宝山鉄鋼へ(改版1)

「ジェフ・イェン」の続きです。
http://mycommonsense.ninja-web.net/business14/bus14.7.html

ホテルの黒服にイェンに書いてもらった紙をみせて、タクシーの運転手に伝えてもらった。タクシーに乗ればなんということもなく着くとは思うけど、念のため書いておくからと渡されていた。そこには宝山鉄鋼内「宝山賓館」と書いてあった。宝山鉄鋼は大きいから、ただ宝山鉄鋼と言ったら宝山鉄鋼のどこに着くのかわからないと言われたが、その通りだった。

タクシーが人影のない空き地だらけの中を抜けていった。そんな景色が変わったと思ったら、宝山鉄鋼に入っていた。軍隊行進でもできそうな広い通りの両脇にも、あっちにもこっちにも似たよう大きさの建物がきちんとならんでいた。そこは製鉄所というより一つの大きな町だった。時代を感じさせる百貨店のような建物もあれば、人目をひく装飾がついた劇場か映画館としか思えないものもある。この広さだから幼稚園から高校まではまちがいなくある。もしかしたら大学と名のついた職業訓練校ぐらいあるかもしれない。公園はもとより病院や福祉施設も充実していそうだ。
なんでもありそうだが、日本で目にする企業城下町とは違う。企業城下町には時間の流れに洗われた栄枯盛衰の跡が見える。そこには機能を優先して短時間で作り上げたものにつきものの無機質感があった。
日本にも巨大宅地開発で、きちんと整理されて泥臭さのないところもあるが、規模が違う。計画され、管理されているのは街並みだけではなくて、そこで働く人たちや住んでいる人まで?と気になる異様な風景だった。

賓館というから、立派な建物を想像していた。「賓」には、うやまうべき人とか客という意味がある。賓客を迎える迎賓館がそこらの安旅館に毛の生えたようものであるわけがない。ところがタクシーを降りて目にしたのは、安普請のコンクリ―ト打ちっぱなしの薄汚れた、映画にでてくる戦前の建物のようだった。
守衛のような人はいたと思うが、フロントと呼べるようなものがあった記憶がない。入口を入ったら目の前に大きな黒板にチョークでかかれた今日の商談か技術検討会の日程が書いてあった。蜜に群がる蟻のように世界中から製鉄設備メーカやエンジニアリング会社がならんでいた。イギリスやフランス、ドイツやオランダにイタリアやオーストリアからの老舗に混じって日本からも主だったところがきていた。直接応札している会社だけで、その後ろに控えている制御屋の名前はない。ACが書かれていないことにほっとした。ヨーロッパ勢の後ろにはシーメンスが鉄壁の体制で控えている。ACの総売上はシーメンスの収益にもみたない。恐竜を恐れて逃げ隠れしていた哺乳類の祖先のような存在だった。下手に表にでればシーメンスの主力部隊に押しつぶされる。シーメンスの要塞のような壁をなんとかくぐり抜けようとACのヨーロッパ支社が動き回っていた。アメリカとヨーロッパ各国の支社と日本支社の間でメールと電話メッセージが行きかっていた。

待ち合わせ時間には早すぎる。入口で突っ立てるもの気が引けて、表に出て何をするでもなく通りを見ていた。もうみんな職場について忙しくしているのだろう、自転車も車も少ない。だらっぴぃろい道がずーっと先のビルにまで続いている。薄曇りのさえない陽ざしに大気汚染もあってだろう、どっちをみても、しらっちゃけた灰色にしかみえない。住めば都とはいうけれど、こんな街に住んで働いて、買い物も娯楽も敷地内かと思うと、仕事の前に精気を抜かれていくような気がした。

外からくるものだと思って、入り口の前に立っていたら、後ろから声をかかられた。思わぬ声に、えっと振り返った。そりゃそうだ、この賓館の何階かに泊まっているんだからと気がつくまでにちょっと時間がかかった。
挨拶も済まないうちに黒板をみながら、ついしょうもないことを訊いてしまった。
「黒板にみんな書いてありますけど、いつもあんな調子なんですか」
一瞬うん?という顔をしたが、直ぐに何を言っているのか気がついたのだろう。ちょっと見上げるように顎を上げて、
「そうだな。いつ来てもあんな感じだな。ここに来ればみんないる。仲間になることもないし、どこの誰だか知らないけど、いつも似たような顔ぶれだよな」
と部長が課長に振った。
「そうですよね。日本の会社とはチームになることあるけど、海外は知らないな。なんども顔はみてるけど、挨拶するような仲でもないし」

いつになったら来るんだと思っていたエレベータのドアが何でと思うほどの大きな音をたてながら開いた。音だけならまだしも、位置が合っていない。階段にして一段以上上で止まっていた。こんなものに乗って大丈夫なのかと躊躇った。二人にとってはいつものことなのか、昨日着いてそういうもんだと経験したからなのか、何も気にすることなく、よいしょという感じでエレベータに乗った。まあ位置がずれていているだけで落ちやしないだろうが、調整が悪すぎる。がたがたしながら止まってドアが開いたが、今度は頭を下げてまたぐ感じで床に下に降りた。エレベータは入って出るものではなくて、乗って降りるものだった。一度でも体験すると妙に説得力がある。それにしても、これが賓館か、貧館の間違いじゃないかと冗談の一つも言いたくなる。

もうちょっと大きな会議室にすればいいのにと言いたくなるほど、びっしり詰まっていて息苦しい。日本と逆で賓館に泊まっている賓客が廊下側で、細長い部屋の窓を背にして中国側が座っていた。窓から後光がさしているようで、なんとなく気圧される。宝山鉄鋼の人たちに武漢の設計院から技術評価の一人だった。口を開くのは真ん中に座った担当者と隣に座った設計院の人だけだった。あとの五六人は合議制のしくみなのか、ときたま畏まって出来の悪いロボットのよう声を合わせて「すーだ(是的)」というだけだった。話の流れが分からなくても、みんなが「すーだ」と言ったら、ああ一つ結論がでたんだなと分かる。

廊下側に日本の大手商社の数人を一番奥に、水処理システムを見積もっている大手エンジニアリング会社、そして日造の部課長と続いて、一番ドアに近いところに座った。部屋の奥まったところに議長席なのか責任者が右に書記なのか秘書を控えて、左には日中の通訳がいた。通訳を通して話が進んでいくのだが、どう考えてもおかしい。通訳、本来であれば、商談相手のどちらにも与さない人でなければならないはずなのに、明らかに宝山鉄鋼の従業員だった。他の技術検討会同じなのだろう。相手がイタリアからなら中伊通訳、ドイツなら中独、フランスなら中仏の通訳を連れて用意万端。さすが宝山鉄鋼ということなのだろうが、それじゃ対等の話し合いになりようがない。

水処理プラントの話が進んでいったが、中国側が同じことというのか、似たようなことをなんどもなんども確認していた。
「提出して頂いた技術資料に、環境関係も含めてすべての設計基準が網羅されていると考えていいのか」
「弊社が従来から設計の基礎としている規格や基準は全て提出している。これ以上のものは弊社にもない」
そこから水処理システムの構成要素別に、提案された設計が提出した設計基準に適合していることを逐一確認していった。
もう十二時もとうに過ぎて一時になろうとしていた。いつまで続けるのかと思っていたら、議長の一言で通訳が、
「時間も時間ですので、ここでお昼休みにしましょうか」
後ろで聞いたら、日本人としか思えないというより、下手な日本人より場所柄をわきまえた、そして通訳として裏方の存在でしかないことを韻に含んだ立派な日本語だった。

日造の部課長について賓館の食堂にいって驚いた。体育館ほどもある巨大な大衆食堂だった。二人の話を聞きながらついあれこれ頼んでしまった。味は日本の気の利いたチェーン店より落ちるが量だけは一人前以上ある。昨日の晩餐よりはるかにいいが、味より量で満足する大衆食堂にかわりはない。

午後やっと日造の出番が来たが、作業は似たようなもので、見積もった提案内容の裏付けの設計基準と技術資料の確認が続いた。
水処理システムもそうだったが、中国側の質問は提案した機械や装置の内容ではなく、その機械や装置の設計基準だった。物を買うとより物を作る指針となる技術の吸収にしか興味がないようにみえた。技術的な確認を今日中に済まして、今晩中国側で整理して、明朝再開ということで終わった。一日中ただ座って話を聞いているだけでなにもない一日だった。

翌朝同じようにエレベータの前で待ち合わせて、会議室に入っていった。日本側はみんな揃っているのに中国側がぽつぽつと入ってきてなかなか全員揃わない。三十分もすぎてやっと全員揃った。悠久の時間が流れているお国柄、一分でも遅刻しようものなら、煩く言われる日本よりよっぽど人間的じゃないかと、変な親しみを感じて薄ら笑いがでそうだった。

昨日は水処理システムシステムで午後も結構な時間をかけたからなのか、朝から連続鋳造機の話になった。すでに何台もの連続鋳造機を使って、多分コピーまで作っているのだろう。なんでそんなに細かなことまで聞いてくるのか。それはユーザーとしての質問ではなく、メーカとしての質問じゃないかと気になった。日造としてはできるだけ表面的なところまでに抑えて、自社のノウハウに関係するところは話したくない。繰り返し聞いてくることに、答えながらもなんとかすり抜けようとしているのが見える。二人でどこまで話すか、どこからは絶対話してはと相談している。中国側が一二分話すと、日造の二人がああだのこうだと十分二十分話し込む。それを宝山鉄鋼の通訳が、いかにも通訳でございますという体面をつくりながら、二人の話を小声で通訳している。極端にいえば、「部長はここまではいいけど、その先はって言ってます。こんなことを言ってくるでしょうけど、こう聞き返して押し込めば話をひきだせると思いますよ」とでも言っているような気がする。こんな勝負、どうみたって勝ち目なんかありっこない。一体この人たちは何年中国とビジネスをしてきているのか。誰も彼もが昨日今日ってわけじゃないだろう。なぜ通訳を客先に任せっきりにしているのか。この先いつまでこんなことを続けるつもりなのか。

やっと設計基準とその設計基準を満足する製造というのかやり方まで聞き出したのだろう。十五分ほど休憩になった。
十五分?いいや朝の集まり具合から三十分まではいかないにしてもと思っていた。みんな日常業務で忙しいのか、それとも職場にもどってChina ACのようにお茶っ葉が沈むのをまっているのか、早々簡単には戻ってはこれない。それでも中国側にはイライラしたような様子はない。時間を気にしているのはせせこましい日本人だけだった。
全員揃ったところで、責任者が左右の出席者の顔を見渡して言った。通訳が事務的に、
「中方としましては、こことこことここと……にパソコンを一台ずつ追加して頂きたい」
通訳に合わせて担当者が図面を広げて指さしていった。日造の二人がまたかという顔をしてこっちを見た。なんでオレを見ると思っていたら、設計院の人が何か言った。ちょっと慌てた口調で通訳が、言い忘れたかのような口ぶりで、
「そうですね。二台抜けてました」
何がそうですねだ。担当者が見渡した時の何人かの表情が変わったのを見て、一瞬何なんだと思ったが、そういうことかとあきれた。設備に合わせて、自分たちが使うパソコンを持ってこさせよう、オレの一台だという嬉しさがこぼれていた。設計院の人も自分に一台、お土産かもしかしたら自宅用にもう一台ということなのだろう。自分で言うのではなく通訳を通して、通訳はただ通訳してるだけですよって、涼しい顔をしている。いつものことなのだろう、表情一つ変えずにへいへいと言ってのける。

「藤澤さん、どうなんだろう」
なんでここでオレに振ってくる。パソコンなんかアメリカで買って持ってきたら、それだけでも手間だろう。日本で勝手に買えばいいじゃないかと思いながら、
「えっ、まさかアメリカで買って持ってくるってわけじゃないですよね。日本で御社で調達すればすむことじゃないですか」
「いや、だからそっちで」
「そっちでって、こっちで買ったら、発注からなにからの費用が上乗せされるだけで、その分高くついちゃいますよ」
はっと思って通訳をみたら、こっちの話を聞いて逐一説明している。なんだこの馬鹿話はと思って話を切った。
「弊社としては、どっちでもいいです。日造さんのご判断にお任せします。ただタダで持ってこいと言われても、一応アメリカの会社で煩いんで、どうにもできないと思いますけど」
そんな商談というより一方的な掠奪のような話が続いた。

そろそろ時間も時間だし、「技術検討会」も終わりかな思っていたら、担当者がとってつけたような笑顔で何かいった。それを通訳がしれっと通訳した。
「中日友好に基づいて、水処理システムは中方で行うことにしました」
何を言われたのか分かるまでにちょっと時間がかかった。散々設計基準からなにから基礎資料を提出させておいて、自分たちでやることにした。あんたらご苦労さんだったねとも言わない。
似たようなことは何度も経験してるんじゃないかと思う。誰も何も言わない。これが中国ビジネスかと思うと、深入りだけは避けなければと思った。体のいいぼったくりだ。

p.s.
<日清戦争の賠償金から始まった>
数か月前に財閥発祥の中核ともいえる重機械メーカの営業マンが、えっ、そんなことも知らなかったのと笑いながら、歴史の裏話を教えてくれた。
「日清戦争ったって、あのころは軍艦もなにも主だったものは、みんなイギリスかどっかから買ってきたもんだったでしょう。当時の日本には繊維産業なんかの軽工業しかなかったじゃないですか。戦艦も大砲も鉄道もと思っても、近代製鉄所がなかったからどうにもならなかったんですよ。今は半導体で『新・石器時代』なんて言ってますけど、当時はビスマルクじゃないけど『鉄は国家なり』だったんです」
たしか中学校の社会科の教科書にそう書いてあった気がする。
「そうですよね。官営八幡製鉄所が日本の重工業の始まりですよね」
「そう。そうなんですけど、その官営八幡製鉄所を作る金、どっから出てきたか知ってます?」
「当時の民間にそんな資金があるわけないから、国家予算じゃないんですか」
「民間にどころか明治政府だって、そんな金ないですよ」
ないって、どこからと思っていたら、当たり前のような口ぶりで、
「日清戦争の賠償金ですよ。清朝の年間予算に相当する額だったって聞いてますけど」
ほんかよという顔をしていたんだろう。覆いかぶせるように得意顔で言われた。
「ほら、だから毛沢東の時代に中国にも近代製鉄所をと請願されて、日鉄が出自のうしろめたさもあって、一億二億なんてもんじゃない、とんでもない額の金をどぶにすてたって、この業界ではもっぱらの話ですよ」
へーって思っていたら、
「ほら、『大地の子』の舞台になった製鉄所ですよ」
「だいいち、なんで北九州なの?中国の鉄鉱石と石炭をと思っての立地としか考えられないでしょう」
「もっとも財閥の生い立ちをみれば、うちは日鉄以上でしょうね。戦争が終わるまでは、めちゃめちゃ儲けたと思いますよ」

もっともらしい話を聞かされていたこともあって、パソコンの五台や十台、ケチケチするなという気もなる。それでも設計基準まで全部吐き出さされて、こっちでやることにしたってのはないだろう。歴史をみれば、誤差の内でしかないにしても、担当者としてはやってられない。「江戸の敵を長崎で討つ」ってのは聞いたことがあるが、清朝の敵を人民共和国でってものねぇー。
2020/10/05