使わないという前提で話だけなら(改版1)

「大雪でどうにもなりません」の続きです。
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飛び込み電話を続けていると、どうしても気持ちが萎えてくる。少しでも好印象をと明るい声で話している自分がイヤになる。ぽっと時間が空いて、しなきゃって思ってもそう簡単には始められない。やらなきゃと始めてみても二軒三軒で、放りだしたくなる。そんなことでどうすると尻を叩く自分がいる。やめるわけにもいかない。気を入れて五軒六軒も続けると、冷たい話にめげてしまう。インターネットがやっと使えるようになった八十年代末、売り込み先さがしは、会社四季報と就活の大学生が使う本や資料に業界誌からだった。高専の三期生、先輩という先輩もいないし、コネなどあるわけもない。

アメリカにはニッチな産業の業界誌が結構ある。パスタ業界の専門誌もあれば自動組立機業界の月刊誌まである。英語の雑誌の強みで読者を世界に求められるからできることで、日本の業界誌には夢のような話だろう。日本では間口を広くとらなければ発行部数が足りなくて、ビジネスとして成り立たない。広告宣伝で禄を食んでいる事情もあるのだろう、当たり障りのない記事どころか、広告主の手前みその寄稿で紙面を構成した業界誌もある。

業界構造を知らない部外者に見えるのは、一つかみの大手のエンドユーザまでで、そこに出入りしているエンジニアリング会社や外注先までは分からない。大きなモータを使う業界ならと思って、上下水道用や製鉄に絞って電話をかけていっても、何日もしないうちに飛び込み電話も終わってしまう。最初の電話でなんからの足掛かりができることは、よほどのめぐり合わせでもない限りない。これはと思うニュースがあっても、無下もなく断られたところにはもう電話もできない。
電話する先もなくなって、どうしたらいいのかわからない。いくら考えてもこれといった案も思い浮かばない。独りであれこれ考えるにしても、考えるきっかけすら見つからない。歴史の短い外資の弱みで、日本の会社であればこんなことはないんだろうなと羨ましく思ってしまう。

どこかにきっかけとなる情報はないものかと考えていて、業界誌(雑誌)ではなく業界紙(新聞)もあるんじゃないかと、漠然と思いだした。思ったところでどんな新聞があるのか見当もつかない。あれこれ考えて、もうなくて元々、電話番号案内一〇四を回した。インターネットが当たり前になった今となってみれば、稚拙というか馬鹿げたことに見えるが、追い詰められて藁にもすがる気持ちだった。

「鉄鋼新聞とか製鉄ジャーナルなんて新聞社ないですかね」
「所在地はどこでしょう?東京ですか?」
あるかないかわからない会社の所在地なんか分かりっこないだろうと思いながらも、ありもしないものを聞いているんじゃないかと後ろめたい。
「多分、千代田区か文京区か品川辺りじゃないと思うんですけど」
「そうですね。鉄鋼新聞社という会社が神保町にありますが、こちらをご案内させていただいてよろしいでしょうか」
うそ、ほんとにそんな新聞社あったんだ。

電話番号は分かった。場所は神保町、九段下から歩いたって大した時間はかからない。すぐそこだ。この期におよんでなんだお前と思いながらも、飛び込みの電話を入れるのをためらった。もともと何もないんだし、多少イヤな思いをしたって関係ないじゃないか。いざとなれば電話を切っちゃえばいいだけじゃないかと思う自分がいる一方で、電話したところで、イヤな気持ちになるだけじゃないか、止めとけという自分がいる。逡巡した。今日はここまででいいや。電話は気分一新で明日にしよう、何も焦ることでもなし、明日でいいや。踏ん切りがつかないまま翌日に持ち越した。

昨日と同じようにぐずぐずしていた。昼飯も終わって、コーヒーをすすりながら、えぇーい、たかが電話じゃないか。嫌な感じだったら、早々に「ありがとうございます」とでも言って終りにすればいいだけだ。それでも恐る恐る電話した。
事務の女性が出てきたら、要件を説明するのも大変なんじゃないかと思っていたが、年配の男性の声だった。要件といってもなんと説明したらいいのか、自分でもはっきりしない。大きなモータを使う機械を作っている会社を知りたいんですけどと言ったら、あまりに漠然とした話で通じないだろうし、じゃあなんて言ったらいいの分からない。もう、しょうがない。正直に、努めて手短に話した。電話口で、なんと答えたものかと困っているのが分かる。
読者でもなければ製鉄に関係した業界の者でもなし、相談に乗りたくても、あまりに漠然とした、普通に考えれば、いい年して何を頓珍漢なことをいってるのかと思われるのが関の山だろうと思っていた。

「お願いなのですが、貴紙の元旦号を拝見せていただけないでしょうか」
ぐずぐず言っていて、とっさに思いついた。業界新聞の元旦号には業界の主要メーカや商社の新年のご挨拶が並んでいる。社名だけのご挨拶だが、紙面上の場所と大きさから業界内での立場と事業規模の想像がつく。
「ああ、そうですね、それが一番手っ取り早いかもしれません。いつでもいいですよ。いらしていただければ」

相手にしようのない迷惑でしかない電話をかけて、いやな気持ちになっていたところに、あまりに親切な話で、ちょっと薄気味悪かった。なんでこんなに親切なんだろう。飛び込み電話、人によっては新聞か保険か勧誘か怪しい投資がどうののような話に聴こえるのだろう、十中八九冷たい応答しか返ってこない。何軒かかければ、もうかける元気がなくなるところまで落ち込む。それが「いつでもいいですよ」。狐につままれたような話で、聞き間違いじゃないよな、本当だよなと何度も思い返した。なんとも厚かましい自分に呆れる。でも、ここまできたら、もう恥も外聞もない。

見たところ四十代の人が相手をしてくれた。お茶までだされてちょっと困った。定期購読などするつもりもないのに、なんでそこまで親身になって相談に乗ってくれるか分からない。

「これが今年の元旦号で、こっちが去年のだけど、どれだけ役に立つのかなー」
といいながら、応接室のテーブルの上に広げてくれた。

名前だけにしても知っている製鉄関係の会社や大手のエンジニアリング会社もあるが、ほとんどは聞いたこともない会社で、なんのひっかりも見当たらない。こんな思い付きでこれといった候補など見つかるわけがない、空振りだったと思った。
親切はありがたいが、無駄な時間をさいてもらって申し訳ないと思いながら、聞いたこともないだけという興味半分で訊いた。

「あのー、すみません。この会社、引き抜きって書いてありますけど、なんなんでしょうか」
「ああ、そこ。丸棒をさ、穴から引き抜いて、ほらピアノの線あるでしょう。ダイスの穴を段々小さくしていって、細いピアノ線を引き抜くっていえば想像つくかな」
そんな機械があるとは知らなかった。

「すみません、勉強不足で、棒材から引き抜くって、かなりの力がいりますよね」
「そうだね。引抜機を何台も並べて、通していく穴を段々小さくするんだけど、どれも五十馬力や百馬力なんてモータを使ってると思うけど、細かなことは聞いてみなきゃ、わからないな」

なんどもお礼言ったら、ちょっと改めてという感じで言い返された。
「ほら、新聞は社会の公器だから、何かあったら電話してくれれば、お話できることがあればなんでも……、いつでもいいですよ」

「新聞は社会の公器」にはちょっと感動してしまった。それというのも、似たようなことを最初に入った会社の新入社員研修で聞かされていた。「企業は社会の公器」だったり「会社は社会の公器」をなんども繰りかえしていた。社員教育を請け負っているコンサルで話は分かりやすいし、声も通る。まあ、社会人としての責任感をというつもりだったのだろうが、そんなきれいごとで世の中回っていないのを分かってて言わなきゃならない、なんとも格好だけの仕事にしか見えなかった。
研修という名の時間つぶしなんだから、おとなしくしていればいいものを、何度も繰り返えすものだから、ついムッとして質問してしまった。ちょうどそのころ、明治乳業が脱脂粉乳にヤシ油を混ぜて成分無調整と言っていたインチキがばれて大騒ぎになっていた。
「明治乳業も社会の公器なんですよね」
いやな野郎と思っただろう。これで要注意人物が確定したようなものだった。

ヤシ油牛乳は五日市街道沿いにあった協同乳業の工場でも話題になっていた。高専の三年生から五年生まで、夏休みも冬休みも春休みもその工場でアルバイトをしていた。アルバイトの補助要員だから三年目にもなれば、ほとんどのラインのほとんどの工程を経験している。とうぜん脱脂粉乳にバター戻した加工乳がなんなのか知っていた。

業界誌と呼ばれる月刊誌で相談に乗ってくるところは少ない。以前の号に掲載されている記事をと言えば、バックナンバーの購入が礼儀だった。新聞社は違う。「社会の公器」は、鉄鋼新聞社だけではなかった。後日おじゃました食肉や飲料関係の業界紙でも、一銭にもならない迷惑でしかない飛び込みにもかかわらず、丁寧にいろいろ教えていただいた。

引抜機、折角見つけたのに電話するのをためらった。電話したところで相手にしてもらえる可能があるとも思えない。それでもやっと見つけた一社、ダメもとで電話した。
いつものように手短に要件を伝えて、担当者に回してもらった。
面倒くさいだけの飛び込み電話なのに、人柄なのか声が明るい。話は明るいがそこから先にはいかない。関西の文化なのか、つかみどころがない。

「ご紹介だけでもさせて頂けませんでしょうか」
「いや、いいけど、東京でしょう。紹介だけで岸和田まで来るの」
直ぐそこじゃないとは言えないが、大阪のちょっと先としか思っていなかった。
「大阪のちょっと先じゃないですか。ご都合の良い日を教えて頂ければ、いつでもお伺いします。日帰りできる距離ですから」
「えー、まあいいけど。絶対買わないって前提でいいんなら、話だけでいいんならいいですよ」

なんの準備もなく出かけていった。新大阪からちょっと先へぐらいにしか思っていなかったが、乗り換えが面倒で結構な時間がかかった。

ざっとインバータの機能を説明していって、いくつかひっかかった。
「フライングスタートがありますから、何かおきてトリップしたあとの自動運転再開が……」と話し始めたら、なんなんだそれっていう顔をしながら、
「それ、『瞬停再始動』のことじゃないの」

「瞬停再始動」と言われても、何を言っているのかわからなかった。
機能が何をするものなのか、二人で話していて気がついた。機能は同じだが、日本メーカでは「瞬停再始動」と呼んでいるものをアメリカのインバータ屋では「フライングスタート」と呼んでいた。具体的な設定に多少の違いがあったにしても使う側から見た機能は同じ、日本名の方が分かり易い。

インバータへの電源電圧が一瞬でも許容を越えて下がると、インバータの制御部(コンピュータ)が停止してしまう。モータへの電力は切れてしまっているのに、モータは負荷に引きずられて惰性で回転し続ける。電源が復旧したときにインバータが最初に稼働したときと同じように稼働し始めるとモータが停止した状態から制御を再開することになる。モータは惰性で回転しているのに、停止していると判断して制御を始めると、回転しているモータに急ブレーキどころか衝突事故と同じことが起きる。最悪の場合は機械を壊す。
そこで、運転を再開するときインバータはモータの回転数と同じ速度でモータの運転を始めるように設定する。この機能が日本では「瞬停再始動」、アメリカでは「フライングスタート」と呼ばれている。

インバータ、サーボ系に比べれば大した制御をしているわけでもないが、それでも細かく見ていけば、各社各様に様々な工夫がされていて、機能も用語もそれぞれということがある。面倒なのは名称からでは機能を想像し得ないことだった。

客の業界に関する知識が足りないどころか、自分の製品すらろくに知らないでいた。日本のご同業のカタログやら資料はざっと見ていたが、名称しか見ていなかった。幸い日本のご同業の製品はどこも似たり寄ったりで、一社の製品が分かれば他社の製品も分かる。キーとなる仕様を一つ一つ確認して対照表を作った。一つの機能が一つの機能に相当していないこともある。この機能の設定をこうすれば、あの機能のこの部分の機能と同等になるけどなんて面倒なものもあって、対照表をみながら営業マンに説明しないと細かなところで誤解がおきる。没個性的な日本製品に較べると、海外の製品にはちょっと手を焼く個性がありすぎる。

岸和田までいって勉強にはなったが、見積一つもらえるわけでもない。いつものことでがっかりすることでもないが、こんなことが続くと、どうしたものかと暗くなる。一つの実案件を引き出すまでに、どれほどの無駄足をはこぶことになるのか。十軒行ってかすりもしないと、いっそのこと止めてしまったほうがいいんじゃないと思いだす。もともとダメ元で始めた市場開拓、出来るところまでが出来ることと腹をくくるしかない。馘になるまでやりたいようにさせてもらえれば、少なくとも勉強にはなると思い直しては、似たようなことをやって、また落ち込んでを繰り返していた。

二年近く経ったある日、岸和田から電話がかかってきた。
「ああ、藤澤さん、来てもらったときから随分経つけど、覚えてる」
思いもしない電話に驚いた。
「覚えてますよ。あの時はお時間を割いていただいて申し訳なかったです。で、どうしたんですか、また」
「いやね、絶対使わないって言っていたのに、絶対使わなきゃならない雰囲気になってきちゃってさ」
「なんで、どうしたんですか」
「アメリカ向けの案件でさ。御社じゃないと通りそうもないんだよ」
「遠いところ申し訳ないんだけど、ちょっときてもらえないかな」

二年越しの一千万円ちょっと。喜ぶべきなのだろうが、いかんせん効率が悪すぎる。それでもなにもなかったところからの貴重な一歩。一歩いっぽ前にはすすんでいるが、時計の針が馘にむかって時を刻んでいるようで気になる。
2020/12/22