痩せ細ったキャッシュカウ(改版1)

米国系コングロマリットのある事業体に雇われた。巨大な組織の一事業体が二十年ほど前に製品補完関係にある日本のメーカと合弁会社になった。強力な二社の合弁が発表されたとき、一競合として化け物のような合弁会社とどう戦えばいいのかと戦々恐々とした。ところが何も起きなかった。起きないどころか合弁会社の前線が年々後退していった。何が起きたのか、起きているのか気になっていた。
仕事の話が転がり込んできたとき、数名の知り合いにその合弁会社について彼らの意見を聞いてみた。客でぶつかることがないというのが彼らの答えだった。その合弁会社の状況は噂で聞いていて、絶対行っちゃいけない会社というのが知り合いの一致した意見だった。二十年間まともに機能したようには見えない。名前からすれば超一流同士の合弁会社。いったいどうなっているんだろう、想像しているより中に入ってしまえば…。
上司も、そのまた上司もこの事業体をよくしよう、崩壊している営業やサービス体制を再構築しようという気持ちはさらさらない。面接で初めて会ったとき、いきなり「早く来てもらいたいんですけど、二週間でこれませんか?」「うまくこのちっちゃなところで格好をつけて、もうちょっと気の利いた事業体に転身して。。。、一緒にやりましょうよっ、…」。海外のビジネススクール出の今風のキャリア組?のお二人、実ビジネスのことも自分が所属する事業体の業界や業界構造には興味がない。それ以上に自社の製品がなんなのか、何を市場に提供してきているのかにすら興味がない。ノルマを持った営業の尻を叩けば営業成績が上がってキャリアアップできると思っている。実務能力はほぼゼロ、将来的にもゼロから大きく上がることはないだろう二人の下で実務-市場の理解から自社の製品の理解、戦略、営業、クレーム処理。。。全ての仕事をする人間がどうしても必要だった。何も知らない、しようとしない、できない貴族さまと全ての実務を受け持つ農奴のような関係に近い。
流暢な英語で毎週、米国本社の上部組織のエライさん方と電話会議をしていた。何度かその会議に巻き込まれたが、ただの“売上数字”の話で小学校の三、四年生程度でも分かる。あるのは売上目標の数字だけ、根拠もなければ、方法論も、何もない。あったのは民僚どもの宮廷遊泳術だけだった。
入社して数か月が経ったときに米国本社で来年以降の戦略?会議があった。本社のキーマンと世界各国の代表が一堂に会して現状理解の共有から来年以降の製品開発の計画。。。などが話し合われる会議と聞いていた。日本の二人の上司に聞いても何も分からないのでちょうどいい機会と喜んだ。
会議開始早々なんか変だ。檀上の女性が一ドル札を右手に振りかざして、なにやら冗談ぽく熱弁を奮っている。「十年以上、毎年似たようなことを訴えてきたが、実現したことがない。予算がないから何もできない、あたしゃ疲れた。。。この先どうするんだ、みんな…」
聞いている方も多くが毎年似たようなことを聞かされているのだろう。話している方も聞いている方も話していること-何とかしたいという思いが叶うとは思っていない。言ったところで何ともならないのだけど言わせてもらおう、分かっている同志で悲劇のような状態を喜劇にしたてて笑っちゃおうという丁々発止のやりとりだった。
コングロマリットの経営トップは二人の上司以上に実業に関しては興味も能力もない。内部の言い方で言えば財務の目、外からみればファンドの視点で歴史的な合弁事業を決定した。その決定とは、二十年前に開発され市場を席巻した製品の引き続く改良、開発、高機能化、コストダウンなどにリソースをできるだけ割かず‐製品を保持するためのコストをかけずに、利益だけを求める政策=ボストンコンサルティングあたりの定義で言えば、キャッシュカウ(Cash cow)政策を遂行することだった。陳腐化してゆく自社の製品を日本の合弁会社の製品に抱き合わせ販売のようなかたちでというしたたかな戦略だった。
厳しい環境下で高い信頼性を要求される産業用コンピュータであるその製品群は、今ではちょっと考えられないほどの開発工数を投入して開発された技術の結晶だった。今でも十分通用する。ただ、使用している半導体素子などを最新の素子に置き換える設計変更、アプリケーションプログラムの環境を最新のプラットフォームに移行するなど、しなければならないことも多い。最低限の投資でもきちんとし続ければ、まだまだ市場のキープレーヤでありうる製品群が、世界にその名も知られた名経営者によってキャッシュカウにされ続け、時代遅れとなって消え去ろうとしていた。
一昔前の花形業界にはキャッシュカウが目立つ。一時は時代の寵児として急速に成長したが、今後大きな成長を望めない専業メーカがキャッシュカウとしてファンドなどに買収される。しゃぶりつくされた後で、それでもその技術なり製品なりの使い道のあるところに売却される。
キャッシュカウは事業体などの組織に対する経営方針だが、組織には必ず人がいる。人なくして組織はありえないし、事業など推進のしようがない。そこでは組織を通して間接的にであったとしても人がキャッシュカウとして扱われる。キャッシュカウ扱いされるのが嫌なら転職すればいいじゃないかという声が聞こえてくるが、その業界、その企業でキャリアを積んできた人たちにはそう簡単にはゆかない。財務や経営ならいざ知らず一生をかけて核となる技術を担当してきた技術屋になればなるほど違う業界には移りにくい。
キャッシュカウ、ビジネスの本で読んで知ってはいたが自分自身のありかたとして遭遇するとは思っても見なかった それは人の人たるものに対する冒涜に近いように思えてならない。金の卵を生むガチョウではないから殺されはしないが、ビジネスの上では先細り、経済的にも精神的にも多くの人が傷んでゆく。
経済合理性に基づいた産業構造の変化に飲み込まれるかたちででしか変わって行けないのも分かるが、できれば人をキャッシュカウとして扱うような経営や社会をなんとかできないものかと思ってはきたが、たかが一傭兵、どうにかできるわけもない。
2014/5/4