日本支社

日本以外の国の企業−中国や台湾、韓国の企業もブラジルもナイジェリアの企業も外資だが注釈を付けずに、外資というとフツー先進国の企業をイメージする。先進国−米国、カナダ、(西)ヨーロッパのどこか、あるいはオーストラリアあたりまでに(実質的)本社を置いている企業が、フツーに日本で言われる外資になる。ここでいう外資も、今までの通例に従った外資を指している。
90年あたりのバブルが崩壊する頃までは、日本市場を重視していた外資もあったが、今や特別な事情でもない限り日本市場に重点をおく外資をほとんど聞かなくなった。バブル崩壊までは、業種や個々の企業の実情によって経営体制は異なるが、外資の多くがアジア市場を日本とその他アジアの2つに分けて管理していた。その他アジア市場はシンガポールか香港に置かれた支社により管理されることが多かった。この時代、外資の日本支社の社長は本国のCEOに直接レポートするレベルの人達が多かった。
バブル崩壊後、官民ともに産業構造の変化に対する誤認、さらに誤認に基づく施策の稚拙さも重なって外資の目で見た日本市場の魅力が加速的に薄れていった。それと反比例するかのように韓国や東南アジアの国々が成長し、その規模と将来性が化け物のような中国市場が勃興してきた。この市場の変化に従って、日本支社のポジションが落ちた。外資の多くがアジア市場を中国とその他アジアの二つに分け直した。その他アジアの本社の多くがシンガポールに置かれた。香港では中国に近すぎ、無視できなくなってきたインドから遠すぎる。東の日本から西はインド、パキスタンまで包括的にマネージメントするには印僑も華僑もいる、地理的にも中間地点のシンガポールが最適の地として選ばれた。かつて本国のCEOに直接レポートしていた日本支社の社長はシンガポールに置かれたその他アジア地区担当の支社長にレポートする立場に降格になった。
この市場の変化の前、日本支社の役割は、なかなか食い込めない日本市場を何とかすることと日本企業(顧客)を通して中国や他のアジア各国への再輸出のビジネスの遂行にあった。日本市場では土着(日本企業)勢力になかなか対抗できなかったこともあり、バブル崩壊前でも、本国の本社から見た日本市場(直接)はたいした規模ではなかった。
企業によっては、世界市場に占める日本市場のウェイトが高く、日本支社長として実績を上げることが将来の昇進を確実なものにするようなところもあったし、今でもあるだろうが、非常に希なケースに過ぎない。世界の市場を見ている本国から見れば、日本のビジネスは、数字上、あってもなくても構わない程度の規模であることが多い。影が薄くなる前ですらこの程度の存在だったのが、今やちょっと言い過ぎかもしれないが“かげろう“のような存在になってしまった。
まだ、存在感のあった時代でですら、日本市場は、よほどのことでもない限り、良くも悪くも、あってもなくてもという程度の市場なので、本国から日本支社長として派遣されてくる人材もそれなりの人ででしかなかった。それが、日本の市場としての価値が低下し続け、社内のポジションもアジアの中心的位置から、その他アジアの一員に過ぎなくなった支社に送られてくる人材は、その質や能力を問うこと自体意味がなくなった。
定年間際の海外植民地生活を楽しもう程度のことしかないのがいても何の不思議もない。本国では窓際族に過ぎなかったのが、日本に来た途端、それなり以上の、フツーの日本人にはとても手の届かない住まいを与えられて、社長という肩書き、。。。多少のバカをやっても、もともとあってもなくてもいい数字ででしかない。数年間を植民地総督として、多少の公費?の無駄遣いも問題にならない立場にいる。自制するだけの自覚がある人材は稀で、本国には奴隷のごとくかしずかへ、日本人従業員に対しては暴君のようにやりたい放題、多くが権力の乱用、公私の混同に走る。言葉が通じるだけででしかない従業員を取り立て。。。問題だらけの支社をさらにごちゃごちゃにする。
何もしない方が、出社しない方が、できれば存在しない方がみんなのためという人材が日本支社長という、その程度の人材しか充当する価値のない日本という市場になってしまった。
全てが全てではないし、立派な支社長に率いられたまっとうな日本支社もいっぱいあると思う。そうは思うが上記のようなことがあっても不思議ではないどころか、ない方が不思議な状況であるとはお分かり頂けると思う。それでもしばし、日本企業より働き易いことも多いところに、日本企業の、社会の問題がある。何が魅力かは個人の判断ででしかないが、働きたい、ぜひ働かせて頂きたいと思う日本の会社がどれほどあるんだろう?