やっと受注はしたけれど、(改版1)

「大雨のなかぬかるみにはまって」の続きです。
http://mycommonsense.ninja-web.net/business15/bus15.2.html

「忙しいところ、急にお呼び出してもうしわけないな」
何が申し訳ないだ。よく言うよと思ってはいても、呼ばれればいつでも飛んできますという姿勢は崩せない。
「いえー、何も分からないまま走り回っているだけですから……」
持ち上げておけば間違いないとは思っていても、なかなか気の利いた言葉がでてこない。何社もない狭い業界、製鉄関係の主だった動きは筒抜けだろう。「どこにいっても」を外して、いつまでたっても駆け出しでという口調でいった。
「ご指導いただきながら、ご迷惑にならないように付いていくだけで精一杯で……」

何かあったのか。悪いことではなさそうだが、どことなく今までとは感じが違う。
「ちょっと空いていたから、どうしてるかなって思ってたんだけど、元気そうでなりよりじゃないか」
皮肉にしか聞こえない。知ってるくせに。製鉄関係では中国やタイにまでいって、一件の受注もなくてちょっと追い詰められた感があった。製鉄しかやってないと勘違いしていそうだが、訊かれもしないのに手の内を明かすもともない。輪転機とタイヤでメシが喰えてるからいいようなものの、そろそろ製鉄でも注文がないと歩く計算表ソフトのような営業トップが煩い。

「来てもらったのは、これなんだけどな」
と書類を手渡された。
薄い。連鋳機には見えない。表紙には「Rail」と「Quenching」の二文字が見える。
失礼しますと一言いって、ざっと見始めた。
「レールのクエンチング・ラインなんだけどな」
薄いはずだ。焼き入れ・焼き戻しで大した制御はいらない。
「お見積りということで、よろしいんでしょうか」
仕様書をだされて、見積依頼以外にありえないじゃないかと思いながら、丁寧に聞いた。

今まで感じたことにない下賜のような雰囲気が気になった。下賜の文化は押し返しておかないと、後々面倒なことになりかねない。バイヤー(Buyer)とセラー(Seller)、お互い自分の利益を求めて対等の関係でなければならないのに、日本では皇帝と忠僕のような文化がある。ここは日本だし相手あってのビジネスと割り切って忠僕を演じようにも、アメリカ本社から背中に一本筋を通されて、腰を折ろうにも曲がらない。もっとも最後の一線を越えてへりくだれる柄でもないし、下手な芝居は見苦しいだけだろう。
それでも、お腹が空いて困り果てているんじゃないかと思われるのも困る。もともとありもしない立場にしても、足元をみられるようなことになれば、いざという時の交渉の足場さえ失いかねない。

感じるものがあったのかもしれない。念でもおすかのように、
「これは、うちのアメリカ工場だと思ってもらったほうが分かり易いかな」
インランドとの合弁は聞いていたが、アメリカに工場なんてあったっけ、と思っていたら、
「これは門外不出の技術で他所には出せないからな」
門外不出って、あれもこれもあって、これだけじゃないだろうし、何を言いたのか。要はアメリカの自社工場向けってことで、だからなんなの?
分かってないなお前という顔をして、
「これは、自社設備のようなもんだから、失注ってことはないから」
ああそいうことかと、思わず頬がゆるんでしまった。日造の出ると負けがいい例で、日本のご同業を押しのけて機械装置メーカに採用してもらっても、機械装置メーカがエンドユーザである製鉄メーカから注文をとってこれなければ、制御システム屋としては無駄骨に終わる。

「ただ、アメリカの機関投資家からの資金も含めて、金は全部ドルでアメリカの口座にいれてあるから、注文となっても、日本じゃなくてアメリカの事業部へになるけど、それでいいよね」
いいも悪いも、それで決まってんだし、こっちも日本支社の社員ではあっても、給料もなにも事業部もちの事業部預かりの身。アメリカで事業部への発注になってもなんの問題もない。
「日本でもアメリカでもどこでご注文を頂戴しても、弊社としてはアメリカのドライブ・システム事業部が受けることで問題があるとは思えません」
なんでそんなことを気にするのか。あとで知ったが、日本の会社で営業をしたことがなかったからわかなかった。
「一つ確認させて頂きたいのですが、」
何でもおとなしく聞いている人間からそう言われると、あらたまって何なんだと思うのだろう。ちょっと背筋を伸ばして後ろにひいていた。
「計装はPLCでいいんですよね。DCSは持っていないんで、PLC計装ならいいんですけど。DCSを使えとなると、コストアップになるし、事業部の抵抗もあるかもしれないし……」
「ああ、そうだな。アメリカの設備なんだから、御社の標準のPLC計装でかまわないよ」
「注文は間違いないんだから、いい仕事をしてくれよ」
「そりゃもう、ベストの体制でいきますから」
「最初のプロジェクトでミソ付けちゃうと困るからな」

事務所に戻って、必須個所を英訳しながら、クエンチング・ラインを想像していった。前に見積もった再加熱炉ラインから想像して、一億円は超えるが到底二億円には届かない。どちらも温度制御はあるがメインはマテハンで、対象がスラブかレールかの違いでしかない。最初から連鋳機のような大きなプロジェクトよりいい。

事業部にとっても手ごろな大きさで、工数のやりくりを心配することもない。失注の可能性がないというのが効いたのだろう、即見積がでてきた。構成要素は再加熱炉と似たようなもので、特別注意しなければならないところがあるとも思えない。一億四千万円。まあ、妥当なところだと思って持って行った。

「おお、早かったな」
「御社のプロジェクトとなれば、最優先ですから」
世辞のつもりはない。名前も聞いたことのない客と世界に知られた代紋のあるところが同じなわけがない。車のトヨタと同じで、日鉄の実績が製鉄業界における信用になる。
「技術にチェックさせるけど、詳細説明に来てもらえるかな。初物なんで色々聞きたいと思ってるのが何人もいるようだから」
日鉄が来いといってると言えば、多少の無理をしてでも来るとは思うが、確認もせずに安請けはできない。
「日程の調整が必要かもしれないので、ちょっとお時間いただけますか」

夕方メールを送って、夜電話した。
「クエンチング・ライン、初のPLC計装になるんで、詳細説明に来てもらえないかな。八幡の技術陣には結構煩いのも多いし。いくつかの候補の日をあげてくれないかな。八幡へは日帰りするけど、他もあるし余裕をみて四、五日、きりのいいところで一週間きてもらいたいんだけど……」

マーケティングが市場開拓と旗を振っても、製品単体のルートセールスでイージーマネーしか追いかけたことのない営業部隊も代理店もシステムビジネスなどどうしていいのかわからない。資料を用意しても説明会を開いたぐらいでどうにかなるものでもない。しょうがないから本来営業部隊の後に控えているはずのマーケティングが前線に出ていくことになる。ところが、社内規定でマーケティングは注文を受けとる権限がない。やっと受注にとなった時点で、形ながらにしても営業マンをつけなければならない。営業マンにしてみれば、最初から最後までマーケティングがやってくれる棚ぼたの、いつも手にしている注文とは一桁も二桁も違う、年間ノルマ達成の美味しい話で笑いが止まらない。

見積担当一人で十分なのに、プロジェクトマネージャも付いてきた。やる気のあることを見せなきゃというより、半分以上遠いアジアへの観光旅行のような気分が透けて見える。
喜んででてきた日本支社の営業担当も一緒に、四人で大手町の本社に午後遅い時間に挨拶に行った。そのままタクシーで六本木にでて夕飯からクラブにおつれした。この手のことはすべて営業任せで、マーケティングにはそんな予算もなければ習慣もない。
予定は聞いていたが、翌日日鉄の接待で赤坂に連れ出された。さすが日鉄と思い知らされた。行く店の格が違いすぎる。アメリカでも客に接待されることがあるらしいが、こんなとんでもない経験はしたこともないし、聞いたこともないと感激あまって恐縮していた。
「細かなことを言う気はない。いい仕事をしてくれ」と何度も念を押されて、金額以上の重さに潰されそうだった。
小倉は再加熱炉を見積もったときに、制御機器を持ち込んでシステム構成からデモまで見せて質疑応答までしていたので、何ということもなく終わって拍子抜けだった。

これで受注間違いなしと思っていたが、甘かった。翌週電話がかかってきた。
「技術的にはいいんだけど、価格がもうちょっとどうにかならないかな」
電話で済ませられるようなことでもない。即出かけていった。
「ベンダーを叩くなんてのは、内じゃご法度だから……」
さすが日鉄、殿様商売の雰囲気すらある。
「どこかオーバースペックになっているところもあるかもしれないし、できるだけ詳細なブレークダウン見積を出してもらえないかな」
「了解です。即出すように手配します」
「ブレークダウンが分かれば、どこが割高になってるのかはっきりするし」
言っていることは理にかなっている。でも客に高いと言われて、はいそうですか、じゃあいくら値引きしましょうかなんてことを言ってくるは思えない。そんな簡単に値引きできるなら、最初の見積にどれほどの糊代が載っていたのかということになる。ひいては企業としての信頼にまで疑問符がつく。

早速届いたブレークダウン見積をもって出かけた。
「うーん、後で細かく見ていくけど、ぱっとみて目立つのはコミッショニングだな」
そう言われても、コミッショニング・コストがどう計算されているのか知らないし、レールのクエンチングシステムの相場観もない。
「事業部にコスト削減の提案をしてこいと言ってありますから……」
「ここを検討しろと、ご指導を頂戴できれば、お願いします」

翌週電話がかかってきた。
「購入品のブレークダウンを見たら、モーターはソースから買うより安いんでびっくりした。まあ良心的な見積だということは分かるんだけど、億をちょっと超えたあたりまで絞らなきゃならないんで、なんとかならないかなー」
どこに行っても高いと言われ続けて慣れっこになっていた。「なんとかならいかなー」は事業部に散々言ってきたこっちの台詞で、寝言ででも言っているかもしれない。事業部にはいくら言っても取り合ってもらえたことがない。事業部の耳には耳栓でも入っているのではないかと覗いてみたくなる。可能性は二つしかない。仕様をどこか変更するか、コミッショニング・コストの計算に手を入れるか。どちらにしても、漠然と事業部に頼んでいたのでは一歩も前に進まない。もうメールや電話でのやり取りでは埒が明かない。

ロイヤルパークホテルで夕飯を食いながら話を聞いていて腹が立ってきた。事業部でコミッショニング・コストをどう扱うか決めてきたはずなのに、何の準備もしてきていない。このまま明日日鉄にいけば、がっかりするではすまない。
遅くなってもかまわない。部屋からジェコインスキーに電話した。
スティーブが状況を説明した。なんの案もなく空手で日鉄には行けない。明日の朝、事務所で回答を見てからまた電話する。
要点は二つだった。
1) モーターをセカンドソースに置き換えたらいくらいくら節約できるのか。
2) コミッショニングも調整して、出来れば二〇〇〇万円、最低でも一五〇〇万円下げろ。日鉄の常識を大きく超えていて、現状の見積方法だと、今回だけでなく将来のビジネスのネックなる。

自分の直接の部下からの具申は正面から受けとるのに、よそからの、ましてや海外支社からの依頼は真面目に取り合わないマネージャというのか管理職がいる。日立精機のニューヨーク支社から何度も本社に報告しても取り合ってもらえなかったのに、出張に来た人から上司に話したら、さも当たり前のように改善されたことがある。駐在員の激怒に出張にきていた人がとんでもないことをしでかしたのかとビビッていた。どこでもあることだが、言っていることより、誰が言っているかで判断する痴れ者がいる。

一千万円は下げられたが、日鉄が要求している一億二千万万円にはできなかった。あと一千万円の違いが埋められない。日鉄と事業部の間に入って、三ヵ月も何か手はないかと話つづけたがどうにもならない。
「藤澤さん、不味いことになってきちゃったな。調達部長がでてきて、ちょっと会いたいっていってんだけど、来てくれるかな」
こっちも似たようなもので、日本支社の社長が早くまとめろと煩い。まとめろと言ってまとまるものなら、とっくにまとまっている。事業部との間に入るわけでもなし、何を見積もっているかには興味もない。社長室で何もしないで金額、いってみれば自分の成績だけが気になる御仁で屁のつっぱりにもなりゃしない。

「加藤がお世話になっているプロジェクトなんだけど、このままいくとスケジュールに影響がでてしまう。予算が合わないからって、機関投資家に説明できることでない。もういいかげんに発注したいんだけど、なんとかならないかな」
見たところ、部長代理より若い。態度は穏やか言葉は丁寧だが、脇をすり抜けるなんて小細工はきかない。エリート街道を走ってきた人によくある精神的な余裕さえ見える。なんとかできるものならとっくにしている。メッセンジャー・ボーイが出来ることはしれている。
「ここまで来て、なんともならないでは済まされないこと重々承知しています」
「事業部の枠を超えて、日本支社も超えて、海外市場全体を担当しているSenior VPを引っ張り出しましたが、事業部のVPに押し戻されて動きがとれないところまで追い込まれてしまいました。残るはCEOしかないのですが、CEOにまで行っても、個々のビジネスは事業部のVPにしか分からないと言われそうな気がして躊躇ってます」
部長代理には既に話してあるので調達部長にも話は通っている。何も新しいことはない。
「藤澤さんさ、たかがというとおかしな話になっちゃんだけど、この案件、一億ちょっとだろう」
「御社にとってはそうかもしれませんが、弊社にとっては大きなプロジェクトです」
「そうなのかもしれないけど、オレ年間いくらのサインをしてるともう?数千億円の発注をしてるんだよね。とでもじゃないけど、一億ちょっとのプロジェクトにこんなに時間をかけてられないんだよ。分かってもらえるかな」
さすが日鉄、数千億円の調達、ちっとも大げさじゃない。でもだから、どうしろって。
「お手数をおかけして、申し訳ございません」
押されただけで帰ってきた。
社長に呼ばれて、状況を説明した。どこかに打開策はないのかと散々考えてきたが、妙案は浮かばない。走り回っていると大事なところを見落としている可能性があるが、いくら考えても見落としも見つからない。数字だけしかみようとしない社長からヒントの一つでもと思うほど能天気じゃない。

翌週、電話がかかってきた。いつもの口調なのに妙に軽いというのか明るい。
「ああ、藤澤さん、ちょっときてくれるかな」
調達部長にあそこまで言われたのに、何の案もないまま出かけていった。

通いなれた六階にエレベータが止まったが降りるのが嫌になってきた。逃げるわけにもいかない。努めて平然といつものように内線番号を回した。
「藤澤さん、あんたには感心したってのか呆れたと言った方がいいかな。調達部長が根を上げたよ」
何を言われているの分からずにぽかんとしていた。
「昨日、調達部長に呼ばれて、叱られるのかと思いながら行ったら、このままで行けって、笑ってたよ」
「オレも付き合いながいけど、あの人が根を上げるなんてことめったにないからな、それも笑ってだから」
笑ってがどうしたのか分からない。
「明日にも注文だせるから、確認の意味でもう一度最終見積を出してもらえるかな」
「最初に言ったはずだけど、注文はドルでアメリカの事業部に出すことになるけど、どこに出すのか出し先も連絡してくれるかな」 なんだ、今までなにをしてきたんだ。このろくでもない時間はなんのためだったんだと気がぬけた。
「ありがとうございます。早速事業部に連絡いれます」

社長にやっと注文が決まったと報告したら、
「そうかよかった。注文は日本支社に出してもらえ」
「えっ、最初にお話したように、資金はアメリカの銀行においてあって、注文はアメリカに出すという条件で始まった案件で、今さらそんなお願いできませんよ」
ふざけるなこの野郎って机でも蹴飛ばして終りにしてしまいたかった。

翌日、電話を入れてお願いに上がった。
「申し訳ございません。日本支社の社長に、どうしても日本のビジネスにしてもらえるようお願いに行ってこいと言われてきました」
「最初からアメリカのビジネスになることは報告して何度も念を押しておいたのですが、どうしてもってお願いしてこいと言われて、叱られるを承知で来ました」
ここからまた、茅場町と日本橋の往復が始まった。お願いしてこいってなんて言ってないで、自分でいったらと何度も言いかけた。
ただのメッセンジャー・ボーイとして一週間も行ったり来たり。いったいオレは何やってんだろうと馬鹿馬鹿しくなってきたところに電話が入ってきた。もう顔も見たくないと思っているはずなのに、声が軽い。
「ちょっと来てくれるかな」

「いやー、部長がもうやってやれって」
「ありがとうございます」
「いやー、そこでだ。バイセルの差額をどうする。ドルを円に換えるだけでも、金額が金額だからな」
「そこまでお世話になれません。そく社長に伝えてバイセルは弊社で」

社長に報告したら、さすがにバイセルの費用まで押し付けるまでは厚かましくなかった。
即電話を入れた。
「バイセル、弊社で負担します。本当にありがとうございます」
言い終わらないうちに、言われた。
「ベンダーに変な負担をかけるのはご法度だ。前にも話したろう」
「はい、はっきり覚えています」
「バイセル、こっちで持つことにしたから、いい仕事をしてくれよ。いい仕事だ、頼んだぞ」
「ありがとうございます」
ありがとうございます以外になんといえばいいのか分からなかった。

コミッショニングに入って直ぐとんでもない問題が持ち上がった。事業部ができあがってないものを出荷して、コミッショニングどころか現地で開発を続けていた。未完成だろうがなんだろうが出荷してしまえば、営業拠点に配置されているサービス部隊の仕事になる。サービス部隊は独立採算で、費用が発生する。出来上がってもいないシステムを平気で出荷するドライブ・システム事業部、あまりにもだらしなさすぎる。
現場での開発は、サービス部隊から別途費用。詐欺のようなというより、正真正銘の詐欺でしかない。日鉄はカンカンになって怒った。がその時にはすでにドライブ・システムを解任されていた。事業部にだまされたのは日鉄だけじゃない。輪転機でもタイヤでもみんな騙された。こっちも騙されて詐欺のお先棒を担がされていた。

三十年以上も経って、トランプのアメリカ・ファーストというキャッチフレーズを聞いたとき、何を今さら、口に出すか出さないかの違いだけじゃないかと思った。使い捨ての外人部隊として散々味わってきたことで、トランプに始まったことじゃない。ただ、自分(たち)の都合は日本にもどこにでもある。はっきり口にするか、反語で格好をつけるかの、そして程度の違いでしかない。
2020/9/17