スペシャリスト

まさか、ここまで痛んでいるとは想像できなかった。米国系コングロマリットの産業用制御システム事業体で信じがたいことに遭遇した。あとで分かってきたことだが、遭遇したことが特異なケースではなく、これが彼らにとっては普通だった。
雇われてから数ヶ月、米国本社で毎年恒例の戦略(?)会議に出席する機会を頂戴した。そこには、米国本社で主要産業に向けたSales promotionを担当している業界スペシャリストの方々も出席していた。日本の事業を立て直すためにも日本で注力するつもりの業界を担当している、業界向けのソリューションを提案してきているはずのスペシャリストからできるだけのことを聞いておきたい。探したのは、自動車産業と製薬業界を担当しているスペシャリストだった。
デトロイトでの営業が長いという触れ込みの自動車産業の業界スペシャリストの女性と軽い話できた。 というより残念ながら軽い話から先に進まなかった。こっちも、もともとかなり深く関係してきた業界なので、恥ずかしくない程度の知識は持っている。その知識から、今起きている、これから起ころうとしているであろう世界の自動車産業の再編と地勢図の変化、それに対応した主要装置メーカの動きなどなど、こちらから情報提供するようなかたちで話した。ところがどうも反応がおかしい。話に対して肯定するわけでも否定するわけでもない、どうみても言われていることが分からない、このような話は迷惑という態度だった。
デトロイトの自動車業界でしのぎを削っている人たちの血管には血ではなくガソリンが流れているとさえ言われる自動車業界に特化した、それしかないという専門家集団だ。にもかかわらず、知らないはずがないと思われることを知らないというより、興味がないとしか思えない態度に終始した。こんなことでどうやって今まで世界の競合と伍してきたのか、これからどのような方針(戦略でなくてもいい)でSales promotionをしてゆくのか?営業部隊をどう支援してくのか?全く分からない
製薬業界のスペシャリストは、いくら話をしようと試みても相手にされない。狐につままれたまま帰国した。 数ヶ月経って、今度は上海で米国本社のキーマンとアジア地区だけが集まった、似たような会議があった。そこで、自動車産業のスペシャリストに自動車産業に向けたグローバルな販売戦略の話を蒸し返した。返事に驚いた。今は、製薬業界のスペシャリストで自動車は担当じゃないと。どの業界でもそれぞれ特殊性がある。経理や財務と異なり、必要とする知識も大きくことなる。自動車産業も製薬業界も一朝一夕にスペシャリストと名乗れるようなあまい業界ではない。どうなってるのかと懐疑的な気持ちを抑えて、じゃあ、ちょうどいい製薬業界に向けた販売戦略の話をしようとした。複数の企業のマーケティングとして製薬業界もかなりの時間をかけて市場開拓をしてきた経験がある。自動車産業の話と同じように、こっちの理解、かつてとった戦略の一端を話して議論の呼び水にしようとしたが、反応は数ヶ月前の自動車産業のときと同じだった。どちらの業界についても新聞記事程度の知識しか持ち合わせていなかった。
数ヶ月が経って、本社から主要製品のエンジニアリングを担当していたDirectorが来日した。 Directorから前出のスペシャリストはFood & Beverageの担当スペシャリストになったと聞いて、驚くというより呆れた。今、ビール醸造のソリューションブローシュアを、すごいブローシュアを作っているから期待して待ってろと。
数ヶ月して大きな箱でそのブローシュアが届いた。確かにかなりの金をかけて作ったブローシュアであることは間違いない。しかし、奇麗なブローシュアだったが内容はWikipediaでももうちょっとしっかり書いてあるんじゃないかという代物で使い物にならなかった 日本では10年以上前から某重電メーカのエンジニアリング部隊をパートナとして某ビールメーカの日本の全工場で主要製品を標準採用して頂いていた。ビール製造に関しては相手はプロで、こっちはたかが制御ソフトウェアのプラットフォームを提供させて頂いているに過ぎなかった。ビール製造のプロにWikipediaにも劣る内容のブローシュアを持って行って何をご紹介しろというのか?スペシャリストとしての知識を問う以前に営業部隊にソリューション提案の知識を提供する立場の人間としてのビジネス感覚の欠如にあきれた。
この体たらくがいったいなぜ起きるのか、起き続けるのか考えてみた。経営トップ(層)が経営のプロ?らしく、自社が所属する産業界についても、客の業界についても素人であることが根底にあるとしか思えない。まるで証券会社の営業マンが金融界から見た業界知識のようなものをもったいぶって言うのと同じ程度の知識しかないうえに、それで分かっていると信じてる、それが経営だと考えている優秀な経営トップだった。
言ってみれば三流以下、流のつかないレベルの経営トップが、これこれのスペシャリストと任命すれば、即これこれのスペシャリストということで、ブローシュアをもその素人経営トップの目でみて、良くできているという評価が得られればそれでいい。素人集団の手慰み以外に何もない、実業のプロ不在で、経営のプロに率いられたコングロマリットだったと考えれば、この体たらくも説明がつく。