蛇口の問題じゃない(改版1)

営業強化に関する本もセミナーも数え切れないほどある。企業の本来の収入の増減に直接関係する業務なので当然多くの人の関心事になる。多くの本、セミナーがしばしあまりに卑近とも言える即の効果を期待できるかのような内容となっている。本を手にとる人もセミナーに参加される方も即の効果を期待しているからだろう。
需要と供給の両者が合俟ってグローバル化が進み今まで以上に競争の厳しい時代に営業はいったいどうあるべきか、どのような体制が、評価体系が必要なのかなど営業という実務を相当突っ込んで学術的とも言えるレベルまで調査研究が進んでいてもおかしくないほど活況を呈している。
寡聞にして活況の全体像を知っているわけではではないが、どうも実態は、一匹狼的な営業手法だったり、請負販売業者、あるいは販売ブローカーには合っていても、そこそこの規模の製造業などの営業部隊には適していないものが多い。企業全体のなかで営業部隊がどのようなポジションを占めるのか、また関連部隊との関係はどうあるべきなのかなどについて時代に合わせた組織論から見て営業について提言しているのが見当たらない。
グローバル化が急速に進んでいる現在の状況に合わせた企業としての自己再定義、その再定義に基づいた戦略的な組織論なしで、ただ企業収入の増加に直接責任を負う業務ということで、営業だけを取り出してその業務の何らかの向上を目的として検証する、あるいは議論することのどれだけの価値というか意味があるのか?どう考えてもあるようには思えない。営業の方には失礼になりかねないし、比喩としても適切かどうかもちょっと心配だが、話を分かり易くするためにご容赦頂き、個々の営業マンを水道の蛇口に、売上げを蛇口から出てくる水に置換えて話を進めさせて頂く。
営業の即の効果、改善を求めるがあまり、もっと水を出せないかということで、じゃあ、もっと蛇口を開けばいいじゃないかというような議論をしていないか?仕事のできる競合の営業をスカウトしてくれば、要は大きな蛇口を付ければもっと水がでるんじゃないかと。。。企業全体、市場全体を見ることなしに日常営業活動だけを見ているとこの手の頭の乱視に近い結論に達しかねない。一営業マンなら許容さるかもしれないが、マネージメントだったら辞めて頂いた方が企業にとっても、個人にとってもいいだろう。
水道の蛇口から水がでてくるためには、ダムがあって、浄水施設があって、給水システムなどがなければならないくらいのことは小学校の中学年でも知っている。水を多く出すためには蛇口以外の問題は一切ない状況がそれほど多いとは思えない。逆に蛇口だけの問題に終始しても水を多く出せない場合の方が圧倒的に多いはずだ。その多くの場合で、蛇口の種類、性能、さらにはその開け方を云々したところで、蛇口から出てくる水の量にどれほどの違いがあるのか?
では、なぜ営業の即の効果を期待させる本なり、セミナーがこれほど多いのか?またそれに貴重な金と時間を出す人が多いのか?理由は至って簡単で多くの人が自分の見える、認識できる範囲での議論しか参画も吸収もできないからとしか考えられない。
営業成績に直接責任を負うのが営業部隊だとしても、営業の趨勢を決めるのは営業部隊である以上にその後ろ、周囲にある企業全体のシステムに他ならない。問題は、これは企業の歴史からその文化まで含めた全体組織になる、雑な言い方をさせて頂ければ、蛇口以外全部ということになる。企業全体のあり方、その歴史的な成り立ちから、現在のありよう、将来はどうしたいのか、どうあらざるを得ないのかの話しなしで、ただ営業がどうのという蛇口の話にその存在価値がある方々はそれでいいが、本来はそれじゃ困る立場にいるはずの人たちまでが蛇口の話に終始されるのはいかがなものか?
それを経営とよび、マネージメントと呼ぶ。呼ぶことによって禄を食む人たちと、禄を提供する人たち需要と供給があってのことだろうがこのまま行けば蛇口に相当する立場にいる人たちが痛むだけでなにも改善しない。 もういい加減に気がつきそうなものなのだが。。。
2014/10/25