グローバル・パーチェシング・マネージャ(改版1)

「何度言ったら、わかってもらえるんですか」
まただよ。何度言ったらわかるんだってのは、こっちの台詞だろうが。あんた自分が言ってることの意味わかってんのかって訊きたくなる。
「グローバル・パーチェシングですよね」
「そうですよ。今回のプロジェクトは、前から何度もお話してますよね。まず日本でプロトタイプを開発して、量産体制を確立して、分かってんでしょう」
「はい、十分わかってるつもりですけど」
「日本で終わりじゃないんですよ。御社だって、アメリカでもメキシコもブラジルとかやってんでしょう」
「はい、一応グローバル企業ですから。そこそこのところには販売チャンネルはあるはずですけど」
「うちなんかよりよっぽど早くからグローバル展開してるでしょう」
「そうですね。百年以上の歴史がありますから」
「グローバルパーチェシングもしてるでしょう」
「アメリカの本社では間違いなくやってるというか、日本や中国に生産委託しているのもあるでしょうし、インドでソフトウェアの開発をしているとは聞いてますけど」
「だったら、グローバルパーチェシングが何でだめなんですか」
「いえ、ですから、先日からお話しさしあげてますように三つの点をどうするかなんです。当方としてはその三つの解決案がどうにも見つからないんです」
「でもグローバルパーチェシングしてるんでしょう。だったら同じじゃないですか」

どうしてこう単純なのかわからない。あっちこっちの国からモノやサービスを買ってるというのか調達していることを指してグローバルパーチェシングというのとあんたが要求しているグローバルパーチェシングの違いがどうしてわからないのかわからない。言葉として知っているだけで、何を意味しているのかを理解するだけの知識がない。もしかしたら、両肩のまん中に乗っかてる肉隗のせいかもしれないと思いだした。

「前にもお話させていただいたように、問題が三点あります」
ああだのこうだの煩いから、一方的に話を続けた。そうでもしなければ、まるでオウムか九官鳥のようにグローバルパーチェシング、グローバルパーチェシングとしゃべり続ける。こっちの問題を先にいうと、押し込んで来るから、向こうがはっきりしなければならないことから始めた。もう何回目になるのか。いい加減にしてくれと思いながらも話を続けるしかない。

「まず一点目です。これは御社側で決めていただくしかないのですが、どちらの会社と弊社の間の契約になるんでしょうか? 御社側が複数あっても結構ですが、複数の国になると、それぞれ通貨が違いますから、為替変動をどう扱うかという問題が発生します。御社の日本と弊社のアメリカ本社の二社間の取り決めでよいのか。メキシコはブラジルは、フランスはドル決済で納得するんでしょうか。これは御社と御社のパートナーも含めて決めて頂かなればなりません」
いつものことで、国と為替の話になると、押し黙ったままで先に進まない。そっちがはっきりしなければならないことだと、つい念を押すような口調になってしまう。

「二点目なのですが、弊社は代理店制度をとってますから、直販が難しいです。代理店にいくらで御社に売れと言う指示は出せないんです。ご存知のように日本では再販価格の規制にひっかかっちゃいます。アメリカでもその他の国でも、代理店と契約してますから、御社は特別で直販にすると契約違反になります。関係する代理店の了承を得なければなりません。関係する国を教えていただければ、本社にその旨、御社の要望として伝えます」
同じことを何度も説明してもう勘弁しくれという気持ちもあるから、気を付けないと言葉があれる。丁寧に丁寧にと続けた。
「もう一つ、これは純粋に御社の日本とアメリカの問題なので弊社としては、ちょっと心配ということでしかないのですが、グローバルパーチェシングについて御社のアメリカ支社はどういってるんでしょうか。伝え聞くところでは、アメリカはアメリカでエンジニアリング部隊が独自に生産設備の開発から導入までされていらっしゃる。グローバルパーチェシングついて、確認は取れてるんですよね」

確認なんかとれちゃいない。アメリカ支社は、日本の本社の勝手は絶対許さないといっている。こっちにまで乗り込んで来てガタガタいってきた。まったく日本も日本なら、アメリカもアメリカってことなんだろうけど、そっちの日本とアメリカ支社の間のことをこっちに振るな、そっちできちんと話を付けろと言い返したが、日本よりはまだ筋が通っている。なんでもかんでも外注に丸投げしてきた日本と違って、自前のエンジニアリング部隊を持っていることもあってだろうが、いっていることは分かるし立場も分かる。日本で作ったものを持ってこられたら、今まで培ってきたエンジニアリング部隊の解体が始まって遠からずレイオフになる。なんせ家族も含めた生活がかかっているから必死の抵抗だ。何度も電話してきて、プロジェクトの進捗と日本本社の方針を教えろとまで言ってきていた。

何度説明しても何を言っても、グローバルパーチェシング以外には何も言わない。言えないのか、訊かれていることが理解できないのか、何を言っているのかわからない。想像でしかないが、上からグローバルパーチェシングにしろといわれて、それが何を意味するかも考えずに、こっちに振ってきただけだろう。そういった上も、多分自分が何を言っているのか知らないでいっているとしか思えない。

外資が入ってきて社長が外国人に変わったとたん、リストラの嵐が吹き荒れた。事業の根幹を仕切ってきた役職の首がぽんぽん飛んで、仕事という仕事をしてきたことのない使い走りが引き上げられた。関連会社も売却して、手にした資金でやりたい放題。それをV字回復だなんてマスコミが持ち上げたもんだから、株式会社日本の経営陣は我が意を得たなりと膝を叩いた。それまで系列やなんやらの歴史にしばられて、事業の整理やリストラに手を付けるのを恐れていた人たちが、はじめはへっぴり腰だったのが、そこまでやるかというところまでやっても非難されるどころか、株式市場はおろか巷の人たちからも高く評価されるのに驚いた。おかげで日本中の歴史ある会社で事業と人の整理がまるで野火のように広がっていった。

「弊社としては、今回のプロジェクトは非常に重要なものと考えて、全社をあげてお手伝いさせていただくつもりですが、まず御社側の要求というのか条件をはっきりしていただけないと……」
「そうですね。でもその話はなんども聞いて、こっちとしてはグローバルパーチェシングが社の重要課題になってますから」
重要課題はいいけれど、その重要課題を処理できる人をアサインしないで、重要課題もへったくれもないじゃないか、と思いながら続けた。
「おっしゃられることはよくわかります。でも、お話させて頂いた三点を一つひとつはっきりしてゆかないと、グローバルパーチェシングにむけて調整できないんです。お分かりいただけますよね」
言葉がでてこないのだろう、ちょっとした沈黙があった。電話先でイライラしているのがわかる。イライラしてる暇があるんだったら、わかるなんとかっていうような本でも読んでみたらって一言いいたくなる。何もわからずにこっちに振られても迷惑なんだよねっと思っていたら、
「もう、わかんない人だな。あんたじゃ話が先に進まないから、アメリカ本社の事業部と話させてもらえませんかね」

おお、言うね。そこまで言うんなら勿怪の幸い、アメリカの営業担当に放ってしまえと思った。馬鹿馬鹿しくて相手なんかしてらんない。
「ああ、そうですね。でも事業部に行く前に、御社のアメリカ支社を担当している営業トップと話をしていただいて、要件をまとめてから事業部に行った方が話が通りやすいんじゃないかと思うんですけど、どうでしょう」
「もう随分時間をロスしてますから、一日も早く電話会議を設定してもらえませんか」
おいおい、自分で勝手にロスする原因をつくったままで、こっちの時間のロスはどうしてくれんだ、この野郎と思った。
「了解です。もう木曜日だし、来週になってしまうと思うんですけど、ご希望の日、いくつか挙げて頂けば」
いい終わらないうちにつっけんどんに言ってきた。
「月火はちょっとこみいってるから、水曜か木曜にしてもらえませんか」
話が早い。こっちから出向くのも時間がもったいないが、場所はと思いながら、
「場所はどうしましょう?御社にお伺いしてもいいですが、弊社にいらしていただいても結構です。弊社であれば、電話会議はいつものことですから、会議室にはいれば、即会議はじめられますけど、どうしましょう」
「場所はどこでしたっけ」
「赤坂で、ちょうどTBSの上。ちょっとした丘の上って感じですね。小田急でいらっしゃるのなら、そのまま千代田線の赤坂まで来ていただいて、駅から、そうですね、歩いて五分六分ぐらいだと思います」
「銀座線か丸の内線で、赤坂見附というのもありますけど。赤坂よりはちょっと多くて、歩いて十分ほどですかね。もし銀座線をお使いになられるのでしたら、溜池山王の方が近いです」

「遠いことろ、来ていただいて、すいません」
「早速はじめましょうか」
ポツポツポツと電話会議専用の番号を押して、トークンに表示された番号をまたポツポツポツと押して、応答をまった。いくらもしないうちに、いつもの声が聞こえてきた。
電話会議はしょっちゅうだったし、一度デトロイトの事務所で一緒に作業したこともあるから気安さもある。お決まりの世間話の挨拶をすませてから、
「お互い初めてでしょうから、簡単で結構ですので、自己紹介、お願いできませんでしょうか」
ちょっと待て、なんだその緊張しきった、まるで左遷命令でもくらったかのような顔は。
なに考えてんだろう、この人はと思いながら、自己紹介をどうぞと待っていた。

「えーっと、アイ アム ムニャムニャ。うん、ゴニョゴニョ。えーっと」

いやー、びっくりした。戦後のバタバタの頃でもあるまいし、ここまでの立派なカタカナ英語はなかなか聞けない。歴史的無形遺物として保存しておく価値がある。

「藤澤さん、英語苦手なんですよ。通訳してもらえませんか」
おいおい、まだ自己紹介がすんだだけじゃないか。これから本題に入ろうかってときに、そりゃないだろう。あんた、グローバル・パーチェシング・マネージャじゃないのか。それも、そこらの町工場のじゃない、往時の輝きはなくってきたけど、日本を代表する自動車メーカのマネージャだろうが。
議論が伯仲して、ちょっと整理しなきゃなんてときならまだしも。アメリカと電話会議させろって、いってきたのあんたじゃないのか?

英語でろくに自己紹介も出来ずに、なにがグローバル・パーチェシング・マネージャだ。ふざけんなと思いながら、通訳に徹しようとしたが、日本語ですらロジックがというか何を言っているのか分からない。英語で確認というのか何か訊かれるたびに、ちょっとしたパニックに陥って救いようがない。電話会議はした。でも何も決まらないし、何が懸案なのかもわかっちゃいない。でも一つ片付いた。これを最後にグローバルパーチェシングと言わなくなった。
日本を代表する自動車メーカのグローバル・パーチェシング・マネージャ、まだ三十代中ごろ、これからの人なんだろうが、つき合っちゃいられない。

いくら安づくりのドタバタ喜劇でも、こんなシナリオ書いたら、あまりに現実ばなれしていてボツだろう。でもこれが一時は十兆円を超える売上を誇っていた自動車メーカの現実。どこまで落ちるのか知らないが、喜劇や漫才の種には事欠かない。グローバルなんとかと言ってれば、わかったような気になっちゃうんだろう、みんなで笑って明るい将来。おかげでこっちは手間くってしょうがない。

世界に冠たるろくでもない超優良企業にいたせいで、そんなのありかということに巻き込まれることがある。そんなバカ話、あるはずはないと思う人たちも多いだろう。そう思うのも、もしかしたらあるのかもしれないと思われるのも読者の自由。ご随意にどうぞ。
2021/1/8