市場調査の前に

誰も全てを知っているわけでも理解しているわけでもない。ビジネスの実務では常に限られた情報と限られた時間内で決断しなければならない。たとえその決断が今は何もしないでおくという決断であっても。
ビジネススクール?のグル達や名の知れたコンサルティング会社が主張されているように今までの成功したビジネスには前もってしっかりした市場調査があって、それを分析した結果として導きだされた戦略があった。。。これがほとんどまがい物の後知恵の解説ででしかないことを暴露?した本を出しているグルもいる。どっちを信じるか、何年も実ビジネスの戦場にいたことのある人であれば躊躇なくほとんどの場合後者であることを体験から知っている。
これは成功したケースでは市場調査も検証もなかったとことを意味している訳ではない。市場調査も含め調査、研究は常に非常に大事なことを承知の上で、その限度と限界をそれ以上に理解していることが求められるということに他ならない。
しかも、この結論は日常生活の感覚からも違和感のない結論なので、言葉で言うか言わないかの違いがあるだけで誰にも反論はないと思っている。市場調査の限界は巷の成功談の多くが実は後知恵の説明であることからおのずと説明がついてしまう。ここでは、もう一つの限度について一笑に付しきれない例を紹介させて頂く。なぜ笑いきれないかというと、市場調査のような作業につき物のすべきことであるし、しなければならないことではあるが、一体何を何処までしたら十分なのか一義的なガイドラインがないだけに注意しないと不要なデータが増えるだけ分析が困難になり妥当な意思決定の妨げになる。何を何処までという判断をどうつけるのかと聞かれたら、何度疑問符を発しても妥当だと思える意思決定をし得る必要最小限と答えるしかないと思っている。
数年前のことだが、社歴も長くご同業に関しては最も知識のある部下と今後の市場プレーヤの推移について話をしていた。日本も含めた米国、欧州市場では自社も入れて日米の4社が市場を寡占している。この4社は国も所在地は違うが、依って立つ経済基盤も技術基盤も似た様なものなので、市場のゲームのルールを大きく変えるような変化はなく、少なくとも数年以上4社競合で推移してゆくように見えた。
ただ、ルールを変えるかもしれない、もしかしたら明日のシンデレラになるかもしれない萌芽かもしれないものが日本にも欧米にも散見されるようになってきた気がしてならなかった。萌芽として恐れているのは地場の盤屋さんだ。決してハイテク製品ではないので、仕様限定で、特定客の特定アプリケーション用の製品であれば、個々の装置メーカの外注にあたる地場の盤屋さんでも似たような(あくまでも似たようなででしかないが)製品を作れる。顧客限定、地域限定である以上、彼らもメインビジネスにする気もない。利益と言うより総売上額を膨らますために手を出してきた感がある。そのため、製造コストプラスアルファ程度の価格で出てきていくつかの大手客を持って行かれた。ただ、このビジネスをメインにしようとすれば、それに特化した国内外市場をカバーする販売体制に加えてアプリケーションエンジニアリングが必須になるので、そう簡単に市場参入はできない。とは考えているが世界のどこかに既にシンデレラもどきがでてきているかもしれない。
そこでその部下に特別急ぎではないがシンデレラもどきを調べておくようにと依頼した。後で安易に依頼しすぎたと反省する羽目なったが、そのときはまさかそこまでとは想像もしなかった。
依頼した部下は正真正銘の善人とでもいうのか、まじめさとか誠意とかは彼のためにある言葉じゃないかと思うくらいに一途な人だった。その後何度か同じような話題で彼と話しをして進行状況に触れると、まだちょっと時間がかかるとの返事だった。一日を争うようなことでもないので時間の経過も大して気にならない。一月以上、もしかするともっと経って、彼に途中まででもいいから今まで調べたものを見せろといった。出てきたものを見て驚いた。実に細かく、そんな会社もあったのか、そんな会社はリストアップする必要すらないだろうというものまで探してきた。まるで世界の白地図をもってきて、河川を描き込んでいるような感じで、放っておけば内陸川から雨季にだけ川になるものから、支流の先の支流まで探す作業を継続しかねない。何のためという目的は何度も話しているので理解しているはずだ。ここまで細かくリストアップして一体何をしようとしているのか、現時点で注意しなければならないシンデレラもどきはどこか?この数年間でその会社はどのように成長してきたのか?。。。この質問に対して考えてもみなかったという反応を示されたときには正直まいった。
調査はそもそも何についての検討をするための基礎データを集めることを目的としているのであって、ただ闇雲に何かのデータを集めるわけじゃない。 彼の方法論でゆくと、まだ、あの地域とこの地域の支流は調べてませんので、調査は終わってない。そのためデータを見て何かを考えるなどということは考えもしていないということになる。 では、いつの時点で考えるかと?
何年か彼と一緒に仕事をしたが、何を目的としての何かの結論がでたためしがなかった。まじめな性格なので仕事を抱え込んでいつも遅くまで残業していた。しかし、何を目的としたものなのか分からないことを仕事と考え、しばし普通ではかけることのない時間をかけていた。何度話しをしても、思考形態が変わる気配はなかった。 残念ながら、したことの全てが成果を生み出す訳ではない。しかし、それ以上に、目的を考えるとする必要のない“仕事”と呼んで、しなくてもいいことを結構してるんじゃないかと思える。 ましてどこまでという明確な限度がない調査のような業務では注意しなければならない。目的を明確にしえない市場調査は多くの場合、コストも時間もかかるが、内容はしましたというだけになることが多い。
ところが、目的も方向性もはっきりしない(できない)調査に基づいて、思い入れと行きがかりで決めた戦略を有り余る熱意が昇華して、ビジネススクールのグル達やコンサルどもの後知恵の恰好の対象となる成功が生まれる。多くの失敗のなかから偶然と言っては失礼だが生まれる成功を期待して、目的も方向性もなしで何かを始める気にはなれない。