ビザなしで捕まった(改版1)

「宝山鉄鋼へ」の続きです。
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また日造からお呼びがかかった。もう通い慣れたというより通い疲れた。またかよと思いながらも、来いと言われて、ちょっと忙しんでとも言えない。失注なら失注でいい。なぜ失注したのかまで問い詰める気もない。
日本の競合を追い出して日造は取ったが、肝心の日造が出ると負けを繰り返していた。事業部ならずとも、いつになったら受注できるのか? 受注の可能性はあるのか判断をせまられる時期にきていた。困ってなければ話も聞いてもらえないが、沈んでいく船にお付き合いで乗っているわけにもいかない。

口にはださないが、日造との関係が当初とは変わってきていた。もしACが引いたら、日造は受注どころか応札を続けるのも難しくなる。日本メーカのドライブ・システムでは高すぎて話にならない。ただ制御機器屋をいくら叩いたところで、オーバースペックになってしまった機械本体が高すぎて焼石に水でしかない。自助努力が足りないのか、機械本体の完成度が高すぎて、したくてもできないのかは分からない。
いくら制御機器のコストをさげたところで、どうにかなるようなことではないことぐらい分からない人たちじゃない。連鋳機では日本の最大手、何らかの対策ぐらいと思うが、これといった効果のある策がでてきそうな気配は感じられなかった。

予選も通過できない負け戦のあとで、きまって体育会系の常套句「次は頑張らなきゃな」を聞かされた。頑張るって何を?という疑問だったうちは、まだよかった。どこかに頑張れるところがあるんだろう。まさか頑張りようもなくなって、そうとでも言うしかなくなって? そうは思いたくはないが、その可能性は否定できない。でも、だからといって放りだすわけにもいかない。一分の可能性を求めて走るしかない。
いつまで経っても、あるのは引き合いに「頑張らなきゃ」だけ。見積一つ出すにも多分十万円はかかる。せめて見積もったプロジェクトがどうなっているのかぐらい教えてくれたっていいじゃないか。こっちだって事業部に報告しなければならない立場にいること、少しは気にしてもらえないかと思った。

電話の声から、今回はもしかしたらショートリストに残ったのかという期待があった。今日はもう「ご注文は」と聞いてやろうと出かけて行った。
訊く前に言われた。
「来月、また技術検討会なんだけど、大丈夫だよね」
付けたし程度の期待はしていたが、半分耳を疑った。えっ、今度はショートリストに残ってんのか。それもともう一歩でショートリストに残れるのか。

業界やアプリケーションによって違いはあるだろうが、大きなプロジェクトになると世界中の主だったところが応札してくる。誰も応札してくれなければ困るが、いつまでも誰も彼も相手にしているわけにはいかない。機能や性能からふるいにかけて数社選ぶ。そこから価格と附帯事項へと移っていって、最終的に二社残す。
虚実もまじえて二社に競合させて、ここならというところに発注する。二社しかないのに、リストもないだろうと思うが、この二社になった時点の応札会社のリストをショートリストと呼んでいた。価格のせめぎ合いから附帯事項になってくると忖度どころか、あからさまな組織あるいは個人的な要求が臆面もなくでてくることがある。

中国国内でやって露見したら大変なことになる。そこで工場見学という口実で、ヨーロッパやアメリカに招待して観光接待漬けもあれば、国家プロジェクト級になると高官の子弟を従業員として雇って、本国の大学に送ることまでやっているという話を聞いたことがある。そんなこと、雲の上の話でと思っていたら、あるとき造幣局の偉いさんのご息女?に会った。バーミンガム大学を卒業して帰国したけど、やる(やれる)ことないから暇つぶしに造幣局傘下(?)の会社で通訳をしていた。アルバイトなのか名刺も持ってなかった。会議も終わって、彼女の案内で北京観光に連れ出された。社外に出ると口が軽くなるのだろう、来年にはAirbusに就職が決まっていると言っていた。ずるいじゃないかと皮肉の一言をと思っても、まだみんなには内緒だけどねと屈託ない。明治期以降の日本もこんな感じだったんだろう。

納入実績や競合との力関係、さらには間に入った商社や金融機関の後押しも含めて、ショートリストに残れるかどうかが最初の関門になる。実務の視点でいえば、ショートリストに残れる可能性のないプロジェクトには、お付き合い程度の見積で済ませるだけの見極めが求められる。応札するだけでもかなりのコストがかかるし、外注先やパートナーへの負担も考慮しなければ、長い付き合いをしてもらえなくなる。

「ああよかったですね。そろそろ事業部もうるさくなってきたし、状況報告もしなきゃならないところなんで」
ちょっと待て、なんで「状況報告」って言った途端に引くんだと思いながらも、笑顔は崩せない。
「この前はただ座ってただけで、何も訊かれなかったんですけど、今回はどんな話になるんですかね」
そこで口ごもるかね。もううちにできることは何もない。あとはそっち次第なんだから、掛け声だけじゃなくて、頑張ってもらわなきゃ困るんだけど。
「いや、特別何ってないけど、なにか細かなことを言ってくるかもしれないし」
なんだ、その「しれないし」ってのは。納入実績もあるし、付き合いも長いんだし、次のステージがどうなるかぐらいの予想できないわけじゃないだろう。何考えてんだろう、この人たちと思いながらも、差し出がましいことを言える立場でもない。
「ソフトウェアの中身なんか、細かくもなにも、表に出せるものなんか、何もないですけど。何か用意したほうがいい資料、ありますかね? まだ時間もあるんで、揃えるものは揃えますから」
そんなものありっここないと思いながら言った。付いて行ったところで何があるとも思えない。行ってもやることないし、行かなくてもいいんじゃないですかと言いたくなる。

ああ、そうそうという感じで、話をずらしてきた。都合の悪いところから目を逸らし続けてきたのだろう。いつまで続けられると思っているのか。遠からず行き詰る。もしかしたら、もう行き詰って底が抜けてしまっているのかもしれない。
「もし、工場見学に行きたいんだけどなんて話がでたら、即答しちゃだめだよ」
「ええ、即答するもなにも、事業部に聞かなきゃ、わかんないですから」
「いやー、そういうことじゃなくて」
そういうことじゃなくて何なの?
「随分前になるんだけど、工場見学に来たいってんでOKしたら、大変なことになっちゃって」
もう、笑い話の顔になっていた。
「何人来たと思う」
「えー、そうですね。五人とか十人ですか。それとももっと?」
アメリカや日本とは違うんだよという顔をして、
「そんなもんじゃないよ」
「そんなもんじゃないって、どのくらい来たんですか」
何を考えているようでもないのに、うぅーんと顔を上に向けてから、
「そうだな、多分四百人は下らないな」
耳を疑った。どこかのマンモス私立高校の修学旅行でもあるまいし。
「そんなにいっぱい、何しに来たんですか」
「何しにって、会社の金か俺たちの金を使った観光旅行しかないじゃないの」
「泊まるところだけでも大変でしょうけど、どうやってそんな数さばいたんですか」
左から右え、右から左へと交通整理でもしているかのように両手を振りだした。
「そりゃ、大変だったよ。社員総出で、泊まってることろから毎日大型バス何台も連ねて……」
「その費用は、こっち持ちでしょう」
「当たり前じゃないの。当然のようにお土産まで用意させられたから」
「でも、まだ観光であちこち行っててくれればいいんだけど、そんな団体が工場見学なんてんで、あちこち歩き回れたら、そりゃもう手が付けられなくなっちゃうから。言葉が通じないというより、通じないふりをしてわが物顔でどこでも入ってくんだよね」
隣で笑って聞いていた部長が、ため息交じりに、
「実際に仕事で来てるのは何人もいなんだけど、こいつらがまた困りもんなんだなー」
「この資料、コピーとってもいいですかなんて言ってくるんだけど、絶対イエスって言っちゃダメだよ。そんなこと言った日には、事務所中の本や資料、かたっぱしからコピーしだすから」

そこまで聞いて思い出した。イェンが新婚旅行にハワイに行こうとしたけど、女房のビザが下りないんで東京に来たと言っていた。工場見学ともなれば、新婚旅行とは違って機密の問題もある。一人や二人ならいざ知らず、団体でなんてビザがおりっこない。政府を動かすほどの会社でもなし、工場見学なんて話がでても、請けるも請けないもない。ビザでひっかかって話までで終わる。ここでビザの話を持ち出すこともない。だまって話を聞いていた。
聞いているうちに、技術検討会という名目で、設計基準を吐きださせたあげくが、「中日友好に基づいて」という前置きだけで、「中方でやることにしました」としれっと言って涼しい顔をしていたのを思いだした。

時の経過が苦労話を笑い話に変えてくれる。渦中にいたときは、ごちゃごちゃのなかで溺れ死しそうになりながらだったのが、時の経過という魔法が浜に打ち上げてくれる。そこから記憶が発酵して、毒でしかないはずの苦みも酸味も息も詰まる臭いも笑い話にする余裕が生まれる。余裕をもって話される苦労話はいつ聞かされても面白い。聞いた人の楽しそうな顔が発酵を進めて、尾ひれも付いて逸話となっていく。

笑い話になった苦労話を聞いて、何を用意しなければならないかを聞きそこなって帰ってきた。改めて何を用意といっても思いつくものがない。日造へのターンキー・システムの提供で、連鋳機として必要な機能と性能を満たすものを提供すればいいだけで特別なものはなにもない。機能と性能の骨格はアプリケーション・プログラムが決める。そこまでのソースコードやメンテナンス・トレーニングは提供するが、それ以上は出せと言われても出すものがない。事前に用意するものを言ってもらわなければ、もともと用意するものなんかないんだしと、いつものように出たとこ勝負でかまいやしない。
行くたびに慣れてというのか、しばししたくもない経験までさせられ、国内でどこかに行く感じになっていた。

話はちょっと前にさかのぼる。二度目の訪問では一度すればもう十分という経験をさせてもらった。
二ヵ月はあいていたのに、変に慣れたというのか、帰ってきましたと感じで上海に着いた。バゲージ・クレームでスーツケースを取って、長い列にならんでやっと入国審査。パスポートを出して、何があるはずでもないのに、通してくれない。何か言っているが聞き取れない。何だ、どうしたって思っていたら、昔の映画に出てきそうな野暮ったい制服をきた人が出てきて、事務所に連れていかれた。後ろをついていっただけで、連行されたわけじゃないが、どうにも薄気味悪い。

中国語訛りの英語と日本語訛りの英語、お互いなんて聞き取りにくいんだと思いながら、わかってみれば冗談じゃないと机の一つも蹴飛ばしたくなった。
「入国ビザがない」
そりゃないだろうって、ビザのハンコが押してあるページを開いて見せた。
係官が、表情一つかえずに指さした。
なんだって思いながらみたら、初めからかすれていたハンコは「Single Entry」
気がつかなかった。五千円払って、偉そうに下賜していただいたビザは一回しか使えないものだった。なにが半年間有効だ。
なんだ、だったら成田でチェックインするときに気がつきそうなもんじゃなかと思いながらも、もし成田で足止めをくったら技術検討会に間に合わない。ここはなんとしでも通り抜けてやると気をもちなおして言った。
「宝山鉄鋼の近代化プロジェクトのミーティングに呼ばれている。入国できないなら、今から日本に帰るけど、中国の製鉄技術の発展が遅れることになるが、それでもかまわないってんなら、それで結構」
もし宝山鉄鋼に行けなかったら、なんとも言い訳のしようもない。日造にこっぴどく怒鳴られる。ここで弱気をみせればとつっぱった。
宝山鉄鋼と聞いて顔色が変わった。現場を預かる小官吏でしかない。
「宝山鉄鋼のインビテーション・レターを見せてくれ」
なんだよ。そんなものありっこないじゃないの。日造から口頭で言われただけなんだから。
「日本の製鉄設備メーカ経由で要請されたもので、宝山鉄鋼から直に招聘されたわけじゃない」
といいながら、アタッシュケースを開いて、検討会用に用意してきた資料と、日造とのやり取りのメールのコピーをみせた。資料の表題には「Baoshan Iron & Steel―宝山鉄鋼……」と書いてあるし、メールの文章のあちこちに「宝山鉄鋼」の四文字が見える。まるで「水戸黄門」の印籠でも見せつけられたかのように、二人が顔を見合って無言で書類を返してきた。
「帰れというなら帰るけど」と押した。
「いやいや、あっちで写真を撮ってもらって、この書類にサインしてもらえませんかね。両方で、一万五千円かかるんですけど。ここで半年有効のビザを発行しますから」
なんだ五千円じゃないのか。現場の応急処置、多少高くてもしょうがない。
入国審査を通って気がついた。半年有効たって、また一回こっきりのSingle Entryじゃないか。どこかでこの一万五千円、取り返してやろうと思いだしたのが間違いの始まりだった。

同じフライトで着いた人たちはもうエアポートには残っていない。ゲートを出たとたん、ブローカーのような人たちがわーっという感じで群がってきた。何を言われても知らん顔して両替窓口に歩いていこうとしたら、粘ってついてくるのがいた。よせばいいのについ話を聞いてしまった。公式レートで円から兌換券に換えるよりこの人民元なら三割得だと、手を下にして人民元をひらひらしている。
当時、中国には外貨と交換できる兌換券と中国国内でしか通用しない人民元の二種類の紙幣があった。輸入品などの高級雑貨や洋酒は兌換券でしか買えない。公定レートで兌換券を手に入れられるということは、そのまま外貨を手にすることで、庶民には手にはいらないものを購入できた。タクシーで兌換券で払えば、必ず人民元で釣りをよこす。兌換券で釣りを寄越せと言うとひと悶着起きる。それほど、みんなが兌換券を欲しがっていた。中国政府が何を言おうが、現実には二重の為替レートがまかり通っていた。
そうだ、ここで三割浮かしてと一万円を人民元に換えた。ホテルは繁華街の真ん中、人民元で買い物もできるし、メシも食える。

人民元を手して、してやったりと思っていたが、甘かった。イェンとウェスティンや地場の飯店でメシをくったり、日造の部課長に連れられて上海支社に回ったりで、人民元を使う機会がない。フランス系のホテル、ソフィテル内のレストランもキャフェテリアも兌換券しか受け取らない。
当時、人民元は紙質も印刷もちゃちで、ぱっと見紙屑みたいだった。多少残るのはしょうがないにしても、ほとんど手つかずに残っている。どうにも使う機会がない。ロビーにでて、キャフェテリアを横目にみながら、そうだ人民元を使いに表に飯でも食いにいくかと思いだした。そこに三十前のスラっとした黒服がウォーキートーキー片手に声をかけてきた。ちょうどいい、
「そこらに美味い飯店はないか。人民元を使わなきゃならなくて」
そこはソフィテル。ちょっとぎこちないが、英語で話が通じる。人のよさそうな笑顔で、
「だったら、よく知ってる店があります。お連れしますよ」
親切な黒服のおかげで、街をぶらつくこともなく飯屋に直行できる。
黒服について、エントランスの前に止まっているタクシーに乗り込んだ。一緒にタクシーに乗って飯店まで連れてってくれた。親切な人もいるもんだ。不愛想な宝山鉄鋼の人たち、少しはこういう人を見習えと思っていた。十分ほども走ったろうか、どこにいるのか分からないが、黒服に連れられて小さな飯屋に入った。庶民の店で、ちょっと観光や仕事できたぐらいではこんな店にはこれない。時間が早すぎるのか客が一人もいない。店の人に案内されて奥のテーブルについた時には、黒服が店の人と話をしていて、こっちに挨拶をしているのがみえた。

メニューを見せられたが、何が書いてあるのかわからない。片言の英語だが話は通じる。
「腹が減って、美味しいものを食べられないか」
「おススメをいくつかと、まあとりあえずビールとおつまみで」
べつにビールなんか飲みたかないけど、まあ付き合ってみるかと思った。
ビールに合わせて、皿に山のようにもった黒い炒め物ができた。
なんだこれと、箸で摘んでみたら、鶏の足だった。見た目はちょっと気味悪いが、甘辛味は悪くない。一つかじってはビールをのんでいるうちに、なんだかわからない野菜の炒め物が二つも三つもでてくる。ただどれもツマミにはなるが、ごはんのおかずにはならない。
「ごはんを食べに来たんで、ビールもツマミももういらない。ちゃんとご飯をだしてくれ」
いくら待っても何もでてこない。こんなツマミなんかと呆れて、勘定をすませてと思いったら、ガタイのいい四人に囲まれて表にでれない。おいおい何だこれ、いくらなんだとみたら、〇がいくつもならんでる。ざっと暗算したら、十七万円。新宿や池袋あたりのぼったくりバーでも、三十分かそこらで十七万円はないだろう。中国ならいざしらず、そんな現金もって歩いてる時代じゃない。人民元、全部渡して、はいちゃらと思ったが、驚いたことに人民元には目もくれない。狙いはクレジットカードだった。まずはここを抜け出すのが先決。クレジットカードのサインなんかいくらでもしてやる。ホテルに戻ってアメックスに電話いれて、支払をストップしてやればいい。

表にでて、タクシーを拾ってホテルに帰った。そのままフロントにいって、努めて平静に言った。
「お前んとこの黒服にぼったくり飯屋に連れてかれて、アメックスの十七万円のサインをさせられたぞ」
なんだその顔。少しは驚けよと思ったら、すぐに支配人がでてきて支配人室に連れていかれた。
平謝りに謝られてもねぇーって、思っていたら、
「全く同じ手口で何人もが被害にあってる。申し訳ないけど、黒服を特定したいので、写真を見てもらえないか」
二十人ほどの黒服の写真が並べられたが、誰だか見当がつかない。
そこにイェンが入ってきた。ホテルから連絡が入ったのだろう。心配しろなんてことは言わないが、なんでニヤニヤしてる、この野郎って思ったら、いかにもやっちゃったなという薄ら笑いを浮かべて支配人と話をしている。
「ここは、公安を呼んできちんと書類に残しておいた方がいい。アメックスの支払いを止めるのにも公安の報告書とホテルから公安へ出す書類がそろっていたほうがいい」
お前、なんでこんなことに慣れてんだと思いながらも、ここはイェンを頼るしかない。リライアンスの誰か、もしかしたらイェンもひっかかって経験しているのかもしれない。

いくらもしないうちに私服が一人きて、調書を取り始めた。
いきさつは支配人が説明して、公安とのやり取りをイェンが通訳した。
公安を前にして、支配人がなんども確認してきた。
「その黒服が声をかけてきたのはホテルの中なのか、それとも通りにでてからなのか」
通りにでてからであれば、ホテルにはなんの関係もない。ホテルの中となると、ホテルの信用にかかわる。支配人が一番気にしていた点だった。

声をかけられたのはロビーで、ホテルの出口までは十メートル以上ある。左の胸ポケットには他の黒服と同じネームプレートがついていたし、黒服が使っているウォーキートーキーを手にしていた。
支配人として、ホテルの信用が気になってしょうがないのだろう。もうアメックスの事務所には支払を止めるよう連絡してあるからと言っていた。この数か月、全く同じ手口で被害がでていることから、もしかしたら内部の人間が関係しているのではないかと公安がきついことを言っていた。イェンが面白半分に通訳してきた。

ここは神妙に真面目なサラリーマンを演じなければと、公安の質問にことさら丁寧な英語で答えたが、どのみちイェンが適当に通訳するだけでしかない。
公安も、支配人も慣れたものというのも変な話だが、何度かやったことなのだろう。たいした時間もかからずに調書ができあがって、サインした。ホテルのレターは明日にはきちんと用意しておくと言われて終わった。
もう二時も回っていたが、ちっとも眠くない。ぼり慣れてないんだろう、ちょっと可愛そうになった。十七万円ぼったくったつもりで人民元に手をださなかったから、ビールとツマミをただ食いされた。費用は往復のタクシー代だけ。ちょっと人には迷惑をかけてしまったが、いい経験をさせてもらった。それにしても紙屑のような人民元がうっとうしい。
使ってしまいたい人民元、翌日イェンの奥さんも一緒に第一百貨店にいってお土産を買って、三人でメシにでていった。

ビザなしでゴタゴタして、駆け出しぼったくり飯屋でひと騒ぎだけではない。もう一つ、そりゃないだろうってのがある。
両替ブローカーで人民元を手にして、タクシーをと表にでていこうとして白タクに捕まった。今日のメシにも窮しているのだろう。あまりの一生懸命さに断り切れなくなって、世話になることにした。
資料が詰まっていて、見た目以上に重いスーツケースを押していく、鳥ガラのように痩せ細って縮んだ後ろ姿が痛々しい。駐車場に入ってからも随分歩いて、やっと彼のいうタクシーについた。フォルクスワーゲンの合弁会社作っていたサンタナだった。年季がはいったというだけじゃない。インパネの作りどころか、鉄板一枚にしても、これでもかというほど質が落ちる。実用のトラックならまだしも、乗用車の体をなしていない。ポンコツサンタナに乗って、どこをどう走ったのか、見晴らしのいい野っ原の真ん中で止まった。

「こんなところで止まってないで、早く行け」
と英語で言っても日本語で言っても、言葉としては通じない。それでも状況から何を言っているかぐらいの想像はつく。
オヤジさんが、インパネのメータを指さしながら、なにかボソボソいってくる。中国語なんかわかりゃしない。何度も聞き直して、やっと何を言ってるのか見当がついた。ふざけやがって、ガソリンがない。こんなところでオヤジさんと言い合っていてもしょうがない。
「さっさとガスステーションに行って給油しろ」
言葉としては分からないが、何を言ってるのかは分かる。
オヤジさん、どことなく元気になったようにみえる。同じ働く者同士。同志のよしみだ、中華人民共和国の下層プロレタリアートにカンパだ。贖罪なん大げさなものでもないし、いい人になった気もしないが、そんなことでもしなけりゃ食ってけない人たちがいる。官費で海外の大学に留学するのもいれば、白タクで詐欺もどきしなければ生きていけない人たちもいる。なにが人民共和国だ。なにが「為人民」だ。
2020/9/13