手抜きにもほどがある

「もう、ほとんど詐欺じゃないか」の続きです。
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その晩、ジェコインスキーに電話した。状況を知りたいだけで、言い合いをする気はない。努めて平静に話した。
「大阪支店から文句の電話がかかってきた。ロアノークのシステムができあがってないって客が怒ってるって言ってきたけど。どうなってんだ」
なにか後ろめたいことがあれば、ふつう口調にでる。ところが事業部の欲の皮はこれでもかというほど突っ張ってるし、ジェコインスキーの面の皮は人並みはずれて厚い。うわさで聞いた限りだが、四十前にして天性ののらりくらりをかわれて、Directorに引き上げられた。この事業部にしてこのDirectorありということなのだろう。話をするたびに、よく聞く「適材適所」はプラスにプラスのことよりマイナスにマイナスをかぶせたことの方が多いんじゃないかと思わされた。
いつものどうしたんだという口調で、
「なんの問題もない。すべて日程通りに終わった」

見積の段階からだらしのない仕事に翻弄されて、もう調子のいいことをスルっといわれても、はいそうですかと思うほどバカかじゃない。
「終わったってのは、ものは出荷したということなのか。それともロアノークで結合試験も終わって、客からプロジェクト完了のサインをもらったのか」
「すべて完了している」
「自己申告をそのまま信用しろって言われてもなー。見積であれほどの目にあって、日本への納期も守れないで、エンドユーザで結合って……」
だらしのない仕事の辻褄合わせに走り回されてきた。上司であろうと誰であろうと、多少の皮肉もいいたくなる。だんまりを決め込んで何も言わないから、
「どうなんだ、客のサインもらったのか?もらったんなら、ファックスで送ってくれ、明日の朝、確認するから」
何にもいわない。
「オレが見たいのは客のアプルーバル、エビデンスだ」
これ以上何をいっても何がどうなるわけでもない。相手をするだけ時間の無駄だ。

期待はしてなかったが、ファックスなんか来やしない。
十中八九とんでもないことが起きている。まだ九時まえ。
灘に電話した。
「ああ、大変なことになってるらしいけど、担当の田中に回すね」
なんだよ、小林さん。らしいって話じゃないんじゃないか。もしかしたら逃げた?
「お世話になってます。昨晩事業部に電話したんですが、大阪支店経由でお聞きしいている状況と事業部が言っていていることのズレが大きすぎて……」
途中で遮られた。
「湯川さんにもいったけど、もうめちゃくちゃや。物は届いたけど、中身のソフトがまともにはいっとらんから大騒ぎや。やっと動くようになってきたけど、そこまでや。アメリカのサービスマンきたりこんかったりで、うちの二人よう帰ってこれんようになってもうたわ、どうしてくれんのや……」

関西弁で怒鳴られた。怒鳴られるのはなれているが、ここまでのははじめてだった。状況も分からない状態ではなんとも返事のしようもない。相槌をうちながら怒鳴疲れるのを待った。
「申し訳けございません。たしか出張にいかれているのは中村さんと井上さんでしたよね」
「そうや」
「今からお泊りのホテルに電話して、直に状況を教えて頂けないかと思って……、宿泊先の電話番号を教えて頂けませんでしょうか」
いうだけ言って、少しは落ち着いてきたようだった。
「ちょっと待ってや。メモの準備はいいかな。しっかりしてや。初仕事なんやから」

まだ十時前だから、ロアノークは夜の十二時前。電話をするには遅すぎるが、そんなことは言ってられない。
「ACジャパンの藤澤というものです。そちらにお泊りの中村さんか井上さんに電話をまわしていただけませんでしょうか。日本から出張でいっている人です」

「ああ、藤澤んか。もうめちゃくちゃやで。ソフトは入っとらんわ、人は来ん。昼もすぎて来たかと思ったら、さっさと帰ってもうて、次の日にゃ来やせん。おれたち、人質になってもうてようかえられへん。どうしてくれんのや。技術屋を連れてきて、ちゃんとしてもらわんと……」

怒鳴れ疲れてすがるような声になっていった。状況が目に浮かんできて息が詰まりそうだった。昔アメリカの客先でトラブって、一人でにっちもさっちもいかくなったときのことを思い出した。なんとかしなきゃと気だけがあせる。
「田中さんからもお聞きしたのですが、こっちからでは話が遠くて」
反応を確認しようなんて余裕はなかった。つい切れ切れの話になってしまった。
「即フライト手配して、そちらにおうかがいします」
「現場を見せて頂いて、エンジニアを手配します。フライトがあれば、上手くいけば明日の夕方には現場に入れますので」

もうごちゃごちゃ言っている余裕はない。いつもフライトを手配してもらっている旅行代理店に電話した。
「ああ、上条さん。急な話で申し訳ないんだけど、すぐバージニアのロアノークまでの予約とってもらえませんか。南行徳の家によってから成田に行くんだけど。まあ、いつものことで緊急事態発生ですよ。できれば明日の夕方までに現地に入りたいんだけど、なんとかならないですかね。お願いしますよ、レンタカーもいつもので」
「えっ、なに、また藤澤さん、そこまで急ぎなの」
人ごとにしても気にはしてくれているんだろう、呆れたため息のような声が聞こえてきた。
「そう、こんどはちょっとね。すいません。いつも」

二十分ほどたっただろうか、電話がかかってきた。
「藤澤さん、どこも一杯ですよ。なんでこんなに混んでんのか分からないですけど。今から今日のフライトとなるとファーストクラスが一席だけで、明日もファーストクラスしか残ってないです。なにかコンベンションでもあるんですかね」
「えっ、ファーストクラスか。明日も。しょうがない。今からタクシー捕まえて、家によって荷物まとめて、そのまま成田に行きますけど、間に合いますよね」
「大丈夫ですけど、あまり遅くならない方がいいですね」

カバンに書類を突っ込んで、永代通りにでてタクシーをつかまえた。アパートの前で待ってもらっておいて、家に入ったら、女房がびっくりして何?って顔をしてる。
「ちょっとアメリカまで行ってくるから」
出張はしょっちゅうだったし、日程も崩れることが多い。もう余程のことでもないかぎり、相手にされていなかった。おおかた事業部へだと思ってるんだろう。どこへとも訊かないし、いつ帰ってくるのかとも訊かない。説明したところで、聞いてもらえない。スーツケースに着替えと洗面道具を入れて、タクシーに戻ってそのまま成田にいった。

まったくこういう時にかぎって変なところでひっかかってしまう。小林さんもワシントンDCでトランジットに六時間って言ったっけど、ここまで酷くはなかったろう。フライトが遅れてトランジットしそこなった挙句に、乗り継いだフライトも遅れてロアノークに着いたときは、深夜だった。レンタカー屋も閉まっていて、どうにもならない。タクシーでモーテルまで行っても、翌朝またタクシーでエアポートまで戻ってきてレンタカーはない。
ロアノークのエアポートで朝が明けるのを待っていた。ベンチに腰掛けて、何度かひと眠りしようと目をつぶってみたが寝れない。フライトのなかでうとうとしただけで疲れているのに寝れない。ベンチに腰かけているのも疲れる。表に出ては戻ってきてを繰り返した。八月に入ったばかりなのに薄ら寒い。なにがブリーリッジだ。ただの田舎じゃないか。ロアノーク、こんなことでもなければ来ることもない。

やっと明るくなってきたが、そんな時間に客先に行っても開いてない。中村さんも井上さんもまだ寝てるはずだ。もしやとホールを歩いて行ったら、ダイナーが店を開けるところだった。エアポートの朝は早い。いくらもしないうちに朝食目当ての客で混み始めた。出先では、とくに海外では何が起きるか分からない。時間との競争になって、昼飯を食いに近間のダイナーになんていってられないこともある。昔ニューヨークに駐在していたとき、昼抜き夜抜きでひもじい思いをしたこともあって、食べられるときにしっかり食べておくという野良犬根性が染みついていた。
食べるだけ食べてレンタカー拾って、それでも八時前には客に入った。タイヤ工場は機密が煩いから、セキュリティで引っかかるかもと心配していたが、そこはアメリカなのか、するっと通してくれた。ホールで待っていたら何を食ったらこんに膨らんじゃうんだという人の良さそうな担当者ができてた。連れられて現場に着いたら、二人に笑顔で迎えらえた。と思ったらすぐに厳しい顔になって、聞き取れない関西弁でまくしたてられた。
海外にでると、日本人というだけで、言葉が通じると言うだけでほっとするが、今回は一瞬だけだった。そりゃそうだろう、機械屋が機械を作っても、制御システムが動かなければ、機械構造物という置物になってしまう。

二人ともまだ二十代中ごろの職工さん、英語どころか日本語もあやしい。自社の工場でしか通用しない俗語だらけで、いくら聞いても話がみえない。これがあいつをけとばして、あれがこっちへきて、そいつがどうのと言われても分からない。この日本語にYes、Noに毛の生えたような英語でどうやって作業をしてきたのか。呆れるより感心してしまった。こうして経験を積んでということなのだろうが、この先どうなるんだろうと心配になる。幸い機械は制御と違って、目で見える。なんだか分からない日本語でも機械を前にして聞けば、それなりの想像はつく。

状況は悲劇的だった。PLCのアプリケーションプログラムも途中までしかできていなかった。ロアノークのアプリケーションエンジニアがきて、やっと動くようにはなったが、まだまだ細かい所を作り込まなければならない。パネコンはついているが、運転メニューが入っていない。手抜きにもほどがある。来たり来なかったりのアプリケーションエンジニアはどうしていいのか分からない様子で、手を付けようともしないらしい。
そのエンジニアにすがるようにしてきたが、朝来たかと思えば午後には帰ってしまう。今日来たから明日もとはならない。いつ来るのか分からない。言葉の壁もあって、二人して手も足もでないで時間だけが過ぎていく日が続いたのだろう。飯ものどを通らないのか、灘の工場で挨拶したときの若さが消えていた。伸びっ放しの不精髭のせいか、ずいぶん老けてみえた。

説明を聞いているところに、悪びれたようすなど一欠けらもない笑顔でロアノーク支社のエンジニアがきた。ちょうどいい、聞いたことを、エンジニアの視点で確認していった。
「ドライブシステムは初めてで、こっちも困っている。聞いた話だけど、ドライブシステム事業部の仕事はいつもこんなもんで、大手の客でもなければ手をぬいて出来上がってないものを平気で出荷して、あとは現地のアプリケーションエンジニアに押し付けてらしい」
ピッツバーグで営業マンがどなるようにしてジェコインスキーに文句を言っていたのを思い出した。アプリケーションエンジニアリングは独立採算だから、何をするにもタダじゃない。客先に行けば客に対する費用が発生する。ところが客はターンキーシステム(完成されたシステム)が納入されて、製鉄設備のような大きなものでもなければ、客先の工場での結合テストも込みで発注している。
「オレもあちこち行かなきゃならないから、時間の都合をつけては来てるけど、そもそもオレのサービス代、誰が払うんだ」
「そりゃ、ドライブシステム事業部だろうが」
「いや、セミナーでいっしょだったヤツらに聞いてみたけど、ものを出荷したら最後、ドライブシステムは知らん顔って話だ」
「そりゃないだろう。ターンキーシステムだぞ」
「言われなくても分かってる。ただな現実はそうなんだ。支店長はカンカンになって怒ってる。誰が払うんだって」
「おいおい、日本支社に払えってんか」
「ドライブシステムは払わない。セールス事業部も払わない。アプリケーションエンジニアリング部隊にはそんな費用を負担する余裕はない。分かってんだろう。俺たちはモノじゃなくて、サービスを売って飯食ってんだ。それがサービスで金をもらえなかったら、どうやって食ってくんだ。このプロジェクトのおかげでオレのパーフォーマンスはがた落ちだ。インセンティブもへったくれもねえ、どうしてくれるんだ、お前」
「おいおい、オレも被害者だ。オレに文句を言うんだったら、支店長を蹴とばしてドライブシステムを引っ張り出せ」
「そんなことはなんどもやってる。ドライブシステムのトップ、お前知ってんだろう」
「なんだスイフトか」
「そうだ、あいつはケチというレベルを超えて、手前の金しか考えないクソ野郎だ。手前の利益がでるところもまでしか工数を割かない。出来たところまでが出来たところで、ほっぽりなげてあとは現場に押し付けてだ」
「おい、お前、支店長が役に立たないって言ったよな。お前の上司、支店長じゃないだろうが。お前の上司は誰だ」
「サウスイースト・ディストリクトのVPで、オレが話をできるような相手じゃない」

なんだそういうことか。答えがでてしまった。海外支社にいると本国のCEOでもVPでも直に話をさせてもらえる機会がある。本国では大きな組織の一員で、階層のなかで埋もれてしまって、CEOと差しで話すことなど想像できないが、小さな所帯の海外支社ではどんなエライさんでも身近な存在になってしまう。

ジェコインスキーからスイフトに上がっていったところで、相手にしてもらえるとは思えない。事業部に行くたびにスイフトは通路で見かけたし、なんどか真正面から出会ったこともある。声をかけないまでも普通だったら、また来たかぐらいの表情はする。会うたびに瞬き一つすることもなく、まるで透明人間かのように無視された。それはアジアに対する蔑視としか思えなかった。

そんな相手にひれ伏す気はない。お前の事業部のアジア進出のとっかかり、いってみればお前の事業部の将来の成長の基礎を作ってやってんだ、何様だと思ってんだ、この野郎。いやがおうでも思い知らせてやると思っていた。
行きがかりでドライブシステムの手伝いをすることになったというだけで、やだってんならいつでもやめてやる。ただ始めたからには、最善を尽くしかない。どんな状況におかれたとしても、自分から手を抜いたら、人としてありようの一番大事なものを失う。

お前が話もできないといっているVPを引きずり出して、ドライブシステムと折衝させる。それだけのことじゃないか。
客の担当者と二人にこういうことで行こうと思っていることを伝えて、VPに電話して状況を説明した。アメリカもたらい回しに長けた奴ばかりで、自らの意志でごちゃごちゃしているのを片付けようなんてお人好しはめったにいない。面倒なことは他人に押し付けてのうのうとしている奴らには、ここできちんとしないとお前の将来がどうなるのかわかってんのかと脅すしかない。下手に出て情けを乞うような姿勢は甘くみられるだけで、なんの解決にもならない。押して押し返されて、それを脅迫もどきのロジック押し込まなければ前には進まない。

日本人からの飛び込み電話に戸惑いながら、ドライブシステムに相談しろと言ってきた。ここで逃げるか?何を馬鹿なことを言ってんだ。分かってんだろうこの野郎。そんなことは何度もしている。そのたびにジェコインスキーからプロジェクトは終わったと言われ続けて、埒が明かないから東京からロアノークに飛んできたんじゃないか。

「お前、このエンドユーザを知らない訳じゃないだろう。GEのドライブシステム事業部のご近所だ。エレクトリックドライブからちょっと入ったところだ。GEの牙城でACの押しボタンスイッチ一つ入ってない」 「そこのドアを日本のACがこじ開けたんだぞ。折角の市場開拓の機会を無にするのか?このままいけばドライブシステムの評判がどうのという話じゃすまない。ACじゃだめだ、やっぱりGEだという話になる。悪い話はすぐ広まる。ドライブシステムに任せていたら、サービス部隊も営業部隊も足を引っ張られるの分かってんのか」
「そっちからジェコインスキーを説得しろ。オレは一年以上かけて開拓した客を失うだけで済むが、トラブルのサイトは日本じゃない。お前のテリトリーだ。先々の負の遺産をひきずるのはあんたたちで、オレじゃない。何もできないってんなら、オレにできることもないから。ごめんなさいって日本に帰るけど、それでいいのか?」

「こっちにきて、エンドユーザと日本のOEMと対策について話をしてもらいたい。こっちにこれる日程を連絡してくれ」
「オレにできるのはここまでだ。ドライブシステムを引っ張り出せるか出せないかも含めて、始末するのはサービス部隊だ」
エライのエラくないのは関係ない。事実を前にしての議論は対等。どっちに理があるかだけだ。

ここまで言っても動かなかったら、組織の硬直化が抜き差しならないところまで来ているのか、言われた本人の知能が足りないかのどっちかだ。そこまで酷くはないだろうと踏んでいた。小一時間で電話がかかってきた。明後日の午後三時に、ロアノークの支店長とアプリケーションエンジニアの三人でそっちに入ることになったと言ってきた。
早かったじゃないかと思いながら、準備にかかった。

「おい、インセンティブがどうのって言ってたよな」
ちょっとムッとしたようだが、VPに直談判するのを横で聞いていたからだろう、それまでとは態度が違う。
「インセンティブをとりにいくか」
何を言いだしたんだと、コイツはという顔をしている。
「問題の根源はスイフトだが、ドライブシステムがどうのといっても始まらない。出来ないヤツにかまっててもしょうがないだろう」
「ここは、PLCだけじゃなくて、パネコンの運転メニューも誰かに聞きながらでいいから、お前がまとめろ。いい勉強になる。ロアノークどころかヴァージニアはGEの牙城だ。すぐそこにはGEファナックのアメリカ本社まである。そこでACの信用を確実なものにするチャンスだ。確実なものするのはお前だ。ドライブシステムがお前にくれたいい機会だ。今期のインセンティブだけじゃない。昇給が待ってる」

VPにいくら説明しても、所詮アジアからとんできたバッタが吠えてるくらいにしか思っちゃいない。アジア人が何を言おうが痛くも痒くもない。ただ客先でのACの評判とその影響は気になる。悪評でもたてば、自分のキャリアに傷がつく。その気になるところで押し込んではいるが、そんなものどうなったところで、こっちにゃ関係ない。この案件が片付けばそれでいい。アプリケーションエンジニアに、このゴタゴタがお前の得になるんだからとけしかけた。現場のアメリカ人が客も交えた席で、事実をもとに責任のある話をすれば、引きようがない。後は任せればいい。

「ああ野口さん、すいません。来週のミルウォーキーなんですが、いまロアノークに来ちゃってんで、こっちからミルウォ―キーに入ります。前にお話さしあげたSheraton innで合流させてください」
「えっ、ロアノークって、まさかGEに面接に?」
「えっ、GE、そりゃないですよ。そこまで器用じゃないです。ちょっと急用で取るものも取りあえずで、連絡が遅くなって申し訳ないです」
翌週、ドライブシステムで日鉄とレールのプロジェクトミーティングの予定だった。ミーティングといっても、顔を出すだけで何があるわけでもない。一泊して帰ってきたら、アプリケーションエンジニアが吹っ切れた感じでシステムの開発をしていた。

三日後には一応の目途がたった。あとは時間の問題だけになったところで、帰国した。翌日、灘にお詫びと現状報告にいって終りにした。一年以上かけてやっと注文にこぎつけたのに、なんともイヤな終わり方だった。済んだことは言ってもしょうがない。終わったもんだと思っていた。ここまでのだらしのない仕事をしてきて、まさか、再試合があるとは思いもよらなかった。

<副社長の失脚>
副社長は一営業マンからアメリカ西部地区の営業トップにまで上り詰めた人で、良くも悪くも典型的なアメリカ人だった。誰が付けたか、笑えるニックネームが二つあった。一つはパーティーアニマル。文字通りの一昔前の営業マンで、財務系の民僚文化が幅を利かせるようになったコーポレートアメリカの社会では生きづらい人材になってしまっていた。二つ目が、ルースキャノン(Loose canon)。これはちょっと説明がいる。Webでみたら、「なにをしでかすのか分からない人」という説明がでてきた。まあ、あっているといえないこともないが、要はしっかり固定されていない(Loose)大砲(canon)で、敵だけでなく、あちこち味方まで撃ってしまうから、危なくてしょうがない。そこから目的を達成するためには、と本人に言わせれば合理的な判断のつもりなのだろうが、関係者から見たら、そりゃないだろう、こっちの立場はどうなるんだということを、なんの臆面もなくやってのけるヤツという意味になる。
ロアノークまでいってゴタゴタを片付けてきたが、副社長も営業マンとして似たようなことをやってきたのだろう。営業でもないマーケティングがここまでやっているのみて、対アメリカということでは、あらゆる支援をしてくれていた。硬直した組織でここまでやれば、問題になることもわかっていたはずだ。

対アメリカということでは日本人社長のでる幕はない。すべてはアメリカが決めた戦略というのか方針に従って運営されるだけの日本支社で、支配者は社長なのか、それとも実質は副社長なのかという問題を抱えていた。典型的な三田会の人で宮廷遊泳術で生きてきた社長と、後がないたたき上げの副社長、反りが合うわけがない。二人の間には一般社員にはみえない熾烈な政治闘争があった。
副社長の目には御用聞き営業が歯がゆくてしょうがない。日本的な営業スタイルに任せておいたら、実績を挙げられない。どうしたものかと考えていたところにマーケティングからシステムビジネスを展開する面白いヤツができたということなのだろう、Business Developmentという部署名までつけられた。旧来の営業部隊の上に坐っている日本人社長と副社長の後押しでとんでない勢いで市場開拓を進めるBusiness Developmentの確執が起きるべくして起きていた。
最後は資本の力だった。アメリカの親会社を買収した防衛産業コングロマリットの日本支社から送られてきた社長が副社長をアメリカの閑職の飛ばして終わった。副社長がいなくなれば、営業部隊とは別にシステムビジネスで市場をこじ開けるなんてことが許されるわけもない。

p.s.
<営業の責務と宿命>
営業マンは使い走りではない。会社の代表として日々の営業活動を通じて顧客に接する、大げさにいえば会社の顔である。責務は多岐にわたる。状況に応じて開発技術部隊や品質保証部の課長や部長をつれて訪問することもあれば、ときには役員や社長をたてて顧客との関係構築を図ることもある。顧客に対して何をどうするかを判断して、社内外の全てのアレンジをしなければならない。
個々の営業マンが自分の売上のために、一つの注文をとるために、社内外のリソースを縦横に活用しようとすれば、他の営業マンが使い得るリソースがそれだけ減る。営業マンは意識して利己的にならなければならない。好き、嫌いの話ではない。社内競合は避けられない。
2021/5/8