全米鉄鋼産業年次総会へ(改版1)

「使わないという前提で話だけなら」の続きです。
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ジェフ・ミラーから来月一週間ほどこれないかというメールがきた。ジェフらしいメールで要件だけで余計なことは書いてない。
「本社のAuditorium(講堂?)で二年に一度の製鉄関係のセミナーをやる。アメリカだけでなくヨーロッパの鉄鋼メーカやエンジニアリング会社もきて、成功例の紹介もある。勉強にもなるし、キーマンも紹介できる」
「セミナーが終わったらピッツバーグに飛んで、翌日は全米鉄鋼業界の年次総会にでる。セミナーとはちょっと違う視点の話もきける。もう予約してあるから、日程を調整してくれ」

本社に大きなAuditoriumがあると聞いてはいたが、そんなところにいく用事もないし、どこにあるのかも知らなかった。
ミラーからの日程を見ると、週末に着いて月火がミルウォーキー、火曜の夕方ピッツバーグ入り、水曜が年次総会で、木曜にはピッツバーグ支店で支店の営業マンも交えてインダストリー・セールスのミーティングがはいっていた。金曜が空いていた。ミラーが気を利かしてくれたわけじゃないと思うが、ピッツバーグで一日ゆっくりするもよし、さっさと帰ってもいい、好きにしろということだろう。

丁度いい。製鉄関係が終わったらニューヨークに飛んで、マンハッタンにある住重のアメリカ支社によって、ニュージャージーのJohnson & Johnsonにも行きたい。ミルウォーキーとクリーブランドまで行くことはあっても、ニューヨークまで足を延ばす余裕のある出張はなかなかない。新居浜の窓口担当から、一度ニューヨーク支社にも御社の紹介をしておいてもらえないかなと言われていたが、そのためだけにニューヨークまでというのももったいない。

大きなモータならと輪転機と製鉄を追いかけていたが、製薬や日曜衛生用品ももしかしたらと気になっていた。ニューヨークまでいったら、Johnson & Johnsonを担当している営業マンの話も聞きたいし、できれば工場にもおしかけたい。
きっかけは、ドイツ向けに続いてP&G向けの紙オムツの製造ラインの話が転がってきたことだった。たかが紙オムツじゃないかと軽い気持ちで装置メーカに行って驚いた。いくつかのステーションが並んでいるだけで、完成したラインがないから全貌は話から想像するしかない。機械屋の感覚では組立ラインなのだが、扱うものが機械部品のように十分の一ミリや百分の一ミリでカチっとしていない。押せばへこむし、引けばそれなりにしても伸びる。消費者の目を気にしてステルスにしているところもある。なんとも勝手が違う。作業工程を上流から検査ラインまで聞いていて、途中で話について行けなくなった。紙オムツを作るのにこれほどまでの込み入った工程が必要だとは考えたこともなかった、というより話を聞いても想像がつかない。ラインの全長、短く見積もっても二、三〇メートルではきかない。モータやセンサーも含めた各ステーションの制御と全体の統括監視制御となるとかなりの大きさのシステムになる。そこらの機械部品加工やピック・アンド・プレースに使われているロボットがつつましいものに見えてくる。

いままで日本のご同業の製品でやってきたのに、なぜアメリカ製にこだわるのか不思議でならなかった。折角頂戴したビジネスチャンスに水をかけるようなことはしたくないが、気になってしょうがない。世間話にからめて、そっと訊いた。

「日本の製品(制御機器やモーター)でやってきて、何の不自由してないんじゃないですか」

なにを唐突にという顔をされたが、聞いておきたい。
「なんでうちの製品をとお考えなんですか」

話を聞いていて円高ドル安のせいばかりとは思えなかった。モータの取り付けも変更になるし、制御盤も全部設計変更になる。インチとミリの違いも面倒くさい。アプリケーションソフトも移植しなければならない。それをおしても使う意味や価値があるとも思えない。採用しようと検討しているところに、馬鹿な質問だったのだろう、なんだお前、そんなことも知らないのかという口調でいわれた。

「そりゃ、FDAですよ」

FDAはFood & Drug Administrationの略で、アメリカ食品医薬品局と訳されている。名前は聞いていたが、それがなんで絡むのかが分からない。だからどうした。なんでと訊くわけにもいかない。曖昧に口ごもった。

「あぁ、FDAですか」

あんたなーという顔をして言われた。

「FDAですよ。ご存知でしょう。薬や日曜衛生用品の製造装置や検査装置は国内市場が飽和しちゃって海外市場に展開しなけりゃ食ってけないですから」

やりたくないけどしなきゃならないということなのだろう、どこか投げやりというのか、面倒くさいという気持ちがにじんでいた。

十年メシを喰った工作機械もそうだったし、そういえば輪転機もタイヤも製鉄も海外向けの案件ばかりだった。ここでもそうなのか。でもなんでFDAなのか。

「国内なら厚生省ですむけど、海外でどこにいっても通用するのはFDAしかないから。情けない話だけど、厚生省なんかどうでもいいっていう、わけじゃないけど、FDAの規制に準拠してないとどうしようもないから」

そういうことか。昔ならJISで終わりだったのに、なんのことかしらないが日立精機でもISOがどうのという話がでてきていた。

「ほら、Johnson & Johnsonだったかな、コンタクトレンズやってるでしょう。製造設備が日本製というだけじゃなくて、あそこのコンタクトレンズ、一部だと思うけど、日本メーカのOEMでしょう。そうなると日本の設備と生産でもFDAの規制に準拠してなきゃならないから……」

FDAが市場開拓の切り札になるなんて思ってもみなかった。FDAというだけで、うちの製品アメリカ製で使いにくいんですけどという許しを請うよう姿勢に終始することも減らせるかもしれない。

ピッツバーグからシンシナチのP&Gへも考えたが、そこからニューヨークに飛んではきつい。P&Gの代わりに Johnson & Johnsonにした。

ミラーに連れられてAuditoriumに入って驚いた。会場も大きいが人も多い。狭い業界なのだろう、あちこちに旧交を温めているような集団ができていた。イギリスからもいればドイツからもいる。イタリアやオランダもいるが、アジアからは日本の一人だけだった。あちこちに見知った社員もいたし、ジェコインスキーと見積担当もいた。ミラーが、ただ引き合わせたのでは記憶にものこらないだろうし、下手なことを口にすれば問題になると思ってだろうが、どういう立場の人なのかざっと説明してから一人ひとり紹介してくれた。名前を言って、名前を聞いて名刺を交換して、経験という経験もないし、知っていることは上っ面にかかった霧のようなものでしかない。大事な相手のときはミラーが間に入って話をしてくれた。誰とは会わなきゃならないのか、誰とはこういう内容のことを話して、聞かなければならないのか、すべてミラーの仕切ってくれた。

日本でいえば成功事例発表になるのだろう、エンジニアリング会社が得意満面で説明していた。英語だからということではない。業界がどのような視点でどのような改善を求めているのかという内輪の実情を知らないから、細かな話にはついて行けない。それでも、聞いている人たちの反応をみれば、どれほどのものなのかぐらいの想像はつく。

発表者は社を代表しているという昂揚感もあるのだろう。大きなスクリーンを見ながら、それこそ身振り手振りのパーフォーマンスで聴衆を沸かそうとしているようにみえる。狭い業界でお互い付き合いも長い、いまさらなにをとなれば、おとなしく聞きながしているが、なかには合いの手も入れて半分お祭り騒ぎのような発表になる。
そんななかでひときわ目をひいたのがSMS Concast社の徹底したモジュール設計だった。どこもコストダウンのために機能ごとにモジュール化して、モジュールを組み上げて顧客の要求に応じる設計を推し進めてきた。ところが、どうしてもモジュール化しれきれないところが残って、残ったところが標準化したモジュールと組み合わない。どこも大騒ぎしてやってはきたが、モジュール化も標準化もある程度進んだところまでで頓挫していた。

モジュール化や標準化にはとんでもないコストと時間がかかる。そのコストも時間も顧客に転嫁できないから、長期的な視点に立った安定した経営が続かなければ、出来たところまでが出来たところで終わりにせざるを得ない。技術上の課題より経営姿勢によるところが大きい。
SMS Concastの発表は、豊富な写真やブロック図にモジュール化前とモジュール化によって簡素化した構造やコストやメンテナンスの容易さなどをまとめた表まで用意して、これでもかこれでもかと続いていた。やってきたことは全てオープンにしてやる。真似られるのもなら真似てみろという自信にあふれたものだった。機械としての機能を分化して、そこから個々をモジュールとして標準化、更にモジュールを組わせた機能の集合体としてのユニットの標準化、それに合わせて制御構造のモジュール化からインテグレーションまで含めて、よくぞそこまでやったもんだと会場が静まり返ったり、わき返ったりを繰り返していた。
SMS Concastの話を聞けば、他はどうでもいい。それほど圧巻のプレゼンテーションだった。

全米鉄鋼産業年次総会では、受付に着いたとたん来てはいけない所に来てしまったのを感じた。最新鋭の巨大な設備から生み出される品質と価格でアメリカの製鉄業を破綻の際まで追いつめた日本人ということなのだろう。ざっと見わたしても東洋系は一人だけだった。受付の長い列のなかでも、会場に入ってから席に着くまでも、終始冷たい視線にさらされて、息をしているもの苦しかった。
痛んできているとはいえ、まだまだ力のある製鉄業界、広いホールに白いテーブルクロスのかかった大きな丸テーブルがきちんと並んでいた。すべて指定席でACの一員として座ってうつむき加減でいれば目立たない。つとめて涼しい顔に、ときには作り笑いをと思いながら、ミラーやインダストリー・セールスの面々と事業部からの数人のなかに埋もれるようにしていた。
昼飯は一緒だが、ゴタゴタは嫌だしでトイレも一人ではいきにくい。

朝から夕方まで、次から次へとでてくるエライさんの講演は、数字ばかりがならんでいたり、政策がらみだったりで、記憶に残るような話は一つもなかった。ただ会長の挨拶だけは覚えている。立派な人なのだろう、場慣れてもしているのだろう、堂に入った身振り手振りも交えた話は政治家の演説のようだった。冗談もあったし笑いもあったが、言っていたことをまとめてしまえば次のようになる。

「みんな(社会全体)、半導体とかソフトウェアだとかといった新しい産業に目を奪われているようだが、アメリカをつくってるのは俺たち製鉄業界だ。企業収益をみればわかることで、知り合いの金融機関に聞いてみたらいい。半導体もソフトウェアも変化が激しくて、次から次へと新製品はいいけど、できあがったところで、いくらもしないうちに古くなってしまう。そんなところでは、開発投資の回収もすまないうちに次の投資になって、利益どころじゃない。社会の基盤を提供する確立された製鉄ほど安定した投資先はない」

どこでもそうだが、偉くなればなるほど、本音がどうであれ格好をつけていなければならなくなる。本当に強い立場にいるのなら、こういう課題を抱えてなんとかしなきゃって、どうしたものかと四苦八苦しているところなんだけどというような冗談交じりの本音を漏らす余裕もでてくる。取って付けたような強がりが強ければ強いほど、どうにもならないところまで追い込まれていることの証でしかない。

翌日、ミラーに連れられてピッツバーグ支店に行った。スチール・インダストリー・セールスの四人は、セミナーでエネルギーを使い果たして、ほっと一息。午前中は情報交換というより世間話でのんびりしていた。午後、三時過ぎに支店の関係者も集まって、会議室で時間つぶしのような拡大ミーティングになった。日本から一人きているということから、自己紹介から始まったが、特にこれといった議題があるわけでもない。ところが、形ながらに始まったミーティングがいくらもしにうちに愚痴の言い合いから事業部に対する要求というより非難の一斉射撃のようになっていった。

給料体系から必然としてそうなってしまうのだが、アメリカの営業マンは自分の才覚一つで生きている一匹オオカミのようなところがある。固定給は二割ほどで八割方は成績次第だから、強引にでも注文を取ってくる強いヤツが残って、注文を取ってこれない営業マンは食ってけないから、いくらもしないうちにいなくなる。できる営業マンは、もっと売れる、売りやすい、金になる、トラブルの少ない製品とサービスを製品事業部に要求する。売るに売れない、トラブルばかりの製品しか持っていない会社にはいつかない。乗用車を例にあげれば、ポンコツしかないフォードのディーラーでやってるより車種も多いしトラブルも少ないGMに移っていく、なかにはもっと金のはるベンツのディーラーにというのもいる。ACよりSiemensやGEというのもいれば、逆にSiemensやGEからACというのもいる。プロのセールスマンとして生きているのであって、一企業に縛られた一従業員という人たちではない。所属している限りは所属している会社への忠誠心というだけで、最後は自分というプロだから強い。

ピッツバーグ支店の営業マン、みんな若いこともあって元気がいい。活気のある会社の営業マンに年寄りはいない。年をとってマネージメント層に上がっていけるのはほんの一握りで、疲れた営業マンは淘汰されていく。初めてあった人たちで、名前なんか覚えちゃいないが、威勢のいい物言いと苗字が苗字で忘れられないのがいた。そんな苗字恥ずかしくてと思うのだが、Lovejoyだった。イギリス系の苗字らしいが、イタリア系の思わせるすばしっこさを感じさせる顔つきだった。世間話のような愚痴までだったのにしびれを切らしたのかLovejoyが口火を切った。

「あのDCドライブのマニュアルはなんとかならないんか。いくら読んだってというより、どこからどう読めばいいのかもわからない。エンジニアリングの奴らの個人のメモを束ねただけじゃないんか。ちょっとしたことでも、客のメンテナンス部隊には手がでない。うちからサービス部隊を送れば、金がかかるし、いつになったら行けるのも分からない。なんども頼んでるけど、早くちゃんとしたものをだしてくれないかな」

Lovejoyの剣幕に驚いたが、ほっとした。あのマニュアル、いくら読もうしても読めずに困っていた。語彙が限られていて丁寧に言う能力がない。つい荒れた英語で本音を言ってしまった。

「ちょっとまってくれ、アメリカ人でもわからないというマニュアル、俺たち日本人が分かりっこないじゃないか。日本でオレもアプリの連中も客先も、あのマニュアルのせいでどれほど苦労してるのか、想像してみてくれるかな。あんなものPiece of shit(クソ)だ」

十人以上いた営業マン全員がワーといながら拍手喝采、なにが起きたのか、言いすぎたのか?隣の営業マンに聞いた。

「Bad mouth? (言い過ぎたか)」

笑いながら、
「みんな言いたくても、そこまで言えなかったのをお前が言ってくれた。Fxxking piece of shitだ。みんな、やったって思ってんだ」

文句もないもない営業マンは営業に走り回っていた方がいいから、こんなミーティングには出てこない。これを機会にうっぷん晴らしもあって一言二言言わなきゃ気がすまない連中だけが集まっている。ジェコインスキーつるし上げのミーティングだった。

それにしても、みんなの文句を聞いたら、もう事業部の評判はどうなんだろうと訊くのも馬鹿馬鹿しい。ふざけるなも一度や二度じゃないんだろう。でてくるでてくる、みんな似たようなことを言っていた。見積はだらしないし、価格は高すぎる、納期は守ったことがない。出来上がってないのもを平気で出荷してきて、後は支店で仕上げろ、給料泥棒だ。いつになったら終わるのかと聞いていたが、みんなが言いくたびれて、もういいやでやっとお開きになった。

ニューアークに飛んで、ニューヨーク支社の営業マンとエアポートの前のマリオットのキャフェテリアの朝飯で落ち合うことにした。話もなにもすべてが速い。甲状腺機能亢進じゃないか、おまえちょっと医者に行った方がといいんじゃないかといいたくなる。二十代後半で発症して手術までしたことがあるから、まるで昔の自分を見ているような気がした。ミルウォーキーやピッツバーグでゆったりに慣れきっていたから面食らったが、速さということでは人後に落ちない。二人で早口競争でもしているかのように話題も飛んでいく。

マンハッタンの住重の支社にお伺いして、営業マンを紹介したが、早口のニューヨークに慣れていてもボブの早口は辛い。上手くいけば住重のアメリカ向けの仕事に一枚からんでと思っているから、次から次へと話題を振ってくる。間に入って通訳のようになってしまった。小一時間でしかないのにどっと疲れた。ビルをでるなり、ボブが一言。

「なにもないな」

お前、あれほどああだのこうだのあれほど言っておいて、ドアからでたらすぐそれか。速すぎねえかって思わない訳じゃないが、確かになにもない。

「なにもない。もしあったらこっちから連絡するから、Keep in touchもいらない。放っておけ」

マリオットからマンハッタンまでも早かったが、Johnson & Johnsonへも速い。

「おい、お巡りは大丈夫か」
「通い慣れた道だ。どこに隠れてるかわかってるから心配するな」

「足が重い(足が重いから、ついアクセルを踏みすぎる)のはいいけれど、ミルウォーキーもクリーブランドもお前の速さについてこれないんじゃないか」

「いや、一対一でやれば、そういうことになるけど、一対いくつか、あっちこっちとやってりゃいいだじゃなないか」

まあ、いわれてみればその通り。でもここまで速いのは病気に近い。

「お前、AC何年になる」

「まだ、一年ちょっとだ。Siemensにいたけど、遅いのなんの、なんど見ても、どの時計の針もすすんじゃいない。お役所じゃあるまいし、やってらんねえから、アメリカの会社ならってACにきたんだけど、やっぱ田舎の会社だ」

「そうだ。田舎の会社だ。ニューヨークでミニが終わってマキシになって二年三年経っても、ミルウォーキーに行けば、まだみんなミニスカートだ。Cheese buttをEmpireを比べちゃ可哀そうだろうが」

ミルウォ―キーがあるウィスコンシン州は酪農が盛んなことから、冷かしや卑下もあってCheese head(チーズ頭)とかCheese butt(チーズケツ)と呼ばれている。Empireはニューヨーク州のニックネームEmpire state。そのまま訳せば皇帝州になる。

「フジサワさんさ、みんな一日二十四時間、一年三六五日で同じだけど、その同じ時間で何をどこまでできるかって考えると、こうして運転して移動している時間がもったいなくなっちゃわないか」

まあ、同感はするけど、独りでやってるわけじゃないから、周りに合わせるしかないじゃないか。好き嫌いのはなしじゃなくて、それが現実だろうって思っていたら。

「昨日の夜、John、ほらピッツバーグのLovejoyから電話があってさ、日本から来てる面白いのが、そっちへいくからテイクケアしろって言ってきた。オレとは歩調があうだろうから上手くやれって」

まったく余計なことを。そうは言われても、事業部が動かないことにはどうにもならないし、ニューヨーク支社長のようなやり手も一匹オオカミのような営業スタイルも日本じゃ受け入れられない。

「ボブ、ACもそうだけど制御屋はもう枯れてきた業界で、速く速くといったところで動きやしない。速くと思うなら、半導体かソフトゥエアに転身するしかないんじゃないか」
言われなくてもわかってるという顔をして、アクセルをふかしていった。

ちょっと話が切れていたが、思いだしかのように、どうするお前という口調で言われた。
「アメリカでも遅いのが、海の向こうの日本に着くころにゃ気の抜けたビールみたになってんじゃねぇーのか。オレもそうだけど、フジサワさんも考えた方がいいんじゃないか」

「まあ、乗り換えるちょうどいい船がありゃあな」

「Siemensでよかったら紹介するけど、」

「よしてくれ、ハイパーがいられるところじゃないだろうが」

典型的なハイパーなアメリカのセールスマンでしかないにしても、ちょっと度が過ぎる。甲状腺ホルモン過多でハイパー?ニューヨークに駐在していた頃の、走って走って走り続けた自分を思い出した。

Johnson & Johnsonは顔見せだけで終わったが、ボブと数時間の話に目を覚まされたような気がした。持ってる時間はみんな一緒。でもその同じ時間のなかで何をどうするか、どうやってあれもこれもやり続けようとするか、そんなこと考えもしないかがとんでもない違いを生み出す。好き嫌いの話でもなし、人それぞれの生きざま、とやかく言う事でもなければとやかく言われることでもない。

p.s.
<ピッツバーグで百三十円、ニューヨークでは百円>
ピッツバーグで現金が底をついて、ミラーに銀行に連れて行ってもらった。
若い時にピッツバーグには何回出張で行ったことがある。小さな川に沿った腐った製鉄所とあちこちの丘の上に見えるWの看板(ウェスチングハウス)とメロンバンクにアルゲニー・エアライン(現US Air)、一つの時代が終わった町の印象しか残っていない。ACを買収した会社(軍需産業)を支配している死の商人と言われたメロンバンク。お世話なるとは思ってもいなかったが、為替レートにはたまげた。一ドル百円を切っていたはずなのに、百三十円以上だった。競争がないから言い値になってしまう。
ニューアークのマリオットのホールでボーイに一万円をドルに換えたいんだけど、どこに行けばと訊こうとしたら、ポケットから財布を出して、二十ドル札五枚と取り換えてくれた。
2020/12/26