えっ、先生ですか、(改版1)

アメリカ支社はボストンの西の郊外Walthamにあった。Walthamは製造業の町で、往時はWatch Townとして知られていたらしいが、赴任した二〇〇二年には自動車修理工場や小さな町工場が点在する寂しい町になっていた。ダウンタウンに青春映画の一コマにでてきそうな店がいくつか並んでいたが、時代を感じさせる派手な色のパーキングメータが目に付くだけで、いつ行っても人通りは少ないし夜は早かった。
支社の会計監査は、南に十五分ほど行ったWellesleyにある公認会計士事務所にお願いしていた。そこは、小さな会計事務所で数人でやりくりしていた。クライアントの多くが個人経営や零細企業で、経理に関する知識がほとんどない。会計事務所として監査しようにも日々の経理データがあてにならない。日常の経理作業をそのままにしておいたら、四半期ごとの締めですら一仕事で、決算時には監査どころではなくなってしまう。

最低限の経理の知識をと説明を繰り返してはみたが、どうにもならない。危なっかしいクライアントに毎月出かけて、経理業務がちんとできていることをチェックして、最低限の経理データを残せるようアドバイスしていた。アメリカ支社も、そんな危なっかしいクライアントの一社だった。
ただいくら説明してもチェックしても、どうにもならないクライアントがある。そんなところには、公認会計士としてしてはならないサービスを提供していた。極端な場合、自分で作成した決算報告書を自分で監査するという法に触れることまでしていた。

毎月お世話になっているうちに、会計士事務所の社長と月に何回かは飲みに行く仲になっていた。ちょっと飲みすぎたとき、サンフランシスコ出身で、学生時代は長髪をポニーテールにまとめて、ベトナム戦争反対のデモにあけくれていた、と思い出話を聞かされた。メシを食いながら、日本酒かビールを飲みながら、二人でしばしばEconomistの記事を引き合いにして、それこそ世界中の社会問題や経済問題から当時話題になっていたローマ法王の選出の背景まで、なんでもかんでもああだのこうだの言い合っていた。

業務上の機密にはしっかりした方で、他のクライアントの名前を聞くことはなかったのに、ある晩いつものように飲んでいたら、珍しく会計事務所の人員と業務のことを話しだした。
「うちはそれほど多くのクライアントを抱えているわけじゃないけど、手間のかかるところが多くて……」
こっちも、その手間のかかるクライアントで耳が痛い。溜息をつきながらは分かるが、こっちの顔をみないでくれ。その日は棚卸作業を一緒にやってもらっていた。従業員を二チームに分けて毎月棚卸をしていたが、どういうわけかいつも販売在庫が合わなかった。しょうがないからと、毎月公認会計士と部下の二人にも手伝ってもらっていた。

「そこで新聞で公認会計士を募集してみたんだ。応募してきた人のResumeをみて、どうしたものかって、ちっと考えこんじゃった。ボストンの有名な大学の准教授なんだよ。准教授はいいけど、会計の実務は大学で勉強したくらいでできるようなもんじゃない。その辺りのこと、フジサワさん、わかってんだろう」
その分かってんだろうって、じゅうぶん分かってますけど、言わないでくんないかな。わかってんだから。
「良くも悪くもどこまでマッサージしなければ、できるのかってのが下地にあっての仕事だから。立派なResumeなんだけど、実務経験が全然ないし。もし、うちに来られたら、クライアントの実情なんか考えもしないで、会計理論を振り回すだけじゃないかって。そんなことされたら、仕事どころじゃなくなっちゃう。会計理論でなんとかなるようなクライアントは一社もないから、丁重にお引き取り願った」

数か月前に、山のような不良在庫を帳簿から外すためにright-offした。いつかしなければならないことだったが、あまりの額に、バランスシートのバランスが崩れて、やり直してマッサージしなければならなかった。決算報告書なんてものは、濃いの薄いのはあるにしても、見栄えよくマッサージという化粧したものでしかない。すっぴんの決算報告書など歴史上にもあったためしはないと思う。なんでもそうだろうが、ビフォアーアフターのビフォアーは人様に見せるものじゃない。

准教授の話を聞いて、昔どこかで聞いたことのある「できるヤツは教えない」という言い草を思い出した。この「できるヤツは教えない」というのは、教えないのではなく、自分の仕事とその関係で忙しくて、教えてる暇というか時間が、あるいは精神的な時間がないという意味だった。
でもちょっと考えると、「できるヤツは教えない」は的を外しているとしか思えない。「できないヤツが教える」あるいは、「できないヤツは教えるしかない」とでも言いかえた方がいい。新兵訓練の教官は戦場で優秀な戦闘員にはなれないだろうし、戦場にいる兵士は自分のことで精いっぱいで、新兵訓練の教官にはなり得ないのと似ている。

話がちょっと飛ぶが、八十年代の初頭、三十過ぎからの三年半、技術書類の英訳で禄を食んでいたことがある。その時に経験したことと、会計学の先生が使いものにならないという情けない状況には共通したところがある。
技術英語などというジャンルがあること自体に生理的な嫌悪感があるが、メシを食っていく必要に迫られて勉強した。当時、今もたいして変わらないだろうが、ちょっと大きめの書店に行けば、技術英語や工業英語と題した本が何冊もならんでいたし、月刊誌まであった。

どれにも共通の致命的欠陥があった。まず、著者の技術一般に関する基礎知識が怪しい。技術に関してはしばし枯れた領域の、それも非常に狭く浅いレベルの知識があればいい方で、多くは言葉として知っているだけにすぎない。著者のなかには、ただの数字表現のテクニックの解説に終始した英語使い?の先生すらいた。
技術英語の出版物の世界では名の知れた、有名私立大学の教授が書いた工業技術英語なんとかという本を、肩書につられて買ってきた。途中まで読んだというか、途中でバカバカしくなって捨てた。とても読み続ける気にはならなかった。時間がもったいない。

同僚の翻訳者の一人が、技術翻訳入門というようなタイトルの連載記事を月刊誌に寄稿していた。仕事をよこで見てきて、彼の翻訳というか技術面での知識、英語使いとしてのテクニック……はっきり言えばプロ?の翻訳者として能力は分かっていた。翻訳者としては三流のはるか下、流がつかない。怪しいというより愚訳製造機のような人だった。パブロフの条件反射のような悪い癖が付いていて、例えば、「変速」という日本語が目に入ったら、機械的に指が動いて「gear shift」とタイプする。ここでは、電磁クラッチの入り切りでどのギアトレインを有効するかを決めているので、ギアのシフトはありませんよと言っても、それが理解できない。座右のコンピュータメーカの用語辞典には、確かに変速はgear shiftと載っていた。ただ、それだけだった。歯車とは何か、変速は?、シフトは?、何も知ろうとしない人だった。

たいした経験ではないが、いくつかの教訓めいたことが言える。
1) できるヤツは教えている物理的、精神的時間がないから教えない。なかにはそれでも、教えようとする立派な方々もいらっしゃる。こうありたいと願っている。
2) できないヤツは、実戦では使い物にならないから、教える場に住処を見つけて、実戦の場を知らない学生や知識の足りない社会人に、そのままではとても使い物にならない知識を、あたかも金科玉条のものとして売りつける。日本の大学の先生方の何割かは、世界でもそうかもしれないが、このカテゴリに入りかねないのではないかと、要らぬ心配をしている。
所詮、社会経験もないにもない学生相手。「舌の肥えた客がいなければまともな料理人は育たない」ということを思えば、そのお寒い程度は想像できる。
3) ありがたく賜った金科玉条を持って社会で実務に使用しなければならない立場になって、はじめて金科玉条が使い物にならないと気がつく人もいる。
4) 実務で使用する機会がない人は、金科玉条を信じたまま幸せな人生を送る。使わないからトラブルこともない。保証内容とか保証期間を気にすることもない、買っても何回か使っただけでお蔵入りのジューサーのようなものだ。
5) 教育関係も出版関係も、名の通った大学の先生方の看板があれば、そこそこ売れてメシの種にはなる。多少でもまともな感覚を持っていたら恥ずかしくて表に出せないようなものでも十分ビジネスになる。
その程度のものの方が、何も知らない、見掛け倒しの金科玉条をありがたがる客層には合っている可能性すらある。
6) 仕事の必要から、日本とアメリカのビジネススクールで使われている教科書に相当する本を何冊も読んだ。世界ではその道のグルと崇め奉られている先生の主張というのか解説、これ以上はないというほどきれいに理路整然としている。見た目は豪華なごちそう、ところがちょっと込み入った戦場では、なんの役にも立たない。立たないまでならまだしも、そんな机上の空論ともつかないものを聖書かなにかのように振り回すバカがでてくるから質が悪い。大げさにいえば、そんな単細胞が戦場に一人いると、部隊全体の生死にかかわることすらある。
経営学の先生、立派な理論はいいけど、競争の厳しい業界の民間企業の経営に責任のある立場で関与したことがあるのか、素朴な疑問がなくならない。

お互いの程度にあった需要と供給ということなのだろう。看板だけや使い物にならない金科玉条が価値のある世界ではそれはそれで価値があるということだろう。
2020/6/10