人がつくる企業文化

ある日、事前連絡なしで、モータドライブ関係の4つの事業部を統括している上級副社長から30代半ばの3人が呼ばれた。当時、事業体の一つが日本の合弁先と共同で新製品を開発していた。そのため、年に何回か来日していて、日本支店でも馴染みの顔だった。新製品開発を進めていた事業部に所属していたので、何度か込み入った話をしたことも、事業部のだらしない対応を詰問したこともあった。以前から日本市場の特殊性については何度か説明していて、彼が担当している事業体が日本市場では国内メーカに対してまともには競合し得ないことは理解していた。(数年後に、彼の一事業部が日本で日本支社の売上の3分の1以上のビジネス叩き出す展開になるとは、当時、誰も想像すらしていなかった。)
呼ばれた他の2人が所属していた事業体の方が、彼が担当していた事業体より米国でも日本でも会社の看板ビジネスだった。他の事業体から2人も呼んでいることから、要件は彼の担当している事業体の話ではないことだろうし、予定なしで、妙にあらたまった感じで呼ばれたので、一体何の用事かと思った。
いつもの穏やかな口調で、急に時間をさいてもらったことについて軽い謝辞に続いて前置きがあった。「みんな知っているように、色々な問題や課題を抱えながらも、米国を始め世界の主要市場で順調に事業を展開している。合弁相手の日本企業からもさまざまな支援や協力を得られる体制になった。」
いつも以上にゆっくりと分かりやすい単語を探すような口ぶりで、本題に入ってきた。「しかしながら、日本市場の開拓が進んでいるようには見えない。今日、時間を割いてもらったのは、ここに集まってくれた君たちや日本支社の従業員がどうしたらもっと仕事をし易くできるか、米国本社として日本支社に対して何をしなければならないと君たちが考えているのか、要望を教えて頂きたいからだ。」
あまり長話をしない彼にしては、話が続いた。「日本支社は開設して10年くらいしか経っていないし、リソースも限られている。日本市場は非常に難しい。私が知っているだけでも、日本には世界のトップレベルにある競合が何社もある。日本支社の力だけで日本市場の開拓ができるとは思わない。事業部には日本のことが分かったようなことを言っている人達もいるが、私達アメリカ人には日本のことがよく分からない。要望として聞いたこと全てに応えられるとは思えないし、約束もできないが、応えようと最善の努力をすることだけは約束する。教えて頂きたい。」
日本支社の暴れん坊、うるさい3人が日常のフラストレーションもあって堰を切ったように言いたい放題。話があっちにこっちに飛ぶ。その一つ一つに言わんとしていることの確認の意味もあってだろうが、几帳面にメモをとりながら彼の言葉で言い換えた話が戻ってきたり、質問が返ってきた。1時間の予定をかなりオーバーして、3人は言い疲れて、上級副社長は満足気にミーティングは終わった。
ここに至るまでに彼のことだから、日本支社の社長や3人の本部長、その下の部課長、合弁相手の日本企業の経営陣にも似たような問いかけをし続けてきたのだろうと思う。3人が伝えようとしたことが、視点の違いはあったとしても今まで聞いてきたことと似たようなことででしかなかったことも多かったろう。ただ、彼のちょっとした驚の仕草やメモのとり方、ミーティングの最後に彼が言った謝礼の言い方から想像すると、予想を遥かに超える収穫だったに違いない。ちょっと時間はかかったが、後日、あのときのあの話があったからだろうと想像のつく改善策がいくつもでてきた。
似たようなミーティングというのか話し合いは日本でも米国本社やいくつかの事業部でも何度も経験した。このリベラルさがあの会社が長年かけて作り上げてきた強さの根源だと思う。あそこまでオープンに下の意見を謙虚に聞くリベラルな文化を持っている企業がどのくらいあるのか知らない。結構あるだろう、あるはずと想像しているが、想像にとどめて、期待しすぎないようにしている。

p.s
似たような事業体も持っている米国系コングロマリットでは、外部コンサルから買ってきたとしか思えない360度チェックや社内オンブズマンなどリベラルな装いに腐心していた。“装いに腐心”があの人達のありようを表している。 組織として、その組織を構成する個々の人達の人間性まで含めた思想文化−リベラルな考え方がなければ、よくて“xxxしてますって”いう程度の、初めから形骸化したもの以外になりようがない。
思想や文化は自ら育むもので、育めない人達はその装いを買ってくる。自ら育むことができる人達は、買ってきた装いが装いにすぎないことを見抜く。できない人達は買ってきた装いが装にすぎないことに気がつかず、装いに酔う。