上司の首を切りたいんで(改版1)

「おぅ、中野、どうした。元気でやってるか」
もうかれこれ五年になる。中野は二年かけた人員整理で真っ先にレイオフされた。PLCのアプリケーション・エンジニアということになってはいたが、PLCのプログラミング言語の基礎を知っているだけだった。ときたま客から入ってくる「プログラムのしかた」に関する問い合わせに答えていた。格好だけは一人前だったが、生来の怠け者で、何もしないというより、何もしようとしなかった。そんなヤツでも、人間なんかしらの取り柄があるもので、仕事はしないが自分を売るのには長けていた。アメリカのバーコードリーダ屋に転職したと聞いていた。

レイオフと聞いたとき、当然の報いとしか思わなかった。人は悪くない。調子はいいから遊び仲間としてならいい。でも仕事では関係したくない。中野のだらしない仕事の後始末になんどか走り回ったことがある。上っ面の話までならまだしも、ちょっと込み入ってくると任せておいていいのか心配になった。一緒にいるとろくなことがない。同僚とか友人と思われちゃ困る。できれば距離をあけたままにしておきたいが、久しぶりの電話につっけんどんにはできない。

「あぁ、藤澤さん。忙しいところすいません。今時間、ちょっといい」
突然電話なんかしてきて、なんだよと思いながらも話をつないだ。
「いけど、本当に久しぶりだよな。もう、五年ぶりぐらいかな。どうバーコードの方は」
仕事に関係することしか共通の話題がない。訊かなきゃいいのについ訊いてしまった。バーコードリーダは価格が崩壊して、いくら売っても利益がでない業界になっていた。システムソリューションを提供するならまだしも、単体販売ではどうにもならない。
「ああっ、報告してなかったですね。もう二年ちょっと前になるかな、バーコードなんかやってられないから画像処理に転職しました」
「えっ、オレも三年前にドライブシステムを外れて、画像処理やってんだけど。どこかで聞いた」
聞いてないわけがない。特別親しいわけではないにしても、社内には中野と付き合っているのが何人かいる。
「そりゃ、藤澤さんが動けばほっといても聞こえてきますよ」
「なんだ、やだな。まさか競合してんの」
画像処理は業界そのものもニッチだが、特化している技術によってニッチの先でさらにニッチに別れて顧客の業界が違う。客の業界が違えば、同じ画像処理屋といっても社名を聞くこともない。
「藤澤さん、テーピングマシンで動き回ってるじゃないですか、いやでも聞こえてきますよ」
「ちょっと待てよ。おまえどこなの」
こっちのことが筒抜けかもしれない。
「オレは食品が多いからバッティングしないけど、CNXっていったらわかるでしょう」
「おい、ちょっとまずかないか。オレ真正面からぶつかってんの知ってんだろう」
営業マンはまるでプロ野球の選手のようなもので、今は偶然所属する(チーム)会社が違うというだけで、長年の顔見知りというのも少なくない。なかにはあっちのチームからこっちのチームへと渡り歩くのもいる。営業マン同士の世間話は日常茶飯事にしても、密談から談合に発展することもあって、公にはできない。

「オレはぶつかってないからいいじゃないですか」
「そうは言ってもな。事務所の電話はよそうや。変なうわさもやだし」
なんで電話してきたのかが気になる。まさかこっちの動きに感づいてなんてことはないと思うが、あまりにもタイミングがよすぎる。

腕時計のムーブメントの自動組み立てラインから始まって、こんなところにまでという顧客を抱えた大手エンジニアリング会社の仲介でCNXの最重要顧客の一社ののっとり作業を進めていた。顧客のなかでも機密中の機密で、プラットフォーム変更のプロジェクトを知っているのは二人しかいない。万が一CNXにその動きがもれたら大騒ぎになる。中野がそこまでつかんでなんてことはありえないと思いながらも、後ろに誰かいる可能性がある。

「中野さあ、電話じゃまずいだろう。そばに誰かいるかもしれないし。オレも話せない。わかるだろう」
「心配することないですよ。オレの個人的なお願いですから」
「なんだよ。個人的なって、気味悪いな」
「あれっ、そりゃないでしょう。いつも面白い話ばっかりじゃないですか。ところで藤澤さん、今晩空いてます」

なんだ、三時過ぎに電話してきて今晩かよと思いながらも、六、七年前に振り回されたことを思い出した。相手は中野。中野ほどあてにならないヤツはなかなかいない。来週なんて約束しても平気ですっぽかす。どうせ会うのなら会ってしまった方がいい。こっちの動きをCNXのヤツらがどこまでつかんでいるのかも気になる。中野の表の情報はろくでもないことしかなかったが、どこで聞きつけるのか、裏はなんどか使わせてもらった。できるだけ早く会ったほうがいい。それでも、恩着せがましく、
「まあ、空いてないってこともないけど、また急な話だな」
「じゃあ、今晩六時に飯田橋でお願いできませんか」
まるで入れ食いのように食いついてきた。食いつきに驚いて一瞬間が空いてしまった。そこをついて、自分の都合だけで押してきた。萱場町から飯田橋はいいが、場所一つにしても中野がなにか企んでるじゃないかと気になる。こっちに来られて、中野、できの悪い社員だろうけど、それでもCNX、と飲んでるところを見られるのもいやだし、まあ河岸を変えるのも悪くない。どうも羽詰っているようだが、まさかお前レイオフになりそうだからって話じゃないだろうなと引き気味になった。
「飯田橋はいいけど、六時はなー。ちょっと早すぎる。こっちをでるのが早くて六時半過ぎちゃうから。お前みたいに身軽じゃないんだよ。わかってんだろうが」
部隊を率いてあれこれやってると、定時をまわったところで「はい、じゃまた明日」ってわけにはいかない。
「じゃあ、七時に飯田橋の新宿よりの出口で……」

性分なのだろう。待ち合わせには、いつも早すぎる。改札をでたところで本を読みながら待っていた。もう七時も十五分もまわって、何時来るのかわからない。三十分やそこらは中野の時計じゃ誤差のうち、遅刻なんて思っちゃいない。おかげで読みかけだった本ももうすぐ終わってしまう。彼女との待ち合わせでもなし、読むものもなしでボーっと立ってるのは辛い。

「あぁ、すいません。待ちました」
なにが待ちましただ、この野郎。人を呼び出しておいて、そりゃないだろうと思いながら、中野のいつもの言い訳を言ってやった。
「なに、六時半も過ぎてんのに、煩い客から電話でもかかってきたんか」
七時に待ち合わせということは、七時になったらそろそろ事務所をでなきゃってのが中野流で、遅刻するのはいつものことで驚きゃしない。そして言い訳は決まって、電話がはいっちゃってだった。
半分以上嫌味で言ったのに、へとも思っちゃいない。いつものように調子よく、
「そうなんですよ。よりによってこんなときに電話してこなくたってってのが二件も入ってきて、やっとでてきたんですよ」
『よくもまあ、しゃあしゃあと』というのは中野のためにつくられた言い草じゃないかと思うほど都合のいい嘘をつく。まったくあきれたヤツで、遅刻したときの中野の常套句をなんどか聞いて呆れたことがある。
中野が乗ったバスはパンクするし、電車は人身事故で動かない。タクシーは自転車引っ掛けて大騒ぎ。年末から盲腸で寝込んで、正月休みを四、五日延ばして、知らない人はよっぽど運に見放された人なんだろうと、本気にして一度は同情する。

「ちょっといったところに土風炉があるんですけど。そんなところでいいですか」
いいもなにも、もう立ってるだけでも辛い。どこでもいいから早く座りたい。
「どこでもいい。早くしようぜ。ちょっと疲れた」

通いなれているのだろう。店員と二言三言交わして、席に着いたら、すぐに生中がでてきた。
「すいません。忙しいところ、オレの都合で」
前置きはいい。早く本題に入れという顔だったのだろう。中野らしくもない。いい年してモジモジってガラじゃないだろう、お前。
「なんなんだよ、個人的な話って。金と女の話は訊いてもしょうがないの、わかってんだろう」
早く用件を言えと急かしても、よっぽどのことなのだろう。嘘でもなんでもペラペラの中野の口が重い。
「藤澤さん、お願いがあるんですけど」
いいから早く言え。何なんだこの中野らしくない間は。
「CNXの話はどこかで聞いてますよね」
「あぁ、いい話は聞いたことないけどな」
「そうっすよね。ろくでもないところですからね」
「お前、ろくでもないところでメシ食ってんだろうが。売り逃げされて、みんなひどいことになってるって話じゃないか」
「なんだ、そんなこと、どうでもいいじゃないですか」
ここまでくると、もうなんていっていいのか、返す言葉がない。
「どうでもいいって、お前もやってんだろ。売り逃げしたらリピートって話しにならないじゃないか」
「いや、それはですね。製品買ったらトレーニングが只でついてくるって日本の客が思い込んでるからですよ。こっちはちゃんと見積もりもなにも出してるのに無視ですからね」
「まあ、確かにな。画像処理をポンと買って、トレーニングもなしで使えると思ってる馬鹿が後を絶たないってことなんだけどな。日本の客も少しずつわかってきてるんだろうけど、どうしても時間がかかるな。サービスってのは只じゃないって。製品よりサービスのほうが高いなんてことも普通にあることなんだけど、それがわからない」
正直そう思ってるから言ったことでしかないのに、へんに得意顔になって、
「そうですよ。確かにCNXは悪い。これは間違いない。社員が言うんだから。でも、悪いってことじゃ、客も五十歩百歩ですよ」
そんな話を小一時間もして、酔いも回ってきて、なんの相談だったのか忘れそうになっていた。

「おい、中野、ところで個人的な相談ってなんなんだ」
「あぁ、そうですよね」
なにがああそうですよねだ。人を呼び出しておいて、この期におよんで、中野らしくもない。まだ言いよどんでる。
「おい、中野、どうした。お前らくしくもない。電話なんかなくたって、電話がかかってくるって男でも言いにくいってのあるのか」
いつもニヤニヤしているのが、周りに知り合いがいないのをまた確かめてから変にかしこまって、
「すいません。藤澤さん、オレの上司になってくんないすかね」
何を言い出したのかわからなかった。呆けた顔だったのだろう、中野の語気が強くなった。
「いや、遠藤ってのが、こいつが悪いヤツで、営業の首がポンポンとんじゃうんですよ。社内じゃ『耳なし芳一、首切り遠藤』って呼んでますけど、話もなにもなしで金曜日の夕方、月曜日は出てこなくていいからって言われて終わりですよ。おちおち仕事もしてらんないって……」
耳なし芳一は知ってるが首切り遠藤? なんのことだ? まだ、何を言わんとしているかわからなかった。
「今期、もう三人ですよ。どうも四人目がオレになりそうなんで。お願いです。藤澤さん、遠藤の後釜になってもらえないかと思って。いや思ってじゃない。何が何でも藤澤さんにきてもらって、CNXの営業部隊の建て直しをお願いします」
選挙のときの政治家のように神妙な顔をして、両手を脇にしめて頭を下げて……、下手な芝居でも見ているようだった。

まったく呆れたヤツで、このままだとレイオフになりそうだってんで、自分の上司の首を切っちゃおうって。流石、中野、考えることが常識をはるかに超えていた。
CNXに転職? 悪くはない。ただ、とんでもないところで、三ヶ月で首になるかもしれない。聞こえてくる話からでしかないが、毎年営業成績の上がらない下の一割は自動的にレイオフされる。セミコンサイクルは厳しい淘汰の繰り返しで、四、五年周期で赤道直下のバブルからすべてが凍り付いて動かない南極へと振れていた。落ち始めると注文どころか毎月キャンセルがつづいて、一年二年と売り上げがまったくないということもある。そこで、待ってましたとばかりに成績の上がらない営業マンがまとめて解雇される。景気が上向きてきたかと思ったら、一機に熱帯雨林にはまり込んだようになって、受けきれない注文が叩きつける豪雨のように降ってくる。

厳冬を耐えた、よく言えばできる、社会の常識からみえれば、すれっからしのずるいヤツがバブルの蜜を味わえるという業界だった。そこにビジネスの根幹をおいているCNX、日本人の感覚では血も涙もない、ブラックもブラック、極め付きの黒光りするブラックな会社だった。

「おい、中野、おまえ本気でそんなこと考えてんのか」
「藤澤さんに信用がないのはわかってます。わかってますけど……、こんなこと冗談で言えっこないでしょ。お願いです。うちにきてください。面接のアレンジはもう進めてますから。話だけでも聞いてもらえないでしょうか」

散々飲んで食って、そろそろ時間だしと、払いを割り勘にしようとした。頼まれごとにしても、中野に払わせたら借りをつくるようでいやだった。ところが中野がガンとしてゆずらない。あつかましいヤツだが、ここまで強い態度の中野は見たことがなかった。うん、これならこいつ、エンジニアとしては使い物にならなかったけど、営業として結構使えるんじゃないかとすら思った。

「そんなことされたら、オレも払わなきゃならなくなっちゃうじゃないですか。よしてくださいよ」
「オレも払わなく……」、何を言っているのか気が付くまでに時間がかかった。中野にしてみれば、こんな勘定、営業経費で落とせばいいだけで、割り勘にして半分自腹でなんてことは考えられない。レジで言い合っているのもなんだしと中野に任せた。営業ってのは、どこに行っても、こんなもんなんだろうなと思っていたら、そこは中野、上をいっていた。
「ああ、すいません。領収書、白紙のやつを四、五枚、お願いできませんかね」
白紙の? 何を言っているのか。中野の狡すっからい顔をみて気が付いた。
接待交際費の着服だ。こんな手があったとは知らなかった。「おおって思っている顔」に気がついて、ニヤっとしなが、
「営業部長の件、お願いしますよ」
まったく呆れたヤツで、「この軍資金で今度は、もうちょっと気のきいたところに行きましょうよ」って言っているようにしか聞こえなかった。
2019/10/13