二日酔いで倒れるほど飲むか?(改版)

「Corporate Marketing」の続きです。
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二―ブッシュのおかげで、市場開拓とクレーム処理にあけくれる毎日からは想像もつかない世界をかいま見れた。ブレーンストーミングのようなことをくりかえしていて、ほっと一息ついたとき、なんでと思いだした。二人の相手を出来る人なんかミルウォーキーにいくらでもいる。それをわざわざ日本まで、なんのために来たのか訊いてみた。セミに日本は落とせないからといわれたが、そればかりとは思えない。気になって何度か聞きなおしたが、そのたびに似たようなことを言われた。
日本とアメリカの往復だけで、どこを回ってきたわけでもなければ、これからどこかに回る予定もない。いったいなんのために日本へと考えていくと、まさかとは思うが、オレの面接しか思い浮かばない。ドライブシステムだけでも潰れそうなときにセミ?もうとうに限界に超えていて、これ以上の負荷は受けきれない。二人が帰って週があけても、もしかしたらというもやもやははれない。

三日溜めてしまった雑務の処理をと、いつもより一時間ほど早くでて始めたとたん、引きずっていたもやもやも半導体インダストーセールスのことも記憶の彼方にとんで行ってしまった。どうなるのかわからない先なんか気にしている余裕なんかありゃしない。溜まってしまったごちゃごちゃのなかから、自分でしなくてもいいことをさっさと部隊と関係部署に振っていった。
そんな機械的なことをしていれば、作業とは関係のないことを考えだす。この先どうするか、いつもの堂々巡りをしていてはたと思った。一人では無理でも、三人で分担すれば、なんとかバタバタやりながら時間をかけて不時着ぐらいには持ち込めないこともない。多少ゴタゴタしたところでなんとでもなるだろう。問題は一点に尽きる。客との間に入って事業部と英語で丁々発止をできる人材がいない。この人材の手当がつかないかぎり、引こうにも引けない。とっくに能力の限界を超えていたが、当面の間だけにしても、なんとしてもという気持ちだけは失わないようにしなければならない。答えにならない答えで、いつまで経っても先がみえてきそうな気がしない。

トラブルの原因はドライブシステム事業部の手抜きにある。誰の目にも明らかなのに、副社長が帰任してしまった日本支社にはドライブシステムにことの正否を正す肝の座った経営陣がいない。事業部がやっていることは、たとえて言うなら、試運転したことがないどころか、エンジンのかけようもない車を出荷しているようなもので、トラブらないものがない。解決の目途も経たないうちに次のトラブルが出荷される。トラブルの後追いに明け暮れて、文句をいう元気もなくなっていった。
訊いたところでどうなるわけでもないが、愚痴の一つも言いたくなる。雑多なシステム案件の見積担当に電話して、なんでこういうことになるのか聞いてみた。

日本のビジネス本に書いてあるように、アメリカ人だからといって、いきなり要件に入ることはめったにない。人種や文化の違いより個人個人の個性の違いとおかれた状況や方がはるかに大きい。状況がきつければきついほど、本題に入る前に言葉の潤滑油が必要になる。つとめていつもの調子で話を転がすことからはじめた。
「先月来た時は時間がなかったから、話してた焼き肉屋にいきそこなっちゃったけど、ずい分涼しくなってきたら、バーベキューも悪くない。もう九月も半ばだ、来月になれば日本の秋を楽しめるぞ。ほら、ジャパニーズメイプルツリーも色づいてきて、十月も後半になれば燃えるような感じになってくる。ちょっと足を延ばして京都はどうだ。そろそろ巡業にこいよ」
「そうだな、日本の夏は蒸し暑くてかなわないからな。お前に言われたように、このあいだはタオルのハンカチ持って行ってよかった。今度行くときはもうちょっと大きいやつにしなきゃな。トイレはきれいなのに、ペーパータオルがないからな。気がつかないで手洗っちゃったら、ぱっぱとふって、頭の毛で拭くことになる。デイビスなんかいったら、毛がないからパンツで拭かなきゃならい。それででてきたら、いい年してお洩らししたんじゃないって思われちゃうんじゃないか」
お行儀通りにどうでもいいことでちょっと笑って、一呼吸おいて聞いた。
「おい、スティーブ、タイヤも水処理もできあがってないシステムが出荷されてるの知ってるだろう……お前」
さすがにバツが悪いからだろう。黙ってる。おい、なんとか言え、この野郎。オレとお前のなかでだんまりはないだろう。
「ちょっと待ってくれ。いったん切って、会議室にいってかけ直すから」
時間にして二分か三分、ファイルをみていたらかかってきた。周りを気にすることもなくなったからだろう、いつもより声が大きい。
「ああ、オレもなんども文句を言ってんだけど。こんなことしてたら、やっとつかんだ日本に二度といけなくなっちゃうって」
「なんだ、ジェコンイスキーにか」
「そうだ、おれが話をできるのはジェコンイスキーまでで、上にいるスミスは都合の悪いことには難聴だから、なにを言ったってニコニコしてるだけで糠に釘だ。スイフトなんか挨拶しても無視されてるからな。お前も言ってたじゃないか。スイフトの前じゃInvisibleだって」
「なんだ、お前もか。オレだけだと思ってた。人種差別だったんじゃないんだ」
「いや、お前には悪いけど、人種差別はかなりある。ここはニューヨークやロスじゃない。女の子のスカート見りゃ、分かるだろう。ウィスコンシンってのは、知っての通りCheese butt(酪農州であることからバカにされて、チーズケツと呼ばれている)がうろちょろしてるところだ。おれはニュージャージーから引っ越してきたけど、ちょっとしたカルチャーショックだったな。広々として自然があっていいところなんだけど、なんせ田舎もんの集まりだ。差別ってことじゃ、ディープサウスと似たようなもんだ」
「ジェコインスキーな、あいつはスイフトの汚れ仕事役で、使いっ走りみたいなもんだからな。とてもじゃないけどスイフトに具申なんかできるわけがない」
「そういうこった」
「そういうこったはいいけど、このままいったら終わるぜ。おれも終わりだ」
ふたりして言葉がでてこない。製鉄と輪転機以外はすべてスティーブが見積を作っていた。そしてシステム開発はシュラム一人だった。二人コンビでよくやってくれが、ラインが動かない、というより必要な工数を割り当ててもらえない。もうどうしようもないところまで来ていた。

スーパーのレジで例えてみれば分かりやすい。客が来ないからレジの店員が暇をもてあまして世間話に興じていたら、経営者として失格の烙印を押される。経営の視点では、長い列に並んだ客を最低限の苦情でさばいていけるだけの、必要最小限の店員しか置かない。店員にしてみれば、やってもやっても列が短くならないから、頑張ろうという気にもならない。列が長くて客も大変だろと頑張ったところで、時間いくらの給料に色がつくわけじゃない。疲れるだけで一銭のプラスにもならない。それどころか、一所懸命仕事をすると、頑張るだけ損だと思っている同僚の反感を買う。

一度雇ってしまうとレイオフするにも手間がかかるから、事業部は予想される注文をこなすのに必要な最低限の人員しか揃えない。従業員が仕事を待ってるようでは稼働率は上がらない。経営効率の上限、最大の作業効率を求めて、作業と作業の潤滑剤の役目を果たしている作業も削る。こうして客が仕事を待っている、従業員は息をつく間もない過密な環境に置かれ続ける。

トヨタを聞きかじって似たようなことをやれば、くしゃみをしている余裕もなくなる。そんなことをしたら、加工していない製品が下流に流れて行ってしまいかねない。当然トイレも決まった時間に限られるし、世間話で腹を抱えてなんとこともない。何かの誰かのせいでラインが止まれば、みんなほっとする。そんなところでWorking ethics(労働倫理と訳すらしい)など求めるべくもなく、デミングだのなんだのと偉そうなことを言ったところで、品質管理なんてのは机上の空論のなかにしかない。
チャップリンが「モダン・タイム」で描いた情景など、監視カメラがあるわけでもなし、まだまだ良き時代のものだ。バッファと遊び(余裕)のないロープをピンと張りつめた生産体制なんか、特にアメリカでは絵までにしておいたほうがいい餅で、エライさんの視察のときだけ、なんとか格好をつけるだけの代物にしかならない。

そこは二つの呆れた思想?でおおわれていた。一つはトヨタのジャスト・イン・タイム。もう一つはマイケル・ポーターが描いた漫画のようなバリューチェーン。どっちもご説を可能とする状態(もどきにしても)をつくり出す地道な作業から始めなればならないのに、なにをするわけでもなく、すぐ最終形態を求められると都合よく勘違いする文化がはびこっていた。

バッファもなしにモノが左から右にスイスイ流れていって一件落着なんて仕事はどこにもない。流れるようにできれば、流れるものは流れるが、それは、できればの話だということに気がつかない。残念ながら、いつも順風満帆、万が一のことが起こることのない組織もなければシステムもない。あるとすればコンサルやビジネスグルのご高説のなかだけで、実際はヘンリー・ミンツバーグが『Marketing Safari』で書いたように蜘蛛の巣のように相当な数の要素が絡み合って、そのなかをあっちにいったりこっちにきたりで物事がすすんでいく。できることはあっちこっちを一つでも少なくすることでしかない。その一つ省くための技術とそのコスト、そしてそれを当然と考える文化がなければ、一つ省いたことによって、思いもよらなかったことが二つ三つとでてくることさえある。

始めてしまった戦、もうどうにもなりませんからの放棄するわけにもいかない。局地戦の一つや二つと思いはするが、一つ落としたら、士気が崩れて組織が崩壊する可能性がある。なんとか状況の悪化を食い止めて、時間稼ぎをしながら、次の一手、次の一手と凌いでいるところに、事業部から新しいトラブルが出荷されてくる。客のなかには状況を察して、妥協してくるところもあるし、社内には言葉だけにしても支えてくれる仲間もいる。ただ、ヘンリーを追い出した経営陣はトラブルに巻き込まれるのを恐れて、傍観しているだけで何の役にもたたない。小官吏ができることは現状追認までで、次の時代を切り開くなんて想像すらできない。どうにも事業部を動かせない。

そんなところに、半導体インダストリーセールスの担当者からメールが入ってきた。来月の第三週、一週間日本にいって、営業マンに紹介したいし顧客も何軒か回りたい。アレンジを進めてくれ。それどころじゃないと、事情を説明したが、なったばかりのインダストリーセールスで上からの指示を変更でいる立場じゃない。なんとか進めてくれとしか言ってこない。

メールじゃ埒が明かないから電話した。
「アレン、言ってることは分かるが、ドライブシステムの手抜きでトラブルだらけだ。とてもじゃないが手をあけられない。メールでざっと状況を説明したろう」
「分かってる。オレもドライブシステムに関係したことのある営業マンに聞いてみた。大人しいヤツなんだけど、メコンはとんでもないヤツらだって吐き捨てる話しっぷりだった」
「分かってんだったら、ちょっと先に延せ。ひと月も経てばいくつかは片付いていると思うから」
「そう思ってマネージャに相談したら、こいつが石頭で、営業からマネージャになったということもあってだろうけど、言うことを聞かないんだ。ロスの支店の同僚だったんだけど、その変りようには驚くぜ。上の評価が気になるんだろう、一日も早く実稼働に入って、何らかの成績を上げたいってことだ。誰だって思うことは同じだ。でも知識もなければ伝手もないところで、直ぐにって言われたってな。顔をみれば客に行けってハッパかけられて、事務所にいられないんだ。あいつのせいで人間不信になっちゃった。人種がどうのなんて言いたかないけど、日系三世の女性だ。小柄の美人だ。見た目はな……」

売り物もないところに戦場を知ろうとしない上司。そこに戦場を見たこともない担当者がそろって何をしようってんだ。アメリカでなら何をしようが勝手だが、こっちに来られても困る……と考えていたら、アレンの置かれた状況が目に浮かんだ。なんのことはない、アメリカの営業マンに相手にしてもらえなくて、いくところがない。そこで、観光半分、気分一新で日本に逃げ出そうって腹だ。
アメリカの営業マンの給与体系は、八割方は出来高で固定給は二割ほどしかない。営業マンは、金になると思えば、どんなことをしてでも事業部や関連部署、しばし経営トップまで巻き込んで「自分の売上」を追求する。裏を返せば、金になりそうもないことには一切時間をさかない。いやいや研修なんてのに引っぱり出されることもあるが、そんな何もない所でも何かを拾おうとする。そこまでの貪欲さと徹底した個人主義を貫かなければ成績があがらない。実績を上げられなければ、どうなるか?どうにもしようのない顧客ばかりあてがわれて生き残れない。二割の固定給じゃ食ってけない。

ふざけやがって、なんでオレがお前の面倒を見なきゃならないんだ。ましてどうにもならない泥沼をはいずり回っているときに。
「おい、アレン。お前分かってって半導体のインダストリーセールスになったんだろう。売るもんなんか何もないぞ。まさか光電センサーはどうでしょう、端子台は、押し釦はって話で行けるか」
「分かってる。でも二―ブッシュの話じゃ東京のフジサワに頼めば、なんとかしてくれるから心配するなって。頼むよ、適当なレポートを書ければいいだけなんだから」
適当なレポートな。そんなもん書いたって、それをまともに評価できるマネージャじゃなさそうだし、レイオフへの時間稼ぎにしかならないんじゃないか。レイオフになる前にどこか手ごろなところの買収でも起きればいいけど。でもそこにはプロパーの営業マンがいるし、お前が入り込む余地なんかあるんかな……。なんとも情けない状況にからめとられたのを悔いたがもう遅い。二―ブッシュにはめられた。

「アレン、状況は分かる。確約はできないが、ちょっとやってみるから四、五日くれ。期待するなよ」
しょうがない。二次代理店でたいした付き合いはないが、マーケとして顔をつないできた専門商社の西東京支店に電話した。売り上げの八割以上が半導体とその周辺という極端な支店だった。

「大野さん、無沙汰してます。ACの藤澤です。お忙しい申し訳ないんですが、一つ教えて頂けませんでしょうか。ちょっとお時間をさいて…」
「何、藤澤さん、どうしたの急に」
「まったく恥ずかしい話なんですが、アメリカの本社で半導体業界への切り込み部隊ができまして、こっちにきて何社か紹介に行きたいっていいだして、きかないんですよ。できれば明日か明後日、時間は大野さんのご都合で結構ですので青梅線のダイボンダ―とワイヤボンダ―の二社への筋をなんとか……」

「あぁ、吉田さん。無沙汰してます。ACの藤澤です。シリコンウェハーやってる子会社に簡単な紹介にあがりたいんですが、いえね、アメリカの半導体セールスが日本にくるってんで、できるだけご迷惑をかけないで……」

紹介してもらった会社の担当者に電話して、ざっと事情を説明して、三十分で結構ですからとお願いして訪問のスケジュールを立てた。全く何も知らないところでよくやったもんだ思いながらも、他人の迷惑に構っていられない自分の恥知らずかげんに呆れた。

半導体インダストリーセールスったって、今ビジネスになるのは超純水製造装置ぐらいしかない。大阪支店と名古屋支店には、こういうやつが来るけどと伝えただけで終わりにした。営業マンの時間を割くのももったいない。社内向けの説明は、もし時間があればと東京の二、三人に声をかけた。

アレン、電話で聞いた声から小柄なやつだと想像していた。事務所に入ってこられた時、なんだコイツはと思った。デカすぎて邪魔でしょうがない。アメリカ人の男性によくいるタイプでガタイはでかいのに声のピッチが高すぎる。
事務所でざっと日程と訪問先と、ありもしない訪問の目的を確認していった。さあ、お前の番だと言ってはみたが、怖ろしいほど何もない。半導体インダストリーセールスの陣容とか戦略?とか聞いてもしょうがないものを見ていった。まあ、変なものを持ってこられても困るが、それにしてもなさすぎる。二―ブッシュが社内でも機密だからと言って、バインダーを持って帰ってしまったことが悔やまれる。何しに来たんだ、お前と思いながら、
「おい、お前全体の組織図と主要製品を紹介する資料ぐらいもってきたんだろうな」
「半導体インダストリーセールスの組織図たって、シモヤマとオレの二人だけだし、全体の紹介資料は日本語のいいのがあるからって二―ブッシュが言ってたから……」
車で顧客巡りしかしたことのない地場の営業マンがなんの考えもなく、いつものように「ちわー」ってか、ご用聞きでもあるまし。この野郎、Giveaway(ノベルティ?営業粗品)は持ってきたんか。提供する情報もなしで、空手てってわけにもいかないじゃないか。
「ところで、giveawayは何か持ってきたんか」
「用意しようと思って、何がいいか二―ブッシュに聞いたら、フジサワがいっぱい持ってるからって……」
確かに二―ブッシュの言う通りで、giveawayには事欠かない。日本にくる人たちは上から下まで、必ず使切れないほどgiveawayを持って(送って)きた。余ったからと持って帰るのも面倒なのだろう、大きなキャビネットに隠匿物資のようなgiveawayが溜まっていた。大きな傘もあれば折畳みもある。サマーセータもポロシャツもある。日本人には大きすぎるがパーカーもあれば、マフラーやスカーフにひざ掛けまであった。定番のクロスのボールペンのセットも何種類もあったし、腕時計もある。ブリーフケースもあればPCの持ち運びにぴったりのバッグもある。文房具の類にいたっては呆れるほどあった。

ここまできたら、あとは出たとこ勝負の丁々発止でどうにでもしてやる。何か拾うものがあればめっけもん。何もないんだから、失うものもない。どうにでもしてやれって思いはするが、隣に立たれると、デカすぎてうっとうしい。

いつものようにロイヤルパークで拾って、中央線から青梅線に入って昭島で降りた。駅前のサテンで時間調整してダイボンダ―屋に行った。何もない、次のセミコンサイクルに合わせて事業を編成してゆくのでと前置きしておいたのに、それを承知で時間を割いてくれたのが不思議でならなかった。
ざっと会社の生い立ちと主要製品群を紹介していて気がついた。ACを買収した防衛産業の社名がACの前についていた。どこもここも買収された会社でしかないと思うが、傘下にモデムの半導体を開発、製造している事業体があった。そこはダイボンダ―の顧客でそっちとの関係もあって無下にもできないからということだろう。
ちょっとビジネスと業界の話になって小一時間。これ以上はとおいとました。

タクシーで小作にでて、駅前で昼飯を食って時間調整して、またタクシーでワイヤボンダーメーカに向かった。守衛所で用紙に社名と氏名を書いて渡したら、なぜか守衛があわてた様子で電話をかけていた。なんのことかと思っていたら、偉そうな人が数人の部下を連れて正面玄関から走り出してきた。何が起きたのか。まさか俺たちのことじゃないだろうと、後ろを見ても誰もいない。アレンと二人で顔を見合わせて慌てた。二人して同じことを口にした。
「どうなってんだ」
「What the fuck is going on?」

エライさんが親会社の名前を口にして、ペコペコしている。
親会社の誰かが、あるはモデム屋の誰かが来たものと勘違いしているのが分かったが、なんともバツが悪い。もう立派な応接間まで準備されていて、おかしなことになってきた。しょうがないから、勘違いであること、アポイントをとった担当者の名前を伝えた。そわそわと人が入れ替わっていった。ソファーとテーブルが大きすぎて、事務的な話をするには遠すぎる。ざっと会社の紹介をして、午前中と同じ調子で、次のセミコンサイクルに合わせてといって切り上げた。
ちゃちな喜劇のような一日を終えて、ロイヤルパークに戻ったら、営業マンとして駐在しているトムがキャフェテリアで待っていた。
「これから六本木に繰り出すんだけど、フジサワも一緒に」
「いやー、ちょっと遠慮しとくわ。疲れた。二人愉しんで来てくれ。明日の朝、九時にピックアップにくるから」
「なんだよ。付き合えよ」
「付き合いたいんだけど疲れすぎた。今日は寝る。飲みすぎるなよ、じゃあな」

九時を回ってもでてこない。まったくしょうがないやつだ。フロントにいって、モーニングコールをかけてもらった。
三十分ほどして出てきたが、これはちょっとひどすぎる。二日酔いにしてもここまで飲むか、バカ野郎がと怒鳴りたかった。
「おい、大丈夫か」
返事が小さい。しっかりしろ。今日で外回りも終わりだ。
タクシーで東京駅に出て、東海道線に乗った。乗ったまではいいが、ふらふらしていて、立ってられない。車両の連結のところに連れていってドアに寄りかからせた。車両が揺れるたびに巨体が崩れ落ちそうになる。横で支えるがデカすぎて手にあまる。アッと思ったら、床に転がってしまった。それを見た人がびっくりして席を譲ってくれたが、席に引き上げるにしても重すぎてどうにもならない。席を譲ってくれた人が二人して助けてくれた。二人に抱えられながら、何かいっている。
助けてくれた人にお礼を言いながら、アレンに、
「なんだ? 声が小さすぎて聞こえない。もうちょっと大きな声で言え」
「申し訳ない」
口を開くのもおっくうなのがわかる。
「おとなしくしてろ、あともちょっとだ」
何をブツブツいってるのか思えば、
「トムの野郎、事務所に帰ったらぶっ殺してやる」
「何時まで飲んだんだ」
「朝までだ」
トムの野郎は自主休業で、まだ高いびきだろう。まったくしょうもない奴だと言ってもいられない。抑えていないと席からずり落ちてしまう。
真っ青な顔をして冷や汗まで滴らせて。もうこりゃダメだ。一度下りて休ませるしかない。あともうちょっとで戸塚だ。平塚までいかなきゃならないのに、戸塚で?しょうがない。
抱えるようにというのか、のしかかれたような感じでホームにでて、ベンチに寝かせた。改札にいって、状況を説明して、近間の薬局を教えてもらった。

「すいません。二日酔いをバシっとやっつける薬ないですかね」
もうやけくそだ。
「ソルマックなんかどうでしょう」
どこかで宣伝を聞いたことがある。
「ああ、じゃあ、それ三本ください」
「えっ、三本?」
「なんせ熊五郎のようなヤツで百キロ以上あるんで、一本二本じゃたりないかもしれないんで。とりあえず三本も飲ませりゃ、ちっとぁシャキっとするんじゃないかと思って」

ベンチから転げ落ちてるんじゃないかと心配したが、戻ったら、はみ出てはいるものの、ちゃんとベンチで伸びていた。
「おい、これ飲め。苦いかもしれないけど我慢しろ。二日酔いさましだ」
訪問先に電話して、戸塚まではきたんですが、体調不良で、ちょっと休ませてから、そうですね、一時間ほど予定をずらしていただけませんでしょうか」
行ったところで何があるわけでもないが、このまま引き返すわけにもいない。

タクシーから降りて、とぼとぼ受付まで歩いて行ったら、ちゃんと連絡が入っていたようで、丁重に会議室まで案内してくれた。
かたちながらの挨拶してと思う間もなく。
「こんなところまで、体調がよろしくないのに御足労頂いて、恐縮で……」
まさか二日酔いとも言えないから、
「どうも昨日たべた魚がよくなかったようで。食い慣れたマックにしときゃ、よかんだんですけどねぇー」
と横っ腹をつついて、笑い話にして早々に引き上げた。 駅前に薬局を見つけて、またソルマックを二本飲んで元気なもんだ。

ロイヤルパークに戻って来たときにはすっかり元気になって、
「フジサワさん、今日は二人で六本木にいこうや」
お前なー、いったい何しに日本に来たんだ、と一言言ってやりたいが、昼は表敬訪問でさっと流して、八時過ぎから六本木で明日の朝までってのがお決まりのが何人もいる。日本での飲み食いは高いから来たヤツもち、アメリカは安いからこっちもち。フジサワ部隊ではそれが不文律のようになっていた。
どうしようもないなかで、どうでもいい訪問もおえて、一杯やらなきゃやってられない。二日酔い?そんなのあったっけと二人で飲みながら、話題の中心は専ら転職だった。ちょっと仕事の話に戻っても、あいつがどうのこいつがどうのから、また転職話。
「今ABBと話してんだけど、シーメンスは断っちゃったから、どうだ、フジサワさん。いつでも紹介してやるぞ」
お手盛り出張のレポートなんざ、見栄えのいいゴタクを並べれば終わりだ。そもそもが、ただ行ってきましたというだけの訪問、書かなきゃならないようなことはなにもない。気にしなきゃならないのは、何も知りもしなければ知ろうともしない上司のウケだけだ。
2021/9/16