Corporate Marketing(改版)

「客製談合からみえたもの」の続きです。
http://mycommonsense.ninja-web.net/business16/bus16.4.html

ドライブシステムの市場開拓に走り回っていたら、製鉄インダストリーセールスの日本担当者にされてしまった。そこで初めてインダストリーセールスという組織があることを知った。製鉄はドライブシステム事業部が手掛けていたこともあって、担当者にされることになんの不安もなかった。
そこまでは自然のなりゆきでなんの疑問もなかったが、ひょんなことから紙オムツの製造ラインを追いかけることになった。そこから、FDAという切り込みツールがあることを知って、製薬インダストリーセールスにまで手をだした。ただどうみても、大きなモータが使われることもないし、ドライブシステムの出番があるとも思えなかったから、セミナーを開いたまでで終わりにしていた。ところが、日本の石けんメーカがシンシナチに本社を構えた巨大メーカに買収されたことから、日本の窓口として動かざるをえなくなった。あれこれやっているうちに、アメリカのいくつかの支店で日本支社にもインダストリーセールスがいるということが知られていった。

ドライブシステムの営業活動が実を結んできて、レイオフなる可能性も消えた。あとは似たようなことを繰りかえしていけばいいだけだから、部隊もメシの種には困らない。定常走行に入ってしまえば興味が失せる。そろそろ誰かに部隊に引きついでと思いだしていた。ところが、予想だにしなかったことが起きた。売れなければトラブらないが、売ればトラブルこともある。こともあるまでならしょうがないが、事業部の手抜きは常軌を逸していて、トラブルを出荷しているようなものになっていった。輪転機も製鉄もタイヤも水処理もトラブって後始末に走りまわった。そんなところに半導体インダストリーセールスの話が転がり込んできた。半導体なんて聞いたこともないし、そんなものに時間をさく気持ちの余裕はなくなっていた。
半導体インダストリーセールスについてミラーに訊いたら、裏話として教えてくれた。製鉄も自動車も重機械も先がみえてしまって、次の時代をになう産業へと営業の軸足を広げる社を挙げての転換の一つだった。

自称CIAのジビックは、PLCの事業体があるクリーブランドで営業部隊の一画に部屋をもっていたが、事業部の枠を超えてコーポレートレベルの仕事をしていた。注目すべき市場を調査して、業界地勢図を描いては、主要事業部のマーケティング部隊にセールスプロモーション戦略を委ねていた。クリーブランドで仕事をしていたときの個人的な付き合いからオフラインでジビックの報告書の概要を教えてもらっていた。ジビックの資料をみれば、会社がどこに焦点をあてて市場に切り込もうとしているのか、おおよその見当がついた。

ジビックからAmusement Park(遊園地)がでてきたときには驚いたが、考えてみれば東京ディズニーランドの輸入された施設の制御に標準採用でもされているのではないかと思うほど使われていた。タイヤ業界の地勢図もジビックからの資料からおおまかには掴んでいた。Who owns whom?という雑誌記事のタイトルのような副題をつけた報告書だったが、世界のタイヤメーカの合従連衡というのか地勢図が分かりやすく描かれていた。
ビールの業界資料を見たときは、日本のビール会社はこの先どうするんだろうと余計な心配までしてしまった。九十年代の中国の年間消費量の伸びが日本の年間消費量をはるかに超えていた。国境を越えたビール会社の買収が進んで世界規模で寡占が進んでいた。日本でもよく知られた中国のビール会社にもアメリカのビール会社の資本が入っていた。製造設備の輸出なら日本でもビジネスチャンスがあるかもしれないとあれこれ調べていた時、二年ほど前に帰国したマーケティングの上司だったニ―ブッシュが上司を連れて帰ってきた。

クリーブランドで生まれ育った人で、ケース・ウェスタン・リザーブ出のマーケティングの修士だった。理論やデータの分析には長けていたが、営業の前線で生きられる人じゃない。日本語も解さなければ、日本の産業構造も商習慣も分からないまま、三年ほどで帰国した。事務所にいてもろくにやることがなかったからなのか、マーケティングの基礎をいろいろ教えてくれた。

来日の目的の話もなしで、ただ予定を入れないでおいてくれといわれていた。早々には来るだろうとは思っていたが、まさか九時前にくるとは思いもよらなかった。駐在していたきは十時近くにならないと顔をみせなかったのに、なんでこんなに早いんだ。こっちにだって朝の雑務があることぐらい分かってんだろうにと言いたかった。
二―ブッシュが使っていた部屋をそのまま、机もキャビネットもなにも変えずに使っていたこともあって、懐かしそうな顔をされた。日本から追い出したわけもなし、気にすることなんか何もないのに、なんとなく気まずい。二―ブッシュの前は副社長のヘンリーが使っていた部屋で、南北に細長い事務所の南の端だった。社長が見晴らしのいい北の端で、部屋の位置が二人の関係を象徴していた。

二―ブッシュが出て行った部屋に入れと言われて二ヶ月以上抵抗した。そんなことをしたら、部隊との物理的な距離が空くんじゃないかと怖かった。何をどうするかと毎日のようにワイガヤでやってきてからちょうどいい、空いた部屋を部隊専用の物置兼会議室にしていた。なんども社長から部屋に入れと言われて、しぶしぶ入った部屋だった。大きな一枚ガラスの向こうには秘書が控えているが、定型業務なんかほとんどないから、頼める仕事などめったにない。遊ばせておくわけにもいかないから、資料や書類の整理をお願いしていた。

何をするのかもわからずに予定を訊いたら、
「今からちょっとしたセッションをはじめたいんだがいいかな」
セッションと言われてもなんのことか分からない。
「セッションはいいけど、目的はなんなんだ」
「明後日の夜CEOと電話でやり合わなきゃならないんだが、ちょっとお前の力を貸してもらいたい。今日と明日で、明後日はまとめにかかるから」
なんのことやらわからない。
「社長と何をやるんだ」
「セミエレをどうするかだ」
「セミエレ? どうするかってったって、セミエレに合う製品なんかないじゃないか。どれこれも重厚長大向けのごついものばかりで、クリーンルームなんかで使えるものなんかなにもないのに、どうしようってんだ」
「だからこうして市場調査もして、企業買収まで含めて、どこをどう切り取りにいけば、どことは競合関係になっても、どこをどこまで食って、その先どう展開していけるかって大まかな戦略案を書き上げなきゃって話だ」
そんなこと急に言われたって、はいこれこれで行きましょうかなんて言えるわけがない。
「ちょっと待ってくれ、手伝えてって言われても何も知らないぞ」
「お前の何も知らないってのはわかってる」
「いいから、どこでもいいから空いてる会議室で、資料を見ながら……したいんだが」
一緒に入ってきた上司らしいのが後ろでニヤニヤしてる。
なんだよ、そんなことなら前もって資料を送っておけと言いたくなった。

ちょうどそのとき、目の前ガラスの壁の向こうに出社してきたセクレタリが見えた。開いたままのドアから声をかけた。
「おはようございまーす。二―ブッシュがきた。ちょっと顔だしてくれない」
一年ぶり以上の再開だった。二―ブッシュのセクレタリだったのがこっちのセクレタリになったこともあって、すぐ部屋には入ってきた。二―ブッシュの女房とも親しかったこともあってだろう、思い出話から近況へと話がとんでいった。話を横に聞きながら、イントラネットで会議室の空き状況をみていった。大きな会議室も中ぐらいの大きさの会議室も一日中空いていることはめったにない。ちょっと息苦しかもしれないが、今の今で贅沢は言えない。五六人も入ればいっぱいになってしまう小さな会議室をおさえた。
久しぶりだったこともあって、二人で立ち話続けている。上司はいすに腰掛けて何をするわけでもなく話を聞いている。それをいいことに、ボイスメールとメールをざっと処理していった。溜めてしまうとつらいが、それ以上に緊急を要するものがあれば、即手を打たなければならない。

二―ブッシュとセクレタリの話にちょっとはいって、二―ブッシュにそろそろ行こうやと顔でいって、話をきった。
二―ブッシュが小ぶりなキャリーケースを引きずっていた。そんなもの、ホテルに置いておけばいいのに、なんで事務所にまでと思っていたら、そこから大きなバインダーが四つでてきた。日本人には大きすぎて、片手で持つのがつらい。
二―ブッシュが机の上に並べて、二つこっちによこした。二つで一組の資料だった。

「ジョン、どうするか。俺たちも確認しておいた方がいいだろうから、資料をみながらざっと状況をフジサワに説明してからにするか。まだ丸二日以上あるし」
「そうだな。散々いじりまわして濁っちゃったからな。ざっと眺めていこうや」
いつもニコニコしている二―ブッシュが真顔で言った。
「バインダー1と2があるだろう。1の方を開いてくれ。目次があるだろう」
目次のまえに半導体の後工程の概略図があった。概略図のあちこちにA−xxx、B−xxxとページ番号がふってあった。図の次のページから目次が始まっていた。目次を上からざっとなぞって、ページをめっくて、またページをめくって、あまりの資料に息がつまった。詳細な情報が二つのバインダーにまとめられていた。一社でここまでの情報集めをできる市場調査会社があるとは思えない。何社使ったのか、いくら使ったのか分からないが、ここまでの資料はちょっとない。集めた資料がすべて会社の正式フォーマットにまとめられていた。あちこち端折って十ページも日本のコンサル屋にもっていけば、結構な金になる。ジビックの仕事にも呆れることが多かったが、こんなことまでする会社だとは知らなかった。日本であくせくしていると、目の前にあるものの上っ面しか見えない。見えたまでが見えたまでで、まさかこんな市場調査をする会社にいるとは想像したこともなかった。ふーっと一息ついて、顔をあげたら、恐れ入ったかとでも言いたげな二―ブッシュの薄ら笑いの混じったポーカーフェースが目にはいった。

「まったくこんなことまで調べ上げて、これからどうするってんだ。下流なら機械工程だから、PLCでもサーボでも、SCADA(Supervisory Control And Data Acquisition―統合監視制御ソフトウェア)でも何でもあるだろうけど、相手はクリーンルームで事務所よりきれいだ。俺たちがもってるのはHeavy Duty用でせいぜい家電どまりじゃないか。セミは遠すぎる。分かってんだろう」
二人ともバカでもなし、そんなことは言われなくても分かってる。でも、今から何をと、即のアクションプランをといわれても、なんのしようもない。時間がない以上に知識と能力がない。
「今もっている製品で追いかけられるのは家電や事務所用のエレまでで、セミに持っていけるものなんかないじゃないか。なんでエレじゃなくて、セミなんだ」

<エレはエレクトリック(電気、電機に電子関係業界)の略称。セミはセミコンダクター(半導体産業)の略称)>

何度も話してとっくに結論がでているのだろう。落ち着き払って二―ブッシュが言い切った。
「分かってる。問題は集中度だ。エレはそれこそアメリカとヨーロッパに日本だけじゃない。韓国もいれば台湾もいるし中国もマレーシアもいる。アプリケーションも種々雑多で、かき集めた程度の知識じゃ焦点を絞りきれない。こっちで百K(十万ドル、一ドル百円換算で一千万円)、あっちで百Kって野ネズミを追いかけたら、かたちになるまえにガス欠になる。だから大きなかたまりになっているセミの後工程を狙い撃ちしか、少なくとも現時点では考えられない」
なんだお前、マーケティングのいろはだろうがって顔をされた。
「分かってる。でも、売るものがなければ戦にならないじゃないか」
「だから、俺たちがいるんだ。分かってんだろう」
言っていることはセオリー通りで間違いない。そういうことなんだろうけど、なんでオレがと思いながら、クールダウン、クールダウンと時間稼ぎをした。
「ところで、お前たち、二人して毎日なにやってんだ」
「事業部じゃなくて、コーポレートのマーケティングっていえば分かるだろう。フジサワさんのことはミラーから聞いてるから」
「なんだ、どうせろくでもねぇ話しだろうが」
ミラーの名前をだされて、あっけなく引き戻された。事務所で話をしているかぎり、二―ブッシュにはかなわない。
「前置きはこのくらいにして、資料をみながら、ざっと要点だけなぞっていきたんだが、いいかな。話していけば、何を目論んで何をやろうとしてるのか分かるから」

まったく、どこでどう調べたのか分からないが、半導体の下流、チップの切り出しから始まって基盤への実装プロセスまでが網羅されていた。

<半導体の製造工程は大きく上流と下流に分けられる。上流はシリコンウェハーに不純物をドーピングする工程で化学反応を主体としている。下流はシリコンウェハーから完成した一つひとつのICチップを切り分けた後、外部と信号のやりとりをする接点を付けるなど、半導体として完成していくパッケージング工程が主体となっている>

それぞれの工程で使用される装置と装置に搭載されている制御機器。その制御機器を使ってアプリケーションエンジニアリングをビジネスとしている会社、さらに、そこに外注業者として出入りしている、エンジニアリング会社やソフトウェアを提供している会社まで、競合関係から協業関係までが書かれていた。文章の説明だけでは分かり難いからということから、相互リファレンスしやすいようにと細分化したアプリケーションごとに蜘蛛の巣のような関係図をつけて整理されていた。

こんなに細かく見ていったら、いくら時間があっても足りないんじゃなかと心配になってきた。
「おい、こんなに細かくやっていって、明後日の会議に間に合うのか」
「心配するな。時間は十分ある。まずプレーヤをざっとみてもらわないと先に進めないから。ちょっと辛坊してくれ」
「いやー、もう一時半だし。そろそろメシにしないと食いそこなっちゃうぞ。どうする。天ぷら屋でもいいし、魚でもイタリアンもあるけど。初日からマックはよそうな」

もうすぐ八時だが、まだ八割方までしかレビューできていない。今日中にざっと見ていって、明日はどのアプリケーションに注力するか、優先順位をつけて競合と協業関係をみていかなければならない。夕飯を食いにいっている時間がない。二―ブッシュとはトラブル処理をしていたとき、しょっちゅう遅くまで残っていた。どっちが言い出すわけでもなく、デリバリーのピザで済ますことが多かった。切羽詰まっていた時は、昼飯にいけなくて、夕方二人して立ち蕎麦を食いにいったこともあった。
ピザでもデリバリーするかとセクレタリの机にいって、メニューを持ってきた。
「どれにするか好きなのを選んでもらえないかな。三十分もすれば、もってくるから」
ピザとコーラで腹も膨れてちょっと落ちついた。コーヒーをすすりながら、レビューが終わったのはもう十一時をまわっていた。

翌日、朝からアプリケーションの選定にかかった。独占か半独占的立場にいるメーカはいてもいいが、二十社を超える装置メーカが甲乙つけがたいほどのシェアで群雄割拠しているところは後回しにする。そこそこの売上が見込める、ここなら食い込めるところが一社や二社はあるだろうというアプリケーションが欲しい。夢だけ追いかけてもしょうがない。どこを買収するにしても、手持ちの製品と業界の標準通信ネットワークとのからみもある。
当時イーサネットのプラントフロアーへの適用が模索されている一方で、ヨーロッパの重電メーカとアメリカのACが生産施設の業界標準化でしのぎを削っていた。セミ業界にはそれとは別にLONWORKSというビル監を主要アプリケーションとしていた通信ネットワークが候補としてあがっていた。自動車はヨーロッパ連合の都合とGMが旗をふって進めていたネットワークで二分される様相だった。

知識といえるものはなにもないが、それでも大まかにはセミの世界も知っていた。当時世界のシリコンウェハーは日本の数社がほぼ独占していた。ステッパーは二社。プローバは数社、ダイサーは一社独占、ワイヤボンダ―もチップボンダ―もグロバルプレーヤが数社あった。上流工程の前にある単結晶シリコンウェハーの引き上げ機を供給している重機械メーカとは自動車関係で知り合いが何人かいた。チップを載せるリードフレームには高速プレスが使われていて、一社にはDCドライブの紹介にいったことがあった。

シリコンウェハーの引き上げ機や高速プレスには手持ちの製品でもビジネスチャンスがないことはないが、標準採用している国産メーカを押しのけるまでの力はない。ステッパーには精度が足りない。残るのはダイサーとボンダ―しかない。こうなるともう数社しか残らないが、既存の製品は重すぎて話にならない。ここまできて、なんで二人して日本に来たのか分かった。日の丸半導体などと呼ばれた時代をへて、下流工程で使用する機械装置のメーカのキープレーヤがアメリカ勢から日本勢に代わってしまって、主要顧客の多くが日本にいる。日本の状況を多少なりとも知っている人間の意見を聞かずに戦略を立てたら、遂行しえないものになりかねない。二―ブッシュにしてやられた。二人と話していることで、半導体インダストリーセールスの日本担当と決まったようなものだった。

ターゲットとするアプリケーションがはっきりしたところから、機械装置メーカが標準採用している小型PLCとサーボシステムを持っている会社をどうするかという話になっていった。
そしてA社を取るためにはX社の製品が欲しい。でもA社を取ると競合しているB社とC社には行けない。じゃあ一歩下がってみて、A社、B社、C社のどこなら取りやすいのか、そのために必要な製品をもっているX社、Y社、Z社のどの事業体を買収すればいいのか。おおよそにしても買収コストはどのくらいかかるのか。そして手にした製品に自社の通信ネットワークを組込むのにどのぐらいのコストがかかるのか。

アプリケーションごと、関係する製品と企業ごとに似たような話を繰り返していった。ある会社の事業体を買収すれば、このプロセスにも行けるし、あのプロセスも取りに行けるじゃないかと話が転がって行っては戻ってが続いた。
またピザをかじりながら、いつまでこんな話をしているんだと思いだした。
「二人とも毎日こんな話をしてのるか」
二―ブッシュがニヤッとしてジョンが言った。
「まあな。この類の話をしないと、満足な資料もつくれないからな。話をしていると調べなきゃならないことが見えてくるだろう。分からないまま先に進んでも意味がないから、調査に戻るけど、基本的には毎日似たような話しの連続だ」
「やばすぎるだろう。リスクがデカすぎて、とてもじゃないけどやってられない」
二―ブッシュが呆れ顔で、
「やばい橋ってことじゃ、フジサワさんも似たようなもんだろう。オレらの常識じゃ日本でドライブシステムなんか始めようなんて考えるのはお前ぐらいものんで、ミルウォ―キーにもクリーブランドにもいないぞ」
「おい、なんだよそれ。俺だって代理店経由の単品売りでいいんなら、ドライブシステムなんかに手をださないぞ。それしかやりようがないから始めただけで、今でも逃げ出せたらって思ってる」
ニ−ブッシュが笑いながら、
「逃げ出すったって、もう遅すぎるんじゃないか。可能性として一つだけある。インダストリーセールスに変わっちゃえ。そうすれば、売り上げ数字に直接の責任はないから、ちょっとは楽だし、業界知識を売りものにして転職って手もあるんじゃないか」
まったく他人事だと思って気楽なことを言ってる、この野郎。
「二人以外にもこの手の作業をしているのはいるのか」
ジョンが笑いながら、
「そうだな、アシスタントが二人いるけど、この類の仕事ができるヤツはそうそういない。今度予算が下りたらこっちへくるか」
「ありがたい話だけど、責任ばっかり重くて、いつ崩壊するか分からない橋を渡るか?一年目はいいにしても、二年目があるかどうか分からないじゃないか。ミルウォーキーでレイオフになるとワーキングビザもないし、即刻帰国で職探しってことになるじゃないか。なにがなんでもやばすぎるだろう」

自社で必要とする製品を開発する能力がないから、開発に時間がかかりすぎるからと企業や特定の事業体を買収することがある。巷のコンサルの話もビジネス本もシナジー効果を求めてうんぬんかんぬんときれいごとで溢れている。潤沢な資金に強力な販売網をもったところに買われてよかったということもあるだろうが、拙い経験からだが、成功例は数えるほどしかないんじゃないかと思っている。
自社の技術力、それをささえる企業文化のもとでは開発できなかった製品を買ったとして、果たしてその製品をベースに後継製品を開発し続けることができるのか?できるのだったら、買収しなければならない状態に陥ることにはならなかったはずじゃないのか?企業文化が合わなければ、買収された事業体からその事業体を作り上げてきた人たちが抜けていく。肝心の人材が流失してしまって、残るのは施設と看板だけという買収劇がゴロゴロしている。

早々にピザを食って、いよいよ社長へのプレゼンテーションのリハーサルになった。ジョンが社長役、二―ブッシュがプレゼンテータとして話を始めた。さっきまで一緒に話をしていたジョンが、聞いていて思いついたとでもいう感じで二―ブッシュに質問していく。分かっていることをやり取りしているうちに、あれと思うことが見つかる。これじゃ成り立たない。じゃあ、A2のプランからB4にとんで、A3に展開するか。また社長とプレゼンテータの話になって。ロジックの綻びが見つかる。じゃあ、C2‘でA3を補強してみたらと、二時間も続けていれば、話しがつぎはぎだらけになっていく。ごちゃごちゃになりすぎたところで、つくってきたプランA、B、Cの要素の見直しを始めた。

新しいプランA、B、Cでまたリハーサルを始めて一時間ちょっとで、ロジックの補強をしなきゃと、また新しいプランA、BとCを作る話になって、またリハーサルをやってを繰りかえして、もう十一時。
いつまでやったところで、これが最有力のプランAで、つぎがB、そしてCとはならない。これが正しいとはいわないまでも、分かっている限りの知識ではこれしかないだろうというプランにもならない。どれもこれもこれはおさえなければというところにはっきりしないことが多すぎて、結論なんかでやしない。
コーヒーをすすりながら訊いた。
「いくらやったって、不確定要素が多すぎて、結論なんか出やしないんじゃないか。こんなことで社長と電話でやり合えるのか」
二―ブッシュが笑いながら、
「なにを言い出すのかと思えば。俺たちのマーケティングの仕事にこれしかないって一つの答えなんかあるわけないじゃないか。分かってんだろうが」
「そうはいっても、相手は社長だ。ぱっとわかるExecutive reportを先に送って、ざっと流していくプレゼンテーションにしなきゃまずいだろうが」
「そりゃ、エンジニアリングやセールスならそういうことだろう。マーケティングにも、ときにはそんなものもあるけど、今回のような話は、要点を抑えた検討項目を整理できればいいだけだから」
なんのことかという顔をしていたのだろう。ジョンが、
「社長にはマーケティングとしての基礎資料を提供すればいいだけで、知らなきゃならないことがそこそこ分かればいいだけだ。すくなくとも今の段階ではな」
そうは言われても、相手は社長だ。心配でならない。
「第一俺たちの報告だけでどうこうって決めるわけじゃないから、心配するな。当然ミルウォーキーのファイナンスもでてくるし、親会社の財務もでてくる。そいつらは支配下の、おれたちみたいなところから引けるものは引いてくるだろうし、下手すりゃそこと合弁をやれなんてことに転がってくかもしれないじゃないか。モデムのチップを作ってる事業体もあれば、爆撃機のコクピットを作ってる事業体もあるの知ってるだろう」
なにをごちゃごちゃいってんだ、お前という顔をしながら二―ブッシュが、
「そうだ。フジサワさんがいつも言ってたじゃないか。負けない戦をやっていって、どこかで勝ちを拾う。俺たちの仕事が認められて、会社としても次のステージに進めればいいってことでしかない。後はやりながら考えるって、お前の口癖じゃなかったか」

まあ、いつものことでこれといった正解なんかあるわけじゃない。まずは負けない戦で転がしいけばいい。運がよくても辛勝、大勝なんてのは奇跡のまた奇蹟。そんな運のいい星の下に生れちゃいない。なんにしても慎重に一つひとつやっていくしかない。いくら計画なんか立てたところで、やり始めればすぐに変更になる。変更のしようのないガチガチの計画なんか、あるだけじゃまだ。まずは一歩、方向さえ間違えなければ、あとはなんとでもなるし、してける計画じゃなきゃならない。
2021/10/21