有能ぶる無能の集まり

同じ事業体に所属はしているが製品群とその市場が大きく異なるため、業務上の関わりあいがない部隊が同じ部屋にいた。その部隊のマネージャは專門商社の営業上がりの人で、言動は代紋を背負ったメーカの営業というよりブローカに近かった。上司は、自からが、少なくともその時所属している業界や技術については全く興味を示さない典型的なビジネス・スクール出の、結果の数字と上しか見えないヒラメのような高級事務職員だった。そのマネージャは事ある毎に上司に自分がいかに業界通であるかを、多分誰が見ても不遜な態度でデモンストレーションしていた。町内野球がまるでプロ野球のように説明され、上司はといえば、よく聞く企業などの固有名詞以外はビジネス・スクールから引きずっている単語帳には入らない。二人のやり取りを傍から見てる限り苦笑ですんだのだが、この二人のばか話が、どこをどう転がったのか分からないが、そのマネージャがこっちの製品とその市場について講義してくださるという、“まことありがたい話に(彼らからみて)”になったと、上司からミーティングの連絡がきた。
こっちはこの業界とその関連業界で日米欧の企業の一員として、日米欧の市場で30年以上、市場開拓を本職として禄を食んできた。それでも、見落としている点もあるかもしれないし、たとえ反面教師としてであっても参考にできるものでもあればめっけもんとミーティングに行った。下町の口語で言わせて頂ければ、“ちゃんちゃらおかしくて、へそが茶を沸かさあ”とは正しくこのようなときに使う言い草だろう。マネージャ、いつものように、いかに自分を大きく見せるに腐心した持って回った言い方で、どうでもいいこと、業界の裏話からゴシップまで交えながら、“プロの営業マン”の販売戦略を聞かされた。言葉はやたらに多いが、要旨は簡単明瞭、「営業に一人ひとりにノルマを与えて、可能性のあるところを訪問すれば、目標売上に達する」だった。
実は、上司からも仕事を請け負ってから数ヶ月の間、全く同じ類のことを何度か言われた。汎用マネージメントスキル以外に何の能力もない上司は、実務に関して些細な事から中長期のビジネスプランまで部下にやらせる、やってもらうしかない、他力本願を絵に描いたような人だった。そのため、今風の言い方でノルマをコミットメントと言い換えて、コミットメントする代理店がいれば、受注が増える、コミットメントする営業マンがいれば、売上が上がるとノーテンキにも信じていた。信じる以外に彼にできることは、営業マンを雇うか專門商社に認定代理店という代紋を提供するくらいしかなかった。もっとも、この能力の欠如は上司だけではなく、その米国系コングロマリットの経営陣に共通していたが、
マネージャの草野球もどきのバカ話があまりに自信満々に続くのに閉口して、その話題は継続するな、早く終わりにしろと、彼の能力では受け切れないスパイスの聞いた話を投げかけ、幾つもの戦場を駆け抜けてきた傭兵と幼稚園児のバカ話が終わった。あとで、上司に小声でニコニコしながら、あんたの馬鹿さ加減には呆れたよという意味を込めて“二度と今回のようなバカなミーティングは開くな!”と言った。
上司も、マネージャも、自社の製品が日本の同業各社の製品とどのような違いがあるのか、自社の製品をプラットフォームにしたシステムソリューションがどのようなアプリケーションでどの同業と競合しうるのかなど市場開拓戦略を立てる際に必ず検討しなければならない事柄については何も話さない。話さないというより、はっきり言ってしまえば、そこまで考える知恵も能力なかった。
実は、該当事業体は、この当たり前のステージを云々するような状態ではなかった。コングロマリットが数年前に、産業用制御機器というよりITに近いソフトウェアを開発、販売していた米国系企業の日本支社を買収して、買収したまま、新しい体制に再構築するようなこともなく、ほっぽりっぱなしにしてきた。買収された後も、される前と同じような日常が流れていっただけの、やる気のない、やる気のおき得ようのない支社だった。買収された側の日本支社の従業員はコングロマリット側の事業体の製品の名前すらも知らないできた。当然、日本語の資料は皆無で、製品カタログはおろか会社案内のようなものもなければ、製品トレーニングもない。とにかくなにもない。あるのはコミットメントだけだった。
この状態から離陸せんがために、基礎の基礎から組織作りを始めていた。米国本社からも上海にあるアジア本社からも何の支援もない。自分の所属する業界に全く興味にない民僚には何をしなければならないのか分からない。神経質になるのは自分達のポイントになるかならないかだけだ。おかげで、意味のない、自分達のポイント稼ぎの手伝いをさせられた。そのたびに噛み付いたが、
業界知識も製品に関する技術的な知識もなにも、もっと言ってしまえば一社会人としての人間性にまでかかわる常識すら持ちあわせていないにもかかわらず、明確なビジョンをもって創造的な仕事をしていますという、見てくれだけは整えるのが上手な民僚の集まりだった。そこでは人としての最低限の謙虚さは美徳ではなく危険思想だった。自分の至らない点を他人に明らかにすれば、己が任にあたわずであることを自ら認めたことにでもなる文化なのだろう。無能が有能ぶって闊歩するためにスキルが最重要能力とされていた。中身のないプレゼンテーションが表面的なプレゼンテーションのスキルによって高い評価を受ける。それも当然だろう。プレゼンテーションする側も聞く側も、中身を理解する能力のある人材はほとんどいないのだから、プレゼンテーションを評価する立場にいる人達は中身(中身は分からない)ではなく、プレゼンテーションを評価するという倒錯が起きる。コーポレートと社内では呼ばれていた日本の全ての事業体を管理統括する日本支社の社長も堪能な英語でのプレゼンテーション力(?)を買われて雇われたと側近の周辺から聞いた。言動を見れば、噂の通りだとしか思えない。一緒にされたら、迷惑だ。長居するところじゃない。