無節操な多角化が招くもの(改版1)

2015年4月18日号の英Econimist誌に興味深い記事があった。大きなニュースなのだろう、Economistが三本もの記事でコングロマリットの戦略変更を報道している。世界で最大規模を誇りグローバルな事業展開している巨大コングロマリットが、金融事業体を売却してエンジニアリング会社に戻るという。リーマンショック以降、戦略変更の兆候は明らかだったから、金融業界も含めた関連業界には驚くようなものではなかったと想像している。
一年以上前にまとめた拙稿を引っ張りだしてみた。日々変化する市場と事業再編を繰り返しているコングロマリット。状況理解が若干古いものになってしまってはいるが、本質的には何も変わっていない。論点の再考や書き直しが必要とは思わない。ほぼそのまま使うことにした。
Economistも暗に指摘しているように、金融事業体を売却できたとして、はたしてエンジニアリング会社に戻せるかの方に興味がある。巷の素人の理解に基づく私見でしかないが、戻したい、戻そうとする意思は尊重するが、結論を言わせて頂ければ“戻せない”。国際金融のあり方まで変えなければ、金融事業体を売却したところで、できることは新しいキャッシュカウの買収までがせいぜいだろう。
企業買収や事業売却、合弁事業締結や解消など頻繁な事業再編成を繰り返しているので、事業内容もその都度変わっている。この拙稿を書くとき(2014秋)に参考にした、多分日本支社の広報が書いたウィキペディア上の記載をみるとその事業活動の広さに驚かされる。
主要事業を見ただけでも、発電機や照明機器、モータなどの電機製品からはじまって、航空機エンジン、MRIやCTスキャナなどの先端医療設備、鉄道車両、産業用プラスチックやシリコンなどの素材製品、産業用制御装置やソフトウェア、テレビネットワークや映画産業に加え、金融事業や不動産、リース業など、いったいどの事業が企業としての顔なのかわからないほどの多角化が進められている。常に利益を求めて事業の再編と改革を継続してきた結果が、このような良くも悪くもどれが本業といえるのか分らない多角化を生み出したのだろう。
リーマンショックまでは金融関連事業で収益の過半を上げていたはずだが、ショック後の金融危機によりよくある本業回帰路線が打ち出され、自らを金融業の企業ではなく総合エンジニア企業=実業の企業であると主張しだした。
ホームページによれば、その経営手法が高く評価され、世界中の多くの経営陣に大きな影響を及ぼし、なかには経営手法を模倣する企業までいる。影響を及ぼしているのも、模倣する企業が結構あるのも事実だが、はたして本当の模倣できるものなのか?またする価値はあるのかというと話しは違ってくる。
どのような企業であっても、そこそこの規模になれば、水平分業か垂直統合の両者、あるいは一方のかたちで多角化が進められる。ただそれぞれの事業間になんらかの関連性があるが普通で、全く関係のない事業体の集合のようなコングロマリットは持ち株会社の形態から始まった組織以外は少ないだろう。
フツーの企業であれば、お題目の社会貢献にどのようなことが謳われていようが、どのような事業をしてきているのか、これからするのかが自明の理であり、あえて言及することもない。それほど企業の存在と事業内容は一体化している。先のコングロマリットのように、相互に全く関係のない事業体の集合体と一般の企業ではその存在のあり方に違いがあり過ぎて、お互いに相手の事業展開のし方を参考にはできても真似は難しいし、することがプラスの結果になることの方が稀だろう。あえて真似るであれば、そのコングロマリットのように、機を見るのに敏で、短期勝負で企業買収も事業売却もし続けなければならない。できる企業がどれほどあるのか、またすべき立場にいる企業がどれほどあるのか問うまでもない。
巨大コングロマリットは、あまりにも違う業界の事業体の集合体として成り立っているため、個々の事業体の経営評価をどのような尺度で行えばいいのかという真っ当に考えると難しい問題がある。事業体によっては大きなリターンを望める業界のもあれば、限られたリターンしか望めない業界のものもある。ある国では成長過程にあるが、ある国では今後の成長を望めない…。業界によっても、国によっても事業環境が大きく違う。この違いを経営評価にどう反映するのか?
一つの標準的な物差しを用意して、状況に応じて補正係数でもかけて物差しのスケールを調整するのか?補正係数の検討すら現実には不可能だろうし、もし補正係数を求めたとしても、すべての事業体をフェアに評価する補正係数が求められるとは思えない。その結果、補正係数なしで=事業体ごとの個別事情に配慮することなく、簡単に投資に対するリターンをドルで勘定して−金という形に抽象化して−事業体の経営評価とすることになる。他に方法があるとは思えない。
この簡単明瞭な経営評価は、実は国際金融での評価方法と同じではないか?貸出先の個々の事情がどうであれ、為替変動がどうであれ、決まった利息を頂戴しなければ金融は成り立たない。融資先の個々の特殊事情を金融機関の客(たとえば預金者)に説明するなどありえない。
この類の経営評価を得意とするのは、実業のエンジニアリングの経営陣ではなく、実業の企業だったとしても財務部隊だろう。財務部隊が実業の企業の経営と経営評価を担うからこそ、数ある事業体間に相互関係の希薄な巨大なコングロマリットの経営が可能になる。そこでは実業の経営を担当する階層(実務部隊)は財務を担当する階層の下に位置することになり、キャリア組の多くは財務系(あるいは金融畑出身者)で占められる。リーマンショック後、金融業の企業ではなく実業の企業であるという自己申告をしたのは、実業に関する知識を持ち合わせない、実業に関する知識には興味もない金融畑出身の財務系のキャリア組だろう。
数年前には、そのコングロマリットの当時のCEOの本がベストセラーとなり本屋に山と積まれていた。ことあるたびに「ものつくりの日本」などということを言っている日本の優秀な実業の経営陣が、間違ってもそのコングロマリットの経営手法の模倣を試みることはないと信じている。(ベストセラー、熱も冷めて今はブックオフあたりで百円かもしれない。)
リーマンショックまでは、これこそが経営のあるべき姿として世界中の経営者やビジネスグル、経済誌から後知恵を売り歩くコンサルによりどころ−メシの種を提供し続けてきたコングロマリットが手の平を返したように方針を変更した。
機を見るのに敏な優秀な人たちだから、返った手の平の上の能書きはもう用意できているに違いない。新しい能書きを謳ったビジネス本がベストセラーになるのもそう遠くはないだろう。何がでてくるのか、以前の主張との整合性をどうつけた物がでてくるのか楽しみだ。もっとも、整合性など気にするだけの良識があっての話だが。
持ち株会社を作ってコングロマリットの真似事を進めていたら、本家本元のコングロマリットが今まで言ってきたことと反対のことを言い出した。敗戦までは軍国主義者だったのが、あっという間に民主主義者になりすます変わり身に早さが売り物の日本のリーダー層。真似事も、問題のすり替えや責任転嫁もお手のもの、宗派替えなど朝飯前だろう。早々に次の格好をつけるのだろうが、どんな格好をつけるのか楽しみは尽きない。
2015/5/3