大雨のなかぬかるみにはまって

「押し合いと譲り合い」の続きです。
http://mycommonsense.ninja-web.net/business15/bus15.1.html

バンコクにも新しい空港ができて、シンガポールのチャンギにつぐ東南アジアのハブのようになってきた。かつて表玄関だったドンムアン空港のごちゃごちゃも歴史になってしまったのかと一抹のさみしさがある。頻繁にタイに出かけていた九十年代中ごろがドンムアン空港の最盛期だったのかもしれない。
高速道路と線路をはさんで空港の向こう側にある大きなアマリホテルを定宿としていた。入国審査を出てエレベータで二階に上がれば、高速道路と線路を下にみながらスカイウォークでホテルに入れる。良くも悪くも呆れるほどなんでもそろっているホテルで、当然のようにレンタカー屋もあった。そこで、客との行き帰りに運転手付きのミニバンを二台契約していた。

ミーティングの前々日にみんなばらばらにホテルにチェックインしてきた。大きすぎる会議室を借りて、翌日丸一日かけて事前すり合わせしていた。集まったのは、日本の重電メーカのアメリカ支社の副社長、浜松町から営業担当と技術部隊、ACからはジェコインスキーと見積担当者、ACインドのエンジニア、湾岸戦争のせいで、はからずもタイ支社を開くことになったイギリス人に日本からの一人だった。
もうちょっと余裕をもってと思うが、事業部からの二人は早朝にならないと入ってこない。いつものことで驚きゃしないが、アメリカ人の仕事の仕方というのか、ぎりぎりにならないと動きだせない病理のようなものを感じた。経営側からすれば、従業員が仕事を待っているようなことでは困る。困るのはわかるが、やってもやってもきりがない、やらなければならないことが山のように残っているのが常態化すれば組織が疲弊して人が傷む。成果主義がいき過ぎてOver commitmentが文化として染みついてしまって、走り続けなければ落伍するという恐怖から抜けられなくなる。

人数も人数でバン一台には乗りきれない。日本人と外国人の二つのグループに分かれて、それぞれのバンに乗っていた。支払は別々だが手配は重電メーカの営業課長がやってくれた。今日からまた掴みどころのない会議が始まるのかと思いながらホールにいったら、営業課長がレンタカー屋となにやら言い合っていた。
昨日の昼食の後、課長についてレンタカー屋にいって二台頼んだのに、悪びれた様子もなく一台しかないという。穏やかな国民性はいいが、もう一台なんとかしなければという素振りもない。言い訳なんか聞いてもしょうがないが、あまりにのんびりした口調にどうしても言葉がきつくなる。いくらもしないうちに課長がきれた。
「昨日ちゃんと予約したんだから、もう一台用意しろ」

全員で会議に遅れるよりは、海外勢だけでも先に行ってもらったほうがいい。日本人同士ということで重電メーカの人たちと一緒に残った。課長に怒鳴られて、レンタカー屋がすぐ用意すると言いだした。語調が緩すぎて、自分で言ってること分かってんだろうなと心配だが、用意すると言われれば待ってるしかない。
待つのはいいが、三十分経ってもでてこない。いつまで待つのかわからない。そりゃそうで、五分十分で用意できるのなら最初から二台用意できている。いい加減、いつになったらとなんどか聞き返して、一時間も過ぎてやっと一台でてきた。見たところ、このあいだ乗っていたバンと何も変わらない。あちこち擦り傷はあるが、そんなものタイではあって当たり前、走ればいい。みんななんで一時間もかかったのか、なんでもっと早くもってこないのかとブツブツいいながら乗り込んだ。

営業課長が運転手に行き先を書いた紙を渡して、英語で行き先を言っているが、通じているようにはみえない。まるで何も聞こえていないかのように反応という反応がない。なんか嫌な予感がした。でも、レンタカー屋から行き先は聞いているはずだし、たどり着けないなんてことは考えられない。
やっと動き出したがなんか様子がおかしい。ホテルの門を出て直ぐ左に曲がって高速道路を北に進むはずなのに右折した。運転手の隣の席に座っていた課長が慌てて、方向が違う、あっちだあっちだと指をさした。一所懸命言っているのに運転手は聴覚障害でもあるかのように、平然と反対方向に走っていく。後ろの席に座っているほうも気が気じゃない。まさか全員揃って誘拐なんてこともないだろうけど、言葉が全く通じない運転手でどうにもならない。
あとで気が付いたというか、そうでも考えないと辻褄があわない。運転手は故障しているバンを持ってこなければならなくなって怒っていた。怒りを客にタイ語でぶつけるわけにもいかない。最低限の抵抗として無言を通した。

どこを走っているのかと思っていたら、ガソリンスタンドを見つけて入っていった。なんだコイツ、ガソリンぐらい前もって入れて来いよ、そういうことだったのかと思った。ところが、給油ポンプの方にはいかない。事務所の横に停めて、痩せてひょろひょろの運転手がガススタンドの人となにか話して戻ってきた。ちゃんとメシくってんのかと心配になるほど痩せていた。何を話にいったのか、何をそんながっかりしてるのか。そこまでがっかりするものはなんなのか。違う方向に走り出したとき以上に心配になってきた。

気を取り直したというより、ダメ元で訊いてダメだったという感じでホテルの方に戻っていった。おいおいホテルに戻るんじゃくて、ちゃんと客先に行ってくれと言っても、なんの反応もない。ホテルの前を通って高速道路に入ったときはみんなほっとした。ところが、高速道路に入ってもトロトロ運転のままだった。なんでと思っていたら、ガスステーションを見つけて入っていった。スピードを出せないのだろう、ノロノロ走ってガスステーションがあれば、大きい小さいに関係なく、そんなに無理して入らなくてもという奥まったところのガスステーションにまで入っていった。店員とちょっと話しては、やっぱりダメだったという顔をして戻ってくる。走りだしたかと思えばガスステーションに、そしてまたガスステーションへを繰り返していた。何をいっても聞きゃしない。みんな、なんでガスステーションに入るんだろうって話になって、もしかしたらエンジンオイルが足りない?いあや、そりゃないだろう。エンジンオイルぐらいガスステーションの二三軒回ればあるだろう。こいつ一体何やってんだろうと思いながら、みんなこのバン、客先まで完走できるのか心配になってきた。もうノロノロ運転でもなんでもいいから、途中で故障してレッカー車のお世話になるようなことだけはやめてくれと思っていた。

ノロノロ運転とガスステーション立ち寄りで、いつもの倍以上の時間をかけて到着した。外国勢は、いったいいつになったらくるのだろうとヤキモキしていただろう。申し訳ないと思いながらバンから降りてがっかりした。まったく呆れたヤツらで、どうみても心配していたというより野次馬感の方が強い。何にやにやしてんだと腹が立った。タイの人たちは違う。まるで自分たちのことのように、大丈夫だったかと言葉をかけくれた。運転手に事情を訊いて、なにやらアドバイスもしていように見えた。親身になって心配してくれるタイの人と身内の姿勢の違いに恥ずかしくなった。

午後から大粒の雨が降り出した。これが話に聞いていたスコールかと思っていた。スコールならミーティングが終わるころには、すっかり上がるだろうと気にもしていなかった。ところが嵐でもきているのか、風もでてきて天の底でも抜けたのかいうどしゃぶりになった。
ミーティングも終わって表に出たら、タイの人のだれかが連絡してくれていたのだろう、キャノピーの下にバンが止まっていた。何時間もあったのだし、客からも色々聞いていたから、バンも修理してきただろうと思っていた。朝と同じように、外国勢はさっさとホテルに向かって出ていった。また取り残された感じの日本勢、運転手の顔を見て、えっ、そりゃないよな、応急処置にしてもちゃんと修理して来たよなと思った。思いたかったといったほうがあっているかもしれない。何を言っても一言もしゃべらない運転手に何を聞いてもしょうがない。みんな朝と同じ席について、無言の運転手がのそっとバンを動かした。

朝と同じで、ガスステーションを見つける毎に入っていく。ただ天気が違う。朝は晴れていたが、今は台風のような風にたたきつけるどしゃぶりの雨。周りは真っ暗闇でヘッドライトだけを頼りにノソノソ走っていった。
高速道路とガスステーションの間の三、四メートルは舗装がない。よく練り込まれた粘土質の土でぬかるんでいる。なぐりつける雨のなかタイヤを滑らせながら、入っては出てを繰り返していた。気を付けろよと思っていたが、ついに恐れていたことが起きた。高速道路に戻ろうとしたがタイヤがぬかるみにはまってしまった。はまってしまったら、車を前後に細かくよいしょよいしょという感じで往復させて、勢いで飛び出るようにしなければならないのに、運転手が力任せにエンジンをふかした。ふかせばふかすほど深みにはまっていって、どうにもならなる。外は暴風雨、だれも表に出たくない。それは運転手も同じだっただろう。

吹き付ける雨の音とスリップするタイヤの音が断続的に続いていた。誰も何も言わない。自分からは言いだしたくない。ついにドアの横に座っていた人が、何も言わずにしょうがないなという感じでドアを開けた。風で舞っている雨が吹き込んできた。開いたドアを手で抑えながら身を乗り出そうとしたとたん叩きつける雨で前が見えなくなる。目を細めて一人ずつ降りた。経験したことのない大雨で滝にうたれる修験者のようだった。最初の一歩はまだいい。次の一歩がどうにもならない。ぬかるみに靴をとられて、足を上げたらスポっと脱げてしまう。なんとか一歩進めるが次の一歩へが難しい。あちこから「ありゃ」「わー」「へっ」と聞こえてくる。タイヤがまき上げる泥を全身に浴びながら、高速道路に向けてバンを押したがちっとも前に進まない。タイヤがスリップしてどんどん沈み込んでいく。営業課長が身振り手振りで運転手にエンジンをふかすなと言っているが通じない。何をいっても通じない。

高速道路まであと二メートルほど。それがなかなか進まない。みんなで声をかけあって反動を使いながら押していった。少しずつ動いてはいる。でも、もしポンと高速道路に乗ってしまったら、ものすごい勢いで走ってくる大型トラックにはねられる可能性がある。
五人で声を合わせて「せーの、せーの」とバンを押していった。川にでも落ちたかのように全身ずぶぬれ、頭から泥をかぶって、靴はどろだらけで見えない。ぬかるみに足をとられながら、やっとバンを高速道路に押し出した。思わず「やった」と声をあげていた。運転手は雨にぬれはしたものの、泥だらけにはなっていない。つくりものでもいいから、少しは申し訳ないって顔をしろと誰もが思った。そんな非難の雰囲気を少しは感じたのか、もうガスステーションに入ろうとはしなかった。そこはヘッドライトが頼りの暗闇の高速道路、あまりのノロノロ運転で後ろからトラックにぶつけられるではないかと心配だった。

やっとホテルまで戻って来た。ホールの明かりが眩しい。ずぶぬれの泥だらけを見て誰かが笑い出した。乞食でももうちょっとまともな格好をしてる。笑われて我に返ったのかのように、ぱっぱっと頭を振ってスーツをパタパタ叩いて水をとばして、人のこと言えるか、お前もおなじゃないかって見合っていた。それにしてもひどいありさまだった。ぐしゃぐしゃの靴が歩きにくい。一歩ごとに靴に入った水がボショボショと音を立てる。とぼとぼ歩いたみんなの足跡がフロアに残っている。なんてこったと思っていたら、黒服が飛び出てきた。

「そんな格好で入ってこられちゃ困るんですけど」
おいおい、それが客に対する言い方か。みんな、むっとして黒服を睨みつけた。
なんだと思いながらも黒服、客かと気がついたのだろう。それでもホテルの立場もあって、
「その泥だけの靴、脱いでもらえませんかね」
営業課長が怒った。
「ふざけんな、お前のところレンタカー屋で借りた運転手付きのバンがぬかるみにはまって、みんなで押し上げてきたんだぞ。スピードもでない壊れたバンなんか持ってきやがって……」
怒気に気圧された黒服に覆いかぶせるかのように続けた。
「靴脱いでやるから、スリッパもってこい。裸足ってわけにもいかないだろう。みんなの靴をきれにしろ。と、スーツは明日の朝までにドライクリーニングで仕上げてこい。だれのせいでこんなことになったかわかってんのか。レンタカー屋にいって聞いてこい」
その晩、遅い時間に靴が水洗いされて返ってきた。びしょびしょの靴を見て、ふざけるなと思ったが、朝になったら、そこそこ乾いていて履けないこともなかった。そこはタイということなのだろう。

p.s.
<女子従業員の制服>
タイには出張で何度か行っただけだから、表面的なことしかわからない。似たような光景を何度か目にすると、ただの偶然かもしれないが、それが普通なんだろうと思ってしまう。
客先は巨大な工場で会議室と来客用の食事処とそこにいたるまでの通路しか知らない。半年ばかりの間に七回か八回訪問して、そのたびに同じ通路を歩いていて同じように集まっている人たちを見た。
偶然休み時間だったからなのか、広い敷地のあちこちで従業員が世間話に興じているのを目にした。ときには数人の若い女子社員がファッション雑誌をみながらワイワイ言っているのに出会った。みんな制服?を着ている。ただその制服、日本でいう制服とはちょっと違う。着ている制服がみんな違う。でも統一感がある。その統一感は共通した生地から生まれていた。どの制服にも個性というのか主張がある。同じ生地に違う生地を組み合わせて、まるでファッション誌から抜け出たような輝きがある。なんども似たような光景をみて気になってしょうがない。ある日、勇気をだして英語で通じるかなと思いながら聞いてみた。
「皆さんファッション誌から抜け出たような服着てるけど、みんな違うじゃない。制服なんでしょう?」
三人がわっと驚いて、一人がたどたどしい英語で教えてくれた。
「会社からは生地がもらえるだけで、どんな服にするかはみんなの自由。だから雑誌見て、これにしようか、あれにしようかって相談しながら決めて、テイラーにもっていって縫ってもらうんですよ。だからみんな違うんです」
もう一人が、
「そう、かぶっちゃうのやじゃない。だから相談して私はこれにするって、あんたはって決めるんだよ」
同じ生地は使っても違う生地を組み合わせるのもスタイルも自由。こんないい考えもあったんだ。日本もそうすればいいのにと思ったが、日本では仕立て代が高くてそうもいかないだろう。

が、なかには少々高くても、それでも十分安いというのがある。ファッション雑誌『25ans(ヴァンサンカン)』に載っているのは世界のセレブ御用達の安くてもうん十万はくだらないトップブランド。ちょっと贅沢をと思っても、普通の人たちに手のでるものはない。そこで、その雑誌を手に仕立て屋にいって、こんな感じのを作りたいんだけどとコピーを仕立てる。お仕事でかなりのものを着ているように見せなければならない人たちが編み出した裏技。まあ、普通の人たちには関係ないかもしれないけど。
2020/11/30