どうしようもしょうないなかから

何をどう説明しようが、分かろうとしない人達に遭遇した。何ページにも渡る資料では見もしないだろうと、整理して骨格だけを一ページの資料にまとめても分かろうとしない。文章では分かりにくいだろうからということで、要点だけを誰でも一目で分かる簡単な図にしても見ようとしない。表にまとめても、グラフにしても見ようともしない。何を用意しても、分かろうなどという気持ちの欠片すら見えない。
なんとか説明して理解してもらわないと、客、あるいは問い合わせてきた客になる可能性のある会社との間に問題 を起こしかねない。間違ったことを伝えれば事故の可能性すらある。最低限、“ここまで”は知っておいてもらわなければならない“ここまで”の理解をと思うのだが、どうにもならない。
誰がどう考えても、分からなければならない立場にいるにもかかわらず分かろうとしない。なにしろ、当のご本人、言動から判断する限り、フツーの社会人として要求されるであろう最低限の知能と常識を持ちあわせているとは到底思えない。考えられる説明の仕方をあれこれ工夫したり、おだてたりしても、一向に分かろうとしない。
分かるために必要とする知識は、高校や大学レベルのものではない。中学校で習ったことをおさらいでもすれば誰れにでも分からないはずのない類のことででしかないのだが、傲慢にかつ平然とそんな説明では分かりっこないと言い放つ。かと思えば、しばしば、見栄なのだろうか虚勢を張ってとでもいうのか、そんなことは常識で分かっているという格好をすることがある。分かろうとしようとしないにしても、分かったような格好をするにしても、はっきり言ってしまえば、「私はバカです。」って繰り返し大声でいっているようなものなのだが、残念ながら、ご本人には自分が言っていることが何を意味しているかを理解するまでの知能がない。
全てのことが分かる人などいるはずがない。自分の專門分野、あるいは経験したこととその延長線から大きく外れたことは、いい意味での常識で判断するしかないことも多い。そのいい意味での常識のかなりの部分が中学校までに学んだ基礎の上に構成されている。国語でも英語でも、社会や理科でも、中学校までに学んだことで、社会で一般常識と言われる範疇のことであれば、たとえ多少の応用が必要だったとしても十分やってゆける。
社会にでて、それなりの立場になる頃には、仕事で直接関係のない、日常的に接することのないことは記憶の彼方に空ろになっている。それでも、中学校まで、そこそこ勉強してきていれば、学んだことをおさらいすれば大体のことは用は足りる。こと足りるはずなのだが、この事足りるということすら知能レベルに問題のある人には分からない。
何を言ってもしょうがない人達と辛抱強く付き合ってきた自分の救いようのない根気強さというのか、寛容さとでもいうのか、底抜けのお人好しさに自分で呆れてきた。何人もの仕事仲間から何度も、もういい加減にした方がいいと忠告されてきた。
まともには相手しようもない人のレベルにまで自分を下げていって渡り合ってもしょうがないというか、自分で自分を情けないレベルというか状態に持ち込むのも馬鹿げている。どれほど救いがたい相手であっても、こっちの平常の姿勢と常識を失うことは避けなければならない。失うということは即自分を失うことを意味する。どうしようもないのと根気よく付き合うことで、フツーの人であれば、誰でもご理解して頂ける資料の作成と説明の仕方の訓練をさせて頂いているとでも考えるようにしている。
あまりに知能に問題のある、常識に欠けた人と喧嘩すれば自分もその人と同じ程度になるというような言い草を聞いたことがある。喧嘩をする気は毛頭ないし、できれば関わり合いたくないのだが、関わりあわざるを得ないとしたら?関わる過程で多少でも勉強できれば、また、人として成長できるのではと思えば、それはそれで我慢のしようというより、できれば積極的に活用のしようという気にもなる。
これは気持ちの持ちようででしかないことを自分でも分かっている。活用してきたといえば聞こえはいいが、運悪くか、活用せざる得ない立場に陥って、そのなかでなんとか平常心を保ち続けるには、何か得るものを見つけ出す必要に迫られただけに過ぎない。何度も似たようなどうしようもない状態に陥って、その度に何か拾って這い上がった。どうしようもない状態のなかで、どうしようもないのと付き合って精神的体力を消耗したのか、逆に鍛えれたのかは、この類の経験から体得させられた姿勢(attitude)を活かせるか生かせないかにかかっている。暗闇のなかで一筋の光を探すというより、作り出す作業のような気もするが、そんなところからでもその気になれば価値あるものを見いだせる、少なくも見いだせる可能性はある。あるとでも思わなきゃやってられないが。くだらん経験からだが、あると思えば、そんなところにもなにかが、フツーのところにはない何かがある。
2013/4/7