気味が悪いと言われても(改版1)

「ああ、藤澤さん、ちょっときてくれるかな」
地下鉄で一駅、距離にして一キロほどでしかないが、まるで机の向こうからのように言ってくる。
日造に宝鋼につれていかれたり、輪転機のゴタゴタで日鉄とはちょっと空いていた。
「ああ、すみません。ちょっとゴタゴタしていて無沙汰しちゃいました」
無言で返事を待っている。特別これといった予定も入っていない。今からでも行けないことないが、御用聞きでもあるまいし、電話一本でいつでも駆けつけると思われるのも癪にさわる。
「そうですね、明日の午後でもよろしいでしょうか」
「そうしてくれるかな。昼一でちょっと入ってるから、三時過ぎでどうだろう」
歩きをいれても二十分もあれば行ける。呼べば、とやかく言わずに来るという感じになっていた。そうすることで、持ち上げておけばという気持ちもあって、電話をうけても要件は訊かないようにしていた。

いつものように六階の事務所に入っていった。会議室に通されて昔の写真を見ていたら、相も変わらずくわえたばこで入ってきた。
「西の方で忙しいらしいじゃないか」
なんだよいきなり、そのなんでもお見通しだというのは。東京にいたんじゃ仕事にならないから、しょうがないじゃないかって思いながら、
「そうですね。知らないことばかりで、どこにいってもご迷惑にならないようにと、気は使ってんですけど、なにかお耳にはいりました」
狭い業界だ。多分新居浜に行ったことも、日造にくっついて宝山鉄鋼に行ったことも、どこかで聞いている。隠すつもりもないが、報告しなきゃならない立場でもない。
「いや、オレの方も、あれやこれやで手間ばっかりくっててな」
まあ、手配師のような立場にいるから、あっちと話して、こっちに行ってで、暇でしょうがないなんてことはないだろうけど、さぞ大変でしょうねという口ぶりで言った。
「お忙しそうで、なりよりです」

忙しいのはあんただけじゃない。それはこっちも同じで、早く要件に入ってほしい。下手な世間話をふって脱線されるのもイヤだしで、言いだすのを待っていた。察してくれたんだろう。
「来てもらったのは、これなんだけどな」
と言いながら、引き合い仕様書を手渡された。いつも見てきた連鋳機とは厚さが違う。
「ありがとうございます」
と受け取ったが、何も言わずに開くのをためらった。開く前に、ここは大事にしておいた方がいいだろうと畏まって言った。
「拝見させていただきます」

リヒートファーナス(再加熱炉)だった。ページをめくりながら、ざっと見ていった。連鋳機かと予想していたが、とっかかりにはちょうどいい。
連鋳機から出てきたスラブを定尺で切断して、ヤードに一時保管しておく。そこから熱間圧延にかける際にスラブを加熱するもので、大した設備ではない。制御の視点からみれば、エアポートの手荷物仕分けコンベアやスーパーマーケットの集配センターの仕分けラインの方がはるかに難しい。ラインに流れるスラブは定寸で扱い易い。大きいだけに搬送速度もしれている。手荷物もそうだが、特にスーパーマーケットの仕分けラインには指で摘める小さなものから、よいしょっと声をかけて持ちあげなければならない大きなものまで、しばし分速百メール以上の速さで流れてくる。
炉の温度制御にしても、頻繁に温度を上げ下げするわけでもない。特に注意しなければならないことなどありはしないと思いながら、指導を仰ぐような口ぶりで聞いた。
「スラブのリヒートファーナスですよね」
おお、少しは勉強してるようじゃないかって顔をして、
「そうだ。なにも特別なことないだろう。CCに比べりゃ簡単なもんだ」
「一週間もあれば、見積大丈夫かな」
「事業部が立て込んでなければいいんですけど、事務所に帰って即依頼をだします。出来るだけ早くとは言いますが、いつ頃になるかは、明朝ご連絡することでお願いします」
「まあ、多少遅れても構わないけど、もうテストじゃない。実案件だから、しっかり頼むよ」

スティーブ・ミラーの力もあるんだろう。四日後には見積が届いた。なんだ、一日もかかってないんじゃなか。やっぱり簡単なラインだよなと思いながら持って行った。
「おお、早かったじゃないか」
見積でもなんでもそうだが、余裕をもって期限内に出すのと遅れてでは評価が違う。
「ミラーからのプッシュもあって、事業部が割り込みしてくれたようです」
「さっと目を通して、小倉の部隊に送っておくから。そうだな一週間はかからないと思うけど、確認事項や質問がでてくると思うから、ちょっと待っててもらえるかな」
「小倉にはインランドで関係した方々もいらっしゃるし、ACのソリューションに詳しい人がいっぱいいるでしょう」
「まあ、いるっちゃいるけど、この案件は別の部隊がやってるから、おかしな質問もでてくるかもしれないぞ。覚悟しとけよ」
冗談半分の口ぶりだった。思ったより早くでてきたからか、機嫌がいいのはいいけど、面倒なオヤジさんだ。社内で知ってる人に訊いてからにしてくんないかな。こっちよりよっぽどよく知っている人がいくらでもいるんだから。
「了解です。愚生でわからないことは即事業部に問い合わせて回答しますので」

もうすぐ一週間になる。そろそろ何か言ってきてもよさそうなのにって思ってたら、電話がかかってきた。
「ああ、藤澤さん。妙に安いなって思ったら、あの見積もり計装が抜けてんじゃないか。小倉の方でもなんだこの見積って、文句言ってきた。どうなってんのかな」
言葉はやさしい。決して詰問するような口調ではないが、小倉に何かいわれたのだろう。また立場ということなのか、怒ってる。返事をする前に、
「ちょっときて来るかな」
失敗した。前もってPLCで計装もやってることを注意書きしておけばよかった。ACでは当たり前のことが日本では考えられないことだった。新居浜で話したときの驚きように、こっちが驚いたことを思い出した。
明日といわず、今すぐ飛んでいった方がいい。
「了解です。直ぐおうかがいします」

デジタル信号の処理とアナログ信号の処理の概略を書いた書類を手にでかけていった。
書類にある図を指して、
「ここをご覧いただければ」
まったくなんでそういう不審の目でみる。事業部だってバカじゃなし、計装制御を忘れた見積なんかだしてきやしない。ブロック図をみれば分かるだろうと思ったが、期待しすぎた。

新居浜に初めて行ったときと同じことを説明していった。炉の温度をA/Dモジュールで受け取って、そこでアナログ信号をデジタル信号に変換する。変換してでてきたデジタル信号をCPUモジュールで処理する。処理した結果をD/Aモジュールで、今度はデジタル信号からアナログ信号に変換して温度を調整する。処理に多少の違いがあるにしても、コンピュータの応用技術でしかない計装制御機器――ループコントローラもDCSも似たような処理をしている。

バリバリの技術屋でなくても、それなりの製造業にいれば、コンピュータは1か0のデジタル信号しか扱えないという本質的な限界は分かってるはずだろう。そこまで分かっていれば、温度や流量のようなアナログ信号をどうやってデジタル信号しか処理できないコンピュータで処理するのか?と考えていけばいいだけで、何も特別なことじゃない。
コンピュータへの入力段階でアナログ信号をデジタル信号に変換して、出力段階では逆にデジタル信号をアナログ信号に変換しているはずだぐらいの想像はつく。もし、想像もできないとなると、実務を通して体で覚えた上っ面の知識までしかもちあわせていないということになる。生粋の事務屋でもあるまいし、なんでこんな当たり前のことが分からないのか。

「うーん、言われてみればその通りなんだけど、使ったことないからなー、うん、わかったって気になれないなー。多分小倉の連中も似たような感じじゃないかな」
言ってることはわかるけど、コロンブスの卵のような発想の転換などというものとは違う。コンピュータ(CPU)はPLCに使われていようが計装制御機器に使われていようがデジタル信号しか扱えない。それをどうするのかと考えれば、必然としてA/D(Analog to Digital)コンバータとD/A(Digital to Analog)コンバータというものがあればというところに考えが至る。

まったく丁寧に説明してやってるのに、ピンとこないじゃで済まされちゃ困る。
「そうですね。一度小倉に物も持ち込んで、ループコントローラの代わりをパネコンでしてますけど、CCのシミュレーションのデモご覧頂いければと思うんですが、どうでしょう」
小倉の部隊の日程に合わせて、先にいつものシミュレーションセットを宅配便で送って出ていった。

小倉は出張先としては行きすいほうだが、福岡に飛ぶか小倉にするかで迷う。福岡空港に飛んで、新幹線で小倉に戻ってそこからタクシーの方がフライトに便数があるから楽といえば楽なのだが、新幹線を使わなければならない分だけ高くつく。小倉空港ならそんな手間もかからない。ただ、朝と夕方に一本ずつしか便がない。朝の便だと、小倉駅に十時過ぎについてしまう。十一時には日鉄に入れるが、話は午前中では終わらないから、昼休みをはさんで続きになる。
いつもどっちの方がと思いながら、小倉空港に飛んで小倉駅の周りで二時間以上時間を潰していた。駅をでたところに無法松(?)の銅像が立っている街だけあって、駅を出てすぐ右の路地に入れば、まだ朝の掃除も終わっていない胡散臭い店が並んでいる。まだ十時をちょっとまわったばかりなのに、もう角打ちの立ち飲みの店は賑わっている。浅草でも朝からやってる店があるが、浅草のように雑多な店がないぶんモノクロのような凄みがある。路地を歩いていると、先の角から高倉健のようなのがすっとでてくる映画の一シーンにいるような気になってくる。

四、五十人は入れる大きな会議室だった。学校のように机がきちんと並んでいた。講師の机の横にデモ機器を置く机が用意されていた。最初は大阪支店で、そのあと新居浜で二回もやってるから、慣れたもんでさっさと機器を並べて接続していって準備完了。

ぞろぞろと入ってきた。もう十人以上はいるのに、まだ入ってくる。三十半ばか四十を超えたあたりのバリバリの技術屋が二十人近く、なんでと思うほどきちんと右と左に分かれて座っていった。なんだこの右と左はと思いながら、説明していった。
資料を見ながらの説明も終わって、ハンズオンというほどでもないが、パネコン上でしかないが好きなように触ってもらった。パネコン上に表示されたループコントローラを見ながら、設定温度を変えて動作をみていた。三、四人が一緒になって、順繰りにデモシステムを見ながら、何人もが似たようなことを言っている。
「ああこういうことなのか」
「こういうことなんだよな。なんで日本にないんだろう」
「でも、こんなもんもってきたら、どうすんだ、おい」
「なんか時代を感じるな。いつまでも別々ってのがおかしんだよ」
最初にアナログ信号をコンピュータで扱うにはというところから説明しているから、もう何をどうしているのか分かっている。それを実機でみて納得している。

もうシステムの紹介は十分だろう。
「何かご質問、おありでしたら」
と言い終わらないうちに、
左側の一番前に座っていた年配の人がまるで総括でもするような口ぶりで、
「いやー、今日はいいものを見せて頂いてありがとうございます」
「海外調達からは聞いていたんだけど、PLCで計装も出来ちゃうというのを、それも昨日今日の話じゃなくて、ずっと前からだって、実物を見せてもらうまでちょっと思いつかなったな」
と言いながら、後ろに座っている人たち、そして右側に座っている人たちを見渡した。
みんな納得しているようで、腕を組んで目をつむっている人もいれば、頷くように頭を縦に振っている人までいた。

これで終わりだと思った時に、右側の列の中ほどに座っている人が立ち上がって、
「ここにいるのは電気制御の部隊と計装制御の部隊なんだけど、オレも含めて、こっちが計装部隊で、あっちが電気制御なんだけど、確かにPLCで計装までできちゃう。機器のコストもシステム開発のコスト下がる。いいことばかりなんだけど、どうすんだろう」
といいながら、右の列の人たちを見ながら、左の人たちの方へ目を向けた。
そこから右の列の人たちと左の列の人たちが体面するように体を捻って話し始めた。
誰もが、このシステムはいい。本来こうあるべきなんだよなと言いながらも、でもどうすんだと言っている。何をどうすんだと言っているかわからずに二つのグループの話を聞いていたが、よくわかない。

今度は、左の列の一番前に座っている人が話をまとめようと立ち上がった。
「さっき、xxxが行ったように、ここには二つの部隊、一つは電気制御、もう一つは計装制御がいて、いままでずっと別々にシステム開発してきたんですよ。電気制御はPLCで計装制御はDCSでって。ところが、PLCで両方できちゃうとなると、職務分担をどうすればいいのかって話になっちゃって……」
その先の言葉がない。大きな二つの所帯を統合するとなると、今までやってきたことをどういう形で引き継ぐのか、既設のメンテナンスや改善なんてのもあるしで、お互いどうするって話になっていた。どうするかってまでならまだしも、気味が悪いというのが聞こえてきた。

「確認するけど、みんな今日のPLCシステムの紹介はわかったよな」
なかにはああという声もあるし、うんと頷いている人もいた。
「困ったな、どうするかな。できるのは間違いない。コストも下がる。でも、慣れてないというのか、どうしているのかちょっと気味わるいな。どうするかな」

「いえいえ、弊社のドライブ・システムのありようをご理解いただけば、あとは御社のご都合次第で、なにかあったら声をおかけ頂ければ……」

どうしようかって? 否が応でもそのうちコストに尻を蹴飛ばされる日がくる。どこも円高ドル安もあって、価格競合できつくなってる。押すまでの事もない。いくらもしないうち転がってくる。遠い先の話じゃない。待ってりゃいい。でも転がってきたときには、今日お会いした方々の何人もがリストラになっているかもしれない。リストラの原因を紹介に来たような感じで後ろめたい。工作機械メーカでもそうだったが、技術開発というのか新しい技術を導入するということは、即人減らしにつながる。嫌な稼業だ。

p.s.
<デジカメやスマホも>
アナログだデジタルだとどこか違う世界の話のように聞こえるかもしれないが、アナログ⇔デジタル変換は身近なところで毎日お世話になっている。光と音を例にとってみる。明るい光もあれば暗い光もある。大きい音もあれば小さい音もある。光も音も自然界にあるもので、そのままではコンピュータで扱えない。扱うためのプロセスは、自然界の情報を電気量に置き換えることから始まる。光の明るさに応じて電気量に置き換える、音の大きさに応じて電気量に置き換えるセンサーが必要になる。光が明るければ、音が大きければ、センサーが置き換えた電気量も大きくなる。この電気量、そのままではアナログ信号でコンピュータでは処理できない。そこでアナログ信号からデジタル信号に変換する。デジタル信号にしてしまえばコンピュータで処理できる。処理した結果としてコンピュータが出力するのはデジタル信号なので、デジタル信号からアナログ信号に変換して、目に見える画像となって表示され、耳で聞ける音として出力される。なにも特別なことじゃない。

2020/8/23