なにが情報はマルチでとれだ(改版1)

「したくもないダイエットをさせられて」の続きです。
http://mycommonsense.ninja-web.net/business14/bus14.12.html

帰国して二週間ほどたったが、日造からはなにもいってこない。訊きにいったところで大した情報があるとも思えない。受注の気配でもあれば舞い上がって電話ぐらいかけてくる。今回は今までとはちょっと違う。ショートリストに残っているプロポーザルのドライブ・システムはACだけでシーメンスがいない。身内の先の機械屋同士の競争、社内の情報網が頼りになる。

アメリカ支店やヨーロッパ支社で製鉄業界を担当している営業マンとメールや電話メッセ―ジでの情報交換が朝一の作業になっていた。帰国して数日のうちに、日造がオーストリアの国営製鉄所と一緒にショートリストに残っているのがはっきりしてきた。宝鋼では何回行ってもショートリストに残れなかったが、本渓では、これが最後のチャレンジとプロジェクトを買いにでていったのかもしれない。
官僚の縄張り意識はどこにもあるが、話に聞いた限りでは中国では宝鋼と武漢の設計院が南部を、そして馬鞍山鋼鉄と北京の設計院が北部と棲み分けていた。日造は宝鋼とその関連には十分な実績があるのに出ると負けしていた。それなのに、さしたる地盤のない本渓で、なにがどう評価されてショートリストに残ったのか。想像でしかないが、価格以外になにがあるとも思えなかった。

オーストリアの巨大な製鉄会社フェストアルピーネ(Voestalpine)と日造の一騎打ちになっていた。オーストリア支社でフェストアルピーネを担当している営業マンと電話で何回か話した。どうひいき目にみても四分六でフェストアルピーネが優位に立っていた。日本の製鉄業界の「もっとよく」に応えていった結果、日造の連鋳機が中国では豪華すぎるソリューションになっていたのだろう。体と同じで、ついてしまった脂肪を落とすのはむずかしい。客の立場では必要にして十分な機能と性能があればいい。何か政治的な力でも働かない限り、安いほうに発注する。

ジェフ・ミラーとジェコインスキーにも電話して聞いてみたが、フェストアルピーネに傾いているようだという。何かいい手はないかといくら考えても、これという案が浮かばない。それというのも、ACとしてはフェストアルピーネが受注しようが日造が受注しようが、どっちもACのドライブ・システムだから、どっちでもかまわない。
裏をとれないかと、世間話に混ぜ込んでお世話になった総合商社に探りをいれてみた。誰もはっきりしたことを言わないが、劣勢であることだけは間違いなさそうだった。

なんとも打つ手がない。日造に乗り込んで、価格戦争なんだから、もう打って出るしかないでしょうと尻をけ飛ばしにとも考えたが、そんなことをすれば、ドライブ・システムの価格を下げろ、宝鋼に提案したように保守部品をお前のところで持てと言い返されるが目にみえている。

どうしたものかと考え込んでいるところに、ACジャパンの社長に呼びつけられた。歩く三田会の見本のような人で、巷のビジネス本に書かれている能書き以外になにがでてくるわけでもない。なんだ、うっとうしいと思いながら、社長室に入ったら、アメリカから派遣されている副社長もいた。二人ともニコニコしていて、気味が悪い。
「やっと受注できたな」
唐突に言われて、何を言われたのか分からなかった。ちょっと間が空いたが分かったとたん、嬉しさがこみ上げてきた。やった、遂にやった。年の売上が二十億あるかないかいうところに七億。勝ったと小躍りせんばかりに喜んだ。興奮が冷めて落ち着いてきたら、「本当かよ」と思いだした。ひねくれ者だと言われるかもしれないが、辻褄の合わないことを無邪気に喜んでいられるような性質じゃない。あちこちから聞いている話がザーッと頭の中で回っていった。受注?おかしい、どうにも説明がつかない。あれこれケースを考えてみたが、できればそうであっては欲しくない結論しかでてこない。

なんだ、そういうことか。馬鹿馬鹿しい。呑気なトーサン、何を言ってんだか。どこでそんな与太話を拾ってきたんだ。同窓というだけで訊いてこられたら、曖昧なプラスの話をする人はいても、マイナスの話をする人はいない。なかにはいるだろうが、そんな直截に話す人のところには誰も聞きにいきゃしない。大げさに言えば、生きる死ぬの戦場で闘ってきた戦友同志、それも気の合った悪友からしか本当(しばし近いまででしかないが)のことは聞けない。

努めて冷静に状況を説明した。
「受注したら即連絡が入ると思いますけど、日造からはまだなにもいってきてないです」
「受注できればいいんですけど、まだはっきり受注という自信がありません」
社長が受注したっていってんだから、一緒によかったと騒いでいればいいのに、掴んでいる状況がそうさせてくれない。
「状況は決して明るくはないです。宝鋼のときより明るいですけど、それでも四分六で危ないです。オーストリアと一騎打ちなんですけど、どっちにころがってもドライブ・システムはACですから、荒っぽいこともできないし、なにか手はないかと……」
むっとした顔で言われた。宮廷遊泳術で生きてきた人が決まって罹患する難聴がすすんで、茶坊主のおべんちゃらと讒言はよく聞こえるのに、マイナスの話は疑いようのない事実であったとしても受け付けようとしない。
「どこからの情報だ」
どこからって、あんたに説明するのも面倒くさいと思いながら、
「インダストリーセールスと事業部にオーストリア支社の担当者、あと商社筋二つですが、はっきりはしてませんが、どうひいき目にみても、四分六です」
「しっかりしろ、ちゃんとマルチで情報をとれ。私がつかんだ情報では、受注は間違いない」
おいおい、そんなに声を荒げて、もし違ってたらどうすんの? その自信はどこからでてくるの?
まったく、あんたの情報筋って、また三田会の名簿から拾った業界違いのオヤジ連中じゃないのか。エアポートの手荷物ハンドリングシステムでも製鉄でも電子部品でもあんたのお知り合いって、時間を無駄にしただけで、役にたったこと一度もなかったじゃないか。東京の周りならまだしも北海道の寂れた炭鉱町まで行かされて、業界じゃとっくに常識になってることをマル秘情報のように聞かされ帰ってきたのを忘れたのか。

副社長も日本に赴任して二年になるが、昔ながらのバタバタ営業上がりで戦略もへったくれもない。産業構造どころか、日本語の「に」の字も知ろうともしないで、成果だけを欲しがっていた。そこに社長から七億円の注文が間違いないと言われれば、帰国と栄転が確約されたようなもの。ニコニコにもなるのも分かる。

「情報をマルチでとれ」という苦言をつけなきゃ収まらない社長とは違う。底抜けに明るいだけがとり得のアメリカ人で、子供のように無邪気にとでもいう喜びようだった。一世代前の営業スタイルで、Party animalと呼ばれていただけあって、なにかというとすぐ酒が入る。
「今日は、三人で前祝に行くぞ」
社長が注文間違いなしという。それで副社長が舞い上がってる。三人じゃなくて二人で行って来ればと思っても、口には出せない。

社長室をでたら、秘書と目が合った。明るかった表情が一瞬で曇った。なにが起きているのか察したのだろう。「大丈夫、まだ馘にはなってないから」と顔でいったまではいいが、なぜか薄ら笑いがでてきそうで、慌てて顔をそらした。
複雑な女性同士のネットワークもあってだろうが、仕事を離れたところの人間関係まで含めて情報通だった。情報通とは、聞ける聞けないにかかわらず、だれがどのような情報をもっているのか、そしてもっている情報の正否から質まで判断する能力があるといことに他ならない。実務や市場のことで相談されることも多かったから、こっちが持っている情報網すらおおかた掴んでいた。

自分がつかんでいる情報に少なからず自信がある。とてもじゃないが前祝なんかする気にはなれない。あとでどうなっても知らないぞと思いながら付いていった。そんな酒、不味いだけならまだしも酸っぱくて呑めたもんじゃない。

それから半月ほどして、宝鋼のときは失注の連絡などもらったことなかったのに、今回は電話してきた。予想していた結果だから驚きゃしない。
本来銃後に控えていなければならないマーケティングが一人前線に出てなんとしなきゃってやってるのに、余計なことしかしやしない。ろくな話しかでてきやしないんだから、おとなしく社長室で茶でもすすってろって言いたくなる。
部下の話を聞きもしないで、「なにが情報はマルチで」だ、ふざけるな。三田会の名簿にゃ書いてない泥沼で匍匐前進が当たり前の仕事の仕方を教えてやろうか。それとも、誰かに代われってんなら、いつでも代わってやる。辞めろってんなら、いつでも喜んで辞めてやる。翌日、いつものように出社はしたが、定時前に事務所をでて飲めもしない下戸が独りで飲みに行った。

p.s.
<謝れ>
間違ってしまったら、迷惑をかけてしまったら、素直に正直に謝らなければならない。対等の人間関係でも当たり前のことなのにできないとうのか、しようとしない痴れ者がいる。役職が上の場合もあれば、ただの歳が上ということでしかないこともあるが、多少なりとも上に見られるようになってしまったら、なおさらのことで、真摯に謝らなければならない。
自分の非を公に認めようとしない上司は同僚以上に見苦しい。信頼云々のまえに、人としてのありようが問われる。
2020/8/15