シーアイ=自己定義

多分20 年以上前の話しになるが、シーアイ(CI)という言葉をよく耳にした。経済新聞や雑誌でも特集が組まれ、大きな書店にはシーアイに関する本が何種類も並んでいた。シーアイ騒ぎの結果として何が変わったのかと言えば、日本の産業史にその名を連ねるいくつもの名門企業の社名が長い漢字表記から短いカタカタ表記になって、社章やロゴが重々しい歴史を感じさせるものから現代的とでもいうのか軽くなって、名前からでは何をしている会社なのか見当がつきにくくなったくらいではないかと、当時から思っていた。今になって振り返ってみてもそれ以外にはなにもなかったと思う。
このような結果になったシーアイに関するプロジェクトの多くは、流行を作り自らの事業としてシーアイをクライアントに売り込んだコンサルタント業界や広告宣伝業界の市場生成策にクライアントが取り込まれる形で始められて終わったのだろうと想像している。
当時はまだバブル崩壊前で、日本企業の、特に製造業は圧倒的な国際競争力を誇り、事業拡大が続いていた。そのため、精神的な高揚もあり、この手の形ばかりのプロジェクトに潤沢な予算を振り分けることが当たり前かのような雰囲気が醸成されていた。この雰囲気のなか、新聞などマスメディアの支援も得てコンサルタント業界や広告宣伝業界が実に巧みに、日本と対極の経済状態に陥っていた米国の製造業が極端に言えば次の時代に生き延びるために模索し、その結果必然として至ったCI(Corporate Identity)をシーアイとして日本に持ち込んだのだろうと想像している。
当時、大量生産を必須とする製造業における日本企業の国際競争力の前に米国の製造業は縮小、あるいは撤退の際まで追い込まれていた。そのため、米国では、大量生産を基盤とした経済体制からイノベーションによる高付加価値創造を基盤とした経済体制への移行を推し進めざるを得ない状況にあった。この間、日本企業は、従来からの大量生産体制を堅持、拡大していた。
そのような状況下で、多くの米国製造企業が業態の変革を必死で模索した。その模索の過程で、必然的に企業として次のようなことを自問せざるを得なかった。従来までの市場において自分達はいったい何だったのか?社会に、市場にどのような貢献をすることで企業として経済活動を営んできたのか?そして、今、変化した市場において、自分達はいったい何なのか、どのような立場におかれているのか?さらに、これから社会や市場がどのように変化してゆくのか、その変化した新しい社会や市場で自分達はどうあらざるを得ないのか?どうありたいのか、どのような企業に進化すれば社会や市場により大きな貢献をし得るのか?事業拡大を図れるのか?あるいは、今まで市場としてきた市場とは違う市場に事業展開をすすめなければ企業として存続し得ないのか?し得るのか?。。。
これがCorporate Identity、CIに他ならない。日本語で言えば、「今日の、明日の市場と対峙した自己再定義」になるだろう。その当時、日本企業は、特に製造業は従来からの大量生産に基づく経営、事業方針に、その圧倒的な国際競争力をもってして、今になってみれば、過信に近いものをもっていた。時の勝者、自らの経済体制や経営、事業方針に確信をもち、その状態が続くだろうと予想している者のどこに自己再定義の必然があるのか?現状に最適合し、現状肯定と現状維持をよしとするものがなぜ自己のあり方に疑問を持つのか?なかには、される経営者もいらっしゃるだろうし、企業もあるだろうが、例外にすぎない。
このような状況下で、当時の日本企業、特に製造企業が自らの必然からCorporate Identity、CIに関するプロジェクトを始めたわけではないだろう。状況が必要としていた米国で発案され、手法として開発されたCorporate Identity、CIが流行としての上っ面しか必要としていなかった日本の製造業にシーアイとして持ち込まれた。そして、幸か不幸か、その上っ面に対費用効果を考れば、ほとんど浪費ででしかないシーアイに貴重な経営資源を投入できる経営状況に多くの日本企業がいた。
バブルも崩壊し、大量生産を基盤とした経済体制では成り立たない経済構造にあることが誰の目にもはっきりしたときから今日に至るまで、あのときはあってもなくてもよかったが、今はどうしても必要なシーアイを果たしてどれほどの経営者が理解され、実施されてきたのか?いらないときに格好だけして、いるときにしないというよりできない。いらないときに、米国から上っ面を持ってきて、へんな流行を作って金儲けした立派なコンサルタントには真の意味でのシーアイは重すぎる。経営者もコンサルタントもどっちもどっちで、まともな人達にとっては笑い話の種に使えるが、できればこの手の種は遠慮願いたい。今も新しい種になる似たような流行があるのではないかと心配になる。
Corporate Identityという言葉が使われたかどうか知らないが、産業史を見れば、考えも実行も随分前からあった。参考として例を二つあげておく。
産業史の本によれば、19世紀の中頃創業されたアメリカンエキスプレスは元々は現金輸送業だった。危険を冒して現金を輸送するより、現金を小切手に換えて小切手を輸送すれば危険を回避できる。もし、アメリカンエキスプレスが高価な実態のある“物”を輸送することを自己定義していたら、UPS(United Parcel Service)のような小荷物宅配業になっていたかもしれない。彼らが“価値”を運ぶことに自己を定義したことろから金融業者としての今日がある。
シアーズは通販業として成功を収めた。19世紀の米国では都市化が始まっておらず広い国土に農家が散らばっていた。個人の交通手段は馬車などに限られたため、多くの農民が衣料品、家具、日用生活用品から耕作機具に至るまでシアーズのカタログ販売を見て購入していた。当時、百科事典の一分冊はあるページ数のシアーズのカタログは農民のWish Listだった。1930年代にヘンリー・フォードが大衆が購入できる自家用車を作った。これが米国の都市化を招き、農民に都市に買い出しにゆく個人の交通手段を提供した。市場の条件が変わった。その結果、通販業としてのシアーズは窮地に陥った。変化市場に対してシアーズは都市、あるいはその近郊にデパート(ショッピングモール)を建てていった。市場の変化に対応して通販業からデパートに自己を再定義して事業拡大を図った。