オヤジが危篤(改版1)

「大雪でどうにもなりません」の続きです。
http://mycommonsense.ninja-web.net/business15/bus15.5.html

十二時も回って、そろそろジェコインスキーに電話を入れるかと書類を整理していたら、電話がかかってきた。ジェコインスキーはいつも追いかけられているから、自分からかけてくることはない。誰だろうと思って電話をとったら、ジェフ・ミラーだった。電話をかけてきそうなメールもなかったし、なにかあったのかと思ったら、

「ジェコインスキーと三人で、日造によって八幡に行って、そこから宝鋼に紹介かたがた日造の援護射撃をと思いついたんだけど、どうだろう」

似たようなことを何度か考えたが、忙しい二人に来てもらうのもとためらっていた。八幡は二人で一度行っているからジェコインスキーの紹介でしかないが、押しかける口実にはなる。うまくいけば、日造とは違う宝鋼のラインも聞き出せるかもしれない。上海でイェンもいれてACとして宝鋼にどう切り込むかの話もしなけりゃならない。頭の固いジェコインスキーじゃしょうがないが、ミラーなら組み立てられる。前々から考えてきたことだった。

「いやー、助かる。実は同じことをなんども考えたんだけど、忙しいだろうし……、」
「もうちょっと早くいってりゃよかったなって、今頃になって気がついて」
「日鉄のラインから宝鋼に直接アクセスできるはずだし。いつまでも日造の後ろについてるだけじゃ……。ただ言われたままに見積だしてるだけでセールスってのもな」
なんだよ、その「だけじゃ」「セールスのも」ってのは。出先で何もないところから始めて一年半、上出来だろうがいいたくなるのを抑えて、
「そうなんだよな。でもオレ日鉄に紹介を頼めるような立場じゃないから、どうしたってそっちに頼むしかないだろう」
いくら仕事仲間だったからって、なんでも頼めるわけでもないんじゃないかと思うんだけど、大丈夫なのか。
そんな心配が口調にでてしまったのだろう。
「フジサワさん、去年一緒に小倉に一緒に行ったろう。まだしっかり生きてるから大丈夫だ。それでだ、八幡と宝鋼とイェンとの日程調整はオレのほうでつけるから、先に日造の日程をなんだけど、訪問の候補日をいくつか決めてくれないかな」
「うん、それはいいけど、八幡に話す前に海外調達に一言断っておかないと、またオヤジさんがへそ曲げちゃうから、八幡に話す前に、海外調達に話すタイミングをそっちから教えてくれ」
「日造は喜んで都合をつけてくれると思うから、イェンと話してそっちの都合のいい日をいくつかあげてくれないかな。そこからの楽だと思うんだけど、どうだろう」
「そうだな、まずジェコインスキーに話してみる」
なんだ、まだジェコインスキーに話してないんか。なんでと思ったが、ジェコインスキーより先だったというだけで、ちょっと、こんなことで何考えてんだかという気持ちもあったが、素直に嬉しかった。

「お忙しいところすみません。一つお願いがあって」
「えっ、なに、あらたまって、なんかあったの」
何度も見積して宝鋼まで同行したこともあったからだろう、いつのまにか堅苦しい話しはなしになっていた。
「いえ、前にもちょっとお話しさせていただいたインダストリーセールスのマネージャなんですけど、ドライブ・システムのディレクターも連れてご紹介に上がれないかなと」
「もっと早い段階でご挨拶にお伺いしなくちゃならなかったのに、つい目の前の見積が先にたっちゃって……」
「インダストーセールスの方は、元はインランド・スチールのマネージャですから、製鉄ということではプロですし、一度弊社の製鉄関係の実績と今後の展開についてざっとと思うんですけど、どうでしょう。お忙しいところ申し訳ないんですけど、二時間程度で結構ですので、都合をつけて頂けませんでしょうか」
「そうだよな。まだ会ったことなかったな。一度は会っておかなきゃって思ってたんだけど、こっちもつい宝鋼にばかりに気がいってて。いつでもいいけど早いほうがいいよね」
「すみません。本当はもっと早い段階でお伺いしなければならなかったのが、」
「うん、ちょっと関係者の都合を聞いて、いくつか候補の日を連絡すればいいかな。来月になっちゃうと思うけど、それでいいよね」
「ありがとうございます。いくつかの候補を上げて頂ければ、そうですね。東京から行きますんで、できれば昼過ぎにお願いできませんでしょうか」

日造の都合をミラーに伝えたら、三日後にはスケジュールが決まってしまった。まあ表敬訪問のようなものだし、ミラーもいつものプレゼンテーションにちょっと手を入れればいいだけだろう。二人を連れていけばいいだけで、これといって準備することもない。あとはフライトが予定通り無事に着いてくれればいい。ミラーもジェコインスキーも日本は初めてだし、日本支社のキーメンバーにも紹介しなきゃならない。

たまに勝手な都合で新宿のハイアットに泊まる面倒なやつもいるが、東京の宿泊先はコーポレートレベルで箱崎のロイヤルパークに決まっていた。隣が東京シティエアターミナルだから成田からの便もいい。親会社も含めてコーポレート契約しているから、えぇ、こんな値段で泊まれるのかというお得感もある。事務所からは歩いても十分。いつ行っても、あちこちの事業部からの誰かが泊まっていた。キャフェテリアで聞こえてくる話から、会社の誰かだと分かっても事業部が違うし、オフには個人の都合あるかもしれない。同じ会社の従業員というだけで挨拶してもされても、お互いうっとうしいだけだろう。

電話でゴタゴタして事務所をでるのが遅くなってしまった。もう七時半もすぎて、二人で夕飯どうするんだと待っているはずだ。急がなきゃと急ぎ足で歩いていった。フロントで訊こうかと思ったが、二人ことだ、もしかしたらキャフェテリアでビールでも飲んでんじゃないかと見に行ったら、すぐそこにいた。
そのまま合流してキャフェテリアで飯でもいいけど、どうせなら人形町の焼き肉屋か居酒屋にでも連れて行った方が気が利いているし安い。払うのは二人だが、今はじまったところで、気持ちの上でしかないにして、あまり予算はかけたくない。海外出張の旅費精算の方が経費精算の締めがゆるいから、アメリカに行ったときはこっちが払う。日本に来たときには来た方が払うことにしていた。クリーブランドやミルウォーキーでは高いといっても知れているが、東京では安いといっても高い。人数にしたって、アメリカへはいつも一人で、アメリカからは一人のこともあるが二三人ということもある。最後の財布は一緒でも、日本での支払いはアメリカで精算してもらったほうが、こっちの負担が少なくて済む。

ローカルな店だとメニューに写真がついてないから、つい安直にチェーン店になってしまう。料理法や野菜までならなんとかなっても魚になると英語でなんというのか知っているものの方がすくない。拙い経験からだが、アメリカ人は食に関しては保守的なのか、食まで規格化されてしまったということなのか、見たこともない物を試してみようと思うのは少ない。メニューの写真を見せて、これ何というところだけ適当に答えて、何が出てきたところで大した量でもなし、食えなきゃ、こっちが食うからかまいやしない。いくら食ったところで払いはしれている。
居酒屋はどこにでもあるが、歩いていて気の利いた焼き肉屋でもでてくれば迷わず入る。カルビかロースにタンとビールがあればみんなハッピー、文句をいうヤツはいない。

日造は部長と課長二人に若い人が数人でてきた。一人英語の達者な人がいて通訳してくれた。ミラーも日鉄と仕事をしていくなかで日本人の英語に慣れているのだろう、分かりやすい単語を選びながらゆっくり話していた。部長の感心は、ドライブ・システム事業部の実績と人員構成だった。制御装置単体売りの会社のおまけのようなシステムビジネス。部長が期待してたような実績もなければ陣容でもない。輪転機と自動車関連はいくらもあるが、製鉄関係はしれている。期待されすぎても困るが、こんなもんかと相手にされなくなるのも困る。
ミラーも説明したとおりで、スチール・インダストリー・セールスもつくって、これから製鉄に力をいれていくところなんでと締めて終わった。最初の挨拶が終われば横で聞いているだけ、何をするわけでもない。形ながらの表敬訪問に毛の生えたようなもの、さっさとすませて新大阪から小倉に向かった。

新幹線のホームでジェコインスキーがとことこ歩いて行った。何かと思えばキオスクから缶ビールを六本かかえて帰ってきた。おいおいちょっと早すぎないかと思ったが、小倉まで何をするわけでもなし、まあいいかと飲み始めた。新幹線は東京―新大阪間は混んでいるのに、新大阪を過ぎると途端にローカル線のようになってしまう。乗客も少ないし、席もゆったりしてる。気のせいだとは思うのが、走り方まで田舎臭く感じる。

小倉で降りて三人でスーツケースをひきずりながら、予約しておいたチサンホテルに向かって歩き出した。三人とも予算がないわけじゃないのに、なんでチサンと思わないわけじゃないが、ACには当時知っている限りでしかないが、会社の金を自分の金以上に気にする自制があった。とぼとぼ歩いていたら、リーガロイヤルがでてきた。ロビーも明るいし、見るからに快適そうで、こっちにしたいなと三人とも立ち止まった。
「市場調査(Marketing survey)に行くか」
「空いてないかも知れないけど、値段だけでも」
「ちょっと様子を見に行こう」
三人して入っていった。すぐにベルボーイがでてきて、荷物をという顔をしてる。
「いえ、予約してないんで。今、宿をどこにしようかと三人で話してるところなんで」
ベルボーイと話しているうちにジェコインスキーがチェックインカンターで今晩一泊の値段を聞いてきた。一万数千円、チサンの二倍以上する。どうするか、出入りの客の邪魔にならないようにロビーの端にスーツケースをよけて、
「ちょっと豪華にこっちにしちゃうか」
「そうだな、昨日はしっかり食べたから、今日はここに泊まってマックですますか」
「リーガロイヤルとマックか、それともチサンと焼き肉か」
「うーん、どっちもどっちだな」
ほっと向こうをみたら、ロビーの向こうに公衆電話が見えた。天の声だ。そこからチサンに電話して予約をキャンセルしろというということだろう。
「荷物持って、チサンまで歩くのが面倒になってきた。こっちにしようや」
「チサンに電話してキャンセルしてくるから、ちょっと待っててくれ」

「そうだな、三十分もあればいいだろう。さっとシャワーでも浴びて、ロビーで」
部屋に入ってほっと一息、こっちにしてよかった。いつもいつも安いビジネスホテルだから、たまには豪華にこういうホテルもいいもんだ。さっとシャワーを浴びて、タオルのまま事務所に電話を入れた。
事業部や関係している人たちとはメールでやり取りをしていれば十分。必要に迫られて政治的なExecutive reportを出すことはあっても、報告書とか日報とか週報どころか月報なんか出したこともない。特別な必要にせまられでもしなければ、出先から事務所に電話することもない。新入社員でもあるまいし、今ホテルにチェックインしましたなんて電話? なぜあの晩、電話したのかわからない。ホテルの部屋のせいなのか、明日は日鉄によって、午後は上海という日程のせいなのかわからない。なぜだからわからないが事務所に電話した。
「藤澤です。予定通り、明日の朝日鉄によって、午後上海に……」
マーケティングの女性が、どういうわけか慌てていた。
何?と思っていたら、総務に回された。
「ああ、藤澤さん」
電話の後ろから何人かの声が聞こえる。なんだこの騒がしさは、
「お母さまから午後お電話を頂戴しました。お父さまが危篤で、早く帰ってきてくださいということです」
えっ、オヤジついにという感じだった。酒にたばこにギャンブル、医者の不養生の典型で高血圧に糖尿、ほかになにがあったのかしらないが、たまに腿に自分で注射をしてまで飲んでいた。
「ああ、お騒がせして申し訳ないです。すぐ実家に電話いれます。ありがとうございます」
事務的な、できるだけ短い話で終わりにしたかった。何をどうしたところで、どうなるもんでもない。よしんば今回は持ち直したところで、いくらもしないうちに危篤というはなしなる。まずはお袋に電話した。
「ああ、豊だけど、今福岡で明日の朝にならないと帰れない。今晩でまだよかった。明日は上海に飛ぶつもりだったから」
「みんな集まってるからね。明日また電話ちょうだい。ちょっと電話かわるね」
入院しては担当医と言い合って、転院してはまたをくりかえしていた。くる時が来たということでだれも泡食っちゃいない。電話の後ろから娘の声がする。女房が娘もつれて駆けつけていた。明日一番のフライで帰るから、また電話するからと言って切った。

思わぬことで遅れてしまった。ロビーで待っていてくれた。
「申し訳ない。ちょっと電話で引っかかっちゃって」
三人で駅の方に歩きながら、さて飯はどうするかという顔をしている。
もう二人とも、面白半分でマックに行こうといっている。
いいじゃないか。マックにしよう。久しぶりにビッグマックだ。
三人でポテトフライをつまみながら、世間話になっていった。明日二人を置いていくことになる。ちょっと心配だがしょうがない。
「さっき事務所に電話したら、オヤジが危篤だって」
二人がびっくりして、
「なんで、マックなんか食ってんだ、早く帰れ」
「いやー、もうこの時間だ。走り込めば新幹線?もうないだろう。東京まで六時間もかかるんだから。慌てて帰ったってどうなるもんでもなし。明日の朝一のフライトで帰るからいいよ」
「そんなこと言ってないで、帰れ」
「気にしなくていいって、それより明日の日鉄も上海も行けなくなっちゃった。申し訳ないけど、二人で行ってきてくれ」

部屋に戻って、朝一のフライトを予約した。エアポートから電話は早すぎる。羽田について実家に電話したら、オヤジは実家に戻したという。また死に目に会えなかった。小学校三年まで育ててくれた祖父母の死に目にも会っていない。祖父のときはニューヨークにいて、お袋から電話がかかってきて、帰ってこなくていいからと言われた。祖母のときはタイに出張で行っていて会えなかった。せめてお袋だけはと思っていたが、間に合わなかった。会ったところで辛い思いをするだけだろうし、会えなきゃ会えないでいいじゃないかという言い訳じみた気持ちがある。

傷んだ自分を一目に晒したくない。それは家族にでも同じで、できれば死に目には会ってもらいたくないという思いがある。遺言にでも書いておこうかと思うが、書いたところでこっちの都合でどうなることでもなし、なるようにしかならいものはなるようにしかならない。
2020/11/8