始まりがあれば、終りもある(改版)

「二日酔いで倒れるほど飲むか?」の続きです。
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できるかどうかわからないところから始めれば、かたちになるまでにそれなりの時間がかかる。しばし予想だにしない状況に陥って終わってしまうことも多い。インバータを売らなきゃと始めたドライブシステムが市場の偶然と関係者の支援のおかげでビジネスとして成り立つところまできた。人材も育ってきたし組織もしっかりしてきて基盤はできた。さあこれからというときに、予期せぬ買収劇で終息しなければならなくなった。アメリカの大企業ではビジネスユニットや事業の売り買いは日常茶飯事で驚くことではない。ただそう言ってられるのは、他人事あるいは本のなかのことだからで、当事者としてはやってられるか馬鹿野郎以外のなにものでもない。

当事者ではないはずなのに、買収や組織編成のあおりを受けて弾き出されることもある。弾き出されて、使い物にならない人材になってしまうのか、それとも弾き出された先でさらなる成長をし得る人材になりえるかは、日々自分から進んで、どれほどのチャレンジを重ねて必要とされる知識と能力を培ってきたかによる。
諸行無常なんて大袈裟なこと言う気はないが、いいことも悪いこともいつまでも続かない。技術も変われば市場も変わる。人も組織もそれに応じて変わっていく。なんにしても始まりがあれば終わりがある。終わりがあるから次の始まりがある。ただ突然降ってわいたような終わり方をすれば、人が傷む。光があれば影もある。なにかあれば、必ず誰かが割を食う。仕事には傷んだところから再出発の繰り返しがつきもので、転んだところから、だらかどうした、新しいチャレンジをできる環境を頂戴できたと、歓ぶぐらいの気持ちがなければやっていけない。

飛び込み営業からはじめたことで、一つの成果をあげるためにどれほどのリソースを消費したのか計算のしようがない。それほど無駄な時間や労力を費やしてやっと些細ではあるが、基盤と呼べるものを作り上げた。その始まりから終わりまでをざっとまとめておく。

インバータが一シリーズあるだけで、汎用モータ(三相誘導電動機)もなければ制御盤もない。既設のモータにインバータをというケースもないことはないが、よほど特殊な事情でもないかぎり、モータメーカのインバータが使われる。出力レンジは一馬力から二百馬力と広いが、モータなしでビジネスになるとは思えない。

まったく知らない世界でもないが、ある日突然売ってこいと言われても、どうしていいのか分からない。まずは製品とアプリケーションを知らなければと、マークと二人でメコンの事業部に研修にいった。マーケティングとしての礼儀もあるから、研修にはいる前にマーケティングマネージャとのミーティングを設定した。どんな人なのか親しい数人に聞いたら、すこぶる評判が悪い。なかには放送禁止用語をならべたのもいた。ふたりして、いったいどんなヤツなんだろうと興味はあったが、目的は技術研修で、マーケティングはするっと抜けるつもりでいた。

若手のマネージャによくいるタイプで余裕がないのだろう。挨拶からして横柄というのか上から目線で口が曲がってる。もう少しリラックスしたらと話題をかえてみたが、押し付けがましい話をきかされるだけで、話し合いにならない。同じモーションコントロール事業部のはずなのに、クリーブランドのマーケティングとの違いに、二人して顔をみあわせた。かたちながらの挨拶も終えて実ビジネスに話題を移そうとしたら、その言い方はないだろうという口調で言われた。
「今期いくら売り上げるんだ」
マークよりちょっと若そうで、いってても三十半ばだろう。どこで実ビジネスのマーケティングのありようを習得したのか?どこにいけば、こんなスタイルのマーケティングが棲息しているか気になったが、下手に訊けばご高説を拝聴させられかねない。ちょっと常軌を逸している。どう考えても生え抜きじゃない。荒っぽいビジネスを展開しているところから転職してきたんだろうけど、この先どうするんだろうと心配になってしまった。

二人ともCNCやサーボはやってきたが、汎用モータの制御はよく知らない。ただああだのこうだの言ったところで、所詮インバータ、モータの速度(回転数)を制御するだけでしかない。位置と速度を制御するサーボに比べれば簡単だ。運転条件を設定するだけで、プログラミングもいらない。
それでもどんな製品なのかを知ったうえで、ご同業の製品と比較もして、市場をおおまかにせよ理解しなければ、戦略の立てようがない。戦略もなしで、いくら売りますってコミットメントできるのは、ただのバカか神様だけだ。そして、神様は絵に描いた餅のようなコミットメントなんか求めない。それを求めるのはバカだけだ。なんなんだお前と思いながら、バカ相手にバカ正直に答えた。
日本支社の状況をざっと話して、
「全てはこれからで、現段階でコミットメントはしようがない。最低限日本語のカタログぐらい用意しないと市場での評価もつかめない。まずは二つ折りのカタログを作らなければならないんだけど……」
言い終わらないうちに、人を舐めきった大きな声で、
「売り上げをコミットすれば予算も考えるが、しないなら予算はない」
ちょっと言いあらそいかけたら、机の下でマークに足を蹴とばされた。早々に切り上げて部屋から出て廊下を歩きはじめたら、マークが吐き捨てるかのように言った。
「あんなバカ相手に、ごちゃごちゃやるな。あいつの部屋はどこだった」
部屋がどうした。言うことは言わなきゃ、全てこっちの責任にされるじゃないかと言い返そうとしたら、冷めた口調で諭された。
「スイフトの部屋から一番遠い外れだ。スイフトがあいつをかってないってことだ。マーチンが何を言ったところで気にするな。三ヵ月もして来てみりゃ、いないかもしれない。どっちにしたって、あんなのが長続きするわけないから、ほっとけ」

レーザープリンターどころか、デスクトップパブリッシングなどという言葉もなかった八十年代末、和文カタログの手作りなど想像もできなかった。誰も読みゃしない英文カタログを手に市場開拓を始めることになった。英文カタログ(正しくはブローシャ)には調子のいい宣伝文句が並んでいるだけだから、辞書を引きひき読んだところで製品仕様は分からない。製品仕様は、まるでプリンターから打ち出したかのようなSpecifications(仕様書)に細かく書いてある。英語がびっしり並んでいて、よほど困っているか興味のある人でなければ読もうなんて気にはならない。
乗用車のカタログではないかと思わせるブローシャ、見栄えはいいが中身がない。内容のあるSpecificationsは普通の人には重すぎる。インバータは一番小さなものでも五kgはある。それに合わせたモータは巻き線の塊のようなもので十kgではきかない。ちょっと製品紹介にと持参できるような代物じゃない。ご紹介だけでもと押しかけても、製品もなければ和文カタログもない。口頭だけでの紹介で、なんだこの外資はというマイナスの印象しか残らない。熱意だけの説明を聞いて、東京本社のショールームに物を見せてもらいになんて奇特な人はいない。みんな日本製のモータとインバータで間にあってる。

なんとかしなきゃと走り回ってはみたが、売れるかもしれないというかすかな希望が消えていって、売れっこないかもという不安が確信になっていった。このままいけば、成績が上がらないという理由で来年にはレイオフになる。多分、社内のだれもがそう思っていたと思う。
営業マンも代理店もPLCとその周辺の制御機器をシステムの構成部品として売ってきているだけで、汎用モータを中心にすえた販売体制なんか考えたこともない。昨日があって今日がある、そして明日は今日の続きという人たちにとっては、CNCの開発プロジェクトをアメリカまでいってやり直してくる腕力なんか物騒でしょうがない。歩く三田会のような新任社長は、売れっこないインバータと心中させて、御しやすい組織にと考えていた(としか思えない)。いくら頑張ったところで、半年もすれば水面下でアップアップして、へばるのも時間の問題と思っていたはずだ。

ところが大方の期待と予想に反して、半年もしないうちに、大きなモータを核とするドライブ・システム・ビジネスで走りだした。ひっぱってくる案件のビジネス規模が制御機器単体とは比べものにならない。小さいものでもニ桁、ちょっと大きくなれば三桁も違う。代理店経由で五十万、百万をちまちま積み上げることしか考えたことのないところに、億の仕事を年に二つ三つまとめればいいじゃないかというビジネスモデルが出現した。営業マンの誰もが、そんな山師のようなと見下していたのに、あっという間に輪転機で一山あてて、年一億円は固いビジネスを作り上げてしまった。

そこに、副社長できていたヘンリーが目をつけた。今までの代理店経由の販売体制では何をどういじったところで、VPに昇進するために必要な売上なんか望むべくもない。営業トップや支店長と何度も市場開拓の話をしてきたが、誰もこれといった考えがない。いくら聞いてもアイデアどころか、思いつきすらでてこない。このまま沈んでいく日本丸に乗っていたら、何年もしないうちに日本でレイオフになる可能性がある。皮肉なもので、帰国することもなく日本でレイオフの前例をヘンリー自身がつくっていた。日本支社の立ち上げから十一年も日本支社のために身を挺して頑張ってきたマークを日本でレイオフした張本人が、自分の身を心配しなければならない立場に追い込まれていた。

社長は、ことあるごとにアメリカと直談判をくりかえすヘンリーがうっとうしくてしょうがない。学閥と身びいきで知られた有名私立大学を出て、アメリカのビジネススクールに遊びに行って箔をつけてはいたが、所詮日本でしか仕事をしたことのない営業あがり、技術的なことは分からないし、制御機器屋のビジネスの背景など興味もない。ストラテジーなんて口にはしても、あるのは財務の視点だけで、とてもじゃないが製品事業部と丁々発止のやり合いなんかできるわけがない。

ヘンリーの後押しもあって、五年目にはドライブシステムが支社の売り上げの三十パーセント近くをたたき出すまでになった。このまま後一年も突っ走れば、後は誰かに引きついで、PLC計装ビジネスでも展開するかと思っていたところに思わぬ誤算が起きた。ドライブシステム事業部の手抜きのせいで、トラブルの収拾に時間をとられて営業活動どころではなくなった。事業部にクレームをいれても、何もしてもらえない。口にはださないが、状況から順当に考えれば、アメリカの客を優先して、遠い日本の客に回す工数がないということでしかない。副社長がいれば、事業部のVPを飛び越えて本社の上級VPを動かすことも可能だが、支社長はアメリカには一兵卒のように仕えるだけの人でしかない。

さんざん売上売上と鞭を入れられ続けて、動きがとれなくなったら知らん顔ってのはないだろう。オレの責任でもなし、あとは知らないぞと思っていたら、社長に呼ばれた。社長と話すことなんかなにもないのに、一体なんだと思っていったら、ドライブシステムの後任を雇ったからと言われた。
「東大出の電気屋で、K製鉄の千葉で二十年以上薄板をやってきた人だ。英検も一級だし、安心して任せればいいから」
一瞬、何ことかと思ったが、なんだそういうことかと気が抜けた。ついもうバカバカしくてやってられるか、と口をついて出そうになるのを抑えて言った。
「ありがとうございます。あと大変でしょうけど、それだけの人が引き継いでくれるのなら大丈夫ですね」
高専出の機械屋のなりそこないに東大出の電気屋、それも最大手の製鉄屋で二十年以上の実務経験。英語にしたって英検一級。仕事を通して使うことで拾ってきた英語じゃ比べようもない。
「そうだな。東大出の製鉄のプロだから、安心して任せればいい」
安心してまかせればいいとくり返されて、ちょっとムッとした。それじゃおれには危なくて任せられないって言ってるようなもんじゃないか。だったら、走り出した五年前に後任を連れてくりゃよかったじゃないか。そうすれば、手に余るごちゃごちゃにもならずに済んだんじゃないか、おい、お前と思った。
「そうですよね。愚生のようなパシリには荷が重すぎましたし……」
くそったれがと硬くはなっても、つくろって笑顔にするだけの度量はない。一介の機械屋くずれ、そんな大物じゃない。部隊には悪いが、何もかも放り投げてすっきり、後は知ったことかという気持ちの方が強かった。

一週間ほどで、後任の人が来て自己紹介された。早速部屋を引き渡して、前に坐っていたブースに戻って清々した。社長と戦って降格されたという周りの目が気にはなるが、やれるものならやってみろと高みの見物を決めこんだ。部隊は心配だったが、こんな機会は二度とない。楽しむことにした。
エリートで立派な人であることは間違いなさそうだが、いかんせん線が細すぎる。君津の二次精錬の建屋に吊るしてあった標語「誇り高き男の世界」を思い出した。経験も知識も申し分ないが、胆力がなさすぎる。これじゃ部隊がもたない。
よくできた人なんだけど、切った張ったの世界じゃ生きられない。ひと月もしないうちに部隊の誰も彼もが相手にしなくなった。英語も文法は合ってるけど、そんな言葉の使い方見たことないというものだった。出来のいい生徒で学生で英検なんだよなとしか思えなかった。

次に何をしろともいってこないから、PLC計装の押し込みの準備を始めていたら、社長から声がかかった。なんのことかと思って社長室に入ったら、アメリカから二人来ていた。
画像処理事業部のロツコフフスキーとハーンズだと自己紹介された。一瞬なんで画像処理と思ったが、なんだそういうことかとまさかという気もちが混ざり合って、直ぐ冗談だろうと思いだした。十年も前になるが、入社早々何も知らずに画像処理の通訳をさせられたことがあった。フランスのベンチャーが開発したというか開発中の製品を持ってきて、セミナーにもならないダラ話だった。

こっちがどういう人間なのか聞いてきているのだろう。なんでと思うほどの心配りに恐縮した。
「Welcome on board」
さんざん聞かされてきた常套句なのに真があるように聞こえた。よっぽど人材に困ってるんだろう。そういえば何年か前にマーケティングに担当者がいたはずだけどと思い返した。ああ、熊川だ。日本の組織上はマーケティングの一員で部下だが、仕事は事業部直結だから、こっちが何を言っても馬耳東風、自由気ままにオフラインですきなようにしていた。たしか二年かそこらでレイオフになったはずだ。アメリカの大学を出たデカい身体にデカい口とでも言ったらいいのか、あるのはそこまでで、それ以上はなにもない。何をしていたのか知らないが、何をしていたとも思えないし、そもそも何かできるようなタマじゃない。申し訳ないが、マネージャとしてつきあっている余裕もなかったし、付き合ったところで何ができたとも思わない。あいつで懲りてるのかもしれないが、二人の丁寧すぎる口ぶりはいったい何なんだと気味が悪かった。

ハーンズが身を乗り出して、ソフトスポークンで初対面の壁を崩してきた。
「フジサワさん、オレももともとはクリーブランドのCNC部隊の人間だ。ハースもベンヤもいい奴だ。今でもつきあってる。ほとんどメールだけどな」
やわらかな口調は生来のもので、なにかで体得したものとは思えなかった。それが武器であることを十分知って使っている。ハースとベンヤをもちだして顔が緩んだのを見逃さない。早々に仲間意識か? 気をつけないとからめとられかねないが、ここまでの穏やかな口調からその危険を感知できる人はなかなかいないだろう。それほどナチュラルなものだった。

一呼吸おいて、あらたまった口調で、
「画像処理とサーボ、なにも関係ないと思ってんだろう」
なんだよ、そんなもの関係しっこないじゃないか。千分の一ミリ秒の時間で位置と速度を計算して、千分の一ミリ単位で物の移動を制御するサーボと画像処理がどう関係するんだ。
「オレも最初はそう思ったんだ。でもデータ処理の視点でみれば、似ても似つかないアプリケーションがここまで似てたんだってびっくりしたんだ。もう六年も前のことだけど今でもはっきり覚えてる」
何が似てんだ、違い過ぎるだろうがと思っていたら、
「どっちもリアルタイムOSを使ったリアルタイム処理だ。サーボは画像処理にくらべれば、データ量は遥かに少ない。でも処理時間はもっと短いからPLCやドライブのようにのんびり処理しているわけにはいなかい。画像処理はサーボに比べれば処理に時間をかけられるけど、データの量がとてつもなく大きいから、単位時間あたりに処理しなきゃならないデータ量はサーボシステムと似たようなもんだ」
そう言われてみてれば、確かに基幹となる数値演算のアルゴリズムはイヤでも似たようなものになる。ここで、アプリ―ションの視点からしかデータ処理を見れない人と、アプリケーションの基にあるデータ処理そのものを見れる人とではシステムの理解が天と地ほどの違いになることがある。要はどんなアプリケーケーションであれ、きちんとしたデジタルデータになってしまえば、アプリケーションによるデータの処理に違いなんかほとんどない。それが製鉄であろうが、工作機械であろうが、半導体関係でも、もっといえば金融関係でも防衛関係でもデータ処理のレベルになってしまえば、1か0のデジタルデータの処理で何もかわらない。処理しなければならないデータの量と処理速度の兼ね合いがシステムの性格を決めるということで、そうしてみれば、CNCも画像処理もシステムの根幹は、ハーンズのいうように似たようなものになる。

ところが、制御屋の世界とセンサー屋の世界には大きな違いが一つある。制御屋は制御機器に、アナログでもデジタルでもかまいやしないが、ちゃんとした電気信号が入ってくるのを前提としている。信号が入ってこなければ、あるいは入ってくる信号がノイズだらけで何が信号だか分からなければ、制御システムは機能しない。
画像処理もセンサーの一種で、制御装置の外の世界の状態、温度や流量や圧力などのアナログ値や物が在るか無いかなどのデジタル値(制御屋の言葉でいえば、ディスクリート)を電気信号に変換して制御機器に引き渡す役割を担っている。

コンピュータシステムに関してよく言われる「Garbage in, garbage out」、訳せば「ゴミを入力すればゴミが出力される」になるが、当たり前の話で、制御システムもコンピュータシステムそのもので、入力信号が間違っていたら、正常に稼働しない。じつはこれは、人間や社会組織にもいえる。ほとんどすべての状態は1か0(白か黒か)のようにはっきりしないグレーの幅をもっている。それを白と、あるいは黒と判断しなければならないとき、個人のエゴや組織の都合が先にたって状況判断を間違える。状況を的確に判断しえない人や組織は、まともに機能しない。それどころか、誤りが重なって負の連鎖が起きて取り返しのつかないところまでいかないと、修正のかけようがないという欠陥を内蔵している。そんな組織でまともに機能している部分があったところで、歪んだ全体に飲み込まれて終わる。

ACのように制御機器単体を代理店経由で販売している会社では、外部から電気信号をもらって始めて制御する機能や性能に特化した技術を開発していて、画像処理を始めとるセンサー類とは棲んでいる世界が違う。外界の状態を電気信号にする製品と、電気信号をもらって始めて機能する製品の間には、同じ技術屋とは思えないほど思考や志向に違いがある。
ひと言でいえば、画像処理ビジネスはACのビジネスモデルには合わない。八十年代の中頃からワン・ストップ・ショッピング体制を整えようと企業買収を通して製品の種類を増やしてきたが、何人もがミスマッチであることに気がつていたはずだ。

二人の話を聞いていて、なんでオレみたいな半端者をそこまでへりくだった姿勢でリクルートしようとしているのか不思議でならなかった。聞いてきた話から、ケツをまくって辞めてしまう可能性も想定していたとしか思えない。それにしても、どうしてと考えていけば、でてくる答えは一つしかない。状況を打破する暴れ馬が欲しい。アメリカでみつけられなかったあぶなっかしいのが日本いいたということだったのだろう。

ハーンズの説明を横で聞いていたロツコフフスキーが、
「サーボと画像処理、データ処理は似ているけど、市場もアプケーションも違う。工作機械のように数種類ってわけじゃない。たまげるほどあっちこっちの業界で、こんなのもありかって使い方をされている。勉強しなきゃならないことも多いから、慌てずにじっくりやっていってもられないかと思ってるんだけど……」
ハーンズが常套句を口にした。
「最初にスタートダッシュよろしく走り出した人が最後まで走りきれることはめったにない。逆にスタートで出遅れて、いつまで経っても立ち上がってこない人のほうが最後まで、遠くまで走るってことの方が多い。ゆっくりでいいから一緒にやっていってもらえないか」
そこまで聞いて、今迄こき使われてきた事業体との違いは何なんだろうとおもい出した。そういえば、最近画像処理の新製品、聞いたことなかったしな。もしかしたら、この事業部崖っぷちに立たされてんじゃないか。そうでもなければオレなんかにこんな話が回ってくるはずがない。なんだインバータと心中しなかったから、今度は画像処理と心中しろってか。まあ、ボロボロの事業部だろうけど、二年や三年は持つだろう。それだけの時間があれば、かなりのことが拾える。モータの制御にゃ飽きたし、画像処理でもやれば、制御とは違う世界も見えるだろうし、悪い話じゃない。

ロツコフスキーの話が終わったところで、ハーンズが切り出した。
「今後のアクションアイテムとスケジュールについてなんだけど。案として考えてきたことを、ざっと話していきたいんだけど……」
支社長の目がうっとうしいって言っている。
「そうですね。細かな話は会議室にいってしましょうか」
三人して社長をみたら、顔も上げずに頭をちょこっと下げた。
そくさくと部屋をでて歩いていったら、大会議室が空いていた。予約しているのがきたら、出ていけばいいだけで、気にすることもない。
社長の耳を気にしながらの話から解放されて、三人ともほっとした。聞いてもしょうもないことだが、気になって訊いた。
「オレのよくない噂は聞いてるだろう。ハースもベンヤも知らない仲じゃないし」
使いようのないディレクターのアリでもなければ、人当たりがいいだけのマネージャのワイズウィッツでなくハースとベンヤというからには、こっちのことをかなり知っていると思った方がいい。
ハーンズがどことなく温かみのある笑顔で言った。
「ああ、フジサワさんは知らないだろけど、うちにいるブラックのかみさんがドライブシステムのエンジニアリングにいるから、あっちの話も聞いてるし、インダストリーセールスのミラーからも聞いてる」
「なんだ、そこまで知ってるんなら、自己紹介なんかいらないな」
「そうだ。それより、即はじめてもらいたいことがあるんだけど、いいかな」
いいかなって、マーチンじゃないけど明日から客廻りなんて話じゃないだろうな、そんなに急いで何をしろってんだ。
「前任者のクマカワさん、知ってるだろう。いい人なんだけど」
いい人?そこまでの世辞を言うかね。ハーンズのソフトスポークンには気をつけなきゃと思っていたら、
「二年間担当してもらったんだけど、Monthly reportもくれるんだけど、なんていうんかな、どこにいって話をしてきたというような出張報告までで、市場全体というのか、どんな同業がどんなアプリケーションといった市場のデータが全くないんだ。そのせいで、オレたち未だに日本がどうなってるのか分からないままなんだ」
熊川を画像処理にアサインしたのは、社長の鈴木だ。こんなこと鈴木の前じゃ言えっこない。どうも早く社長室を出たがっていた感じはあったが、そういうことだとは思いもしなかった。
まあ、熊川にそんなことを期待する方が間違ってる。客に行ってきまーすって出て行ったっところで、どこに行ってるのかわかったもんじゃない。知り合いとサテンで世間話しならいいほうで、パチンコやってても驚きゃしない。
「そこでだ、フジサワさん、日本の市場の大まかな状況を調べてもらえないかな。ドラフトレベルのものを一ヵ月でまとめられないかな」
なんだそんなことか、多少抜けがあっても構わない、精度もそこそこでいいんなら、一週間もあれば大雑把な地勢図ぐらい描ける。大阪の市場調査会社に電話すれば、あすにも資料が届く。何冊か買ったことがあるが、どれもひどい物だった。一冊十万円とか取るくせに、中身はいい加減そのもので、何ページも違わないぺージのデータに整合性があることのほうが珍しい。そんなものでも市場を大まかにつかむには十分だ。高田馬場と人形町にある業界誌に行けば、そこそこの裏話ぐらい聞ける関係はつくってある。それでも慎重に、
「多少の抜けも精度も勘弁してもらえるのなら、半月もあれば業界地勢図ぐらいだせると思うよ。だてにマーケ十年やってないから」
ほっとしたのだろう、ロツコフスキーが、
「来月、インディアナポリスで画像処理のセミナーがあるんだけど、一週間行ってもらえないかな。セミナーで画像処理がなんなのかを掴んだあとで、ミルウォーキーでどうだろう」
話が早い。もう後は雑談のようになっていった。六時半にロイヤルパークで拾って、人形町の飯屋で腹ごしらえして六本木に流れていった。

ほとんど死んだような事業部だったことが幸いした。株の底値買いのようなものだった。ほっとけば崩壊するのは目に見えているから、可能性をぶら下げれば、なんでもやりたいようにやらせてもらえた。降格したはずなのにタイトルはDirectorのまま、翌年には給料も上がった。死にぞこないがまた死にぞこなった。

止める時のことまで考えて始められる人はなかなかいない。考えたところで、いざ止めなきゃと思っても考えたときとは状況が大きくちがっている。止めることまで周到に考えたら、始められることも始められないだろう。
自分で上げた幕は自分で降ろしたいが、余程の人でもなければ、誰かに引いてもらわなければ降ろしようがない。独り走り出しただけなら、修正できるし止められるかもしれないが、組織として勢いがついてしまうと、止めることですら、外部の力が必要になってしまう。

先のことを思って、言い訳半分。
「始まりがあれば終わりもある、そして終わりがなければ始まらない」
何かをしようとすれば、何かを止めなきゃならない。止めなきゃならないのを自分の力だけでは止められない。所詮バタバタの使い走り、しょうがない。

二年後にはACがドライブとドライブシステム専業メーカを吸収合併した。上海のジェフ・イェンがいた会社で、従業員二万人以上を誇る老舗だった。ACより大きな会社で浜松町に日本支社があった。作り上げたドライブ・システム・ビジネスをそっくり移管して終わった。画像処理に移ったことで、専業メーカに行かずにACに残ることになった。それがよかったのかよくなかったのか、仕事も人生も一寸先は闇、先のことは、その時になってみなけりゃ分からない。
2021/09/19