しょっちゅう顔を出したら(改版1)

「飛び込み営業を始めた」の続きです。
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インバータを売ってこいと言われて、あれこれ当たっていったら、百馬力を超える大きなモータなら価格競争もできないわけでもなさそうなことに気がついた。大きなモータはどんなところで使われているのか。どんな産業がどんな用途に使っているのか、ざっとみて行った。素人の上っ面の理解でしかないが、首都圏ではサービス産業への移行と並行して製造業の軽薄短小化もすすんで、昔ながらの重厚長大産業は大阪から北九州に向けて並んでいるように見えた。

京浜工業地帯にも既存客がいくつかあったが、需要の掘り起こしは日々の営業活動の一環として進めればいい。問題は大阪から北九州に点在する重機械メーカにどう売り込むかだった。大阪支店にインバータの紹介にいって簡単なセミナーを開いたが、だれも興味を示さない。十人近くの営業マンがいたが、PLCやバーコードリーダを限られた顧客に売ってきているだけで、新しい市場を開拓しようとか、まだ紹介していない製品群をどうするかなどと考えるのはいなかった。

新規客は、アメリカのエンドユーザから日本の機械装置メーカにACの製品を使用しろという要求があって、はじめてできるもので、何もない所かから自分たちでという気概はない。他力本願というのか受け身の営業スタイルが支店長から若手の営業マンにまで染みついていた。
エンドユーザの指定があれば、いくら装置メーカに値切られたところで受注は間違いない。ところが新規開拓はそうはいかない。初めて訪問する客にいくら売り込んだところで、産業用の制御装置など早々売れるもんじゃない。営業効率を考えたら、新規なんて考えずに、ご指定案件を手堅くまとめていたほうがいい。それじゃ、会社としても営業マンとしてのキャリアにしても、先がないじゃないんじゃないかといったところで、はいそうですかという営業マンはいない。新規客の開拓を重視した営業体制にあわせて評価体系も変えなければ、よっぽどの変わり者か馬鹿でもないかぎり、手間暇かけても受注には結びつかない可能性の方が高い営業活動なんかしやしない。

なんとか関西以西の市場開拓をと大阪支店にでかけていっても、誰にもまともにとりあってもらえないでいた。数か月経ったある日、アプリケーション部隊のマネージャに見下したというのか哀れみの口調で言われた。

「藤澤さんてヒトよう知らんから、まあ、しょっちゅう顔だしたらええんやないの。そこにおりゃ、営業の誰かが気の向いたとき客に連れてってくれんかもしらんやろ」

この野郎と思ったが、正直な言い草のおかげでふっきれた。東京の営業部隊も似たようなもので、市場開拓なんて面倒なことをしようとするのはいない。面と向かって言わないだけで、誰もがインバータなんか売れっこないと思っている。そんなもの気にしてもしょうがないが、いやでもマーケティングやアプリケーション部隊の女子社員からうわさ話が抜けて来る。

「藤澤さん、売れっこない製品を持たされて、成績があがらないことを理由に来年にはレイオフになるんじゃないかって、あっちこっちで言ってるけど、大丈夫ですよね」

大丈夫なわけないじゃいの。来年はまだ首はつながっているだろうけど、このままいったら再来年はない。モータなしのインバータだけ。それも高いわ、ごついわで売れそうな感じもない。もうバカバカしくてやってられるかと思う一方で、こうなったらなんとしてでも見返してやるという気持ちが強くなっていった。自分で自分の尻でも叩かなけりゃ、出社拒否症になる。

高専を卒業して就職した工作機械メーカに十年いたが、思想問題でひっかかって三四年ごとに次の辞令をもらって職種が変わった。そのたびに、やったことのないことをなんとかしなきゃってやっていた。三十すぎて翻訳屋に転身したが、そこでもベテラン翻訳者が嫌う、こんなのありかという技術書類を任されて、調べて調べての連続だった。大きなミスをおかせば次の仕事を貰えなくなるという恐怖のなかで、やってだめならしょうがないというところまでやってやる、と自分の限界を試すような毎日だった。

やるだけやってインバータを売れなければ、新規市場を開拓できなければしょうがない。出来る限りのことはやってやろうじゃないのと思っているところに、「しょっちゅう顔をだしたら……」。いいじゃないの、やってやろうじゃないのと、隔週で月曜の朝六時発の「のぞみ」に乗っていた。八時半前に新大阪について、そのまま地下に降りてさっと朝飯たべて歩いて行っても余裕で十分前には事務所に着く。新幹線のなかでぐっすり寝てるし、気が張っていることもあって、いつもより足が軽い。

大阪支社のドアの前で誰かがカギをもってくるのを待っていた。いちばん早いのは営業事務の女性社員で、ぎりぎりに出社してくる。どうやったら一分前かそこらのぎりぎりの時間に着ける時間調整ができるのか不思議でならなかった。 営業マンは五分十分過ぎてからの出社で、支店長に至っては十時前にならないと顔を出さない。東京の本社から距離があるから、自分たちの都合でやりたいようにやっていた。
そこは、アメリカから流れて来るご指定案件を処理する営業部隊で、士気がどうのとうという前に、アメリカの事業部が営業部隊に要求しているSalesの意味が分かっていない。

Salesがセールスになったとたん、気の抜けたビールのようになってしまう。英語のSalesには普通の日本人ならだれしも一歩引いてしまう刺激というのか熱がある。Salesとは「売り込む」ことで、会社や製品やサービスの紹介から始まって受注に至るまでの一連の作業を指している。そのなかには、品質管理のトップや支社長どころかアメリカの事業部から製品開発の技術屋をひっぱりだすのもあれば、アメリカ本社の経営トップを連れて顧客に乗り込む算段もなにもかも、すべては顧客と対峙している営業マンの才覚と采配にかかっている。

エンドユーザの指定で機械装置メーカから引き合いをもらって、見積して受注するのもSalesの一環だが、向こうから転がってきたビジネスチャンスを処理しているだけでは、Order taker(受注処理屋)じゃないかと言われる。営業部隊が事業を牽引している企業では、営業マンのもてる力を市場開拓に集中すべく、リピートオーダーや受注以降の作業(Order Processing)を専門とする部署を営業部隊とは別に作り上げているところさえある。

おいしい大口客を任された営業マンは、今のままでいいと思っているから、インバータなんかに手は出さない。上から押し付けられたノルマを達成できない営業マンは、何とかしなければレイオフになりかねないのに、それを感じるまでの知識?がない。定型業務でノルマをクリアできる営業マンは、明るく忙しそうにしている。クリアできる可能性のない営業マンは、忙しそうな格好をつけている。どちらも営業マンとしての資質や知識や姿勢に大した違いがあるわけではない。上司にうまくとりいっているか、とりいりそこなっているかの違いの方がはるかに大きい。

月曜から金曜まで事務所の隅の机を借りて、持ち込んだ資料の整理や製品紹介の資料を作っていた。たまに営業マンが気晴らしなのか、どうでもいい世間話をふってきた。そんな話からもなにかきっかけが得られるかもしれないと聞きにまわっていた。そんなある日、こういっては失礼になるがルートセールスしかできそうもない、人のいい営業マンが声をかけてくれた。

「藤澤さん、今からいくんやけど、よかったらくる? なにがあるとも思えんけど、もしかしたらってのあるかもしれへんし」

えっと思って顔を上げたら、いつも自信のなさそうな笑顔があった。違う業界から移ってきたのだろう、年はいっているが知識という知識もないし、小口客しかまかされていないから成績も上がらない。事務所のなかでも日陰に置かれていた人で似たもの同士ということなのか、それからはよく連れ出してくれた。

売上さえ上げられれば、極端な話喫茶店でコーヒーすすっていても、パチンコ屋に入り浸っていてもさしたる問題にはならない。ところが売り上げがあがらないと、足しげく客周りをして頑張ってますという姿勢を見せなければ、営業マンとしての格好がつかない。
しょせん事務所にいづらいこともあっての外回り。五円十円の中小企業をルートセールよろしく回って一日が終わる。似たような日がつづいて半期の締めになっても、ノルマには到底およばない。大口客を握ってインセンティブももらって意気揚々としている同僚の影にかくれるようなことが続くと、人としての自尊までが傷んで、悪循環に陥る。

これは営業マンにかぎらず誰にでもいえることだが、ついつい日々に流される。昨日があったように今日があって、今日の延長線に明日があると漠然と思ってしまう。そんなものいつまでも続くわけではないことには、なかなか気がつかない。産業構造の変化で沈んでいく企業もあれば、生産拠点が海外に移って売り上げの機会が消滅することもある。
今日から明日までと、そのさきの将来の展開の二つに分けて、現状を保つために使う時間と将来の展開のためにつかう時間の割り振りを考えなければならないのに、落ち込んでいる営業マンは、そこまで考える精神的な余裕すらなくなってしまう。

毎朝出社して事務処理をと思ってもたいしてやることもない。やることがあるうちはいいが、これといってやることもなくなると、どうにも事務所にいづらいし、いたくないのだろう。十時も過ぎて、そろそろかなと思っていると、いつのまにやら机の横にきて、恥ずかしそうに言ってくる。

「ほなら、そろそろいきまっか」
待ってたぞとも言えないが、顔にはでていたろう。
PCの電源を落として広げていた資料をさっとかたずけて、あとは知ったことかとついていった。
いてもいなくてもいい二人組、出ていく二人に目をくれる人もない。

支店の前の道でまっていれば、一〇分かそこらで駐車場からでてくる。車を転がすのが趣味なんだろう、安月給なのにいい車に乗っていた。
「今日はxxxの方にいってみようと思うんやけど、途中にうまい定食屋があるから……」
客にいくのが目的じゃないから、何を準備ということもない。いつもの調子で、

「どうも、近所まで来たんで寄らせもらいましたわー」

アポなしで、ちょっと寄らせてもらいましたで通ってしまう。通る人にしかいかないのだろうが、この軽さは呆れた。正直羨ましかった。普通誰も忙しいしスケジュールもある。アポなしでこられてもと思うのが、それがちっともおかしくない。来る方も来る方だけど、来られる方もそれを迷惑と思っているようにはみえない。
横で聞いていたが、これといった内容のある話があるわけでもない。最初はもしかしたらと思ったが、どこにいってもこうだと、ちょうどいい気晴らしの相手がきたという感じなのかもしれない。ときには、なんとかがちょっと話があるみたいだから、あとでちょっと寄っていってよなんてことから引き合いを頂戴することもある。

これといった話題がなかったから、ちょうどよかったのだろ。
「東京からインバータの新製品の紹介にきてる……、どうでっしゃろ」
なんでもいいから話題を振りまけという顔をされて、時間つぶしのお手伝いをしていた。

昼飯のお弁当屋でもあるまいし、行く先々で何かが売れるわけでもなければ、新規の案件がでてくるわけでもない。義理人情はあっても、そんなもので製造設備に搭載する制御機器などを買ってはくれない。足しげく顔を見せなければ仕事の話にならないところから、ころり転がって注文などということはない。使ってきた日本のご同業よりこっちの製品を使った方が総合的に有利だと判断されないかぎり、出てくるのは見積合わせの引き合いまでで、実の引き合いがでてくることはない。海外向けの案件にしても、日本のご同業の製品を標準採用してきたところに入り込むには、国境をまたいだ担当営業同士のチームプレーが必要なのだが、それができることはほとんどない。
エンドユーザはアメリカの会社で機械装置メーカが日本の会社。ところが、アメリカの支店の営業担当と英語で丁々発止にやりとりができる営業マンなどいない。その間にたってなんとかまとめる便利役として動き回るにしても、営業担当は自分の能力の範囲に仕事にまとめて、簡単にとれるところまでがとれるところで終わりにしてしまう。

昼飯食って、一二社に立ち寄って、なにがあったわけでもない短い一日が終わる。適当な駅で降ろしてもらって、事務所によらずにホテルに戻って、今日は何をしてたんだ、明日はもうちょっと生産的な一日と思いはしても、マーケティングの一存ではどこにも行けない。どこにいくにも営業マンに許可を貰わなければならない。なんのコンタクトもない会社でも、営業マンの先には代理店もある。いくつもある代理店のどこかが口座をもっていて、後々もめることがある。代理店がどこに口座をもっているのかなど知りようがないが、いざ注文となると、オレのもんだといいだすのは営業マンだけじゃない。営業マンと代理店が暗黙の了解と反目と騙し合い。複数の代理店と営業マン同士のくんずほぐれつのいさかいが始まる。売り込みもなにもしないで、権利だけは主張してくるのはどの社会にもいる。

ある日大津のエンジニアリング会社にいったら、紙オムツのラインの話ができた。エンドユーザはアメリカの巨大日用衛生用品メーカ。ご指定案件なんじゃないかと思いながら話を聞いていったら、日本の標準でいくのかそれともACでゆくのか検討しているところだった。これはなんとしてもとらなければとシンシナチ支店の担当営業マンにメールを送ってアメリカと日本の両方から受注活動に向けて動き出した。これが後日FDAがらみで製薬業界を追いかけるきっかけとなった。
人がいいのというのか人任せなのか、アメリカからの情報をもとに客をこっちに引き込もうとしているのを気にすることもなく外野から見ていてくれた。

「今日は、日本酒できますか」
朝っぱらからなにをいってきたのかと思ったら、灘に行こうということだった。
「いいお客さんやねん。年に二回ぐらいかな、二百万ぐらいサーボ買ってくれんまんのや。大事にせなあかんけど、ちょっと見に……」
三宮で高速を降りたら、すぐそこにスレート屋根のくたびれた町工場があった。高速の反対側にはダンロップの大きな工場がある。客を目の前にした出入りの設備屋ということなのだろうと思いながら、後ろについて入って行った。

「ちょっと近くに来たんで……」

ここでもいつもの挨拶、「どうもどうも」と似たようなものでもう口癖になっていた。
なにがあるとも思えないのに、課長に笑顔で迎えられた。
まるでご近所さん。アポなんかとろうとしたら、なにを他人行儀な水臭いとお小言をもらいそうな気がする。

「今度、インバータもはじめましたんで、ちょっと紹介をと思って……」
あとは好きにやればという感じで後ろに引いている。
ざっと製品群を紹介していったが、だからって顔をしている。そりゃそうだよ、インバータなんか日本の方が進んでる。誰もアメリカ製なんて考えない。それでも、どこかに切り口はないかと続けた。
「五馬力や十馬力なら日本製の方が安いですけど、百馬力二百馬力から大きくなればなるほど、アメリカ製の方が安いはずなんですけど……」
どこか表情が動いたような気がした。あれっと思いながら、
「もし大きなモータお使いでしたら」
いい終わらないうちに、訊かれた。
「インバータじゃなくて、DCはあるの」
なに?この時代にまだ直流モータを使ってんの?まさかと思いながら、
「えっ、DCですか?まだ日本にはもってきてないですけど、五百馬力でも六百馬力でもありますけど、そんなもの使うんですか」
「ちょうどいいや。今下の工場にあるから、ちょっと見てもらった方が早いかな」
おいおい、さっきまでの冷えた感じだったのに、なんなんだこの急な熱はと思っていたら、もう席を立っていた。
二人して課長について階段を下りて行った。省エネで蛍光灯を間引いているから暗い。錆びた安普請の鉄骨の階段が上がるときより滑りそうで怖い。

見たこともない機械だった。なんだかわからないが、三百馬力はありそうな大きな直流モータが三台ついていた。なんだこれと思っていたら、
「これ、押仕出機なんだけど」
上を指さして、
「ほら、その上にホッパーがあるだろう」
大きなラッパのようなのが口を上に向けてならんでいた。へっ、これがホッパーですかと見上げたら、
「タイヤ工場にでも行かなきゃ見ることないからなー」
ちょっとため息でもついたかのような間があいた。
客が何を作っているのかも何も知らないで、売り込みもないじゃないかと思われてもしょうがない。知らないのだから。鉄を追いかけ始めた時を思い出した。格好なんかつけようもないんだし、恥も外聞もない。なんでも教えてもらえるものは教えてもらおうと開き直った。

「あのホッパーに、そうだなタタミよりは薄いけど大きなゴム板、切れてない長い帯のようなのを入れて、ダイから押し出すんだけど……」
押し出す?ゴムを型から?そりゃ馬力いるはと思っていたら、
「知らないと思うけど、タイヤって色々なゴムを組み合わせてるんだ。サイドウォールだって、この押出機で三種類のゴムを型から押し出して合せてんだ」
また上を見ながら、
「だからホッパー三つついてるだろう。それぞれ違うゴムをいれるから……」

知らなかった。十八社あったグローバルアカウントの一社は日本のタイヤメーカで、東京ではかなりのビジネスになっていた。それでも売れていたのはPLCとその位置決めモジュールで、大きなモータの話は聞いたことがなかった。
東京も大阪もPLCに数馬力のサーボモータ何台かのリピートオーダーもらって、いいお客さん。そこから先にという考えがなかった。アヒルじゃあるまいし、いつも決まったところに行って帰ってきて、それでSalesで通っちゃう。昨日があって今日がある、そして明日もあると思っている人たちにはいい会社だ。
ここは、なんとしても食わなきゃって人のいい営業マンとはなしていたら、レイオフの嵐が吹いていなくなってしまった。

六七年は続いたと思うが、日本の電装部品メーカとの合弁を解消して百パーセントアメリカの会社に戻した。それを機に新社長が乗り込んで来てレイオフが始まった。二年かけて百五十人はいた従業員を五十人かそこらまでに絞ってしまった。レイオフになった人たちには申し訳ないが、煩いだけの上司もいなくなったし、動きのよくない営業マンも消えていった。おかげで、なにもしないで戦略がどうのと言ってくるのもいなくなって、営業マンのテリトリーもぼやけた。残った営業マンは大口の既存客のお手盛りで手一杯になって、あちこちに担当営業マンがいない空白が生まれた。踏みあらされたところもあるし食い散らし感もあるが、代理店も整理されて商権だ口座だと騒ぐのもいなくなった。誰に気兼ねすることもなく出ていける荒地のようなところがひろがっていった。

へんな比喩になるが、レイオフが満員電車で身動きがとれない状態から動ける状態にしてくれた。動ける状態にならなかったら、次の駅でこっちが下車させられるところだった。レイオフに救われた。
2021/2/23