉体的にも精神的にも限界がある。土日や祝日は人並みにしっかり休みたい。でもコンピュータには人並みなんてことはない。盆暮れも正月もクリスマスもない。疲れなんてこともなく世界中でまっている。アメリカの本社も世界に散らばった支社も外注先も代理店も、どこかが休んでいても、あっちでもこっちでも休みなく動き続けている。
2019/8/25