踏んだり蹴ったり(改版1)

「手抜きにもほどがある」の続きです。
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「ああ、藤澤さん」
久しぶりに聞くちょっと鼻にかかった明るい声に身が引けた。
ロアノークまで飛んでいって、なんとか片づけはしたものの、全ての非はこっちにある。日本への納期は守らない。出来上がってないものをエンドユーザの出荷して、あとは知らん顔。手抜きにもほどってものがある。契約はターンキーシステム。もう仕事になっていないというより、紛れもない詐欺で、どこにいっても出入り禁止になる。
現場作業が一月以上も伸びたから、二人分の出張費だけでもバカにならない。一度謝りに行ってはみたが、もうお付き合いさせていただくこともないだろうと思っていた。

「無沙汰してます。このあいだはとんでもないことで、何ともお詫びのしようも……」
もそもそ言ってたら、遮られた。
「あれ、大変だったよね」
なんなんだろう、どこか慰めるような響きがある。
「まあ、初物だから色々あるよ。何とかなったからよかったと思わなきゃ」
そう言われれば、なんとなくほっとしてしまう自分の単純さにあきれるだけならまだしも、返す言葉も見つからなくてなんとも情けない。時間にしてみればたかが数秒、はっと思った。いったい何のための電話なんだろう。そんなことを言うためにわざわざ電話をかけてくるわけがない。茫洋としているようにみえるが、ぎりぎりの縁をこともなげにわたる小林さんが、いったい何を思ってのことなのかと思っていたら、
「急な話で悪いんだけど、今週の木曜日の夜と金曜日、都合つけられないかなぁ」
ますますわからない。都合つけるって、何を?
「来週でもいいんだけど、早い方がいいから」
「今週でも来週でも大丈夫ですけど……。前回のこともあるんで、営業の都合も確認しなけりゃならいですし……」
「藤澤さんだけのほうがいいんだけど。うちには金曜の朝はちょっと顔をだしてもらえれば……、木曜の夜三宮で待ち合わせでどうだろう」
三宮?なんで?
「三宮って、あの三宮ですよね。二十年近く前に行ったことありますけど、綺麗な街ですよね」
営業抜きで三宮。なんと受けたものか分からない。時間稼ぎに話をずらした。
「そう、七時ごろ駅で待ち合わせでどうだろう」
「結構ですけど、なんでまた三宮で」
「うん、ちょっと……」

地場の居酒屋で店員の笑顔が自然で気持ちがいい。予約もしておいたのだろう、店員の笑顔について奥まった席に案内された。
席につくなり、
「とりあえず生中でいいかな」
顔で確認して、メニューも見ずに、
「なにか食べられないものある?なけりゃ、勝手に頼んじゃうけどいいかな」
事務所でゆったりと構えた小林さんとは別人のようにせっかちで何でも早い。いまさら反省会ってわけでもないだろうし、なんなんだろう。悪い話でもなさそうだが、なにが出てくるのか気になってしょうがない。

出てきたビールでのどを潤して、ほっと一息ついたかと思ったら、
「急な話しで申し訳なかったけど、早い方がいいと思って」
「いえ、そんな、こっちこそ、とんでもない仕事で申し訳ないです」
「いや、あれねぇー。最初から最後まで藤澤さんがまとめてくれたんでよかったよ。藤澤さんがいなかったら始まってなかったけど、いなかったら終りもしなかったんじゃないかなぁ。助けてもらって、本当に助かったって気持ちのほうが……」
「ご迷惑かけっぱなしで、申し訳ないです」

「あの後うちの大河原が行ったじゃない」
急に小声になった。この話のためによばれたんだろう。こっちの声も小さくなった。
「はい、でもあれよくわからないんですよ。何しにいったんですかね? 出張から帰ってきて、上川から議事録渡されて読んだんですけど、二ページもあるのに中身がないんですよ。言ってしまえば一言『情報交換をちゃんとしろ』ってだけのような感じで。なにをどうしろっての分からないから、ほっぽりっぱなしですけど……」
なんだその相槌をうったような顔は?どうもおかしい。
「ああ、あれね。オレでも辞書なしで読める。読めるけど、何を言ってんのか分からない。大河原もサインしてたじゃない。笑っちゃうんだけど、あいつはあんなんでも読めない、というより読まない。今までまともに勉強したことなかったんじゃないかな」
「しかられちゃいますけど、分からないのオレだけじゃないんだってほっとしちゃいます」
「ここだけの話しだよ」
なんなんだ、また急に小さな声で、
「あれ、なんもないんだよ。アメリカまでいって、中身はなんもないんだ」
「いや、二人して、ごちゃごちゃの始末にいったんでしょう。そこまではわかるんですよ。押出機の後始末だってことまでは……」
「でも上川、何も技術的なこともドライブシステムのことも何も知らないし、何をするったって、何ができるわけじゃない。そもそもあの程度の英語じゃ、あのしたたかな事業部相手に駆け引きなんかできっこないですよ。ああ、これ小林さんと二人だけの話しですからね」
小林さん、なぜがにやにや機嫌がよさそうに見える。なんでと思っていたら、
「藤澤さん、ここだけの、二人だけの話しだよ。なにも知らないし、できないってことじゃうちの大河原はあんたんとこの上川さんといいとこ勝負だ」
なにを言いたいんだという顔をしていたんだろう。
「オレ、営業してるから分からないかもしれないけど、こう見えてもガチガチ機械屋だ。根っからの技術屋だよ。何をしてもトラブルときはトラブル。技術屋ってのはトラブルっていう帽子かぶって、トラブルって書いてあるシャツとパンツに、やってられねぇっていう靴はいて、いつもバタバタしてる人種なんだよ」
灘の方を向いてるんだろう、顔を右斜め上にあげて、
「大河原はここの遠縁ということで役員やってるけど、俺たちが現場で必死になってやってることを適当に社長に言って、報告なんてもんじゃない。世間話に毛のはえたような話で、自分の手柄にしちゃうクソッタレだ。もうなんど煮え湯を飲まされたか……」
あれ小林さんあまり強くないみたい。たいして飲んでないのにもうよっぱらってる。
「アメリカに行ったってなにしてきわけじゃない。英語なんて中村や井上の方がよっぽどいい。何してたと思う?」
「いやー、上川も英語で言い合えるようなたまじゃないですからね。なにしてきたんでしょうかね」
「行くまでぼろくそ言ってたくせしやがって、帰ってきたら、バカ野郎がニッコニッコよ」
あれだけごちゃごちゃした時にも、平然としていた小林さんが怒ってる。
ビールをばっと飲んで、吐き出すように言った。
「往復ビジネスクラスで、二日続けてゴルフやって、プロ野球見て、上手い物御馳走になったんだろうな、コロッといっちゃった。いつものことで驚きゃしないけどさ。簡単にコロコロだから、井上や中村はコロ助って呼んでる」
コロ助には思わずふきだした。ころころ太ってるし、ちょっと連れてけばコロッといっちゃう。ここまでぴったりの仇名もなかなかない。
「このあいだのごちゃごちゃで、散々怒鳴り散らしてたのが、帰ってきたら、スタッカーも部品買いじゃなくて、ドライブシステムにしろってご命令でさ」
「えぇっ、なんの話しですか」
「そうか、青木さんが何かのときに言ってたけど、藤澤さん接待営業はやらない人だからって、やっぱりそうなんだ」
「そういうわけじゃないんですけど、無粋な下戸で歌一つ歌えないし、話したって面白くないし、上手に相槌の一つも打てなきゃって思ってんですけどねー。性に合わないってんか、好きになれないだけですよ。マーケにはそんな予算もないし……」
「そんなもん、大河原と支店長に任せておけばいいんじゃないの。藤澤さんも技術屋だろう。仕事は仕事でなきゃ」
「いえ、その仕事でお客さまに迷惑ばかりで……」
「いやっ、仕事にからめて役得を漁るようなクソッタレよりよっぽどましだ」
「ちょっと考えてよ。藤澤さんが田中に電話してくるまで、オレたち湯川さんにも上川さんにもアプリの杉田さんにも、何度も電話して対策をってお願いしたんだよ。知ってる」
「大阪支店では誰も何もしてくれなかったし、しようともしてくれなかった」

「おはようございます」
「昨日はごちそうになっちゃって、申し訳ないです。こんど一緒にメコンにでも行きましょうか」
トラブった挙句に御馳走まで、なんとも立場がない。
「早速なんだけど、これ見積もってくれるかな。昨日話したスタッカーなんだけど」
手渡された仕様書をパラパラめくっていったが、なにがあるとも思えない簡単なシステムだった。
「ありがとうございます。今度はちゃんとやりますから」

「おい、いつになったら見積よこすんだ」
ふざけるな。この野郎。大したシステムでもないのに、なかなか見積がでてこない。
何度も急かしてやっと出てきたら、こんな見積。一二時間もあればお釣りがくる。PLCとサーボだけの簡単なシステムだ。

「申し訳ないです。また遅くなっちゃって」
小林さんのあきれ顔に救われた。
「まあ、こんなところだろうね。端数を丸めて、出してくれるかな」
「了解です。明日にもFaxいれます」

注文書ももらって、あとは機械に取り付けて、試運転して……。
「早く物を送れ」
まったくこんな簡単なものも出せないのか?
これじゃ押出機の二の舞になる。
「モータはあとでもいいから、PLCのアプリケーションソフトだけでも先によこせ」
「スティーブが来る前にこっちで検証をしておくから」
「スティーブはいつくるんだ。機械の出荷まで、あと後一月しかない。早くアプリケーションを送ってくれ」

サーボモータとドライブにPLCは届いたが、肝心の制御がないから、テスト運転のしようがない。
「ふざけるな。スティーブが来ないで、どうする。モータもドライブもPLCもハードは完了だ。あとはアプリだ。早くよこせ」
「スティーブの日程を早く決めてくれ。何やってんだ。アプリだけでも先によこせ。できるだけの検証はしておくから」
「早くステーブをよこせ。分かってんだろうな、あと十日で出荷だ。押出機とおなじことを繰り返すのか?」
毎日同じことで電話していた。

「明日、スティーブを送るから」
なんだ、急に。行けないって言い続けてきたのに急にどうしたんだ。なんでもいから早く来い。
「こっちにくる便を連絡しろ、エアポートまで迎えにいくから。スティーブに電話を代われ」
「明日の便を連絡しろ。それと即途中までのものでもかまわないからアプリを送れ。こっちで検証をすすめておくから。分かってんだろうな、出荷まであと十日だ」

伊丹空港でスティーブの顔を見た時はほっとしたが、そこまでだった。
「なんでアプリを送ってこないんだ。一日を争うところまできてるから、こっちで先に検証しておきたかったのに」
「頭の中にでているから、ちょっと待ってくれ」
涼しい顔していわれたときには、かっとしてぶん殴ってやろうかと思った。
「なんだお前、あれだけの時間があったのに、何もしてないっとことか」
「いや、頭のなかにできてるから」
ふざけるなバカやろう。またやられた。スティーブの問題じゃない。抜けられないプロジェクトに忙殺されて、スタッカーに手を付けられないまま今日にいたってしまったということだろう。スティーブは器用なアプリケーションエンジニアだった。その器用さと真面目さを使い回していたマネージメントの問題だ。雑多なプロジェクトのよろず引き受けのように扱きこき使われて、なにが専門かわからなくなっていた。

翌日、灘に行って、小林さんにざっと状況を説明して、工場にはいっていった。機械はでき上っている。中村さんと井上さんが早く試運転をと待ち構えていた。ロアノークで散々な目あってきた二人の目は厳しい。そりゃそうだろう、あれだけの目にあって、また納期に間に合わない仕事でやってられるか、バカやろって思わないほうがおかしい。こんなことになってもニコニコしていたら、よっぽどでき(過ぎた)人か、バカか間抜けだ。

スティーブがよしこれでいいと思ってPCからコマンドを出した。
チェーンが回ったとたん、ビッギと何か切れたような音がした。
組み立てのオヤジさんが機械に潜って、
「あちゃー、スタッドボルトがちょん切れちゃった」
「よっちゃん呼んで来てくれ、溶接しなきゃ」
いくらもしないうちに痩せぎすの溶接工がでてきて、スタッドボルトを溶接してくれた。
スティーブがアプリに手をいれて、これでいいやという顔をして、またコマンドを出した。
またビッギと音がした。なにやってんだお前、またスタッドボルトちょん切ったのか。
よっちゃんがあきれ顔で、溶接してくれた。
スティーブが悪い悪いって顔をして、またアプリを直し始めた。
直すといっても何分もかからない。またコマンドをいれて、またスタッドボルトをちょん切った。

「スタッドボルトが段々短くなってきて、ちょん切るのもあと三回までかな」
「もう、オレのより短い」
よっちゃんの「もう、オレのより」のとぼけた言い方に、みんなが声をあげて笑った。日本語のわからないスティーブも何かおかしいのか分からないのにみんなについて笑っていた。
「おい、スティーブ、スタッドボルドも随分短くなってきた。ちょん切るのもあと二回までにしておけ」
バタバタのやっつけ仕事になったが、三日間ぶっ続けの作業でなんとか動作確認まではできた。最低限の動作確認までで、あとは現場で綱渡り。なんともイヤな予感がする。でもどうしようもない。
スティーブは翌朝のフライトでメコンに帰って行った。中断している仕事にも戻らなければならない。サンドイッチとピザだけで、寿司もなければしゃぶしゃぶなんて気の利いたものもない、いつものバタバタ出張だった。

ドライブシステムに任せておいたら、何もしないだろう。ロアノークのアプリケーション・エンジニアに仕様書を添付してメールを送った。現場作業が必要なことを公知しておこうと、ジェコインスキーとステーブに見積を出したジャックに、上川にもおまけでCCを入れておいた。
メールだけじゃ心配だから、ジェコインスキーとスティーブに電話をいれて、ロアノークのウィリアムに電話して後始末を頼んだ。
「今度はスタッカーで簡単だ。PLCにモーションコントロールがついてるだけで、ドライブシステムってほどのもんじゃない。PLCのアプリケーションソフトは、スティーブが日本に来て三日で作ったスケルトンだ」
「このあいだの押出機よりはいいが、基本動作の確認までしかできてないものがそっちに届く。細かなことはステイーブに聞いて、そっちで作り込んでくれ。また田中さんと中村さんが行くから」

状況は押出機のときより遥かにいい。現場でどうにでもなると踏んでいた。ところが予想だにしないとんでもないことが起きた。
動作確認をしていた中村さんが搬送トレーで叩かれて、骨盤を折って入院した。小林さんの話しでは退院まで三ヵ月はかかるだろうということだった。
中村さんの穴埋めに早々に一人送ることにしたはいいけれど、イエス、ノーの英語しかわかない中村さん、一人で大丈夫なのかと心配していたら、阪神淡路大震災が起きた。

東京でも結構ゆれてびっくりして、大阪支店に電話した。九時ちょっとすぎだったからだろう、まだ電話がつながった。
まさかあそこまでの地震とは思わなかったから、冗談半分で、
「おい、こっちまで揺れたけど、そっちはどうだ?」
「どうやなんて話やないで。事務所んなかめちゃくちゃや。向かいのビルも傾いちゃって、みんな大騒ぎや……」

神戸出身の本部長が偶然実家に帰っていて被災した。戻ってきた本部長の話がまるで漫才のようで社内にひろがっていった。
「いやー、びっくりしてさ。神戸でこんなに揺れたんだから、東京の家は倒壊してるだろうなって、心配したんだけど」
何を言ってるのかと思ったら、関西で地震は起きないと信じ込んでいたらしい。そこから地震は東京で起きたもので、神戸でもこんなに揺れるのだからという話しだった。

鉄骨組の上にスレート屋根を張っただけの工場は完全に倒壊して、工場も含めて辺り一帯は立入禁止になった。幸い新工場を三田に建てていたので、事業は三田で継続することになったと後で聞いた。バタバタしているところにお見舞いに行っても邪魔だけだろうし、後は大阪支店に任せた。
骨盤骨折でロアノークの病院に入院していたら、地震で工場が倒壊。独り暮らしをしていたアパートがどうなっているのかもわからない。重なるときには重なるもんで……、でも悪いことばかりがいつまでも続くわけでもないしとでも思って、なんとかかんとかやっていくしかない。

なんとかかんとかやってきたが、タイヤだけでなく鉄でもどうにもならないことが起きていた。無理を重ねてでていった市場開拓、銃後が整うこともなく暗雲がひろがりはじめていた。大きさからみて夕立では済みそうもない。いつ崩壊してもおかしくないギリギリのところを渡ってきたが、もうなにが起きてもおかしくないところまできていた。
2021/6/23