FDAをダシにして(改版1)

「大雪でどうにもなりません」の続きです。
http://mycommonsense.ninja-web.net/business15/bus15.5.html

クリーブランドの事業部で仕事をしていたとき、たまにWashington PostやNew York Timesを買ってきた。なんとか読めないかとやってみたが、一ページもまともに読めなかった。その程度の英語で、よく仕事になったもんだとあきれるが、仕事のことだけなら、日常生活までなら、その程度の英語でもなんとかなるという体験をしたといったほうがいいのかもしれない。

大雪や洪水や事故などの日常の記事までなら辞書をひきひきにしても読んでいけるが、Editorial(社説)になると紙面を見ている時間より辞書をひいている時間の方が長い。そんな調子で文章をたどっていったこところで、頭にはなにものこらない。ついついPCやカメラの通販の広告に目が行ってしまう。当時アメリカの消費税は州、ときにはニューヨーク市のように市ごとで課税されていたから、州を越えて買えば消費税を払わないで済んだ。通販屋のページに出ている価格はクリーブランドのモール辺りに店を構えているところより安いし、消費税はかからない。店では見るだけ、買うのは通販だった。

何度もチャレンジして歯が立ちっこないのがわかっていても、いつかは読めるようにという気持ちはなくならない。アパートの向かいにあるショッピングセンターにでかけたとき、つい買ってきては眺めていた。PostにもTimesにも大きな枠がいくつも並んだ求人欄があった。聞いたこともない会社ばかりで気にも止めなかったが、ある日、自分の会社の求人広告があるのに気がついた。いつ買ってもその求人広告が載っていた。それは製薬業界のスペシャリストを求めてのものだった。そこで初めてFDAを目にしたが、なんのか知らなかったし気にもとめなかった。

FDA準拠が気になるのは紙オムツやコンタクトレンズだけじゃない。医薬品や食料品に日用衛生用品までとなるとかなりの大きさの市場になる。事実、十八社あったグローバルアカウント(多国籍企業の世界中の拠点で標準採用してもらっている会社)のなかには、巨大な食品メーカもあったし日曜衛生用品のメーカもはいっていた。

ずい分経ってから知ったことだが、当時社をあげてインダストリーセールスの強化をはかっていた。出先の営業部隊だけでは、製品単体か多少の知識をもとに単体製品を組み合わせたシステムソリューションもどきの営業活動はできても、顧客が耳を傾けるような紹介にはならない。自動車関連で十年二十年と飯をくってきたベテラン営業マンでも製薬業界にいったら、ビール業界にいったら、できることは単体製品の紹介までしかできない。目の前のプロジェクトで直面している課題、将来の監視制御システムで挑戦しなければならない課題の参考になるような話などを展開できるわけがない。そこで、いままで手を付けてこなかった業界に進出すべく、その業界にいる制御技術屋を引き抜いてきて、個々のインダストリーセールス部隊を構築しようとていた。その一つが製薬関係だった。

新聞の求人広告をみたのは数年前だから、製薬関係のインダストリーセールスもできているだろうと思って、ミラーにメールを送った。翌朝にはPharmaceutical Industry Sales(製薬インダストリーセールスになるか) のマネージャから自身と部隊の紹介と簡単な戦略を説明したメールが入っていた。

日用衛生用品も食品も海外進出どころか、世界でしのぎを削っている巨大な外資に乗り込まれて、このままでは国内市場も守り切れない。ざっと調べてみたが、食品や製薬や日用衛生用品の製造設備は多種多様で、メーカのすみ分けもすすんでいる。大きくても中堅どまりで小さな会社が多い。どこも国内市場向けと海外市場向けの二通りの製品を持つ余裕などあるはずがない。成長し続ける海外市場に打って出るには、FDA準拠をベースに国内向けもという製品にするしかない。

FDA規制に準拠を切り口に市場開拓できるはずまではいいが、いくら資料を読んでもFDAの認証プロセスの基本であるバリデーションがよくわからない。伝手をたどって数社訪問してあらまし聞いてきたが、どうもいくつかの会社が経験しているだけで、分かっているといえそうなところは何社もない。そう聞いてちょっとほっとした。業界内にいてもよくわからないのに、ちょっと資料を読んだぐらいでわかるはずがない。

FDAのバリデーションがどんなものなのか調べようにも、もともとアメリカの製薬や食品関連企業に向けた資料だけに、すべて英語で専門用語も容赦なくでてくる。資料だけから、自信をもって分かったと言える人など、日本に何人もいやしないだろう。まして仕向け地はアメリカだけじゃない。思わぬ落とし穴がなんてこともあるかもしれない。なれない作業でかなりのコストがかかるのはしょうがないとしても、認証を取りそこなうのを恐れて、必要以上のコストはかけたくない。どこも、生き残るためにもなんとしてもFDAの認証を最低限のコストでくぐり抜けられないかと思っている。そこで美味しいビジネスをと網をはっているのがいた。巨大エンジニアリング会社と計装メーカが協業するようなかたちで、コンサルから始まって制御システムとそのバリデーションまでトータルで提供する体制を整えていた。

バリデーションがよく分からないからと、降って湧いてきたようなFDA特需を放っておくのはもったいなすぎる。わからないにしても出て行けば、いやでもだんだんわかってくる。たとえ実ビジネスにならなくても、将来に向けてなにか拾うものぐらいあるはずと割り切った。ターゲットは装置メーカだが、どこにどういったらいいのか見当がつかない。エンドユーザである製薬会社にアメリカの制御機器メーカでFDA認証のお手伝いを期待できるというイメージを植え付けて、そこから装置メーカへというまどろっこしいプロセスしか思いつかない。まずは業界での認知度を上げるための媒体を探した。業界情報や月刊誌では圧倒的に「じほう」、汎用技術からアプローチするなら「計装」の二誌だった。

食品はビールが図抜けて大きいだけで、パッケージングの視点からみれば需要がないこともないという程度でしかない。こう言っては失礼になるが、製薬ほど設備に金をかける、かけられる業界ではないようにみえた。来年があるかどうかわからない立場では、たとえ受注にこぎつけても大した金にならないとことに手間暇かけてる余裕はない。
狙いは製薬だが、製薬といってもいくつも工程に分かれる。新薬を開発する創薬は業界違いで、仕事になりそうなのは生産ライン―製薬工程にある。機械装置総覧を探してきてみていったが、装置としては小さすぎて、どれもドライブシステムの出番があるようにはみえない。

FDA特需であることは間違いなさそうだが、会社として市場に参入する準備ができているとも思えない。八十年末になっても、売り上げの七割以上が自動車とその関連が占めていた。極端にいえば、3K職場、耐環境性が求められる重厚長大産業向けの製品ばかりで、製薬や半導体向けの製品群がない。Pharmaceutical Industry Salesを作って、新規参入はいいが、売る物も知識もなしでは手の出しようもない。

市場に合った製品もない。ドライブシステムの出番もない。それでも打って出るか?資料をみながら、どうしたものかと考えていた。すぐ市場開拓をというわけでもなし、まずは製薬業界の情報とコンタクト先をつかめればいい。そんなところで先頭にたってチームを牽引するか?どう考えてもリソースがもったいない。ここはマーケティングの後ろにさがって、細かな実務は暇を持て余している営業企画に振ってしまえと手をぬいた。
何が営業企画だかわからないが、派手にやっているようにみえるドライブシステムの動きが気になるのだろう、ああだこうだの陰口を叩いてなにもしてない。暇していることだけは間違いない。ちょうどいい機会だ、やることを投げてやれば、よだれを垂らして食いつてくる。

FDAの元係官でバリデーションのコンサルタントをしている人を連れてきてセミナーをやる。アメリカの制御機器メーカのセミナーであることを強く印象づけるため、会場はアメリカンクラブにして、セミナーの後に軽い立食パーティを用意する。雑誌にだしたFDAをうたったセミナーの案内と広告が効いたのだろう、驚くほどの人が集まってきた。
インダストリーセールスの窓口としているだけで、実務はマーケティングと営業企画にやらせた。業界関係者のコンタクトリストさえ手に入れば、なにかのときに押しかけられる。

新規市場の開拓に走り回っていると、どこもここも気になってムダ打ちが多くなる。ムダ打ちなしの市場開拓、あってほしいが、そんなものどこかのコンサルの後智慧かビジネスグルと呼ばれる高名な先生方の能書きのなかだけだろう。
いくつか試し打ちをして追いかけるか引くかを決めないと、限られたリソースが分散されて取れるものも取りそこなう。ムダ打ちが続くと厭戦気分がにじみ出てきて、部隊の士気が下がるし周囲の信頼も失う。ムダ打ちだったと見極める勇気と自分の失敗を公に認める自信がないと市場開拓は続けられない。
2021/1/21